ART-SCHOOL「1985」|絶望の先に光と救いを描いてきた25年

今年3月に結成25周年を迎えたART-SCHOOLが、ミニアルバム「1985」をリリースした。

「1985」は2003年発表のミニアルバム「SWAN SONG」のような作品を今の感覚で制作したらどうなるか、という発想で制作された8曲入りの作品。ART-SCHOOLの初期作品を多く手がけたエンジニア岩田純也とひさびさにタッグを組んでレコーディングが行われた。

木下理樹(Vo, G)の療養を経て、2022年5月に活動再開をしてから、ART-SCHOOLはサポートメンバーに新たにyagihiromi(G / Cruyff)を加えた5人体制で活動している。ステージ上で躍動する5人の姿はすさまじい生命力すら感じさせるほど、ART-SCHOOLの25年の歴史の中でも強くたくましく、そして美しい。音楽ナタリーでは木下と戸高に個別インタビューを行い、何度倒れても立ち上がり、結成25周年にたどり着いたART-SCHOOLの“今”に迫る。

取材・文 / 小野島大撮影 / YOSHIHITO KOBA

木下理樹(Vo, G)インタビュー

自然に描けた、かすかな希望と光

──ミニアルバム「1985」は「2003年発売の『SWAN SONG』のような作品を今の感覚で制作したらどうなるか?」という思いから作られたとのことですが、なぜ「SWAN SONG」だったんでしょう?

「SWAN SONG」はART-SCHOOLの中でもすごく好きな作品で。ART-SCHOOLっぽさが詰まってるし、曲が好きですね。全体的に曲の雰囲気がいい。

──「SWAN SONG」制作当時はバンド内の状況がかなりハードだったとお聞きしています。

つらかったですね。僕の記憶の中では、もうバンドが崩壊寸前みたいなイメージで、当時の映像を観たら無邪気に楽しんでるように見えるんですけど、常に緊張状態で、ストレスがありました。

木下理樹

木下理樹

──「SWAN SONG」の内容も、身も蓋もなく殺伐として空虚な感じがあります。

確かに暗いしどうしようもない虚無感がありますけど、「SWAN SONG」(EPのラストを飾る表題曲)みたいな、ちょっと救いが見える曲もある。空虚なんだけど、明るい。そういう佇まいがいいんです。かなり個人的な心情も入った暗い作品ではあるんだけれども、僕は単純に曲がいいなと思っている。そういう感触を持ったものを今作ってみたらどうなのかなという発想で、今回デモを作り始めたんですね。

──なるほど。

前作「luminous」(2023年6月発売のミニアルバム)が僕の中ですごく手応えがあったので、対になるような、延長線上になるようなものを作りたいなという思いもありました。それにはミニアルバムというパッケージが、ちょうどいいサイズじゃないかなって。前作からまったく違うものを作ろうとは思ってなくて、その先にある風景を表現したかったんですよね。

──それはある種の希望であったり、光であったり。

そうですね。すごくささやかな光とか、祈りみたいな、そういうものなのかな。

──「1985」は全体の曲調がすごく明るいというわけじゃないし、歌詞は暗いけど、柔らかくて優しくて、メロディアスで透明感のある曲が多い。

絶望的な生きづらさは常に基底音として表れているんだけど、そこから前を向いて生きていく希望がかすかに見える感じが、このアルバムの全体のテーマなのかな。このミニアルバムを作ってるとき、初期のU2やNew Orderを聴いていて「いいな。こういうの作れないかな」と思っていたんです。New Orderの2ndアルバム(「Power, Corruption & Lies」)とか言っちゃえば渋い世界だけど、なんか透明感があって。重いものを背負ってるんだけど、どこかさわやかでもある。そういう作品を作ってみたかったんです。

木下理樹

木下理樹

──New Orderはバンドの絶対的な中心人物を突然失って、これからどうすればいいかわからないという、お先真っ暗な絶望感から再スタートしました。そして2ndアルバムでやっと道が見えてきたわけだから、確かに共通するものがあるのかもしれないですね。

