スペインの振付家マルコス・モラウが、文楽・歌舞伎・ダンスによって三島由紀夫「金閣寺」の“美”に迫る。その名もマルコス浄瑠璃「金閣寺」。本作は2026年8・9月の本番に向けて、2025年11月、静かにクリエーションをスタートさせていた。
ステージナタリーでは、そのワークショップの様子をレポート。さらに特集後半ではマルコスに作品への思い、ワークショップでの手応えなどを聞いた。なおマルコス浄瑠璃「金閣寺」の出演者は2025年12月現在、まだ明かされていない。ぜひ想像を膨らませながら本特集を読んでほしい。
取材・文 / 熊井玲撮影 / 藤田亜弓
動かすのではなく、身体が動きたい流れで動いてみる
11月上旬、マルコス浄瑠璃「金閣寺」のワークショップが日本国内で行われ、マルコスとキャスト3名が数日間にわたって親交を深めた。ワークショップではまず、マルコスが中心となって話をしたり、実際に動いてみたりしながら、それぞれの距離を縮めていった。ステージナタリーではその稽古最終日を取材。稽古場を訪れると、マルコスがキャストに、ある提案をし、キャストが自分たちの身体を通してそれを表現しようとしているところだった。
「動きの起点と終点を意識して、自分の意思で全体を動かすのではなく身体が動きたい流れで動いてみて」とマルコスが言うと、キャストの1人は腕先からではなく、肩の部分から腕を動かし、肘や手首が不思議な角度で止まったり、またあるキャストは首と目線が別の方向を向いて止まったりと、“人間らしくない”動きを繰り広げた。続けてマルコスは、「僕がやっていることをコピーしてみてください」と言って、身体の一部が触れた場所を軸に、そこから新たな動作が始まる動きを披露。たとえば右手が左脚に触れると左脚を軸に回転が起き、次に左脚が触れた左腕が上がる……というような具合に、触れた場所から動きが起こり、それ以外の場所は流れで様子を変えていく。動きのスイッチが動いていくような身体の扱い方に、最初は戸惑いを見せていたキャストたちも、しばらくするとマルコスの動きとシンクロし始め、徐々に大体に動き始めた。ふとそれぞれの足元を見ると、マルコスはソックス、キャストは足袋やシューズ。それぞれの違いは、こんなところにも現れていた。
ダンサー出身ではない振付家、マルコス・モラウ
マルコス・モラウは1982年、スペイン・バレンシア生まれ。バルセロナとニューヨークで写真、振付、演劇を学び、2004年に自身のカンパニー、ラ・ヴェロナル(La Veronal)を設立した。鎮静剤の名前に由来するラ・ヴェロナルは、映画、文学、写真、視覚芸術などのさまざまな表現方法を用いてダンスを制作しているカンパニーで、今作にはラ・ヴェロナルのメンバーも出演する。
スペイン国立ダンス賞の最年少受賞者であるマルコスだが、その活躍はスペインにとどまらず、ネザーランド・ダンス・シアター(NDT)、リヨン・オペラ座バレエ団、カナダ国立バレエ団、デンマーク王立バレエ団、フランダース・オペラ・バレエ団といった名だたるカンパニーで新作を発表しているほか、2025年よりミラノ・トリエンナーレとネザーランド・ダンス・シアターのアソシエイトアーティストを務めるなど躍進を続けている。ちなみに11月に来日したNDT2公演で披露された「Folkå」の振付を手がけたのも彼だ。
振付家として世界から注目を集めるマルコスだが、彼自身は訓練を受けたダンサーではない。とあるインタビューで彼は「私はダンサーではなく、自分の身体で動きを試したことはありません。ただ、動きを取り巻く遊び心と創造性に常に魅了されてきました。振付家であることは創造者、あるいは芸術家であることと同義で、私たちの世界をイメージや舞台装置、あるいはダンスの動きへと翻訳しようとする人物であり、私にとってダンスは、優れた媒体です」と語っている。
ワークショップでは、確かにマルコスはダンサー出身の演出家ほどには激しく踊って見せたりはしなかった。だが、言葉で伝えたイメージを、すぐさま身体に置き換えて提示して見せた。たとえば前述したような「身体が動きたい流れで動いてみる」ワークでも、水が上から下へ流れていくように、首から肩、肘、指先と“動きが流れていく”様を、マルコスはすぐさま自分でやって見せた。
