木ノ下裕一率いる木ノ下歌舞伎が、「摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)」の上演に挑む。上演台本・演出・音楽を手がけるのは、木ノ下歌舞伎には「心中天の網島」に続き2作目の参加となるFUKAIPRODUCE羽衣の糸井幸之介だ。木ノ下いわく「前近代の極致のような作品」に、糸井はいかに新たな命を吹き込むのか。また本公演は、京都・ロームシアター京都との共同制作企画「レパートリーの創造」の第2弾でもある。「創造する劇場、育成する劇場、交流する劇場、生活の場である劇場」を目標に掲げるロームシアター京都との協働が、木ノ下歌舞伎にもたらす影響についても話を聞いた。
取材・文 / 熊井玲 撮影 / 平岩享
ラブラブ期が過ぎて倦怠期?
──木ノ下さんと糸井さんは2015年の木ノ下歌舞伎「心中天の網島」初演以来、木ノ下歌舞伎作品に限らず、さまざまな作品でタッグを組んできました。そんな、お互いに対する“尽きせぬ興味”について、まず伺えますか?
木ノ下裕一 木ノ下歌舞伎では、今回が糸井さんとは2作目になりますが、愛知県豊橋市で市民劇を作ったり(参照:FUKAIPRODUCE羽衣の糸井が作・演出、市民劇「はしっ子」豊橋で上演)、糸井さんが講師をしている多摩美術大学で学生の発表公演を作ったりと、実は家族より一緒にいるかもしれません(笑)。そんな糸井さんの魅力を改めて言葉にすると……やっぱり糸井さんの“身を削って作っている感”でしょうか。飄々と作品を作っているように見えて、あれほど悲しく、あれほど密度の高い作品を作り出すなんて、よほど悲しい目に遭ってきたか、よほど人間の悲しい面を見てきた人なのではないかと(笑)。糸井さんの作品を観るたびに思うのは、糸井さんの作品によって救われる人が、まだまだごまんといるはずだってことなんです。とどのつまり、そこが糸井さんの尽きない魅力ということじゃないかと思います。
糸井幸之介 (照れた表情)。
木ノ下 それと歌舞伎って、現代人が観ても「わかるわかる」って思う瞬間と、すごく飛躍しててちょっと理解できない、共感だけでは通じ得ない部分とがあって。糸井さんの作品にも、例えば「瞬間光年」(17年上演、第62回岸田國士戯曲賞最終候補作)のように、とても飛躍したシーンが連続するものがありますよね。歌舞伎の現代化って言うと「わかるわかる」って部分だけを抽出したり、そもそも現代人にもわかりやすい演目を選んだりするのがスタンダードな方法ですが、糸井さんと組むと「ここはわからへんよね」とか「現代人に共感しろと言ってもそのままでは無理やね」っていうところも、音楽を使って飛ばしてくれる。しかも糸井さんは、セリフと歌の違いをきちんとわかったうえで作品をお作りになっているから、歌じゃないと言えないことだけを歌にしてくださるんです。その点で、“糸井さんとならできる歌舞伎演目”が格段に増えました。「摂州合邦辻」を現代演劇として上演した例は、これまであまり多くはないと思うんですが、糸井さんはロジカルな視点で「摂州合邦辻」に取り組んでくださるから、勝算が大あり(笑)。木ノ下歌舞伎としては手放せない存在ですね。
糸井 あははは(笑)。木ノ下さんとは一緒にいる時間が本当に長くなってきて、最初のアツアツ感、ラブラブ感は終わった感じが、当然あって。
木ノ下 あははは(笑)。
糸井 恋人だったら倦怠期になっていたとしてもおかしくないくらいずっと一緒にいるんですけど、そうならないのは木ノ下さんとは基本的に楽しく過ごせるから。馴れ合うということではなく、一緒にいることが日常という感じで、お互いの至らないところを補い合ってる感じがする。その相性のよさ、組み合わせのよさみたいなものはずっと変わらず感じていますね。
木ノ下 倦怠期って面白いですね(笑)。確かに共通点が増えたことで、黙ってても相手が何を感じ、何を考えているかがわかるようになってきた。でも、長年連れ添った夫婦がよく「『言葉にせんでもわかるでしょ』っていうのが一番よくない」と言うように(笑)、あえて言葉にすることも必要なのかもしれないですけど。
宇宙の視点で「摂州合邦辻」をとらえる
