「荒れ野」桑原裕子&キャスト 座談会|肩の力を抜いて、“停滞”を許す時間を

初演と違うことを思ってもいい

──大きさという意味では、登場人物の中でもっとも達観した存在の、“先生”こと広満役の小林さんは、いかがでしょう。

増子倭文江

小林 「荒れ野」という題名で言えば、初演から現在までの2年の間に台風による災害や桜を見る会の問題、即位パレードなどいろいろなことがあって、「ポツンと一軒家」のように世間から隔絶されたところで幸せに住んでいる人ならともかく、僕らはそういうわけにいかないので、いろいろなことに付き合って……まさに“荒れ野”で生きていることの実感を持たざるを得なかった2年と言うか。ただたとえ愛憎や争い、誤解があったりしても、そこを生き抜く人間のしたたかさ、楽しさみたいなものがないと、やっていけないなという思いも募らせています。同時に、ひょっとしたら2年前よりも観ている人の中にもっと(現実に対する)イメージが膨らんでいて、「荒れ野」で描かれた世界を笑い飛ばしてくれるのではないか、とも思っています。

──そんな広満に寄り添うケン一には、今回、何か変化がありそうでしょうか。

中尾 桑原さんが、「ラストでケンちゃんがどうなるかは、初演のときに思ってたこととは真逆でもいいんじゃないか」とおっしゃっていて。そう思ったら希望が持てたと言うか、稽古が楽しくなりました。

桑原 と言うのも、そもそもケンちゃん(の役)は、ずっと先生と一緒に居続けるんじゃないか、そういうゆるい地獄の甘さに浸り続けるのもありかもしれない、と思って書いた役だったんです。ただ、「もしかしたらケンちゃんだって別の選択をする可能性もあるのでは」という話を2人でして……っていう話だよね?

中尾 そうです。まあその可能性を考える力とか、それを感じさせる技術は僕にはないかもしれないけど、ケン一に別の可能性もあると思えれば、何かしら変わってくるのかもしれないと思っています。

多田香織

──登場人物の中で唯一、二十代の有季は、そんな大人たちの様子を見て、どんなことを感じるのでしょうか。

多田 これは初演時にバラ(桑原)さんに言われたことでもありますが、有季は今の若い人たちの不安を象徴する役なんだなと思いました。失業してますし、今まさに家が火事でなくなるかもしれないし、自分がどう進んでいくのかっていう将来に対する不安を、きっと強く感じてるんですよね。と同時に、今、皆さんのお話を聞きながら、初演はまったく感じなかったんですけど、生命力という意味での強さを持った人なのかなと。いくらでも考えを変えることができる人でやる気もあって、きっといろいろなことが有季の力になるんじゃないかと思います。再演にあたって、有季のそういう部分を自分の役割として自覚的に捉えて、取り組んでいきたいなと思っています。

──桑原作品は、直接的に時事問題を描いているわけではなくても、常にその時代時代にピタリとハマるテーマが描かれていますね。桑原さんご自身は、2年という歳月が、作品にどのような影響を与えると思われますか?

桑原 これは顔合わせのときにも言ったんですけど、この2年の間に、ハヤカワ「悲劇喜劇」賞や読売文学賞戯曲・シナリオ賞をいただき、そのたびにまたこのメンバーで集まったりしたので、この作品について振り返る機会を何度かいただいているんですね。なので、そんなに(作品との距離が)遠くはなかったんです。でも改めて考えると、2年の間に社会の状況は最悪なほうに変わっていっている気がする。SNSを見れば、誰かと誰かがよく対立しているし、それぞれ孤立した状態でお互いを罵り合うってことが、以前より明らかに増えていると感じます。で、その2年間に私が何をしていたかと言うと、「テラスハウス」を全部観たってことなんですけど……。

一同 あははは!

桑原 「テラスハウス」みたいに、知らない者同士が集まって、誰かと結び付きを持ちたい、よりどころが欲しいと思っている人がそんなにいるんだと思うと、「荒れ野」はやっぱりそういうことを描いた作品だったんだと思いますし、もともとこの話を書くきっかけになった潰れたショッピングモールが、実は最近再オープンして、めちゃくちゃにぎわっている様子をラジオで聞いて、「再生するんだ、壊れたままじゃないんだ」ということを実感したんです。この作品を書いたときは、私自身「自分の心の中にできた荒野はどうしたって消えないもので、大事なことは、それをどうやって抱いて生きていくかだ」と思っていたけど、精神的な荒れ野の部分もまた何かで埋まっていき、新しい芽が出ることもあるんだと思ったら、登場人物それぞれの結末にも伸び代ができたんじゃないかなと思います。

「荒れ野」の先に見えるもの

──改めて台本を拝読すると、精神的な、あるいは社会的な弱さを持った人たちが、この先、その弱さをどう受け入れ、支え合っていくかに迫った、非常に深いテーマを持つ作品だと感じました。台本の中でも「やり直す」ということが1つのキーワードになっていますが、災害や失敗そのものが問題ではなくて、そこからどうやり直すのか、またやり直して元通りになることがいいのか否かなど、安易な結論には止まらない、さまざまな目線や可能性が描かれます。その捉え方は、観る人の年齢や置かれた状況によっても異なると思いますので、最後に皆さんそれぞれが、“「荒れ野」の先”をどう見ていらっしゃるか、教えていただけますか。

