白井晃と安住の地が語るシアタートラム・ネクストジェネレーション「凪げ、いきのこりら」

シアタートラム・ネクストジェネレーションの第14弾に、京都の若手劇団・安住の地が登場する。シアタートラム・ネクストジェネレーションは、世田谷パブリックシアターが新しい才能の発掘と育成を目指して、公募により選ばれた団体にシアタートラムでの上演機会を提供する枠組み。今回選出された安住の地は、結成5年目でありながら、「かながわ短編演劇アワード2021」でグランプリを受賞したり、2022年の「せんがわ演劇コンクール」にてオーディエンス賞を受賞したりと躍進を続けている、まさに注目の劇団だ。そんな彼らが、“異種との争い”をテーマに掲げた新作「凪げ、いきのこりら」を引っ提げ、東京で初の単独公演に挑む。

ステージナタリーでは、安住の地主宰で俳優の中村彩乃、脚本・演出を手がける岡本昌也と私道かぴ、そして世田谷パブリックシアター芸術監督の白井晃の座談会を実施。新たな集団性、そして新たなクリエーションの在り方を目指す彼らの、現在の思いを聞いた。

取材・文 / 熊井玲撮影 / 藤記美帆

劇団は、ゆっくりだけどものすごく強い“重戦車”みたいなもの

──安住の地は2017年に京都で結成されました。まずは創立の経緯から教えてください。

中村彩乃 この二人(私道と岡本)が京都の立命館大学出身で……。

岡本昌也 今はもうなくなっちゃったんですけど、西一風という学生劇団があって、私道さんはその座長だったんです。私道さんが3年生のときに僕が1年生で、俳優として出演させてもらったりしていました。でもその後はそれぞれに活動する期間があり、連絡も取っていなかったのですが、僕と中村さんが出会って……。

中村 当時彼がやっていたユニットに出演させてもらったりしたんです。ちょうどその頃、京都のアトリエ劇研という歴史あるブラックボックスがなくなることになって(編集注:1984年にアートスペース無門館として開館し、1996年にアトリエ劇研として開館。2017年の閉館まで京都の小劇場文化を支えた客席数100程度の小劇場)、「これから若い世代はどうやって続けていけばいいんだろう」と考えていたところで、「一緒にやっていきたいね」ということになったんです。

岡本 そのとき僕が「私道さんって面白い人がいるから、絶対に誘いたい」と言って、私道さんに連絡しました。

私道かぴ 仕事帰りにサイゼリヤに呼び出されたんです(笑)。2人共めちゃくちゃ緊張していて、でもそのくらい本気でやっていきたいんだ、真剣なんだと感じたので、「それならお願いします」という感じで入りました。

──現在のメンバーが14名と、大所帯ですね。

中村岡本私道 そうなんですよ。

中村 最初は6名くらいでスタートして、その後ちょっとずつメンバーが増えていって、2019年にオーディション形式で出会った3名が加入し、さらに制作とメイクのメンバーが入ってくれました。

岡本 14人もいると思っていることが当然みんな違うので、それを1つの公演に向けてまとめていくのは時間や労力がかかります。同じく劇団をやってる友人と「劇団って、“重戦車”みたいなものだよね」っていう話をしていて。つまりゆっくりだけどものすごく強い、というか(笑)、創作における共通言語や役割分担が公演をまたいで形成されていくし、個人で活動の幅を広げられているのも劇団という足場があるからなんですよね。

左から岡本昌也、白井晃、中村彩乃、私道かぴ。

左から岡本昌也、白井晃、中村彩乃、私道かぴ。

──作家や演出家が主宰を兼ねる劇団が多い中、安住の地は俳優の中村さんが主宰を務めています。

中村 劇団を立ち上げるときにいろいろな方からアドバイスをいただいたんですけど、その1つに「作・演出が主宰になると権力がそこに固まってしまうので、作・演出と主宰と制作が別だと、三権分立になっておすすめだよ」という意見があって。近年ハラスメントの問題が重視されるようになってきて、今の時代には合っている選択だったなと思います。そういうわけで、私が主宰をやっています。

岡本 主宰は主宰としてチーム内のバランスを取ってくれるし、制作は制作で予算をちゃんと管理してくれるし、作家や演出家としてはシンプルに作品に力を割くことができるしで、それぞれが主導権を持って活動できるのは良いと思っています。

──白井さんは、2022年度のラインナップ発表会で、安住の地に対する期待を熱く語っていました。安住の地に対して、どんな印象をお持ちだったのでしょうか?

