複雑で難解な第3フェーズに入った、舞台手話通訳
──第1次稽古では、舞台手話通訳の方は見学だけでまだ一緒に動いたりはしませんでした。樋口さんの中で、舞台手話通訳付き公演に対し、普段との意識の違いはありますか?
樋口 何もないです。(舞台手話通訳が)見えやすい場所は、あらかじめ最初に確保しておいたほうがいい、ということはわかるようになりましたが、それ以外は特別変わりません。それに手話さんたちも、手話のために何かを変えてほしいとは思っていなくて、作られた舞台を自分たちが手話でどう伝えていくか、という考え方なので、私も手話さんのやりやすさを考えて演出を変えたりはせず、まずは自分たちが一生懸命作ったものを手話さんに見てもらって、それをろうの人たちにどう伝えるのが良いか、手話さんたちと一緒に考えていきたいと思っています。
それに舞台では、俳優たちは「こうしゃべってはいるけれども本心は違うところにある」といった表現をするので、手話もニュースのように全部を情報として直訳するわけではありません。そういう意味では、稽古の後半に手話通訳に関する時間がどんどん増えていくんじゃないかなと思います。ちなみに本作には3人の手話さんが出演しますが、手話さんも浜の人と同じ衣裳を着てもらう予定で、ラストの動きはキャストと一緒に手話さんにも動いてほしいという話をしています。ちょっと大変な動きになるかもしないので「無理そうだったら言ってください」とお話ししたら、「覚悟をして来てます」とおっしゃっていました(笑)。
──樋口さんはキャストやスタッフへの気遣いが細やかで、話し方も朗らかで柔らかな印象ですが、演出ではとても“攻め”の姿勢と言いますか、音楽も動きも盛りだくさんで、市民劇だからといって忖度しないところがカッコいいなと感じました。
樋口 いや、相手によって出すカードを変えるというような技術があればそうできるんですけど(笑)、私はストレートしか投げられない……それだけです。
──近年、アクセシビリティを謳う公演が増えていますが、樋口さんの舞台手話通訳付き公演では舞台手話通訳者をキャストの1人、舞台手話通訳をクリエーションの一部として取り込んでいるところが特徴的です。舞台手話通訳付き公演に樋口さんが何度も取り組まれてきたのは、どのような思いからなのでしょうか。
樋口 私が舞台手話通訳を初めて知ったのは、2020年にPLATで開かれたTA-netさんのシンポジウム(参照:シンポジウム「みんなでいっしょに舞台演劇を楽しむためには~『舞台手話通訳』など日本の現状から~」|穂の国とよはし芸術劇場プラット)で、吉川さんに「見に来ませんか」と誘っていただき、参加しました。それまで、手話は知ってはいるけれども全然詳しくなかったので、TA-netのシンポジウムで「舞台手話通訳というものがある」と映像で見せてもらい、「手話って言語なんだ!」と思ったんです。だから私は決してホスピタリティの思いからではなく、演劇の表現の1つとして舞台手話通訳に興味を持ちました。
その後、PLATで初めての舞台手話通訳付きリーディング公演の演出を頼まれて(2021年上演の舞台手話通訳付きリーディング公演「凛然グッドバイ」)、今回もご一緒する舞台手話通訳の加藤真紀子さん、高田美香さん、水野里香さん、そして手話監修の河合依子さんとそのとき初めてお会いし、その後、河合さんの劇団、岐阜ろう劇団いぶきの演出を頼まれました(2023年に上演された「ソーマトロープ」)。いぶきのクリエーションではいぶきの劇団員のろう者のお二人と一緒に滞在生活をしたのですが、それがすごく不思議な体験で。手話が全部わかるわけじゃないのに、何も不自由がなかったんです。その体験をしてから感覚が変わり、やり方次第で舞台手話通訳は表現的にすごく広がるんじゃないか、演出家であるならその面白さに絶対に気づくはずだ、と思うようになりました。
これは舞台手話通訳者さんたちとも話したことなのですが……舞台手話通訳は今、新たなフェーズに入っているんじゃないかと。まずは舞台手話通訳というものがあることを多くの人が知り、舞台手話通訳があればろうの人も一緒に舞台を観ることができるというのが第1フェーズ。ただそれは数年前に終わっていて、舞台手話通訳を観た表現者たちが、「これは面白い」と思って自分たちの公演にも取り入れていくのが第2フェーズ。でも今はもう第3フェーズに入っていて、表現者が思う面白さと、ろう者への情報保障を両立させる、複雑で難しい段階に入っているんじゃないかなと。
なので、ドライかもしれませんが、私自身はあまり“思い”ではやっていなくて、芸術性も保ちつつ情報保障も担保しながら、両方を楽しめる舞台をろう者に届けなければならないという、ある種のミッションに近い感覚で取り組んでいます。
一生懸命に生きている人たちの演劇を、観てほしい
──樋口さんのパワフルなお話しぶりに、背中を押されるような感じを受けます。演出家としての樋口さんに、お二人はどんな印象をお持ちですか?
