「高峰秀子生誕100年プロジェクト」で伝える大女優の功績・美学 | 轟夕起夫コラム、養女・斎藤明美インタビューで紐解く稀有な人物像

俳優・高峰秀子が2024年に生誕100年を迎えることを記念した、「高峰秀子生誕100年プロジェクト」が現在進行中。全国各地での特集上映や、愛蔵品を並べる企画展、土門拳ら巨匠が撮った高峰の写真を集めた展示などが今後行われる予定だ。

映画ナタリーでは、映画評論家・轟夕起夫のコラムと、高峰の養女となった作家・斎藤明美へのインタビューを掲載。高峰秀子という稀有な人物の足跡、家庭での姿、人生観に光を当てていく。

取材・文(コラム、インタビュー) / 轟夕起夫撮影(インタビュー) / 横家暉晋

「高峰秀子生誕100年プロジェクト」とは?
高峰秀子

高峰秀子

1924年3月27日に北海道・函館で生まれた高峰秀子は、5歳で子役として活動を始め、引退する55歳まで女優として輝き続けた。出演した作品は300本を超える。「高峰秀子生誕100年プロジェクト」では生誕100年となる2024年の節目に、彼女の俳優としての功績に限らず、人としての生き方、美学、大事にしてきたものを知ってもらいたいと企画された。

高峰が愛した着物を一挙に初公開する「生誕100年記念 特別展『高峰秀子が愛したきもの』」、数多の愛蔵品とともに彼女の生涯を視覚的に伝える「生誕100年記念 東京タワー大特別展『逆境を乗り越えた大女優 高峰秀子の美学』」を開催。土門拳・木村伊兵衛・秋山庄太郎・大竹省二・早田雄二・立木義浩・操上和美などが名を連ねる写真展「巨匠が撮った高峰秀子」も実施予定だ。特集上映、関連書籍の出版も順次行われていく。

轟夕起夫コラム

レオス・カラックスも熱烈なファン、高峰秀子の劇的な半生と“侠”な人柄

「カルメン故郷に帰る」場面写真より、高峰秀子(左)。(1951年)監督 / 木下惠介 写真提供 / 松竹

「カルメン故郷に帰る」場面写真より、高峰秀子(左)。(1951年)監督 / 木下惠介 写真提供 / 松竹

こんなにもドラマティックな、役者人生があるだろうか──。

高峰秀子(1924年-2010年)。日本映画史上の“大女優”である。あまりにも多岐にわたるので、かいつまんで見出し風に列挙してみよう。

たまたま子役オーディションに参加、銀幕デビューへ! / 次々と作品に出て雑誌の表紙を飾り、ブロマイドも飛ぶように売れるが小学校にはほとんど通えず / サイレントからトーキーへの変革を経験 / 10代でアイドル的人気を博し、歌って踊れるスターとしても躍進するものの、多忙を極めて女学校を1年で退学 / 戦後、多彩な役柄を通じてさらなるキャリアを積み、やがてフリーの女優第一号に / 日本初の国産カラー映画「カルメン故郷に帰る」に主演! / 長年の毒親、養母との関係が悪化してフランスへ逃避行、パリで約半年間の留学生活を / 帰国後は無双状態に。数々の傑作を発表し、国民的女優としてフルスロットル / 一介の助監督と電撃結婚! / 爛熟期は続き、映画と共に厳選してテレビドラマにも出演 / 俳優業を引退、文筆家としての活動を

それらの出来事には例えば、野村芳亭、五所平之助、小津安二郎、東海林太郎、田中絹代、藤本真澄、山本嘉次郎、成瀬巳喜男、灰田勝彦、豊田四郎、杉村春子、黒澤明、大河内傳次郎、山田五十鈴、山根寿子、花井蘭子、原節子、市川崑、笠置シヅ子、谷崎潤一郎、木下惠介、森雅之、小林正樹、三船敏郎、佐田啓二、野村芳太郎、稲垣浩、松山善三、小林桂樹、増村保造、市川雷蔵、若尾文子、森繁久彌、石井ふく子……といった錚々たる人物たちが名を連ねてゆくのだ。

