平田オリザ×小松理虔×鄭慶一が語り合う「常磐線舞台芸術祭 2023」芸術祭を“口実”に福島を訪れて (2/3)

間口を広げる多彩なラインナップ

 今回はリーディングから演劇、合唱、作家とミュージシャンによるパフォーマンス、ワークショップ、食に関するイベントなど多彩なプログラムが上演されます。オリザさんが演出される「銀河鉄道の夜」「阿房列車」「思い出せない夢のいくつか」、理虔さんが案内人を務められる「ロッコクツアー」と酒と話「どんちゃん港」について、なぜ今回、これらの演目を選ばれたか教えてください。

平田 もともと鉄道が好きで、今の言葉で言うと“乗り鉄”ですが(笑)、常磐線で芸術祭をやるということに非常に高い関心があり、今回は鉄道に因んだ3作品をやることにしました。「銀河鉄道の夜」は、東北でやる以上宮沢賢治に因んだ作品をと思って選んだのですが、これは2010年から2011年にかけて子供向けにフランスで製作した作品で、2011年の1月末に幕が開き、30ステージくらいツアーをしました。その間に東日本大震災が起きて、「カンパネルラ、髪が濡れているよ」というセリフなどが、フランス国内でもずいぶん違う意味で捉えられるようになったんです。「思い出せない夢のいくつか」は「銀河鉄道の夜」や「青森挽歌」、内田百閒の「阿房列車」などを元にした男女3人の物語で“大人のための銀河鉄道の夜”と言われています。この作品と「阿房列車」。これは同じセットで上演されているので、今回この3作品を選出しました。どれも私にとっては思い出深い作品で、今回福島でやれるのは意義があると感じます。

平田オリザ

平田オリザ

小松 僕は演劇人ではないですが、国道6号線沿いに点在する震災遺構や産業遺構を巡る「ロッコクツアー」や地元のうまいものを囲んで語り合う「どんちゃん港」のようなイベントは、ある種のパフォーマンスだと思っていて。例えば「ロッコクツアー」で、何をどの順番で、どういう表情や声の圧で体験してもらうかによって、同じコースを回っていても参加者の感じ方は変わってきます。またこういう作品がプログラムの端っこにあることでフェス感が増すと思いますし、観たいと思って観る演目だけでなく、思いがけず受け取ったものが人生を変えるような出会いになるということもありますよね。柳さんにも、気軽に楽しめるようなプログラムや地域を知ってもらえるようなことをどんどんやってくださいと言われましたし、僕が今回こういったプログラムをやることで、「これなら自分もやってみたい」と地元の人に思いが飛び火していくようなことがあればいいなと思っています。

 まさに理虔さんがステートメントでおっしゃっていることですね! 芸術祭の効果や特色については、どのように考えていらっしゃいますか?

平田 「豊岡芸術祭」でも、2019年の第0回をやったときは、観光業の方たちはまだ、演劇を観るためだけに東京とか北海道や九州から人が来るとは思ってなかった。でも2020年に第1回をやったときは、アーティストも入れて5000泊の宿泊があり、観光のボトムである9月を10%くらい押し上げたそうですし、昨年は豊岡市街のホテルはほとんど取れない状況になっていて、明らかに経済波及効果が現れました。……というように、やって見せないとわかってもらえないのがアートなので、「常磐線舞台芸術祭」でもどうしたら人が来てくれるかを考えていく必要があるし、考え続けることで、住民の脳みそも活性化し、もっといろいろなアイデアが出てくるようになる。「常磐線舞台芸術祭」が1つのきっかけになればいいなと思います。

小松 柳さんが僕の「新復興論」という本の帯に“共歓の場を立ち上げる”という言葉を書いてくれて、「いただきます!」って思ったんですけど……(笑)。災害でにっちもさっちもいかない問題が起き、傷を受けているときに、外から来た人から「理虔さん、この酒めちゃくちゃうまいですね!」とか「『ロッコクツアー』最高でした!」と言われて、僕自身の心が復興していった、という実感があって。だから、福島の中の人たちだけでなく、外の人たちと「福島のコレが良い」と言い合うことは大切だなと思います。今また、処理水や廃炉の問題など複雑な問題がありますが、外の人から客観的に「こんなふうに見えていますよ」とか「そんなに気にしすぎなくても大丈夫じゃないですか」と言われることで、自分たちが今どういう状況に置かれているのかが初めて見えてくることはあって、だから内の人と外の人が共に歓び合う空間を作ることはとても大事だと思います。そういうことから心の復興って始まっていくんじゃないかなと思うので、とにかく外の人たちにも地元の方にも同じくらい来てもらいたいですね。

JR東日本常磐線の小高駅。

JR東日本常磐線の小高駅。

小高駅内の待合室。

小高駅内の待合室。

福島県南相馬市小高の街並み。

福島県南相馬市小高の街並み。

芸術祭を“口実”に、まずは福島を訪れて

 この「常磐線舞台芸術祭」を機に、初めて、あるいは久しぶりに福島を訪れる人もいると思います。来場者にはどのように参加してほしいと思いますか?