山崎 内容に関する稽古はこれからなので、まだわからない部分はありますが、話の端々から、僕が今興味があるようなことを演出してくださる人なんだろうなと感じます。きっと、とことん付き合ってくれる人なんじゃないかなと感じるので、すごく楽しみです。
森川 海のような方です。ニコニコとしていて穏やかで……でも実は厳しいところもあります(笑)。
一同 あははは!
──公演はたった3回。ぜひ多くの方に、豊橋を訪れてほしいですね。
森川 3回公演で3回とも違う解釈、違う楽しみ方ができると思います。舞台手話通訳付き公演としての工夫のほか、視覚に障がいのあるお客様のための舞台説明会などもあるので、誰でも安心して観られると思います。
山崎 チケット料金が2000円と安く、市民劇だからと言ってクオリティが下がるというわけでもなく、ちゃんと生きている人たちの喜びがここにはあるし、この人たちが舞台に立っている姿にはきっと観る価値があると思います。舞台手話通訳に関しては、稽古がこれからなのでまだわからないところがありますが、舞台手話通訳者の方々が稽古を観ながらどう表現するか、真剣に頭を悩ませて考えてくださっているので、僕も期待しています。
樋口 普段の活動では、“演劇アラウンド”に悩まされている人が多いなと感じることが多くあって。たとえば「自分は次、舞台に立てるんだろうか」とか「この年齢になったけれど続けていいんだろうか」「演劇で食っていけるのだだろうか」など、クリエーションそのものにあまり関係がない“演劇アラウンド”に疲弊した人が多いなと感じるのですが、そういう人たちにとって、クリエーションそのものをひたすらやる市民キャストの姿は、やっぱりズドンとくるんじゃないかなと思います。そしてもりもり(森川)さんが言ったように、彼らはベタベタしないんですよ、だって彼らにはやるべき生活があるから。そんな、生きることに一生懸命な人たちが、その一生懸命さを作品に傾けているので、ものすごく純度が高いクリエーションの場になっているのは間違いありません。
今回市民劇に関わってわかったことは、一生懸命に生きている人は一生懸命に演劇ができるんだということ。豊橋の方は、PLATの「市民と創造する演劇」シリーズがどういうものか知っている方も多いと思いますし、このシリーズを楽しみに観に来てくれる人もいはると思いますが、その範囲から外れる人たち、つまり大阪とか東京など、豊橋から遠い方は、チケット代に交通費をプラスしてぜひ豊橋に来てください。来た甲斐はきっとある、と思います。
プロフィール
樋口ミユ(ヒグチミユ)
1975年、京都府生まれ。劇団Ugly ducklingを経て、2012年にPlant Mを旗揚げ。現在は大阪を拠点に必要なところに赴いて活動。1999年、2000年にOMS戯曲賞を受賞している。
higuchimiyu (@higuchimiyu) | Instagram
森川理文(モリカワマサフミ)
1972年、愛知県生まれ。1998年より劇団花組芝居に参加し、「怪誕身毒丸」「かぶき座の怪人」「婦系図」などの舞台に出演。2001年に脳梗塞を発症。失語症を経て、穂の国とよはし芸術劇場PLAT「市民と創造する演劇」シリーズへの参加を開始。以降、市民と共に創作を重ねながら活動している。
山崎皓司(ヤマザキコウジ)
1982年、静岡県生まれ。快快、静岡県舞台芸術センター(SPAC)所属、山崎パラダイス代表。多田淳之介、杉原邦生、上田久美子らの演出作品に俳優として出演。また2019年から狩猟、農業、養蜂なども行っている。
ステージナタリーでは、1月中旬、第1次稽古の様子を取材した。その日はアンサンブル以外の市民キャストと山崎が参加し、作品の全体の流れを追っていく形で稽古が行われた。
アクティングエリアの床には、大きな白い円がテープで作られ、舞台の上手下手の奥には楽器が置かれている。舞台美術の模型によると、その真ん中の円は手動の“盆”舞台になるそうで、樋口とキャストはその盆を脳内でイメージしながら動線をつけていった。
浜の人たちを演じるのは性別も年齢も体格もさまざまな10名の市民キャストたち。全員、両端に白い骨がついた紐を首から下げて、それを何かの道具に見立てたり、打ち鳴らしたりしながら役に徹した。
その日の稽古の前半は、音楽協力の棚川寛子、振付の武田幹也、演出助手の山田朋佳が中心となってシーンの大きな流れを作っていった。身体の芯に響く、シーンのイメージを膨らませるような棚川の楽曲、身振りと言葉を織り交ぜた武田の振りによって、浜の人たちの姿がセリフに描かれた以上の輪郭を持って立ち上がってくる。そこに、本作の語り部でもあるとんび(森川)、凛とした声で自分の思いを貫くあの女(伴)の兄妹と、島の人たちと反りが合わない水銀(北野)が姿を表す。変わり映えしない、そしてちょっとうんざりする日々を過ごす3人と浜の人たちの日常は、赤鬼(山崎)との遭遇によって一変し……。