平田 現段階ではまだ全然わかりませんけど、僕は少し強くなるんじゃないかと思うんですね。哲央は過去に囚われているところがあって、気も弱いので、「俺なんてこの程度だろう。こういう父親、夫であればいいだろう」と思ってずっとやってきた。でもそうやってきたことがことごとく失敗だったってことを明かされるのが、この「荒れ野」の一夜であって(笑)。でも最後は、「それでもいいか」と感じられるような、希望を持って終われるといいなって。

増子 最後どうなるかは、私もまだ全然決めてないんですよね。だからどうなるかわかりませんが、「私はそれでも生きていく」ということになっていくんじゃないかなって。「きっと大丈夫、何があっても私は生きていく」というふうに、たとえそれがすごく不幸で、自分が手に入れたかった結末じゃなかったとしても、そうありたいと思っています。

井上 路子って、自分のテリトリーではゆったりしてるんだけど、どこかに埋められないものを持っていて、そこを先生やケン一という人の温もりが埋めているんだなって思ってて。「荒れ野」の一夜で、自分の家に引き込む人が増えて一瞬豊かになった気がするんですけど、路子はまたそれを失ってしまうのかな、と。そうしたら部屋にぽつんと残されて、路子はどうするのかなって、ちょっと寂しさを感じてしまった(笑)。

小林勝也

小林 誰かの言葉ですけど、記録や結果が問題ではなくてやったこと自体に価値があるんですよね。だから路子にとってはシェアハウスをしたことに価値があって、その結果は、問題ではないんじゃないかな。例えば今の世の中は、「1番を取らないと2番はビリでも同じだ」って価値観が一般的ですけど、「1番を目指してやること自体に意味があるんだ」というアンチテーゼが描かれた作品だとも僕は感じていて。その点、路子は非常に現実主義者で、昔の洋服なんてどんどん捨ててしまうし、今生きていることに全力を尽くしている。だからひょっとしたら一番自由で幸せな人なんじゃないかなって思います。

井上 勝也さんのお話を聞いて、すごく元気が出てきました(笑)。

一同 (笑)。

多田 今、皆さんのお話を聞いていてふと思ったんですけど、この火事で燃えてしまった街自体は再生に向かうと思うんです。でもその場所にもう、有季はいないかもなって。それまでも我が道を行くというか、自分で勝手に道を切り拓いて生きてきた人のような気がするので、新たな場所を見つけるのかもしれないなって。

小林 僕はね、どんどん過去を捨てようとしてますね。将棋の羽生(善治)さんがあるテレビ番組で、ずっと取ってあった過去の自分の記事やら何やらをどんどん捨ててると言ってて、それを僕も見習ってるんですけど、過去に執着しないのがカッコいいなって。

中尾 勝也さんの話に乗っかると、僕は音楽をやってるんですが、自分のCDは持たないようにしてます。

桑原 CDを取っておかないってこと?

中尾諭介

中尾 全部売って、取っておかないんです。自分で持っているとずっと聴いちゃって、「これでいいんだ」って抜けられない感じがしちゃうんですよね。でも僕は新しい音楽を作りたいから、過去のものはなくしていく。それと同じで、今回の「荒れ野」では、ケン一が“箱”から抜け出すきっかけが作れればと思ってます。

小林 亡くなった高峰秀子さんも自分のフィルムを一切持ってなかったんですって。だから評伝を書こうとした人が、家に何も資料が残ってなくて困ったそうです。

平田 カッコいいですね。あれだけ仕事をしている人なのに。よし、僕も捨てよう!

一同 (笑)。

桑原 私も二十代の頃は自分の過去の仕事を観返してたなと思うんですけど、今は観なくなりましたね。ここ何年か、開封さえしてないDVDがけっこうある。

増子 私も自分の過去のものは全然観ないな。

井上 すごい昔のものを観て大笑いしたってことはあるけど(笑)。

小林 この「荒れ野」の登場人物の中で、特に路子と広満とケン一って一切過去の話を口にしてないんですよね。もちろん昔にはいろんなことがあったんでしょうけど……。それも同じ思いなのかなって。

──皆さんのお話を伺っていると、不思議と皆さんご自身と役のキャラクターがリンクして見えてきますね。

平田 でしょう?(笑)

桑原 (笑)。改めて、「この作品でやりたいことはなんだったか」を考えながら聞いてたんですけど、今はどこか、“停滞”することを良しとしないところがあると思うんです。でも停滞を肯定すると言うか……。この芝居では、全員何もできずにただ火事を見守りながら鍋をつつくシーンがありますけど、この愛すべき無駄な時間(笑)みたいなものを、もう少し許せる自分たちでいられたらいいんじゃないかのかなって。立ち止まったり、前に進めないままどうしようかって部屋でうずくまってる感覚が許されてもいいんじゃないかと思います。また「荒れ野」を観た方が、少し肩の力を抜いて楽になってほしいという気持ちもあって。さっき増子さんが「きっと大丈夫」と表現されましたけど、退屈も含めて、結論が出ないことを受け入れていく、ある種の楽観と言うか。そういう時間として、「荒れ野」をお客さんに渡せたらいいなと。そもそも稽古でも、役者さんたちが「これが答えだ!」と決めて進めていくのではなく、みんな迷いながら進んでいる。お客さんにもぜひ、この「荒れ野」という作品の、好きなところを持って帰ってもらえたらうれしいです。

「荒れ野」稽古場より。前列左から増子倭文江、小林勝也、桑原裕子、平田満、井上加奈子、後列左から多田香織、中尾諭介。