平田 常磐線というのは車窓からの景色も素晴らしく食べ物も美味しくて、いろいろな楽しみ方がある場所なんですよね。ですので1分1秒でも長く福島にいてほしい、というのがまず1つ。そして福島について考えるということがとても大事だと思います。例えば今年、戦後78年経ってやっと世界の首脳が広島にやって来たわけですが、福島もこれから、人類が“考える場所”になっていくわけで、「常磐線舞台芸術祭」がその出発点になれば良いなと思いますね。また僕はふたば未来学園で演劇を教えてきましたが、高校1年生は全員が劇を作るんです。教え始めた頃はまだ生徒たちの中で震災の記憶が鮮明だったから、自分が体験したつらいことをなんでフィクションにして見せないといけないのかということに生徒たちが悩んでいたし、私自身もずっと問い続けていました。生徒たちは劇を作るにあたって取材をするんですけど、あるとき、東電の広報の担当者で、いわき出身の津波で被災した方に取材したことがあって。その方は2011年3月にいわきの高校を卒業し東電に就職が決まっていた。この地域で高卒で東電に就職するのは、給料も良いし、本当に親戚あげてのお祝い事なんです。でも3月に震災が起きて……避難所に行ってまず、東電から支給されていた制服を隠したそうです。その後、東電に就職するかどうか家族会議もした。これはご本人の言葉ですけれど「就職したら被災者が加害者になってしまう」と悩んだそうです。結局その方は東電に就職し、現在は地域の方と東電をつなぐ仕事をされている。

大学の学長という立場で、少し学問的な言い方をすると、例えば今問題になっている処理水の海洋放出の件は、自然科学的に見ればおそらく安全だ。しかし検査結果次第で安全性が確認できても、社会科学的に見ると魚が売れなくなるなど風評被害が広まる可能性は強い。でも多分人が一番共感するのは人文学的な捉え方──先程の、東電に就職が決まっていながら被災してしまった女性の心の揺らぎのほうではないかと思います。つまり福島とは何なのか、とか今福島が抱えている問題は何なのかを解像度を上げて伝えるのが演劇や芸術の役割です。大学はそういった社会科学・自然科学・人文学を総合的に学ぶ場なんですよね。この「常磐線舞台芸術祭」を通じて、そのような体験を多くの人にしてもらいたいなと思っています。そして石牟礼道子さんが「苦海浄土」という作品を書いて水俣病を多くの人の記憶に留めたように、福島に関してもこれからいろいろな作品が書かれるのではないか、そういう作品が1つでも多く生まれたら良いのではないかと思います。

小松 確かにそうですね。オリザさんもおっしゃったように、「福島は今どうなってるんだろう」と、腫れ物に触るような気持ちを持っている人がきっといるんじゃないかと思って、それは東京で講演会をするときにもよく感じることなんですけど……。

 そうですね。腫れ物に触るというより、知らない状態で触れちゃダメなんじゃないかとか、失礼なことをしてはダメなんじゃないかという思いが僕もありました。でも実際に来てみると、意外と理虔さんのようにオープンな態度で接してくれる方も多いですし、街にもそういう空気感が漂っています。

小松 そうそう。これは本にも書いたんですけど、以前ある重度の障害者の方の施設に行ったとき、障害がある人とどう接したらいいんだろうと構えて向かったのですが、実際は非常に人間らしい、ある意味不真面目なことも普通に起きている空間で。逆に変に知識があると、「この人はこういう障害があるからこういうことを言ってはいけない」とか「こうすることが正しい」と意識してしまったかもしれないのですが、何も知らなければ知らないで怒られることも大事だし、構える必要はなかったなと思いました。同じように福島についても、美味そうなものの匂いにつられて福島を訪れた人が、地元の人に「まあ酒を飲んでいけよ」って言われて一緒に飲みながらしゃべっている中で「ああ、そういえば福島って震災があった土地だよね」と知っていくことも大事だと思うし、ここから何かを持ち帰ってくださいっていうゴールを設定するんじゃなくて、スタートラインを作りたいなと。そのために、広く間口を開けておきたいとずっと考えています。

小松理虔

小松理虔

 確かに間口を開けてもらえると外の人は入ってきやすいですよね。それに僕と理虔さんの個人間でも言っていいこととダメなことがあるように、土地と人の間でも実際にその場所を訪れてその土地を知るまでわからないことは多々あると思います。福島に来てみて、自分もそう思いましたし、「常磐線舞台芸術祭」が土地を知るきっかけになっていくのは良いことだなって。そのうえでやはり先のことも考えたくて、「常磐線舞台芸術祭」を訪れた人たちが「こういう美味いものを食べたよ、こういう場所だったよ」と周囲の人に伝えてくれることで、「じゃあ来年の夏は、福島で魚を食べがてら舞台芸術祭に行ってみようかな」と思う人が増えていったら良いなと思うし、芸術祭を継続していくことで我々のやりたいことは最終的に達成されるのかなと。だからオリザさんがおっしゃったように、まずはやってみて、そのあとが勝負ってことですよね。

