松原俊太郎×スペースノットブランクが豊橋で高校生と立ち上げる「ミライハ」

穂の国とよはし芸術劇場が主催する、「高校生と創る演劇」シリーズ第8弾に、スペースノットブランクが登場。近年共作が続いている劇作家・松原俊太郎の書き下ろし「ミライハ」を、高校生たちと立ち上げる。一体どんな作品になるのか、松原とスペースノットブランクの小野彩加・中澤陽に、作品への思いや稽古の様子を語ってもらった。また特集の後半では、10人の高校生キャストと6人の高校生スタッフによる、クリエーションに対する思いを紹介する。

取材・文 / 熊井玲

「高校生と創る演劇」シリーズとは?

穂の国とよはし芸術劇場が2014年より主催している、東三河地域を中心とする高校生とプロの演出家・スタッフによる舞台制作事業。これまでに広田淳一、黒澤世莉、山田佳奈、稲葉賀恵、須貝英、山本タカ、藤原佳奈が参加している。

高校生に、松原戯曲と出会ってほしかった

──「高校生と創る演劇」シリーズは今回が8回目となります。スペースノットブランクのお二人は、演出依頼があってすぐ、松原さんの書き下ろしで、と思われたそうですね。

中澤陽 高校生たちが松原さんの戯曲でスペースノットブランクと演劇を作るとなったら、高校生たちはどう思って、どう表現するのかなというところが気になったし、実際にそれがどういう作品になるのか、自分たちにとっても未知の領域だなと思ったんです。

松原俊太郎

松原俊太郎

──松原さんはどんなところに興味を持って参加されたんですか?

松原俊太郎 高校生に向けて戯曲を書き下ろすということが初めてだったので、単純に面白そうだなと。最初はそう思っていたんですけど、いざ書くとなったらかなり大変で、のちのちすごく苦労することになりました(笑)。

──“高校生”に対しては、どのようなイメージを持って臨まれましたか?

松原 僕は今周りに高校生がいなくて、自分の高校時代を振り返ってみたんですけど、当時は受験勉強しかせず、次の段階に進むまでの1つのステップみたいな感覚でした。そのときはそれなりに毎日何かしらやろうとは思っていたはずですが、ある程度定まった流れの中にずっといたなというイメージがあり……だから劇場が主催する企画に高校生が参加するってどういうことだろう、けっこうすごいことなんじゃないかと思いました。

小野彩加 2019年にPLATのダンス・レジデンスに参加したときに(編集注:2017年度より穂の国とよはし芸術劇場PLATが行っている、国内外のアーティストに作品創造のための稽古場と滞在場所を提供するプロジェクト。スペースノットブランクは2019年11月から12月まで豊橋に滞在し、ワークショップや稽古場公開、作品試演会を行った)、交流スクエアに高校生たちが集まって、勉強したり談笑したりしていることにびっくりしたんです。劇場に高校生が多いな!って。“勉強ができる場所”という感覚かもしれませんが、それでも劇場に足を運んでいる高校生がたくさんいるのはすごく良いなと感じました。

高校生の印象、という点では、高校演劇のコンクールを観に行ったことがあるんです。そのときは高校演劇の中で成り立っているもの……例えば正面を向いて、サスの中で出演者がセリフを言うなど、どの学校にも共通した表現があるなという印象を持ちました。そういった演劇に関わってきた高校生たちに対して、まったく演劇に関わったことがない高校生たちは、どういう表現に興味があるんだろうということが、今回気になっていました。

スペースノットブランクの中澤陽(左)と小野彩加。(撮影:遠藤伶佳)

スペースノットブランクの中澤陽(左)と小野彩加。(撮影:遠藤伶佳)

中澤 僕は、自分が高校生だった頃と今の高校生たちの感覚にそんなに差がないと思っていて、実際、高校生たちと話していてもあまり差を感じません。ただ実質違うのは、高校生たちはまだ高校という集団の中に属していること、でも今回はそこから一歩踏み出して劇場に表現活動に来た、という意識を持っている点です。そうやって一歩踏み出そうとしている高校生たちの気持ちを、僕らもしっかり受け止めてやっていきたいなと。だからこそ松原さんのテキストに触れてほしいと思いました。

戯曲の良さを超越したい

──執筆にあたり、松原さんは高校生たちにインタビューされたそうですね。

松原 はい。普段、戯曲を書くときは当て書きはしないんですけど、書き下ろしで出演者のことを何も知らないというのはなかなか大変だなと思って。それで、高校生たちが何に興味を持っているのかを聞いてみたら、アニメ好きな子が多かったですね。あとは普段の学校生活のこととか、演劇に対して持っているイメージとかを聞いたんですけど、みんな高校演劇のイメージが強くて、自分が戯曲を書いて大丈夫かなと不安になりました(笑)。

──時々、戯曲の中に現実的なエピソードが入ってきますが、それは高校生たちへのインタビューから引用されたものですか?

松原 インタビューから借用したと思われるものはせいぜい1・2行程度で、“いつの間にか入っていた”みたいな感じですね。特に「これを入れよう」と思って入れたわけではないです。

──お二人は戯曲からどんな印象を受けましたか?

