イスラエル・ガルバンが語る「春の祭典」|ストラヴィンスキーの楽曲は、芸術が生きていることを教えてくれる

6月に神奈川と愛知で、イスラエル・ガルバン「春の祭典」が上演される。イスラエル・ガルバンは、“フラメンコ界のニジンスキー”の異名を持つ、スペイン・セビリア生まれのダンサー・振付家。フラメンコの常識を覆すような大胆な作品構成と、しなやかかつ強靭な肉体で世界中のファンを魅了している。今回、3年ぶりの来日公演を行うガルバンに、作品のこと、そして自身のこれまでやコロナ禍でのクリエーションについて話を聞いた。なおインタビュアーを、愛知県芸術劇場エグゼクティブプロデューサーでDance Base Yokohamaアーティスティックディレクターの唐津絵理が務めた。

構成 / 熊井玲

3年ぶりの来日はある意味、ギフト

──イスラエルさんの来日は2018年以来3年ぶりとなります。以前、「日本を第二の故郷と感じ、シンパシーを抱いている」とお話しくださいましたが、今回の来日にどんなお気持ちを持っていますか?

私にとって日本は特別な存在で、若い頃から本当に何度も通い続けている国です。日本は2つ目の踊る場所、故郷、国という印象で、長きにわたり信頼関係を築いてきた国だと思っています。今回日本へ行くことは、私にとって新たなスタートですし、ある意味、ギフトだと思っています。

──日本ではこれまで、「SOLO」「FLA.CO.MEN」「黄金時代」「イスラエル・イスラエル」「ISRAEL GALVÁN + NIÑO DE ELCHE」などの作品を発表され、どの作品も日本の観客に大きな影響を与えています。一方、イスラエルさんも、舞踏など日本文化から影響を受けていらっしゃるそうですね。

日本の最初のマエストロ(師匠)は「マジンガーZ」なんです(笑)。その動きや、エピソードごとに変わる敵のロボットを研究していました。マジンガーZが拳を突き出した姿勢は、ファルーコ(編集注:セビリア出身のフラメンコ界のスター。1997年没)を思い出します。その後、日本を実際に訪れたときの思い出としては、マクドナルドで初めて食べたビッグマックと、マリオブラザーズのビデオゲーム(笑)。それから時が経つにつれ、フラメンコと日本の文化的なつながりが深まっていき、今ではスポーツ観戦をしているときも日本に勝ってほしいと思うんです……スペインの次に、ですが(笑)。相撲や舞踏といった文化や伝統がある日本は、ヘレスやマドリードと同じように、フラメンコの聖地だと思っています。

オンラインインタビューの様子。左からイスラエル・ガルバン、唐津絵理、通訳の岡田理絵(右上)。

フラメンコは時代と共に変化する生き物

──今回上演される「春の祭典」は、音楽家のシルヴィー・クルボアジェさんとの出会いがきっかけだったそうですね。そこからどのように作品へと発展していったのでしょうか?

「FLA.CO.MEN」より。 ©Hugo-Gumiel

シルヴィとは、テアトル・ヴィディ・ローザンヌのディレクターであるレネ・ゴンザレスを通じて知り合ったんです。「La Curva」という作品を上演したのですが、シルヴィは私の踊りを観て「(ヴァーツラフ・)ニジンスキーを思い出した」と言い、サウンドチェックのときに「春の祭典」を弾いたんですね。それがきっかけになって、イーゴリ・ストラヴィンスキーの作品にアプローチすることになりました。

──フラメンコは音楽と一体化した芸術ですから、フラメンコで演奏される楽曲以外の音楽で踊るのは、画期的なことだったと思います。イスラエルさんはこれまでどんな音楽で踊ったことがあり、またフラメンコの音楽で踊るときとの違いをどのように感じていますか?

1988年に上演した「赤い靴」では、ピアノによる現代音楽で踊り、2000年のカフカ「変身」ではバルトーク・ベーラやリゲティの音楽で踊りました。またパット・メセニーなどのアーティストと共演したり、ヘラルド・ヌニェスのジャズコンサートに出演したこともあります。モントルーではボブ・ディランと同じフェスティバルに出演したこともありますし、「春の祭典」以前にはマヌエル・デ・ファリャの楽曲で踊ったこともあります。私はフラメンコにルーツがあるので、特にフラメンコを意識しなくても自然とフラメンコの要素が出てくるのですが、突き詰めるとすべては芸術であり音楽だ、と思います。それにフラメンコは外の世界と接したり、異なる音楽に触れると姿を変えます。フラメンコは化石のような存在ではなく、時代と共に常に変化する、生き物のような存在なんです。

赤いソックスは現実と異界をつなぐもの

──「春の祭典」は、バレエ・リュスのプロデューサーであるセルゲイ・ディアギレフがストラヴィンスキーに作曲を委嘱したバレエ音楽です。1913年にニジンスキーが振付したセンセーショナルな初演以来、多くの振付家がこの音楽と対峙しており、多数の名作が生み出されていますが、これまでの作品の中で印象的だったものはありますか?

「春の祭典」は私にとって、古典でもコンテンポラリーでもなく、フラメンコの本質が感じられる作品です。中でもフラメンコらしさを感じるのは、やはりニジンスキーの動き。私のフラメンコのベースに影響を与えた作品と言っても過言ではありません。私にとってニジンスキーはバレエダンサーではなく、バイラオール(フラメンコの踊り手)なんです。

「FLA.CO.MEN」より。 ©Hugo-Gumiel

──イスラエルさんご自身が“フラメンコ界のニジンスキー”と呼ばれることもありますよね。あなたのフラメンコ界での孤独な創作や闘いが、バレエ界に革命を起こしたニジンスキーと重なるところもあるのかなと思います。Netflixのドキュメンタリー「Move-そのステップを紐解く-」の中でもニジンスキー版「春の祭典」の映像に合わせて楽譜を解釈している場面がありましたが、あの楽曲をどのように解釈し、創作していったのでしょうか?

私にとって創作は闘いではなく、好きなように自分を表現する自由の場で、それを他者と共有できることは生存の証だと思っています。ストラヴィンスキーは「フラメンコは構成の芸術だ」と言っていましたが、「春の祭典」で私は、床の響きや材質、身体を使った、打楽器奏者の役割を果たしている部分もあると思います。またこの作品では、死のエネルギーに身を浸すような、儀式的な感情も同時に味わうように努めています。その際に意識しているのは、シアター的でない動きをすること。音楽や動きそのものとなることで私の身体が変化し、作品に血が通うのです。

──あるシーンで、右足だけ赤いソックスをはいていらっしゃるのが、とても印象的でした。

赤い靴下は、血の赤を象徴するものとして取り入れました。ある民族は、手首に赤いアクセサリーをつける風習があるそうなんですが、それは魔女の儀式につながっているらしくて。私にとって赤い靴下は、現実と異世界をつなぐものだと考えています。