平田 そうですね。また7月に「常磐線舞台芸術祭」、8月末に利賀での「SCOTサマーシーズン」、9月に「豊岡演劇祭」「鳥の演劇祭」とフェスティバル文化が定着してくると、海外のアーティストも回りやすくなるので、それが実現できれば良いなと思います。

小松 いわきや双葉郡の人にとっては、7・8月って夏の祭りのシーズンなんです。「どんちゃん港」の初日、8月5日は小名浜の花火大会がある日で、家族には「なんで花火大会の日にイベントやるようにしてるんか」って言われそうですが(笑)、勇壮な相馬野馬追があったり、お盆に近づくにつれて追悼の祭りがあったり、いわきでは13日からじゃんがら念仏踊が始まったりといろいろな祭りがあります。その時期にさらに舞台芸術祭を企画するのは大変ではありますが、だからこそやりたいことでもあって。なので今後、夏で暑くなってきたらいわきで鰹を食べて、相馬野馬追を見て、常磐線舞台芸術祭に参加して、じゃんがら念仏踊の鐘の音を聞いてからそれぞれの場所へ戻っていく、というような流れができたら良いなって思うんですよね。

 そうですね、ある種のレジャーのような感覚で。福島を巡る状況はこれからも続いていくわけですが、震災や原発問題以外のイメージが新たに作られていくことで、福島の外の人である僕としても親しみやすくなるし、行きたくなる大きなきっかけになります。

鄭慶一

鄭慶一

小松 そう。特に今回のプログラムは非常にバラエティ豊かで、線によって何かを手繰り寄せるというイメージが込められていることはなんとなく感じられますし、参加する人たちの顔ぶれを見ても、皆さんクロスオーバーの表現者ばかり。福島って黒潮と親潮がぶつかる潮目の海なので、いろいろな有象無象が流れ着く場所なんですけど、表現に関しても、表現と表現がぶつかり合いせめぎ合うことで豊かな漁場になっていくんじゃないかなって。放射性廃棄物が安全なレベルになるまで10万年かかると言われていますが、そのとてつもない時間を福島で生活する私たちは頭に入れて生活していかないといけなくて、その途方もない時間を考えるうえで、人間が太古の昔からやってきた歌や踊り、楽器を演奏したり絵を描いたりっていう芸術や表現が生み出す熱量やカオスが必要なのではないかと思います。

 情報って同心円状に広まっていくので中心から距離があればあるほど、更新に時間がかかる。だからこそ、新しいアクションを起こし続けていく必要がありますよね。

小松 そう。だから震災から12年かかってしまったけれど、「常磐線舞台芸術祭」の誕生によって、これをある種の口実に、福島に来てもらえたら良いなと思っています。

 口実って、いいですね(笑)。

平田 そう、そういうことですよね。芝居を観るだけなら東京でも観られますけど、福島の温泉に浸かって美味しいものを食べて、できれば地域の方と話をするような機会があって……そういう時間が芸術祭をきっかけに生まれることが大事ですよね。

プロフィール

平田オリザ(ヒラタオリザ)

1962年、東京都生まれ。劇作家、演出家、青年団主宰。芸術文化観光専門職大学学長、江原河畔劇場芸術総監督、こまばアゴラ劇場芸術総監督、豊岡演劇祭フェスティバルディレクター。1995年「東京ノート」で第39回岸田國士戯曲賞受賞、1998年「月の岬」で第5回読売演劇大賞優秀演出家賞、最優秀作品賞、2002年「上野動物園再々々襲撃」で第9回読売演劇大賞優秀作品賞、2002年「芸術立国論」でAICT評論家賞など受賞歴多数。2011年フランス文化通信省より芸術文化勲章シュヴァリエ受勲。

小松理虔(コマツリケン)

1979年、福島県生まれ。地域活動家。福島県いわき市小名浜でオルタナティブスペース・UDOK.を主宰しつつ、食や医療、福祉などさまざまな分野に携わる。2018年「新復興論」で大佛次郎論壇賞を受賞した。

鄭慶一(チョンキョンイル)

1986年、福岡県生まれ。アートマネージャー、プロデューサー。2012年より福岡・枝光本町商店街アイアンシアターの運営に携わり2013年に同劇場ディレクター就任。2020年よりフリーランスのプロデューサー、制作者としてパフォーミングアーツを中心としたさまざまなプロジェクトに携わる。