なかでも、成瀬巳喜男監督とは「秀子の車掌さん」「浮雲」「流れる」「女が階段を上る時」「放浪記」「乱れる」「ひき逃げ」など全17本、木下惠介監督とは「カルメン故郷に帰る」「女の園」「二十四の瞳」「喜びも悲しみも幾歳月」「風前の灯」「永遠の人」「衝動殺人・息子よ」ほか全12本、タッグを組んで逸品を残した。当初は無名であった夫、松山善三はオリジナル脚本で聾者同士の夫婦の物語を記し、名篇「名もなく貧しく美しく」で監督デビューを果たす。主演を務めた高峰秀子は無論、以後も献身的に創作活動を支えたのであった。

海外にも彼女のファンは多く、フランスを代表する監督レオス・カラックスも熱烈なフォロワーだ。「汚れた血」を携えて、1987年に初来日したとき、高峰秀子は会食に応じている。カラックスはその魅力をこう語っている。

「僕にとって彼女は、リリアン・ギッシュからジュリエット・ビノシュに至る、すべての銀幕上の女性たちの歴史を思い起こさせるものだ。彼女の顔つきは、小津映画のヒロインたちよりも日本的ではないように思える。奇妙に聞こえるかもしれないが、僕には、彼女がフェルメールやダ・ヴィンチ、ラ・トゥール、ボナール、マティスなどの画家のためにポーズをとっている姿が思い浮かんでしまうのだ」(「BRUTUS」No.254 1991年7月15日発売号)

「巴里ひとりある記」を皮切りに、文筆家としても才を発揮、自伝「わたしの渡世日記」では映画の世界で生きてきた半生を綴り、第24回日本エッセイスト・クラブ賞を得た。この本のタイトル、まさに“渡世”という言葉が示す通り、侠(きゃん)な人だった。

こんなことも言っている。「“はらわたのある女優”になりたいと思ったの」と。すなわち、「熱帯魚みたいに、水槽の中でヒラヒラとはらわたがあるのかないのかわからないような、ただ綺麗なだけの観賞魚にはなりたくなかった」(「オール讀物」1998年12月号)。

そう。その多くは静かで聡明な、抑制された演技であったが、高峰秀子の“はらわた”をさらけ出して、凄みを感じさせるギリギリの表現だったのである。

養女・斎藤明美インタビュー

女優という職業が苦手、もっとも不向きな性格だった

──不世出の大女優であった高峰秀子さんとは長らく、作家・編者「斎藤明美」として濃密な関わりを持ち、またその晩年には養女「松山明美」としてともに時を過ごされてきたわけですが、やはり高峰さんは稀有な方でしたか?

ええ。稀有ですし、えらく変わった人でしたね。まず女優という職業が苦手だったというか……非社交的で、性格がもっとも不向き。目立つのが嫌いでしょ。ちやほやされることも特別扱いされることも大嫌いでしたから。思いがけず5歳のときに子役となり、10代の頃には「この職業には向かない」と自覚はしていたんだけど、でも養女という境遇で家族、親戚を養わなければならなかったので辞めたくてもできなかった。それでも高峰は本分を守り続けた人で、目の前の“与えられた人物”に毎回心して取り組んだ。辞められないのならば、「自分に恥ずかしくない仕事をしよう」と務めたんです。

斎藤明美

斎藤明美

──明美さんは、そもそも、高峰さんの大ファンだったのでしょうか。

格別な、とまでは言えないけれども、「高峰秀子が出ている映画はいい映画」という感覚は早くからありました。大学生になって、彼女のエッセイを読み始めて「この人の文章は素晴らしいな!」と胸打たれたんですね。で、のちに週刊文春の編集者兼契約記者になり、テレビ評のコーナーを受け持って、書いてくださる著名人を探していくうちにたまたま高峰の夫、松山善三監督に依頼したんです。結果的には彼がテレビを観ない生活だったので丁重に断られたのですが、「うちの嫁さんに聞いてみてあげましょうか?」と優しく気遣ってくれまして。そのときは遠慮してしまったけれど、これが2人との出会いの第一歩になりました。担当ページが増えて、「高峰秀子の原稿がぜひ欲しい」とそれを実現させたり、3年越しで月刊誌の連載をお願いしたり。初めてインタビューしたときは二度と会うことはないだろうと、いや、めったなことでは会っちゃいけない人だと気圧されました。その人の娘になるなんて、夢にも思っていませんでしたよ。一番のきっかけは実母が闘病し、亡くなったこと。憔悴する私を、高峰と松山がずーっと心配して支えてくれたんです……命の恩人ですね。

