明治座創業150周年|明治座が“愛される”理由に迫る 荒牧慶彦が人形町を街歩き

東京の老舗劇場・明治座が、4月28日に創業150年を迎えた。1873年より喜昇座を前身に、日本橋浜町・人形町に誕生してから現在まで、街と寄り添い、人々に感動体験を与えてきた明治座は、その長い歴史で築かれた温かみが魅力の、“人情ある”劇場としても知られる。一方で、創業時から新しさを求め続けてきた明治座で近年、新境地を拓いている1人が荒牧慶彦だ。荒牧は舞台「サザエさん」「ゲゲゲの鬼太郎」や俳優デビュー10周年記念公演「殺陣まつり~和風三国志~」などで出演の機会を多く持つ。

ステージナタリーでは明治座創業150周年を祝し、劇場と街の魅力を改めて探るべく、荒牧に人形町を散策してもらった。明治座の三田光政専務取締役が、「街歩きは好きですが、公演中に劇場周辺を歩くことはほとんどない」と言う荒牧をナビゲートする。人形町に生まれ育った三田に、お土産や観劇前後の小腹を満たすのに最適なスポットを教えてもらった。散策後には明治座にて荒牧と三田が、明治座の今とこれからを語る。

取材・文 / 大滝知里撮影 / 須田卓馬
ヘアメイク / yh’スタイリスト / ヨシダミホ

エンタメを支え続けて150年、再生を繰り返した明治座の歴史

明治座の始まりは1873(明治6)年。現在の立地から徒歩約4分の久松警察署南側に、喜昇座として開場した。その後、久松座、千歳座と座名を変え、1893(明治26)年に歌舞伎俳優・初代市川左團次が座主となり、明治座が開かれる。左團次は、当時は珍しかったチケット売り場を劇場内に設置したり、電話予約を受け付けたりと、劇場文化にさまざまな改革を起こした。

明治6年4月頃の喜昇座の外観。©明治座

明治6年4月頃の喜昇座の外観。©明治座

明治26年11月、初めて明治座の名を冠して開場したときの様子。©明治座

明治26年11月、初めて明治座の名を冠して開場したときの様子。©明治座

昭和25年12月、戦後に新開場した明治座の外観。©明治座

昭和25年12月、戦後に新開場した明治座の外観。©明治座

明治座はその後、1923(大正12)年の関東大震災で焼失。麻布十番にある末広座を明治座と改称して興行を続け、1928(昭和3)年に現在の明治座がある浜町に新開場した。第二次世界大戦の終戦前年となる1944(昭和19)年3月5日には決戦非常措置令により全国19カ所の劇場・興行場が閉鎖され、明治座も閉ざされたが、同年3月20日に解除。戦時中も許された上演時間内で公演を行い、人々の心を支え続けた。しかし、約1年後には東京大空襲でまたも焼失する。

戦後は地元民による明治座復興の気運が高まり、1950(昭和25)年に新たに開場。漏電のため一度焼失するも、再開場後は歌舞伎や新派、新国劇などが上演され、華やかさと活気があふれた。

さらに1993(平成5)年の創業120周年を機に、多彩な興行に対応できる設備を有した現・明治座が誕生。このときに新設されたオーケストラピットは、今年1月に上演されたミュージカル「チェーザレ 破壊の創造者」(参照:中川晃教の思い熱く、2年越しのミュージカル「チェーザレ 破壊の創造者」まもなく開幕)で晴れて日の目を見ることとなった。

焼失と再生を繰り返しながら、明治、大正、昭和、平成、そして令和へと劇場文化を紡いできた明治座。2017(平成29)年には、その始まりとなる喜昇座時代の四季の街並みと人々の営みが、チームラボのデジタルによって描かれた緞帳「四季喜昇座 - 時を紡ぐ緞帳」で表現された。4月1日からその緞帳が再びお目見えしているので、ぜひ客席で緞帳を眺めながら明治座の歩みに思いをはせてみてほしい。

荒牧慶彦の明治座周辺街歩きレポート

荒牧慶彦が訪れたのは、明治座から人形町駅へと続く散歩道・甘酒横丁にある、地域の歴史と新しさが感じられる3店舗。職人が1枚1枚焼き上げる手焼き煎餅店・にんぎょう町草加屋、自家焙煎にこだわるほうじ茶専門店・森乃園、そしてオーストラリアでの修行を経たオーナーが手がけるグルメバーガー専門店・ブラザーズだ。“春に三日の晴れなし”と言うが、今にも泣き出しそうな空模様の午後、荒牧と三田が明治座から甘酒横丁へと出発した。

熱いです…荒牧慶彦が人生初の煎餅焼きに挑戦!