──夏のビジュアル撮影時に(参照:木ノ下歌舞伎「摂州合邦辻」の田川隼嗣、内田慈は「お母さんに近いイメージ」)田川隼嗣さんが「木ノ下さんと糸井さんに出された宿題がある」とおっしゃっていました。その後、木ノ下さんの作品講座や歌舞伎「摂州合邦辻」の完コピ稽古(編集注:歌舞伎の映像を観ながら歌舞伎俳優のセリフや動きをすべてコピーする稽古)などを経て、12月末からいよいよ「糸井版 摂州合邦辻」の本稽古がスタートしました。改めて今、お二人が感じていらっしゃる「摂州合邦辻」という作品の面白さについて教えてください。
木ノ下 8月に豊橋で台本合宿をしたり、大阪の街を糸井さんと一緒に歩いてフィールドワークしたりと、糸井さんとはかなり長いこと作品について考えてきました。その中で、改めて糸井さんから「摂州合邦辻」の面白さを気付かせてもらったなと思うところがあって。「摂州合邦辻」ではどうしても玉手御前に焦点が当たりがちで、玉手の俊徳丸に対する思いが本当の恋だったのかどうかとか、玉手が自分の生血を俊徳丸に飲ませるクライマックスのことばかりが語られますが、それ以外のところもとても面白いし、むしろそれらを全部集めたら、玉手のことは小さなエピソードの1つぐらいに思えるかもしれない……というくらいまで、現段階で作品に近付けていることは大きいなと。これはほんの一例ですが、病気で目が見えなくなった俊徳丸が、沈んでいく太陽に自分の終わっていく命を投影しながら、見えない目で夕日を見て極楽浄土を願う、日想観(編集注:西に沈む太陽を観て極楽浄土を願う修行法)のシーンがあります。そこへ、“しんしんたる夜の道”から真っ黒な姿で玉手御前が登場する。日が落ち、死にそうになっている俊徳丸のもとに、玉手の闇が追っかけてくるわけです。その2人の動きは、大阪の地理で考えると生駒山から太陽が昇り大阪湾に日が沈む、天体の動きとも重なります。そうやって登場人物たちが、あるときは太陽、あるときは月、あるときは闇と言うように、天体や自然と呼応しながら展開しているところが詩的で面白い。またそういうダイナミズムは、近代における「摂州合邦辻」の解釈ではまったく無視されて、光が当たってこなかったところなんですけど、小さな物語と大きな物語が等価に置かれて、それが重なり合いながら展開していく様は、糸井さん作・演出の「イトイーランド」(16年)で、月と太陽の恋が人間の恋愛に転化したり、人間の恋愛が魚の恋愛に転化したりする展開にも通じる。宇宙レベルの縮尺で見れば、天体も人間も魚も全部一緒だという、そういう目線を糸井さんが「摂州合邦辻」を通じて描き出してくだされば、この作品を「まごうことなき『糸井版』」と言えるのではないかなと。それが楽しみです。
──「心中天の網島」を上演された際も、木ノ下さんは“縮尺”をキーワードにお話されていました。
木ノ下 そうですね、ある事柄をとらえるときの縮尺を変えて、近視眼的ではなく宇宙的な目線で見ると、まったく違うことが見えてくると思っています。
──糸井さんは、「摂州合邦辻」の面白さについては?
糸井 うーん……あまりとらえどころがないと言うか、魅力があるかないかもわからないと言うか……。
木ノ下 あははは(笑)。
糸井 「網島」をやったときは、もともとの近松門左衛門の脚本から、常人ではない天才の迫力みたいなものがガッと迫ってくる感じがしましたが、「摂州合邦辻」はそういう意味でとらえどころがないんですよ。だからと言ってつまらないというわけでもなくて。木ノ下さんによると、「摂州合邦辻」はそもそも、それ以前の芸能の寄せ集め的に構成された作品だそうなんですね。そういう域も確かに感じるし……だから作品への血の通わせ方が、今回は「網島」のときとちょっと違うなと思っていて。と言ったら、作者の菅専助さんと若竹笛躬さんに失礼かもしれませんが(笑)。
──でも「糸井版」ですからね。
糸井 ですよね(笑)。
木ノ下 「網島」は、確かにある程度栄養を与えて、ぽんって押せば勝手に走ってくれるドラマの生きのよさがあったけど、「合邦」はもっと人造人間的に自分たちで蘇生させないと生き返ってくれない感じがしますね。
──以前、糸井さんはオスカー・ワイルドの「サロメ」を原作にした「サロメvsヨカナーン」(13年)を手がけられました。その後のインタビューで「原作ものはしばらくいいかな」とおっしゃっていましたが、歌舞伎に対してはいかがでしょう?