稽古の中盤まであまり言葉を発しなかった樋口だが、少しまとまったシーンが終わると、キャストの側まで行き、その人の目線の高さに合わせた姿勢で動きやタイミングについて細かなイメージを伝えていった。また時折、「手話さんに、そこに立ってもらおうと思っています」と明確な場所を指示したり、稽古を見学していた手話通訳の高田に「ここは浜を感じさせる音が入ると思うので、ビーチということがわかるようにしたいです」と伝えたりと、舞台手話通訳付き公演ならではの“楔”を作品に打ち込んでいった。
一方、高田はじっと稽古を見つめていたが、動きや音、セリフが絡み合うシーンでは「これはどうする……?」と小さく呟いて、台本にメモを書き込んだり、俳優のセリフに合わせてその場で手を動かしたりと手話のイメージを膨らませていた。
印象的だったのは、演出助手の山田がシーンの説明を始めようとしたときのこと。ちょうど同じタイミングで、キャスト2人がある動きの確認でやり取りを始めたところ、山田と樋口は2人の話を遮らず、2人が話し終わるのを待って説明を始めた。また、浜の人たちが一斉に動くシーンでは、全員に同じ動きを求めるのではなく、それぞれのキャストが自分でできる動きを決めるまで、樋口は細やかに声をかけ続けた。稽古の時間は限られているけれど、ゆったりとした時間が流れているように感じたのは、樋口をはじめクリエーターたちが作り出す、心地よさにあるのだろう。
その日の稽古終わりには、衣裳デザインの発表もあり、帰り支度をしながらデザイン画の前に集まったキャストは「赤鬼の衣裳が素敵だね!」「○○さんと私の衣裳はちょっと似ているね」など、楽しげに語り合っていた。
ここでは、舞台手話通訳や本作への思いについて、本公演に参加する舞台手話者の加藤真紀子、高田美香、水野里香の3人にそれぞれの思いを聞いた。
──舞台手話通訳とはどのようなものか、教えてください。
舞台手話通訳は、舞台作品のセリフ・音楽・効果音などの音情報を手話で伝えます。一般的な手話通訳とは異なり、稽古段階から参加し、台本の意図や俳優の感情などを理解した上で手話への翻訳を行なっています。セリフをただ聞いて伝えるのではなく、俳優のテンポ・感情・表情・身体の動き、聞こえる音や音楽の意味など、そして何より作品の世界観を意識して伝えていきます。通訳の立ち位置は、舞台の端や舞台上の固定位置など、作品によってさまざまです。今回の「赤鬼」では常に舞台上に立ち、演出により時に出演者と共に動きながら通訳していきます。(高田)
──舞台手話通訳者から見て、「赤鬼」の難しさ、面白さはどんなところにありますか?
「赤鬼」は他の作品以上に難しさと面白さが表裏一体にある作品だと受け止めています。どの作品にもその一面はありますが、例えば「赤鬼」はメインキャストからアンサンブルまで出演者が大勢います。セリフも1人、数人、大勢とさまざまなパターンがあり、その空気感をどう活かすかの工夫が必要です。またムーブメントと呼ばれる動きが多くある作品のため、「動きに集中してほしいところ」を丁寧に決めていくことで、より作品の世界を届けられると感じています。そして今回は「音楽」「音」も作品の世界を創り上げる大切な要素になっています。音の世界をどう届けるのか。音が鳴っていることを伝えるのではなく、何をどう伝えていくのかが楽しみでもあり、今の段階では大きな課題です。(加藤)
──初めて舞台手話通訳付きの公演をご覧になる全ての方に向けて、メッセージをお願いします。
「舞台手話通訳付きバージョン」と聞いて、どのような作品を想像されるでしょうか。
初めて舞台手話通訳付きの公演を観劇されると言っても、生まれて初めて劇場へ足を運ぶ方、舞台手話通訳に興味を持って来てくださる方、観劇経験はあっても舞台手話通訳を初めて知った方と、きっといろいろな背景の方が同じ時間を過ごすことと思います。聴覚に障がいがある方へ作品を届ける情報保障としての役割が基本ではありますが、私たち舞台手話の3名は一つのツールではなく、私たちも作品の一部として存在しています。観劇の面白さを知るきっかけや舞台手話通訳が付くことで観劇できる人がいることを知って欲しいと思いますし、多くの方が一緒に作品の世界を味わい、感想を分かち合える機会になるとうれしいです。(水野)