「稲妻」場面写真 ©︎KADOKAWA1953

「稲妻」場面写真 ©︎KADOKAWA1953

成瀬巳喜男とのタッグ作「浮雲」は引退作になるはずだったが…

──高峰さんと松山さんは、名匠・木下惠介監督の撮影現場で出会ったそうで。高峰さんが主演で、松山さんは助監督の身でした。一緒に仕事をした記念すべき初作品は「カルメン故郷に帰る」。

高峰は12、3歳ぐらいから「30歳でいい人にめぐり会えたら結婚して女優を辞めよう」と考えていたんですが、あと半年で30歳というときに現れたんですよね、松山が! あれは1953年の9月。大変暑くて、これ以上ロケは無理だとなって、「二十四の瞳」の現場をいったん中断し、香川県小豆島から東京に帰って「女の園」を先に撮るんですよ。そのとき、初めて2人っきりでレストランで食事をしたそう。高峰は翌々年に公開されることになる、成瀬巳喜男監督との「浮雲」がもう最後だと心に決めていた。だから披露宴には松竹、東宝の撮影所長や、今まであえて付き合いを避けてきた映画評論家も招いたと。お別れのつもりでね。来賓は30名ほどしか呼ばず、いつもデートをしていた先のフレンチレストランでささやかな披露宴を行いました。まあ、いざ結婚して辞めようとは思っていたけれど、松山は当時助監督ですから薄給すぎて、とてもじゃないけど引退はできなかったんですよね。

──「浮雲」は、成瀬監督と高峰さんのコンビの代表作であり、世界の映画史にも刻まれている名作です。

「浮雲」には共演者の森雅之さんと2人で、伊香保温泉の共同浴場に入る有名なシーンがあるでしょ。それまで高峰があんなにも肌をさらすことってなかった。「できません」って成瀬監督に何度も断っているんですよね。題材的にも難しく、台本のセリフをすべてオープンリールデッキでテープに吹き込み、「自分はこんなにも下手である」と成瀬さんに送っても、どうしてもやってくれと請われたと。気持ち的にも引退作だったし、なのでこの作品は「やる気でやりましたよ」と語っています。私が監修した「高峰秀子 自薦十三作 高峰秀子が語る自作解説」というムックでも、真っ先に「浮雲」を挙げていました。

「浮雲」場面写真 ©︎TOHO,.CO.LTD

「浮雲」場面写真 ©︎TOHO,.CO.LTD

高峰秀子が送ってきたTシャツに書かれた「かあちゃんとおそろいだよ」

──ところで、養女になられる前から明美さんは、高峰さんを「かあちゃん」、松山監督を「とうちゃん」と自然に呼ぶようになっていったのだとか。

当初は「高峰さん」「松山先生」と呼んでいたんです。そうしたら別宅のあるハワイから高峰がTシャツを送ってくれたんですね。郵便で週刊文春の編集部に。白いタグに「かあちゃんとおそろいだよ」と記してあって、それが“かあちゃん”の最初なんですよ。高峰が自分で「かあちゃんはね」って言い出したの。でも私は、そんなにすぐにはそう呼べなかったです。一方、松山は最後まで自分のことを“とうちゃん”とは言いませんでした。私はずーっと「松山先生」、次が「かあちゃんの旦那さん」で、一緒にハワイに滞在中、ものすごく叱られたときから、そう呼ぶようになったんです。

──ハワイで何があったのですか?

私が高峰に四六時中、厚かましくもまとわりついていて「君には日本人の美徳である、謙譲というものがないのか!」と怒られて。そのあと、いろいろ慰めてくれたんです。偶然とはいえ、2人が1955年3月26日に結婚していて、翌年1月27日に私が生まれているんですね。ただの偶然だろうけれども10カ月後に! 3人でごはんを食べているときにそれを言ったら、松山が「そうなのか。どうする秀さん、こんな子がいたら?」。高峰は「いりません、こんな子は」って(笑)。

斎藤明美

斎藤明美

──ああー、なんともウィットに富んだ会話ですね。

松山がいてくれたおかげで、絶妙な力学的トライアングルが形成されていたんですよね。高峰と私が吹き出すような冗談に、松山はきょとんとしている。笑いどころが違うんですよね。反面、高峰と私の気性は、下手をするとどこかでバチバチとぶつかり合い、決裂しかねなかった。松山は普段から本当に穏やかな人柄で、高峰は体は小さかったけれど、その存在感、まとっている空気……カリスマ性の塊でした。“怖い”という世評も聞こえてきましたが、私にとっての高峰の恐ろしさの本質とは、「相手のことを全部見抜いてしまう聡明さ」にこそあって。例えばインタビュアーが準備する付け焼き刃な知識なんて役に立たない。飾りを捨てた、素のままの自分で臨むしかなく、むしろ私の場合は逆に開き直って、気が楽になりましたけどね。