昭和3年に創業されたにんぎょう町草加屋は、東野圭吾によるドラマ「新参者」、映画「祈りの幕が下りる時」のロケ地としても知られる手焼き煎餅店。芸能との縁も深く、かつては近隣に寄席・人形町末廣があったことから、三代目桂三木助にも愛された。また、お焦げ好きな歌舞伎俳優・十七世中村勘三郎のために、黒い焦げがつくほど焼き上げた煎餅を用意したというエピソードもある。

店内には所狭しと商品が並ぶ。

店内には所狭しと商品が並ぶ。

にんぎょう町草加屋では、店主が毎朝3:00に起きて2時間かけて炭を起こし、500枚を手焼きするという。店のご厚意で人生初の煎餅焼きに挑戦することになった荒牧。白い前掛けと軍手を身に着け、熱された炭の前に神妙な面持ちで座ると、店主から指導を受けながら、1枚1枚丁寧に生地を返していく。焼き上がった生地を側の機械に通すと、ザッと醤油が絡む仕組みだ。1枚が焼き上がるまで2・3分、何百回もひっくり返すという手際がものを言う作業に、荒牧は「腱鞘炎になりそうです(笑)。返すタイミングを間違えると焦げてしまいそうで……。煎餅ができる行程を生まれて初めて知りました」と真剣ながらも楽しそう。荒牧は、伝統的な“職人”の雰囲気がなぜか良く似合う。店主が「手焼きの店は今や例外中の例外」だと伝えると、「そうなんですね、貴重な体験だ」としみじみ応え、静かに作業へと戻った。煎餅が焼かれている間、店内にはカチン、カチンと、トングと網がぶつかる音が心地良く響く。コツをつかんだ荒牧は、その音をテンポ良く鳴らし始め、網上の煎餅生地をきれいなキツネ色に染めていった。

貴重な体験だ… 店主に焼き方の指南を受ける荒牧慶彦。

店主に焼き方の指南を受ける荒牧慶彦。

次々と煎餅生地を焼いていく荒牧慶彦。

次々と煎餅生地を焼いていく荒牧慶彦。

にんぎょう町草加屋には、ロングセラーの“鬼金棒”や年配に人気の“おこげ”など、40から50種類もの煎餅が並ぶ。手焼き煎餅のおいしさの秘密は備長炭にあり、遠赤外線で焼かれた肉や魚がおいしいように、炭で焼かれた煎餅には深い味わいが出る。しかし、炭は場所によって温度が異なるため、加減を見ながら人の手で焼かなければならない。また、押さえつけて均さないと、膨らんだ部分が焦げてしまうのだ。店主いわく、炭で焼くと「1つひとつ、“顔”が変わる」のだそう。荒牧はその言葉に大きくうなずいた。

1枚1枚表情が異なる手焼き煎餅。

1枚1枚表情が異なる手焼き煎餅。

甘酒横丁に面したにんぎょう町草加屋は、95年にわたって、通りの変遷を見つめてきた。「明治座は歌舞伎や新派、新国劇が最も華やかだった頃から現在まで、いろいろな公演を打ってきた劇場。明治座で芝居がハネると歩道の両側にドッと人があふれた。明治座さんがなかったら、浜町は栄えていなかったと思う」と店主。最近では通りの客層も変わったようで、若手俳優が多数出演する年末恒例の「る・ひまわり」公演(参照:平野良が徳川家康役で単独主演「明治座でどうな・る家康」2部のショーは「三方の森ジブれ美術館」)や横浜流星、中村隼人が出演した舞台「巌流島」(参照:期待して待っていてください、3年越しの舞台「巌流島」開幕に横浜流星が気合い)など、若い世代に人気の俳優たちが出演する舞台がかかると、「街に“女子力”が加わる」のだとか。そんな、今の明治座を訪れる若い観客に向けて、にんぎょう町草加屋では“えび黒こしょう”や“青のりチーズ”といった新しい味の煎餅を商品化している。「これがけっこう好評で(笑)。若い人は希望ですから、我々もそれに合わせて挑戦を続けています」と微笑んだ。

人生初の煎餅焼きを終えて、ホッとした表情で談笑する荒牧慶彦。

人生初の煎餅焼きを終えて、ホッとした表情で談笑する荒牧慶彦。

明治座楽屋に煎餅を配達したときの四世中村時蔵(中村隼人の祖父)、十七世中村勘三郎のサイン。右上には朱色で十八世中村勘三郎の中村勘九郎時代の名前も。朝丘雪路のサインはイラスト付き。

明治座楽屋に煎餅を配達したときの四世中村時蔵(中村隼人の祖父)、十七世中村勘三郎のサイン。右上には朱色で十八世中村勘三郎の中村勘九郎時代の名前も。朝丘雪路のサインはイラスト付き。

