新国立劇場「ピーター&ザ・スターキャッチャー」特集 ノゾエ征爾×田中馨|見つけたいのは、音楽に触れた瞬間に何かが起こる感覚 / 宮崎吐夢が稽古場を語る

相手の感性に揺さぶられ、カチ割られている

──お二人が一番最初に組まれたのは北九州芸術劇場リーディングセッション vol.22「続・世界の日本人ジョーク集」(2013年)でした。その後、ノゾエさんのオリジナル作品でも組んでいらっしゃいますし、昨年は、田中さんの記念すべき1stアルバムの1曲目「アイムジャクソン」の作詞をノゾエさんが手がけていらっしゃいます。お互い、どんなところに魅力を感じていらっしゃいますか?

ノゾエ 馨くんの音楽は常に僕の想定と……ズレるんですよね。

一同 (笑)。

──いい意味で“ズレる”んですよね、想像以上ってことですよね?

左からノゾエ征爾、田中馨。

ノゾエ そうです、そうです(笑)。「そんなことになるのか、すげーな!」と、毎回脳みそが揺さぶられる音楽を作ってくれるんですよ。それでいて、こちらのイメージをきちんと聞いてくれて、対話もできる。そのバランスが素晴らしいんです。今回も、「はあーなるほどー!」ってうれしくてアガったところがあって。とにかく楽しみにしていてください(笑)。

田中 僕にとって、“演劇=ノゾエさん”なんですけど、一緒にお仕事させていただいていると、パカーンと自分が割れるような体験があるんです。「演劇ってこういうことだ」という結論がいつまでも出ないというか、ずっと興味が尽きないというか、そこに呼んでもらえることが僕にとっては幸せなことというか。思いがまとまらなくなったので、以上です。

一同 (笑)。

──お互いに未知なる世界との邂逅や、新しい発見があるわけですね。ノゾエさんの作品は不条理だったり感覚的な部分も魅力ですが、そうした作風だと、音楽に関するオーダーは抽象的で難しかったりするのかな?と思ったのですが。

ノゾエ 前は失礼なオーダーもいっぱいしていました。「このシーンは、レディー・ガガっぽい曲を作ってください」とか(笑)。

田中 それでその曲、6・7曲ぐらい作りましたからね(笑)。

──どんなノゾエオーダーにも倍以上の応答があるんですね。お二人のお仕事で印象に残っている作品はたくさんあるのですが、六十代から九十代の約1600人の出演者と共に創作した大群集劇「1万人のゴールド・シアター2016『金色交響曲〜わたしのゆめ・きみのゆめ〜』」(参照:「1万人のゴールド・シアター」終演、「感無量、だけど寂しい」とノゾエ征爾)はすごかったですね。お稽古場でも、音楽が響いたり、歌い始めたりすると、参加者たちの表情や気持ちがぱーっと明るくなるのが手に取るように伝わってきて、シンプルに「音楽ってパワーがあるんだな」と感じられました。田中さんの音楽は、ノゾエ作品が持つ詩情みたいなものの輪郭をくっきり見せたり、演劇空間をふっくら豊かにする音楽だと感じます。

田中 僕は稽古場で生まれてくるものが真実だと思っているので、作曲の依頼をいただいて家で1人で作るのは無理なんです。だからもしかしたら、曲を作るときも演奏するときも、音楽のことだけを考えていないことが、劇空間への働きかけになっているのかもしれないですね。今回も稽古場で俳優さんの顔を観たり、関係性の作り方を観察したり、その人の雰囲気を感じているだけでイメージが広がりますし。

ノゾエ 音楽が俳優の肌に触れた瞬間に「何かが起きる」感覚ってあるなあと感じるんですけど、それって、その場にいないとわからないですよね。僕も稽古場でいろいろ思いついちゃうし、それをすぐに話せるので助かります。同時に「あそこはあれだよね」って同じことを同時に思いついたりもする。それもたぶん、稽古場をずっと観てくださっているからだと思います。

──音楽だけではなく、舞台美術なども含めたスタッフワーク全体だとは思いますが、ノゾエさんが主宰されるはえぎわの作品に田中さんがご参加されたあたりから、劇団としてまた違うフェーズに入られた印象があります。

ノゾエ 自分の作品でも音楽の比重は大きいというか、あって当たり前になってます。劇団の初期から曲は自分で選んでいましたし、こだわっていたと言いますか、選曲にかける時間は相当ありました。音楽を聴いてシーンを作ることもあったし。でも、ずっと自分で選び続けていたら単純に「既成の音楽との絡みは飽きたな」という段階が来たんです。そんな時期にうまいこと、馨くんと一緒に作っていくタイミングに入っていった。ゼロからの作業はある意味大変かもしれないけれど、芝居っていろいろな人が、いろいろな感性を持ちよって作るのが醍醐味ですから。音楽でもそれができているというのは、とってもぜいたくだし、すごく面白いやり取りをさせてもらっています。

良い“遊び場”で、ただ夢中になるだけ

──「ピーター&ザ・スターキャッチャー」にお話を戻します。今回の美術は深沢襟さん。深沢さんとノゾエさんが組まれたお仕事も大変魅力的な作品が多いのですが、SPAC「病は気から」(2012年初演、参照:SPAC×ノゾエ征爾「病は気から」開幕目前、「ノゾエ的な人が出ているかも」)は映画館の客席が組まれた美術に驚きましたし、東京芸術劇場「気づかいルーシー」(2015年初演、参照:ノゾエ征爾「気づかいルーシー」本日開幕、出演者勢揃いの振付動画も)では、大きな積み木がさまざまな形に変容していくのがとても面白かったです。今回の演出・美術プランについても、少し伺えますか。

ノゾエ 今回はいかにお客様が想像力を持ち込めるかを大きなポイントにしようと考えていて、演出はそのための必要最小限のきっかけだと考えています。“良い遊び場”に見えてくるといいなというか。

──確かに台本を読みながら、自由に子供たちが想像力を働かせる遊び場や、「ごっこ遊び」が想起されました。「ピーター・パン」の作者であるJ・M・バリも、モデルになったデイヴィス家の子供たちとの海賊ごっこなどを作品に生かしたようですし、もともとの物語に編まれた要素とも結びついた戯曲なのかもしれませんね。バリは劇作家でもありましたし。

ノゾエ 大人も「気が付いたら子供のときみたいに、無心になって楽しめちゃった」というところにたどり着けたら成功だと思っています。なんか今回は演出していても初心に戻ったような心持ちというか「難しいことは、何も考えないの!」という、ものすごくピュアに取り組みたい気持ちしかないんです(笑)。高尚なものをお見せしたいという気持ちも、メッセージを伝えたいという下心もなくて。

左からノゾエ征爾、田中馨。

──戯曲自体が、そうした気持ちにさせるんでしょうか?

ノゾエ たぶん、そうだと思うんですよ。キャストもスタッフもみんな同じ気持ちで1つになっていますし、なかなか味わえない空気になっています。その熱気が僕をさらに押してくれる気がしますし。

田中 でもオリジナルの作り手たちが「そうやって取り組む戯曲なんだよ」って言っているとしたら、まんまとそこに乗っかっているみたいで、ちょっとシャクだなあ(笑)。子供たちっていつも命懸けで遊ぶし、夢中になって遊んだ気持ちは、誰もが共感できる部分ですから。かつてはそれと気付かずに身体中で感じていた、“想像力”のようなものが表現したいし、その感覚を味わってもらえる作品だと思います。