2015年に初演され、読売演劇大賞で最優秀作品賞ほかに輝いたKERA・MAP#006「グッドバイ」が、成島出監督により映画化される。本作は、太宰治の未完の遺作から着想を得て、ケラリーノ・サンドロヴィッチ(以下KERA)が新たに書き上げたロマンティックコメディ。優柔不断だがやたらと女にモテる編集者の田島周二と、普段はガサツで大食いの担ぎ屋だが実は美女である永井キヌ子を軸に、田島と愛人たちとのさまざまな“グッドバイ”の形が描かれる。
映画化を記念し、ステージナタリーと映画ナタリーでは、ジャンルをまたいだ連載特集を展開。第1回は、KERAと成島の対談を実施。成島は舞台版を、KERAは映画版をどのように観たのか? 舞台と映画に共通するもの、異なる魅力について2人が語った。
取材・文 / 熊井玲 撮影 / 平岩享
「グッドバイ」の稽古場は多幸感に満ちていた(KERA)
──成島さんはKERA・MAP#006「グッドバイ」を劇場でご覧になって映画化したいと思われたそうですね。
成島出 KERAさんの舞台が好きで、それまでも行けるときは観ていました。「グッドバイ」はそれにプラスして、小池栄子さんが出演していること、また太宰治の未完の小説をどういうふうにラストまで作ったんだろうということが気になって観に行ったんです。もちろん、最初は映画にするなんてことを考えていたわけではなく、ただ楽しみに行っただけなんですけど。
──普段、映画化しようという目線で舞台をご覧になることはありますか?
成島 (首を横に振って)舞台を映画にするのは難しいので、今回は稀有な例だと思います。
──今回は、舞台をご覧になっている間から映画化を意識されたのでしょうか?
成島 いや、さすがにそんなにすぐではなかったけれど、帰りの電車で……。
ケラリーノ・サンドロヴィッチ(以下KERA) けっこうすぐじゃないですか(笑)。
一同 あははは。
KERA 映画化のお話は、単純にうれしかったですね。確か最初はマネージャーから聞いて、そのあと小池から「私が絶対的に信頼を置いている監督なので」と聞き、それならよかったなと。でもびっくりはしました。当然ですが舞台用に書いたものだから、そのまま映画でやると「あざとい」って思われちゃうようなところもあるんじゃないかな、と思ったので。だから、占い師の役を映画版に残すと聞いて、「え? あの役を残すの?」と驚きましたね(笑)。あれはまさに池谷(のぶえ)に当て書いた役で、舞台じゃないと成立しない役だと思ったんですよ。
──少しトリッキーな役どころで、池谷さんにぴったりでした。
KERA ところが映画版では、舞台でしか成立しないリアリティをうまく避けて、かつ、より重要な役割を持った役になっていた。映画版で占い師役を演じた戸田恵子さんが、ブログで「今日は久しぶりに映画の仕事で楽しかった」と書かれていましたが、舞台もそうですけど、みんなが楽しんで演じてくれることがとても大切ですね。“お仕事”でやってもハネないんですよ。でも「グッドバイ」は楽しさの質が違ったと言うか、多幸感にあふれた稽古場だったんですよね。みんなが本当にすごくうれしそうに演じていて、その姿を見ながら台本を書き進めていったところがありました。あの稽古のムードがなければ、ああいうハッピーエンドにはならなかったんじゃないかなって思うし、普段だったらご都合主義な感じがして絶対に避けるタイプのラストなので、役者たちに「大丈夫かな」って聞いた覚えがあります(笑)。
パワーに満ちた混沌の時代に、どんな男と女が生きていたか(成島)
──KERAさんは映画版をどのようにご覧になりましたか?
KERA 今の日本映画にはない、上品で洒脱な、そして大変きちんと作られたコメディだと思いました。こういう大人のコメディって、残念なことに今はあまりない。僕はモンティ・パイソンやマルクス兄弟のようなナンセンスなコメディに多大な影響を受けた一方で、エルンスト・ルビッチやビリー・ワイルダー、ジョン・スタージェスといった映像作家を敬愛してますから、楽屋落ち的なものは自分の禁じ手にしている。その点は、この間対談した福田雄一くんと「お互い、大切にしているものが決定的に違うね」って話になったんですけど(笑)、福田くんはお客さんの中に1人でも楽しんでくれてない人がいるのは気になるそうなんです。でも僕は、通じない人がいるのはしょうがないと思ってて。でないと、やりたいことはやれない。そういう意味では、この映画は目指しているテイストがはっきりしてて、笑いにがっついてないのがとてもいいですし、上質なコメディって、じわじわじわじわ(笑いが)くるものだと思うんですよね。あとやっぱり日本でも外国でも、この辺の時代を描いたものは魅力的だなと思います。戦争を挟んだ前後の時代に、どうしても惹かれてしまいますね。
──映画版では、より時代背景を感じさせるシーンが挿入され、時代性が強まりました。
成島 そうですね。敗戦から2・3年後の、日本が一番変わっていくパワーを持っていた時代、プラスもマイナスも混沌の時期というのは魅力的だなと思います。そこにどんな男がいてどんな女がいたのか。そこで、闇市やその時代の世界観を大事にできればと思いました。
──舞台版は群像劇という色合いが強かったと思いますが、映画版では田島周二とキヌ子の2人を軸に物語が展開します。
成島 舞台ではあちこちシーンが飛んでもお客さんは自分で想像しながら観ますけど、映画は時間軸が違うものですから、そこは映画のアプローチをしました。あとやっぱり(上映時間を)2時間には収めないといけないと思っているので……。
KERA 1時間46分って、こうしたコメディには最適の上映時間だと思いますね。僕の芝居はいつも長いですけど、観客としては芝居も映画も短いのが好きなんです(笑)。まあ僕が1時間40分くらいの芝居を作ったら、物語が始まったか始まってないかくらいに終わっちゃうと思いますけど。
一同 あははは。
成島 舞台は休憩を入れられるのがうらやましいですよ。映画も昔は休憩が入るものがあったけど。
KERA 作品の時間って、作家それぞれに合った体内時間があると思うんですよね。南河内万歳一座の内藤(裕敬)さんには何度か「どうすればそんな長いのが作れるの?」って聞かれたけど(笑)、僕も無理やり長くしているわけではないんです。
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2020年2月5日更新