かつての人形町の話に聞き入る荒牧慶彦(右)。三田光政(左)は幼い頃から店主が焼いた煎餅を食べてきた常連だ。

かつての人形町の話に聞き入る荒牧慶彦(右)。三田光政(左)は幼い頃から店主が焼いた煎餅を食べてきた常連だ。

甘すぎず食べやすい、芳醇な和風スイーツ

にんぎょう町草加屋をあとにした荒牧と三田は、夕飯時に向けて活気が出始めた通りを人形町駅方面へ。行列ができ始めた居酒屋などを横目に歩いていると、かぐわしい茶葉の香りがワッと立ち込めた。香りをたどって着いたのは、大正3年創業という100年以上の歴史を持つ森乃園。ここでは自家焙煎機で独自焙煎された茶葉を提供しており、3階の焙煎室で焙じられた茶葉を袋詰めにした商品が、1階の店舗で売られている。2階の甘味処ではお茶のほかにも、パフェ、あんみつなどのスイーツを楽しむことができる。

いただきます! 荒牧慶彦(左)と三田光政がほうじ茶アイスクリームを手にパチリ。

荒牧慶彦(左)と三田光政がほうじ茶アイスクリームを手にパチリ。

そんな森乃園で手軽にほうじ茶の味わいを楽しめるのが、ミルクにほうじ茶パウダー、ほうじ茶ペーストを加えて練り上げた、ほうじ茶ソフトクリーム。テイクアウトで購入できる人気商品で、コロナ禍では密を避けるために一時販売が中止されたものの、再販を求める客の声によって半年を待たずに復活を遂げた。荒牧と三田は「2人でスイーツを食べるの、少し気恥ずかしいですね」とやや照れながら、ほうじ茶ソフトクリームを受け取った。「実は僕、辛党で、甘いものは嫌いじゃないけれどたくさんは食べられないんです」と言う荒牧は、パクッと食べて「あ、おいしい!」、さらにじっくりと味わいながら「最初は甘くて、飲み込むと、甘さと同時にほうじ茶の香りが立ちますね」と料理研究家のように分析した。三田も「甘すぎず、男性にも食べやすい味です」と太鼓判を押す。キンとする砂糖の甘さを感じさせない、上品な味のほうじ茶ソフトクリームは、口溶け柔らかで後味もすっきり。気温が25℃を超える日には、1日に300から400個売れることもあるという。これからの季節、観劇帰りの小腹を満たすのにピッタリだ。

ほうじ茶ソフトクリームをぺろーんと味わう荒牧慶彦。

ほうじ茶ソフトクリームをぺろーんと味わう荒牧慶彦。

本格派グルメバーガーを前に、荒牧慶彦が童心に返る

荒牧と三田の人形町散策グルメ旅。最後に三田は荒牧を、人形町の新勢力となる2000年創業のブラザーズ テイクアウト人形町店に案内した。三田いわく、ブラザーズは「ハンバーガー本などによく載るお店」だそうで、徒歩1分の場所にある緑道沿いのブラザーズ人形町本店は、開店から多くの人でにぎわう。真っ赤な外観が目を引く店の扉を開けると、「いらっしゃいませー!」という店員の元気な声とノリの良い洋楽ポップスが2人を迎え入れた。

雨が降り出してきた人形町で、2人が次に訪れたのは……。

雨が降り出してきた人形町で、2人が次に訪れたのは……。

メニューを前にテンションが上がる荒牧慶彦(左)。

メニューを前にテンションが上がる荒牧慶彦(左)。

注文したのは、店おすすめのロットバーガーとチーズバーガー。ベーコン、エッグ、チーズ、パイナップルがトッピングされたロットバーガーは、高さ約10cmのビッグサイズで、独自開発された折りたたみ式のレタスがたっぷりと入る。100%バターを使用したバンズはほんのりと甘く、具材のしっかりした味と、こしょうが効いた粗挽きパティが見事なハーモニーを奏でる1品だ。アボカド、チリビーンズ、タルタル、テリヤキなど多種多様なグルメバーガーがそろうメニューをのぞき込んだ荒牧は、瞳をキラキラと輝かせ、商品サンプルを指差しながら「こんなに大きなバーガー、どうやって食べるんですか!?」と店員に尋ねたり、レタスが1日30玉使われることを知って「すごい量ですね」と驚いたり、まるでお腹を空かせた男子学生のようなテンションとリアクションで無邪気な笑顔を見せた。

種類の豊富さはさすがグルメバーガー専門店。

種類の豊富さはさすがグルメバーガー専門店。

どうやって食べるんですか!? 正解は「包み紙で挟んで、潰して食べる」だそう。

正解は「包み紙で挟んで、潰して食べる」だそう。

グルメバーガーを受け取って、人形町散策の旅は終了。お疲れ様でした!

グルメバーガーを受け取って、人形町散策の旅は終了。お疲れ様でした!

でき上がった商品をその場で受け取って、2人の街歩きは終了。荒牧と三田は雨の中、ホカホカのグルメバーガーを手に明治座に向かった。


2023年4月30日更新