糸井 「網島」も「合邦」も、原作ものをやる足枷みたいなものは全然感じなくて、でもそれは歌舞伎原作だから乗り越えやすい何かがあるということではなく、木ノ下さんが現場作りを大切にしてくれてるからだと思うんです。「原作ものだから、これとこれは抑えなきゃ……」という発想でなく、純粋なクリエーションとして創作に取り組めるからだと思いますね。
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ストーリーを見せたいわけではない
- 木ノ下歌舞伎「糸井版 摂州合邦辻」
- 2019年2月10日(日)・11日(月・祝)
京都府 ロームシアター京都 サウスホール - 2019年2月15日(金)・16日(土)
愛知県 穂の国とよはし芸術劇場PLAT 主ホール - 2019年3月14日(木)~17日(日)
神奈川県 KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ
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作:菅専助、若竹笛躬
監修・補綴・上演台本:木ノ下裕一
上演台本・演出・音楽:糸井幸之介
音楽監修:manzo
振付:北尾亘
出演:内田慈、田川隼嗣、土居志央梨、大石将弘、伊東沙保、金子岳憲、西田夏奈子、武谷公雄、石田迪子、飛田大輔、山森大輔
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大名・高安家の跡取りである俊徳丸は、異母兄弟の次郎丸から疎まれ、継母の玉手御前からは許されぬ恋心を寄せられている。ある日業病にかかり盲目になった俊徳丸は、許嫁の浅香姫を置いて失踪。大坂・四天王寺で浮浪者同然の暮らしをしている。そんな俊徳丸のもとを、玉手が訪れた。彼女は、実は誰にも明かせない秘密を抱えていて……。1773年に大坂で初演された菅専助作の浄瑠璃作品である本作は、民間伝承の「しんとく丸伝説」をベースに、能「弱法師」や説教節「しんとく丸」「愛護の若」などの要素が盛り込まれている。
- 木ノ下裕一(キノシタユウイチ)
- 1985年和歌山県生まれ。2006年に古典演目上演の補綴・監修を自らが行う木ノ下歌舞伎を旗揚げ。代表作に「黒塚」「東海道四谷怪談—通し上演—」「三人吉三」「心中天の網島」「義経千本桜—渡海屋・大物浦—」など。また渋谷・コクーン歌舞伎「切られの与三」の補綴を務めたほか古典芸能に関する執筆、講座など多岐にわたって活動を展開している。「三人吉三」再演にて読売演劇大賞2015年上半期作品賞にノミネート、16年上演の「勧進帳」にて平成28年度文化庁芸術祭新人賞を受賞。平成29年度芸術文化特別奨励制度奨励者。
- 木ノ下歌舞伎(キノシタカブキ)
- 木ノ下裕一により、2006年に旗揚げ。歴史的な文脈を踏まえつつ、現代における歌舞伎演目上演の可能性を発信している。演出家を固定しないスタイルで、京都を中心に活動を展開。主な上演作品に「義経千本桜」「黒塚」「東海道四谷怪談―通し上演―」など。「三人吉三」にて読売演劇大賞 2015年上半期作品賞にノミネートされた。 18年には「ジャポニスム2018:響きあう魂」の公式企画として、パリにて「勧進帳」を上演した。
- 糸井幸之介(イトイユキノスケ)
- 1977年東京生まれ。劇作家・演出家・音楽家。2004年に深井順子により旗揚げされたFUKAIPRODUCE羽衣の座付作家となる。芝居と音楽を融合させた作風を“妙ージカル”と名付け、全作品の作・演出・音楽を手がけている。世田谷区芸術アワード“飛翔” 2008年度舞台芸術部門受賞。FUKAIPRODUCE 羽衣「瞬間光年」が第62回岸田國士戯曲賞の最終候補作にノミネート。多摩美術大学講師。公益財団法人セゾン文化財団シニア・フェロー。木ノ下歌舞伎には「心中天の網島」に続き2作目の参加となる。
2019年1月15日更新