藤田俊太郎が“鏡”をヒントに挑む、シス・カンパニー公演「ミネオラ・ツインズ」

ピュリツァー賞受賞作家ポーラ・ヴォーゲルの「ミネオラ・ツインズ」が、藤田俊太郎の演出により2022年1月に日本初演される。舞台は、アメリカ・ニューヨークの郊外にある小さな町ミネオラ。容姿は似ているが性格は正反対の双子マーナとマイラを軸に、1950年代から1980年代までの激動の時代を生き抜いた女性が何を考え、何を体験してきたか、笑いとシニカルさを交えて描かれた作品だ。日本初演版では、双子の姉妹を大原櫻子が演じ、マーナの婚約者ジムとマイラの同性の恋人サラを小泉今日子、マーナの息子ケニーとマイラの息子ベンを八嶋智人が演じる。

演出の藤田いわく、「ミネオラ・ツインズ」は「女性の価値観や言葉を通して、人間そのものを描いた作品」。着々と公演の準備を進めながら、作品への思いに期待を膨らませている藤田に、本作の魅力や、ワークショップを通じて感じた俳優たちの印象について聞いた。

取材・文 / 熊井玲撮影 / 川野結李歌

女性の価値観と言葉で筆圧強く書かれた作品

──「ミネオラ・ツインズ」は藤田さんにとって、5月から6月に上演された「東京ゴッドファーザーズ」(参照:藤田俊太郎が今敏作品に挑む、松岡昌宏ら出演「東京ゴッドファーザーズ」開幕)以来、約半年ぶりの演出作品となります。本作について、藤田さんは以前からご存知でしたか?

作者ポーラ・ヴォーゲルさんの作品は読んでいましたが、「ミネオラ・ツインズ」については今回、プロデューサーの北村明子さんにお話をいただくまで知らなかったんです。初めて読んで、何というパワーに満ちた作品なんだろうと感動しました。女性の価値観や言葉で最後まで筆圧強く書かれている戯曲で、僕が今まで出会ったことがない作品だと感じました。演劇の新しい可能性を模索しながら演出できるのではないかと思っています。

──プロデューサーの北村さんは、クリエイターにとってこれまでに挑戦したことがないようなこと、少しハードルの高いことを提案される印象があります。藤田さんはこの戯曲をご自身に託されたことを、どうお感じになりましたか?

この作品に挑戦できることは、演出家としてとても幸せだと思いました。1人の俳優が双子の人格を演じ分けることが、アメリカの二大政党を表現するメタファーになっていますし、ホラー映画のような雰囲気がありながら、コメディでもあります。さまざまな要素が入り交じった“悲喜劇”とも呼べるこの作品を、早く演出してみたいと興奮しました。

藤田俊太郎

藤田俊太郎

──戯曲の冒頭には、“プロダクションノート”という形でウィッグや音楽について、作者のメッセージが記されています。

面白いですよね。このノートそのものが、作者ご自身が作品を多角的に見ていることの表れではないかと思います。戯曲を書いたあと、一度冷静になって作品を客体化し、突き放した目線で挑発的に書いていると感じました。

──このノートからさらにイメージが湧いた部分もありますか?

音楽やサウンドエフェクトなど、演出家に多くの示唆を与えてくれたので、大いに湧きました。ウィッグに関しては、“①良いウィッグを使う②悪いウィッグを使う / 作者は②を好む”と書かれています。見事に作り込んだウィッグを使うか、粗野であまり作り込んでいないウィッグにするかはカンパニーに託されていますが、僕はどちらかに偏るのではなくて、中間を行こうと思っています。ウィッグは一例で、プロダクションノートを通して考えたことが、作品作り全体の方向性を決めています。

──お話を伺っているだけでワクワクしてきました。

表か裏か、笑いか悲しみか、右か左か、と線を引いて一方の考え方に限定するのではなく、俳優の皆さんが対極的な2役を行き来しながら、多様な生き方を見出したり、さまざまな女性たちの言葉を立ち上げていく作品にしたいなと。観劇を通して、お客様にも新たな価値観に触れていただけたらと思っています。

感じるのは、“個は個でしかない”ということ

──劇中では、アイゼンハワー大統領時代の1950年代、ニクソン大統領が就任したばかりの1969年、ブッシュ大統領時代の1989年と3つの時代が描かれます。

歴史を振り返ると、3つの年代それぞれに特徴があります。劇中のラストシーンである1989年から、2021年現在まで30数年が経ちましたが、僕は本作が上演される2022年から俯瞰して、それぞれの時代を顧みる視点がこの作品では大事になってくると思います。一面的な時代の側面ではなく、ジェンダー、戦争、分断、などさまざまなテーマや観点で、女性がそれぞれの時代をどのように、見て、生きてきたのか。作者は女性の価値観や言葉を通して、より深く、人間そのものを描こうとしたのではないかと思っています。

