舞台手話通訳者は“ジョジョのスタンド”?樋口ミユ×加藤真紀子×高田美香×水野里香が挑む、舞台手話通訳付き公演「楽屋─流れ去るものはやがてなつかしき─」 (2/3)

「凛然グッドバイ」はまたやりたい作品

──「凛然グッドバイ」では、手話通訳者も俳優と共に演技をする瞬間が多々あります。2人以上の登場人物の演じ分け方や、表情の付け方など、舞台手話通訳者も演者としてそれぞれ個性があるように感じました。

樋口 それぞれ“居方”が全然違いますよね。まず加藤さんは、もともと俳優をやっているからか、戯曲全体を解釈する方。このシーンで何が重要であるかをものすごく考えながらそこにいるんだな、と見ていて感じました。高田さんは工夫者。登場人物が2人いたとき、細かな立ち方の違いで変化を表現していて、丁寧だなと。水野さんは俳優が探っている表現も全部拾って、彼らが出しきれない部分も手話で出そうとしてくれる。みんな情報を担保しつつ、技術を持って個性を出してくれているのが頼もしい。

「凛然グッドバイ」より。平井光子演じるデモと、服部容子演じる娘のダイアローグを通訳する高田美香(右端)。

「凛然グッドバイ」より。平井光子演じるデモと、服部容子演じる娘のダイアローグを通訳する高田美香(右端)。

加藤 私は、作品全体の中で自分がどうあるべきかとか、作品の空気の中にいかに入っていくか、ということをすごく考えているので、見てくださっていてうれしい(笑)。

水野 うれしいですね。私は手話通訳として、俳優の表現したいものをなるべく損なわずに伝えることを目標にしていて。私は加藤さんのように、作品全体まで見られていないんですけど、“森の中の木”の木の部分をしっかり伝えたい。

高田 私は、2人の登場人物の差異をどう表現するかは、相当苦労しました。

樋口 そうだと思います(笑)。

高田 片方が自分の母語、もう片方がそれに合わせた言語をカタコトで話している、という内容だったんですけど、まずカタコトを手話で表現するのが難しかった。どっちが話しているかを目で見て捉えてもらえるように、立ち方を変えたのは苦肉の策でした。

──舞台手話通訳ならではの難しさですね。

高田 でも、またやりたいです、「凛然グッドバイ」。もっと考えたい。これはみんな言ってることです。

加藤水野 (うなずく)

手前は樋口ミユ。画面左から加藤真紀子、水野里香、高田美香。

手前は樋口ミユ。画面左から加藤真紀子、水野里香、高田美香。

手前は樋口ミユ。画面左から加藤真紀子、水野里香、高田美香。

手前は樋口ミユ。画面左から加藤真紀子、水野里香、高田美香。

「楽屋」の女優が増える…!?

──今回上演される「楽屋」は、チェーホフ「かもめ」が上演されている劇場の楽屋を舞台に、4人の“女優”が登場する清水邦夫さんの代表作です。女優たちの、時にコミカルで、時に切実なやり取りや、チェーホフやシェイクスピア作品のセリフの引用が魅力的で、さまざまなカンパニーにより上演されています。「凛然グッドバイ」とは戯曲の雰囲気が異なりますが、樋口さんはなぜ本作を選ばれたのでしょうか?

樋口 「凛然グッドバイ」は、一発目でやる舞台手話通訳付きの作品としては、場外乱闘的な作品だったので……(笑)。

一同 (笑)。

樋口 吉川くんに「今回はどうしようかねえ」と相談したとき、「最も王道な作品はどうでしょう」と言われて。「例えば?」って聞いたら、「楽屋」って。なるほどと思いましたね。作品自体は二十代で初めて読み、三十代で女優Aを演じていて、今回四十代で演出することになったので、それぞれの年代で触れています。二十代は「役者道だなあ!」と憧れの気持ちで読んでいたのですが、三十代で読んだときには「演劇を続けることへの覚悟があるのか?」と問われているような気持ちになり、今は「かもめ」のニーナのセリフが挿入されている理由を考えています。読むたびに受け取るものが変化していくのが魅力ですし、“名作”と呼ばれる所以だと思っています。実は二十代の頃、雑誌「せりふの時代」で清水さんと対談させていただいたことがあるんです。

──それは貴重な体験ですね。

樋口 すごく良い経験でした! 今でも、ふと清水さんがまだ生きているように思うときがあるんです。「楽屋」の魅力は、今作が発表された1977年という時代と、現在の両方を感じさせてくれるところですかね。

左から加藤真紀子(画面内)、樋口ミユ、高田美香(画面内)、水野里香(画面内)。

左から加藤真紀子(画面内)、樋口ミユ、高田美香(画面内)、水野里香(画面内)。

──手話翻訳作業についてはどのように進んでいますか?