奥から斎藤明美、高峰秀子、松山善三。(提供:斎藤明美)

奥から斎藤明美、高峰秀子、松山善三。(提供:斎藤明美)

家では歌を口ずさみ、名女優のモノマネも披露

──なるほど。可能であればそんな聡明な高峰さんと過ごされた、“日常の一コマ”をもう少し教えてください。

私は、作品の脇を担う巧いバイプレイヤーが好きなのですが、「三井弘次っていいよね」と水を向けたら、「いいねえー、あの人は!」と返ってきた。「かあちゃんはね、『与太者と海水浴』って映画で共演していて、この人はモノになると思ってましたよ」って。当時9歳だったのに、そう感じたんだと言っていました。毎日、食卓を囲むのが楽しかったですねえ。私がわざと高峰の大ヒット曲「銀座カンカン娘」を口ずさむと、負けじと歌い出すの(笑)。時には笠置シヅ子さんや山田五十鈴さんのモノマネも飛び出したり。つまりは、すこぶる芸達者だったんですよね。5歳のときのデビュー作、サイレント映画「母」を観てみたら、母親役の2人がいがみ合っている中、ただ座っているだけの芝居なのに、心配そうに両者を見ている表現力が素晴らしいんですよ。これは“天才子役”と称賛されるはずだなあと。高峰がいなければ確実に、日本映画史は変わっていたでしょう。

人生のモットーは“潔さ”

──現在、「生誕100年プロジェクト」が開催中ですが、ぜひとも最後にメッセージをお願いします!

高峰は「他人に好かれたい、よく思われたい」なんて欲が一切なかった人。そして徒党を組まずに、自分の足でしっかり立っていた。人生のモットーは何かと問いかけたら、「潔さですね」と答えてましたから。そうなれるかどうかはわからないけれど、潔くありたい、って。仕事でもっとも大事にしていたのは“信用”。それに尽きますよね。とてつもなく潔い人でした。本人が自分のことをまったく自慢げに話したり書き残さなかったので、私が代わりにこんなふうに伝えたり、その得難い人柄を書籍で紹介してきたんです。高峰の映画、数々の傑作に触れていただき、ぜひ彼女のエッセイも読んでほしい。その潔さに打たれますし、読めば励まされ、きっと日々を生きる希望が湧いてきますから。

高峰秀子

高峰秀子

プロフィール

斎藤明美(サイトウアケミ)

1956年1月27日、高知県生まれ。津田塾大学卒業。高校教師、テレビ構成作家を経たのち、週刊文春の記者を20年務める。1999年、初の小説「青々と」で第10回日本海文学大賞奨励賞を受賞。著書には「高峰秀子の捨てられない荷物」「最後の日本人」「高峰秀子の流儀」「高峰秀子との仕事」1・2、「家の履歴書」シリーズなどがある。2009年、松山善三・高峰秀子夫妻の養女となる。

「高峰秀子生誕100年プロジェクト」イベント 実施スケジュール

特集上映

2024年2月3日(土)~3月1日(金)大阪府 大阪九条・シネ・ヌーヴォ

上映作品

  • 「昨日消えた男(1941年)」
  • 「虹を抱く処女」
  • 「争う美人姉妹」
  • 「宗方姉妹」
  • 「細雪(1950年)」
  • 「我が家は楽し」
  • 「朝の波紋」
  • 「稲妻(1952年)」
  • 「二十四の瞳(1954年)」
  • 「渡り鳥いつ帰る」
  • 「くちづけ(1955年)」
  • 「流れる」
  • 「女が階段を上る時」
  • 「永遠の人」
  • 「二人で歩いた幾春秋」
  • 「放浪記(1962年)」
  • 「女の座」
  • 「女の歴史」
  • 「衝動殺人・息子よ」