藤田俊太郎

藤田俊太郎

──八嶋智人さんがあるインタビューで、この戯曲に書かれている諸問題は日本でもようやく意識され始めていて、そんな今なら、この作品を演劇的に面白くやれるのではないか、とお話しされていました。確かに日本もここ数年さまざまな意識の変化を求められる問題が起きていて、本作をより身近に感じられるようになってきたのではないかと思います。

この数年で、“個人は個人である”ことを身近に感じる機会がたくさんありました。また、性の捉え方に関して言うと、人間の数だけ性別があるという考え方が、今は一般的なのではないかと思っています。その見地に立ち、“男性的”または“女性的”な考え方とは何なのか、と終始問い続けることで、この物語のテーマがとてもわかりやすくなると思います。八嶋さんがおっしゃった“今なら”という意味は、“個は個である、という世界観を理解する土壌ができた現在の日本なら”ということではないかと思いました。

──そうですね。先日の衆議院選挙でも、ジェンダーの問題が大きく取り上げられ、社会の意識の変化を感じました。

この数年、社会の意識は大きく変わったと実感しています。

“精神的準備”が万全のキャストたち

──稽古開始に先駆け、ワークショップが行われたそうですね。

はい。稽古開始半年前にワークショップの時間をいただいて、まずは出演者全員で台本を読んだんです。そのときに僕は演出プランや、作品が持つ“現代性”、解釈を伝えました。ステージングの小野寺修二さんも全日程参加してくださり、みんなで台本の疑問点などのディスカッションをしました。

──出演者の方々の反応は、いかがでしたか?

話題が多岐にわたり、とても充実した素敵な時間を過ごすことができたと思います。稽古が始まる前から作品に対する“精神的準備”がすでに整っていると感じました。出演者の皆さんは生きてきた背景や表現の仕方はそれぞれ違いますが、もともとコミュニケーション能力が高く、他者に対して非常に開かれた方々なので、お互いをリスペクトし受け入れながら芝居を作っていく姿勢をお持ちだと思います。感性の共鳴と言いますか、演劇を作るうえでの共同作業がワークショップでもすでに始まっていました。

──ワークショップからイメージが湧いたシーンもありましたか?

はい。劇中に何度か出てくる夢の場面の1つは、皆さんのアイデアを取り込んで、ワークショップを進める中で形になりました。

──八嶋さんによると、藤田さんはかなり準備をしてワークショップに臨まれたそうですが……。

日本初演ですから、僕自身かなりの緊張感を持ちながら、全体の指針と、演出プランをまとめてから臨んだんです。皆さんには、アメリカの女性史、作品の時代背景の参考になるような映像資料や書籍を渡しました。

──大原櫻子さんは、対照的な考えを持った双子のマーナとマイラを1人2役で演じられます。マーナとマイラの関係性を、藤田さんはどのように捉えていらっしゃいますか?

鏡、だと思っています。対照的な2人はそれぞれ相手を鏡として見ながら、自分自身とは何者であるかを覗き込んでいる。マーナは保守的な考えを持っていて、マイラはリベラルな思想の人。2人は常に意識し合いながら、年齢を重ね、成長していくのではないかと考えます。もしかしたら、最も恐怖を感じる対象でありながら、深層心理ではお互いを受け入れようとし、認め合っているではないかとも思えます。

──小泉今日子さんはマーナの婚約者であるジムと、マイラの同性の恋人であるサラを、八嶋さんはマーナの息子ケニーと、マイラの息子ベンを演じます。

小泉さん、八嶋さんが演じる2役もそれぞれ鏡の関係にあると思います。いかにもアメリカの男性的な価値観で生きているジムと、1980年代以降の新しい女性的な在り方を体現しているサラ、マーナの子供でありながらリベラルなケニーと、マイラの子供でありながら、保守的なベン。登場人物の中で最も遠い価値観を持った存在を、1人の俳優が演じます。お客様にとっても、見応えのある劇構造になっていると思います。

──本当ですね。そのような対照的な役を演じることについて、キャストの方たちはどんな反応を示されていましたか?

とても力強く取り組んでいました。大原さんは垣根なく歌手と俳優の活動をし、小泉さんはプロデューサーという顔も持っておられます。また、八嶋さんはテレビのトップスターでありながら、劇団活動も両立されている。皆さん、これまでたくさんのお仕事を通して、多様な自己表現を模索されてきた方々です。お三方を筆頭に、積極的にクリエイティブしていこうという空気が現場に色濃く流れていることが心強いです。