クリエーションを通じて“モンスター”に近づきたい
またその日の稽古では、マルコスから3つの動きをやってみようと提案があった。「1つは完全に脱力した人形のような身体、2つ目は手や足を動かすと動かしたところで脱力せずに固まる動き、3つ目は“動かす側の人”によって生じた動きを、“動かされた側”が発展させて別の動きにしていくもの。この3つの違いを、ペアで実践することになった。1つ目、人形のようにダランとした身体とそれを動かす人の関係は、キャストたちもすぐにできた。2つ目、動かされる側の人が動きをどうやって止めるかで試行錯誤が続けられたが、しばらくするとそれもできた。難しかったのは3つ目で、なかなかしっくりこないキャストの様子を見て、最後はマルコスも間に入り、動きの発展のさせ方にバリエーションをつけていった。すると、キャストも自ら大体な動きを取るようになり、浴衣の裾や髪が乱れるのも厭わず、動きに没頭し始めた。
過去のインタビューでマルコスは、「身体を、文脈の外で捉えることは不可能」と述べ、21世紀の身体は、存在する場所やジェンダーといったそれぞれのアインデンティティや、生きる意味の重みを背負ったものだと語っている。しかし同時に身体にはさまざまな層があって、「今日、身体は多様性を受け入れ、境界を超え、多くの答えを見出す現実的な可能性を秘めている。絶対不変な価値などなく、今や身体は時代に適応し別の存在になることが選択できる、真の自己に近づける能力を持っているのです」とも語っている。その発言に則れば、さまざまな文脈の表現方法を持つ本作のキャストたちが、マルコスとのクリエーションを通して、それぞれの表現を超えた“別の存在”となり得ることは、それほど難くないことなのかもしれない。
さらにワークの後半には、浄瑠璃の人形も登場。マルコスは「リスペクトを持っているので、文楽というテクニックの制限、限界を教えてほしい」と人形遣いのキャストに伝えつつ、実際に人形を操作。腕の角度を変えたり、首をだらんとさせてみたり、人形の中に入れていた手を抜いて、赤ちゃんを抱えるような仕草をしてみたりとさまざまな動きを試してからひと言、「難しいですね……」と呟いて場を和ませた。
1つの“実験”が終わるたびに、キャストに「質問はありますか?」と尋ねるマルコス。と同時に自身も「人形を1人で扱うことはできるのでしょうか?」「歌舞伎を始める年齢はどのくらいからですか?」など、キャストに質問を投げかけた。また稽古の終盤では、ワークの意図についてマルコスが言葉で伝える時間も。彼は「目には見えないけれど人を突き動かすようなもの、捕まえたいけれど捕まえられない“モンスターのようなもの”は、美の意識と同じです。人間は決まった時空間で生きていますが、それをつかむため、いろいろな方法を使います。このクリエーションでも、それぞれの言語、表現を使って“モンスター”に近づいていきたいんです。決して私のスタイルを押し付けるのではなく、それぞれのやり方を通じて、お互いが知り得ない地を探りたいです」と熱心に思いを語った。そしてマルコスは「今回のワークショップでさまざまなヒントを得ました。それを元にスタッフともさまざまなやり取りをして、次回の稽古までにある程度プランを持ってくる予定です。ただ、それを皆さんにそのままやっていただくのではなく、皆さんとぜひいろいろな道を通って、さまざまな可能性を探りながら作品を立ち上げられたら」と話して11月のワークショップを締めくくった。
その後、マルコスは帰り支度を始めるキャスト1人ひとりのそばに行ってハグをしたほか、一緒にクリエーションができることへの感謝や、ワークショップの中で良かったところを細やかに伝え、さらに「コミュニケーションをもっと深めて、お互いにこのクリエーションを楽しめたら」と笑顔で声をかけていった。
ちなみに非常に丁寧な人であるマルコスは、稽古場にいたスタッフはもちろん、私たち取材班にも声をかけ、握手の手を差し出してくれた。その手は温かく大きく、安心感を与えてくれるものだった。
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マルコス・モラウ インタビュー