※2月3日(土)14時25分から15時25分まで斎藤明美のトーク&サイン会あり


2024年3月5日(火)~4月27日(土)東京都 ラピュタ阿佐ヶ谷

≪昭和の銀幕に輝くヒロイン 第107弾 高峰秀子[少女スタア時代篇]≫

上映作品

  • 「チョコレートと兵隊」
  • 「綴方教室」
  • 「娘の願ひは唯一つ」
  • 「樋口一葉」
  • 「新篇 丹下左膳 隻眼の巻」
  • 「秀子の応援団長」
  • 「花つみ日記」
  • 「馬」
  • 「昨日消えた男(1941年)」
  • 「秀子の車掌さん」

※3月9日(土)11時50分から斎藤明美のトーク&サイン会あり


2024年4月7日(日)高知県 高知県立県民文化ホール グリーンホール

上映予定作品

  • 「母(1929年)」
  • 「女が階段を上る時」
  • 「衝動殺人・息子よ」

※14時から15時まで斎藤明美のトーク&サイン会あり

問い合わせ
高知県立県民文化ホール TEL 088-824-5321(9:00~17:00)
シネマ四国 TEL 088-855-9481(9:30~19:00)


2024年11月~2025年1月 神奈川県 鎌倉市川喜多映画記念館

≪3人の映画監督と高峰秀子≫

上映予定作品

近日決定


※特集上映の劇場は順次拡大予定

展覧会

生誕100年記念 特別展「高峰秀子が愛したきもの」、生誕100年記念 東京タワー大特別展「逆境を乗り越えた大女優 高峰秀子の美学」のポスタービジュアル。

生誕100年記念 特別展「高峰秀子が愛したきもの」、生誕100年記念 東京タワー大特別展「逆境を乗り越えた大女優 高峰秀子の美学」のポスタービジュアル。

生誕100年記念 特別展「高峰秀子が愛したきもの」

2024年3月27日(水)~4月9日(火)東京都 日本橋三越本店 本館4階 呉服特選サロン
※入場無料


生誕100年記念 東京タワー大特別展「逆境を乗り越えた大女優 高峰秀子の美学」

2024年3月28日(木)~5月6日(月・振休)東京都 東京タワー1F RED°TOKYO TOWER特別会場

入場料
前売り券 大人1100円 / 当日券 大人1500円
※高校生以下無料(学生証提示が必要)
※チケットはチケットぴあ、ローソンチケットほかプレイガイドで販売中

東京タワー大特別展では、高峰秀子が生前愛用した品々を公開。

東京タワー大特別展では、高峰秀子が生前愛用した品々を公開。

棚には高峰秀子と松山善三の写真も飾られている。

棚には高峰秀子と松山善三の写真も飾られている。


「巨匠が撮った高峰秀子」写真展(予定)

2024年11月9日(土)~12月8日(日)東京都 東京都写真美術館 地下1階展示室

※東京都写真美術館への直接の問い合わせは不可

高峰秀子生誕100年記念書籍10作

  • 「高峰秀子の言葉」(文春文庫)
  • 「ウー、うまい!」(河出文庫)
  • 「私、ホント食いしん坊なんです」(河出文庫)
  • 「高峰秀子ベスト・エッセイ」(ちくま文庫)
  • 「高峰秀子の日めくり言葉31 直筆イラスト入り」(キネマ旬報社)

以上2023年既刊

  • 「高峰秀子 暮しの流儀 完全版」(ちくま文庫)2024年1月刊行
  • 「高峰秀子 夫婦の流儀 完全版」(同上)2024年1月刊行
  • 「高峰秀子の引き出し」(文春文庫)2024年3月刊行予定
  • 「高峰秀子と作家たち(仮題)」(河出文庫)2024年10月刊行予定
  • 「写真集『ふたり』(仮題)」2024年11月刊行予定

クラウドファンディング

~2024年3月10日(日)実施中

目標金額 1000万円

返礼品一例

  • 高峰秀子デザインマダムヒデコ鞄(希少品)
  • 高峰秀子直筆イラストデザイン T シャツ(非売品)
  • 高峰秀子直筆イラスト一筆箋(映画スタッフ、小豆島以外非売品)
  • 生誕100年オリジナルエコバック(非売品)
  • 東京タワー大特別展ボードへの名前掲載
  • 東京タワー大特別展の関係者お披露目会ペア出席権利
  • 小豆島特産オリーブ製品詰め合わせ
  • 小豆島名旅館 島宿真里または海音真里ペア宿泊

など