白井晃 実際に舞台を拝見したことはなかったのですが、シアタートラム・ネクストジェネレーションの応募者の方々の資料や映像を見させてもらう中で、安住の地さんには空間性と身体性を感じました。それらは僕が舞台芸術を作るうえで必要だと思っていることで、それらが安住の地の作品には内包されていること、また視線が常に今の社会に対して向いていることに共鳴しました。なおかつ、今中村さんがお話しになったような集団性ということについて、自分もかつて同じような思いで劇団をやっていたので、ちょっと懐かしいというか。僕も最初は一役者だったのですが、20年の間に主宰をやることになり、集団創作でみんなの意見が交錯することの良さも大変さもよくわかっているつもりですし、彼らの作品はそのような試行錯誤を経て作られているものだということが作品資料を見て直感的にわかりました。そういった部分で、安住の地の皆さんがこれからどこへ向かっていくんだろう?ということが楽しみに感じましたし、これからいかようにでも変容していきそうな可能性を感じました。

……ところで、岡本さん私道さんは立命館出身なんですね? 立命出身と言われたら「ああそうなんだ」と思うところがちょっとあります(笑)。僕も実は1年だけ通って、その後早稲田に移ったんです。立命では演劇はやっていなかったのですが、立命に行かなかったら早稲田の演劇にも出会っていなかったと思います。当時、下鴨神社のところに状況劇場がやって来たり、同志社の裏の河村能舞台で太田省吾さんの転形劇場がやっていたり……。

中村岡本私道 (驚きと羨望と納得の)ああー!

劇団として大きな一歩となる、シアタートラム・ネクストジェネレーション

──京都拠点の皆さんですが、今回、なぜシアタートラム・ネクストジェネレーションに応募しようと思われたのでしょう?

岡本 ずっとライブハウスのような小さな空間での演劇作りをやってきました。そのうち、自分の作品にはもっと空間の余白が必要なのではないか、ということを数年前から考えるようになって。小さな空間での上演体験と、大きな劇場のそれとでは全然違うこともわかってきたので。もちろん、大きな劇場でやるためにはお客さんもたくさん呼ばないといけないし、準備も大変になってくるというリスクはあるんですが、それでも「もっと大きな空間で劇をやってみたい」という思いが優って、今回応募したというのが最初の動機です。

──岡本さんは今年、俳優としてシアタートラムの舞台に立たれました。

岡本 はい、ハイバイ「ワレワレのモロモロ2022」(参照:3週間の上田滞在制作を経て、ハイバイ「ワレワレのモロモロ2022」開幕)に出演させてもらいました。トラムは演じていても、とても楽しい劇場です。舞台に奥行きがあって天井も高いし、ギミックもいろいろと作れて、空間としてすごく遊びがいがある。演出家としてもまさに「こういうところにチャレンジしてみたい!」と思っていた劇場だなと感じています。

中村 私はイキウメさんが以前トラムで上演されたときの映像を配信で観ていて、また4月の記者会見のとき(参照:世田谷パブリックシアター2022年度ラインナップ発表、白井晃が“広場”への思い語る)にきちんと劇場を拝見しました。京都は、私たちが自ら手を出せるような規模感の劇場となると、高さや広さに制限があるところが多く、だから今の私たちの規模の劇団がトラムのようなサイズ感の劇場で公演をさせていただけることが単純にうれしいです。また劇場のスタッフさんとお話ししたときに、「どういうことをしたいのか」と親身になって聞いてくださって、2人(岡本と私道)が「こういうことを考えています」と言うと、シャットアウトがまったくなく、「ふんふん」と一度受け止めてくださって。そういった劇場の“ひととなり”のような部分を感じて、私たちの希望にも柔軟に対応してくださる劇場なのかなという印象を持ちました。

左から白井晃、中村彩乃、岡本昌也、私道かぴ。

左から白井晃、中村彩乃、岡本昌也、私道かぴ。

私道 私は、トラムには何度も来たことがあるのですが、正直なところ自分たちがまさかここで公演すると思って観に来たことがなかったので、ネクストジェネレーションに今回応募すると岡本が言ったときは、劇団的にまだ早いと思ったんです。活動5年目ということもありましたし、社会人として働きながらやっている役者も多いから、全部のハードルが今より数段高い状況になると思いました。だから応募はしたものの、通らないと思っていて。でも岡本は合否通知が来るまでずっとソワソワしているから(笑)、「ああ、この人はこのあときっと落ち込むんだろうなあ」って……。

全員 あははは!

私道 なので、「どうしてうちが通ったんだろう、うちで大丈夫なんだろうか」という思いがずっとあったんです。でも今の白井さんのお話を伺って、劇団の体制や在り方を見てくださっているんだと感じましたし、そのうえで自分たちの特性を生かしながらシアタートラムでやれることに取り組んでいけば良いのかなと思っています。