小野 戯曲が届いたのは、初日リハーサル開始の数時間前で、みんなでやった読み合わせが初見という感じだったんですけど(笑)、ジェットコースターに揺さぶられるような感覚になりました。

中澤 戯曲をいただく前から、出演者が10人だから10シーン作ろうかなというイメージがあって、そうしたら松原さんも10個の場面から成る戯曲を書いてきてくれたので、その偶然の一致はうれしかったですね(笑)。戯曲の印象としては、冒頭は“高校生の勢い”的なものから始まるんだけど、いろいろな角度から現実的な話が語られるにつれ、どんどん悲しくなっていく印象を感じました。なので、どうやれば上演が悲しくなりすぎないかということを試行錯誤しています。

小野 どのシーンも良いんですけど、その良さを超越したいというか。

中澤 そうですね。

プレ稽古の様子。©︎萩原ヤスオ

プレ稽古の様子。©︎萩原ヤスオ

“一歩踏み出したい”思いを受け止める

──参加する高校生たちにはどんな印象を持ちましたか?

中澤 みんなにも伝えていますが、高校生という1つのくくりにはなっているけれど、1人ひとりは応募した時点で一歩そこから出ようとしている人たちだし、それぞれ異なる性質を持っているんですよね。例えば1人は小劇場演劇がすごく好きで、もう1人は2.5次元、もう1人は劇団四季が大好きだったり、さらには演劇をやったことがなくてアニメが大好き、というようにみんな好きなものが違っていて、出てくる表現もそれぞれの興味に近いものだったりします。それを主観でコントロールして全体化することはできちゃうんですけど、今回はそれよりも、それぞれの個性……っていうとすごく単純になってしまいますが、10人の違いがちょうど良いバランスになっていると思うので、それぞれの違いを一色に染めてしまわない方法を考えています。

──高校生たちは、松原戯曲を口にしてどんな反応でしたか?

中澤 キャストだけでなくスタッフも含めて、最初はどういう気持ちで読んで良いかわからないとか、読んで理解できているのかわからないと言っていましたが、1つのシーンを全体ではなく部分で考えていくことで、理解が深まっているなと感じます。

プレ稽古の様子。©︎萩原ヤスオ

プレ稽古の様子。©︎萩原ヤスオ

──松原戯曲としては珍しく、冒頭はいわゆる戯曲らしい形式で書かれていますよね。

松原 自身としては、高校生にチューニングして書くことは冒頭のシーンである程度やったと思っていて(笑)。高校生じゃなかったら、こういう戯曲にはなってなかったんじゃないかなって思うんですよね。というのも、戯曲を書く前に、中澤くんから冒頭にクッションを入れたらどうかと言われて……。

中澤 そうですね。それは、「高校生と創る演劇」という企画ではあるけれど、実際は劇場のスタッフの方など、サポートがある中でやっている企画なので、少しでもその印象を薄めたいなと思って。それで、開演前の携帯電話に関するアナウンスとかも高校生たちでやってもらったら良いんじゃないかと思ったんです。

松原 でもそれをそのまま戯曲として書くのが今回のフレームでは難しくて、どうやったらすんなり高校生から始められるかと考えた結果、ああなったという感じです。

高校生たちに未来がどのように感覚されるのか

──公式サイトなどでは、本作について「『ミライハ』は20世紀初頭にイタリアで起こった芸術運動『未来派』と高校生たちの『未来は…』を掛け合わせた作品」と紹介されています。

松原 タイトルの「ミライハ」は、5月のオーディションのときに3人で話し合って決めました。ただ、実際に書いてみると、未来派に関してはあまり使えなかったですね。

──未来派は、過去の芸術の否定と、機械化によって実現された近代社会の速度を称える考えを持った人たちのグループです。直接的なリンクはなくても、時間に対する視線が本作にはずっと通底していて、その点で通じる部分があるように感じます。

松原 時間のことはものすごく考えましたね。未来というよくわからないものが高校生たちの出演する舞台で現前するにはどうすれば良いのか、どのように感覚されるかっていう抽象を、書き始める前からずっと考えていて。最初は、冒頭からの流れのまま最後まで会話劇として書こうとしていたんですが、これは無理だな、会話劇は「光の中のアリス」(参照:みんなで地獄を乗り切り“面白いもの”を、スペノ×松原俊太郎の新作「光の中のアリス」)でやったしな……と気づいたのが締め切りの4日前でした(笑)。それと同時に今回の形式を発見して、何とかなりました。これまでは言葉だけでも自律する戯曲を書いて、それに身体を与えてください、という形をとってきましたが、今回はそのバランスを変えて、上演がないと成立しない戯曲というか、言葉はもちろんですが身振りもそれと等しく重要な役割を負う形をとりました。

プレ稽古の様子。©︎萩原ヤスオ

プレ稽古の様子。©︎萩原ヤスオ

プレ稽古の様子。©︎萩原ヤスオ

プレ稽古の様子。©︎萩原ヤスオ

──そのコンセプトを象徴する1文が戯曲の後半に現れて、とても驚きました。

中澤 そうですね(笑)。でもそれは、最近考えている、演劇でやりたいことの1つでもありました。上演を上演の中でマルチバース化していくことができないかと考えていて、今回の戯曲は、それにちょっと近いことをできそうな印象を受けました。なので最初はスッと受け止めたんですけど、今になって「さてどうしようか」と思っているところです(笑)。