加藤 翻訳は、手話監修者と打ち合わせしながら作っていくのですが、今はその打ち合わせに向けて、それぞれが自分なりに訳している段階です。難しいのは、“女優AとBは死んでいて、女優C、Dは生きている”という状況。その違いをどう表現したら観客に伝えられるか、みんなで考えているところです。樋口さんにも、たくさん質問する予定です!

樋口 演出プランとして今考えているのは、女優AとBは亡霊なので、要するに見えない存在なわけですよね。そうしたら、同じく見えない存在である女優の亡霊が、舞台上にたくさんいたらええやんと。つまり、舞台手話通訳者の3人には、女優E、F、Gとして鏡の前にいてもらおうと思っています……と、今初めて明かしました(笑)。

高田 女優デビューだ!(笑)

一同 (笑)。

樋口 手話通訳していないときは、髪の毛を解いたり楽屋で自由にいてもらいます。なので鏡前に置く用に、ご自身のメイク道具を持ってきてください!

加藤高田水野 はい!(笑)

──「凛然グッドバイ」では、ろう者と聴者、両方の観客が作品を楽しめるような工夫が施されていました。その思いは今回も同じでしょうか?

樋口 そうですね。耳が聞こえる方にも、“自分は関係ない”と思わずに観に来ていただきたい。観劇の面白さは、実際に体験するまで何を感じるかわからないところ。なので「舞台手話通訳付きの演劇をまだ観たことがないんだったら、面白いから観てみなよ!」っていう気持ちで作っています。これは私自身が舞台手話通訳を知らなかったからこそ言うんですけど!

「凛然グッドバイ」より。ののあざみ演じるセンのモノローグを通訳する水野里香(右端)。

「凛然グッドバイ」より。ののあざみ演じるセンのモノローグを通訳する水野里香(右端)。

舞台手話通訳のこれから

──本作のように、舞台手話通訳がより一般的になって、誰もが気兼ねなく同じ作品を楽しめる機会がもっと増えると良いなと思いました。それを実現するには、今後どのようなサポートがあると良いと思いますか?

高田 まずは、舞台手話通訳付きの作品を上演する劇場やカンパニーなど、たくさんの“場所”が必要だよね。今回PLATさんが、舞台手話通訳を全面的にサポートしてくださっているのはありがたい。舞台手話通訳が付いて当たり前で、舞台手話通訳者で選べる、っていう未来を目指すには、劇場の支えも必要だし、使ってくださる演出家も必要。

加藤 「聞こえない人たちのためにやる」ではなく、舞台手話通訳が付いた演劇が作品として面白くて深いよね、ってなっていくと良いですよね。だからこそ、自分自身が通訳者として呼んでもらえるように技術をもっと磨き続けたい。舞台手話通訳を付けたいという劇団や演出家がいても、出られる通訳者がいないと広がっていかないから。

高田水野 (うなずく)

水野 舞台手話通訳付きの作品に挑まれる方にとっても、新しいこととして、面白そうだからやってみよう!っていう気持ちで捉えてもらって、増えていったらうれしいですよね。

樋口 すごく現実的なことを言えば、舞台手話通訳さんまでの予算を持てる劇団ってすごく限られてくるので、PLATのような公共劇場がこういった試みに予算を付けてやってくれることが理想的ですね。ただ、舞台手話通訳を付けての作品作りの可能性は無限大です。舞台手話通訳を入れることを前提に、戯曲の段階から書くこともできるし、今回のように、演出の段階から舞台手話通訳を入れ込んだクリエーションをすることもできるし。もちろん、新しい試みだから失敗も伴う可能性はあります。だけどそれを面白いと思う表現者が増えていくと、裾野は広がっていくんじゃないのかな。なのでPLATさん、これからもお願いします!(笑)