ですね。僕も2019年に体調を崩して活動休止して、本当に何もないところまでいきましたから。何かを失っていながら希望がほのかに見える感じって、本当は狙わないとなかなか作れないんですけど、今回は自然にかすかな希望と光を描けたと思っていて。それがうれしい。

──今作は特に言葉が美しくて。絶望、孤独、諦念、空虚を、こんなに美しい言葉で書ける人ってなかなかいないと思うんです。

ああ。美しい言葉のバランスは考えて書いていますね。

──殺伐、荒涼とした心象風景をそのままつづっていくだけじゃなく、それをちゃんと美しい言葉とメロディに乗せないと、表現する意味がないというか。

そうかもしれない。でも、僕は汚いものも含め、すべてをはらんだものを美しいと思うから。僕の美意識が世間一般とはちょっと違うのかもしれないですけどね。例えばMy Bloody ValentineとかDinosaur Jr.の美しさってあるじゃないですか。ダイナソーは、めちゃくちゃ空っぽな感じがするんですよね。いつも聴いていて空虚。でも、それゆえに美しい。マイブラはなんだか不明瞭というか。確かなものなんて1つもないけど、それが美しい。僕はそういう、ひと言で言い表せないような雰囲気や重層的な要素をはらんでるバンドが好きで。それが自分の表現の実になってるのかもしれないです。

──なぜ空っぽで曖昧なものが美しいんですか?

うーん、わからないな。でも、それをきれいと思ってしまう。そういうものを自分でも作りたいし、表現したいと思いますね。

左から木下理樹、戸高賢史。

左から木下理樹、戸高賢史。

昔の自分をちょっと優しい目で見てる

──今回は結成当時の2000年に作ったデモカセットと2004年発売のライブアルバム「BOYS DON’T CRY」にしか入ってない「Outsider」が再録されています。

「SWAN SONG」の収録曲もそうですけど、「Outsider」は昔の自分の、ホントそのままの感情を歌ってたと思いますね。すごく疎外感を感じてたし、苦しんでた。でも今はそういう昔の自分をちょっと優しい目で見てるような気がして、それはそれでいいなと思う。この間Zepp Shinjukuでライブをやって、セットリストにかなり初期の曲、それこそ1stデモの曲も入れたんですけど、そんなに違和感がなかったんですよね。今演奏している最新の曲と比べても。

──それはどうしてでしょう?

たぶん、僕が描きたいものが最初から一貫して変わってないからだと思います。

──そうでしょうね。変わってないというのは意識して変えないようにしているんじゃなくて、結局最終的にはそこに行き着いてしまう、というような感じに近いんですかね。

うん。いろんなトライはしてるんですけどね。(スティーヴ・)アルビニのスタジオに行ったり(2012年8月発売のアルバム「BABY ACID BABY」)。でも、根本のところの表現したいものは、やっぱりずっと変わっていないのかもしれない。僕がどういう体験をしてきたのかというところにも関わってくると思うんですけど……僕が初めて音楽を積極的に聴いて、いいなと思ったのは8歳か9歳ぐらいのときで。僕はあまりに子供だったけど、毎日が地獄だった。何もキラキラしてなくて。「ロードショー」とか「ミュージック・ライフ」とかを読んで、オジー・オズボーンとかプリンスとかいいなと思ってた。僕、指に「オジー」って書いて小学校に行ってましたからね。頭おかしいですか?(笑) 今考えたら、彼らって相当アウトサイダーなんですよね。オジーは特に。でも、確実に僕を救ってくれた人たちなんですよ。「お前はそのままでいいよ」みたいなことを言ってくれた気がして、すごく勇気付けられた。彼らのそのアウトサイダーっぷり、変人っぷりがね。

──それ、まさに木下さんが今音楽でやってることですよね。今作でも「そのままでいいよ 隠さないでいいよ」(「Sad And Beautiful Things」)と歌ってるし。

(笑)。そうですね。