PFF特集 沖田修一×内山拓也|見出すのは希望か諦念か、映画界の登竜門をかつての審査員と挑戦者が振り返る

映画監督を目指す人々の登竜門である「PFFアワード」が今年も開催される。日本映画界の第一線で活躍する監督を数多く輩出してきたPFFアワードは、映画祭「ぴあフィルムフェスティバル」のメインプログラムで、世界でも珍しい自主映画のコンペティションだ。

映画ナタリーでは「南極料理人」や「横道世之介」で知られる沖田修一と、2020年に公開された「佐々木、イン、マイマイン」で注目を集めている新鋭・内山拓也の対談をセッティング。2016年に審査員、応募者という立場で邂逅していた2人に、PFFアワードに期待していたこと、そして今後期待することなどを語り合ってもらった。

取材・文 / 村山章 撮影 / 向後真孝

PFFアワードとは?

上映時間やジャンル、年齢、性別などを問わない、世界でもっとも自由なコンペティション。映画監督を含む著名なクリエイター5名からなる最終審査員が全入選作品を鑑賞し、入賞作を決定する。応募作が劇場公開、配信、テレビ放送、各国の映画祭で上映されるチャンスも。入賞者には、PFFが映画をトータルプロデュースする「PFFスカラシップ」への企画提出権を授与。提出した企画が認められれば劇場用映画監督としてデビューできる。

錚々たる先輩監督たち

PFFアワードが輩出したプロの映画監督は140名以上。「CURE/キュア」「トウキョウソナタ」「スパイの妻(劇場版)」の黒沢清、「鉄男」「野火」「斬、」の塚本晋也、そして「ぐるりのこと。」「恋人たち」の橋口亮輔、「アイアムアヒーロー」「キングダム」の佐藤信介、「フラガール」「怒り」の李相日、「かもめ食堂」「彼らが本気で編むときは、」の荻上直子、「舟を編む」「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」の石井裕也といった錚々たるメンバーが、独創性豊かな応募作で入選してきた。

沖田修一×内山拓也
インタビュー

同世代への反骨精神が強かった(内山)

──内山監督は2016年のPFFアワードに「ヴァニタス」を出品されていて、沖田監督は審査員で「ヴァニタス」がよかったとコメントされてますね。

左から内山拓也、沖田修一。

沖田修一 実はこの間、知り合いの人とごはんを食べているときに「沖田さん『ヴァニタス』よかったって言ってましたよね」って言われたんですけど、実は「なんだっけ?」ってなって、忘れてたんですよ。そのときに「今度『佐々木、イン、マイマイン』をやるんです」って試写状をもらって、「あっそうだ!」って急にパッとよみがえって、「ヴァニタス」のシーンを思い出したりしました。

──PFFでは「ヴァニタス」は観客賞でしたよね。

内山拓也 はい。なので審査員から何か賞をいただいたわけではないんです(笑)。

沖田 まあまあ、俺もPFF応募してるけど、入選してないから(笑)。

内山 終わったあとの懇親会で沖田さんとお話しさせてもらったんですけど、確か僕「退屈な映画」って自分で言ったんですよ。でも沖田さんは「それがよかったよ」っておっしゃってくれて。そのときはまだ全然映画作ったことがなくて、反抗期がすごかったんです。反骨精神というか……。

──それは過去の権威に対して?

内山 むしろ同世代で映画を作っている方々への反骨精神が強かったです。みんながやっていることは自分はやらないみたいな。だから「ヴァニタス」ではカットバックをしないとか、寄りの画は撮らないみたいな変な決めごとをして撮っていて、「だからこそあの間になったんですけど、そういう気持ちで撮りました」みたいなことを伝えたら、「いずれそれは自分の首を絞めてくるっていうか、絶対に寄りの画を撮りたくなるよ」って言われたのをすごく覚えてます。

沖田 ははは、全然覚えてない(笑)。

「ヴァニタス」 © VANITAS

内山 そのときは「そうか?」みたいな気持ちになるじゃないですか。でも歳を重ねてくると、言われた意味がすごくわかるっていうか、寄りの画が悪いなんてことはひとつもないはずなのに、反抗してたことが自分に返ってくる。それでたまに思い出すんです。沖田さんが「いや、寄りの画絶対好きになるよ」って言ってくれた言葉を。

沖田 今、自分に返ってきてますね(笑)。でも確かにそういう反骨精神みたいなのを感じていたからこそ「ヴァニタス」の画を思い出したんだと思います。

PFFのスカラシップの人たちを
うらやましく思ってました(沖田)

──映画監督になる登竜門としてPFFは代表的な存在だと思うんですが、お二人はPFFに応募したときに何を期待されていましたか?

内山 「ヴァニタス」って自主映画の中ではわりと長いほうで。104分あるので、出せるコンペって限られてくるんです。

沖田 そうか。水戸短編映像祭だと50分以内だからね。

内山 スタイリストの学校に入ろうと思ったときも、「一番有名なところはどこだろう? 検索しよう、文化服装学院か」みたいな感じだったんですけど、映画について調べるとやっぱりPFFが一番歴史があって、スタイリストを辞めて映画の世界に飛び込んだ自分としては、ここを目指せば何かが変わるのかもしれない、みたいに漠然と思ってましたね。

沖田修一(奥)

沖田 僕は高校生ぐらいのときにPFFをちょこちょこ観に行ったりしてました。当時、INDEPENDENTって書いてある正方形のPFF発行のフリーペーパーがあって、いろんな監督のインタビューも載っていて、橋口亮輔さんとか黒沢清さんとか、原一男さんとか矢口史靖さんとか。当時は自主映画のコンペはあんまりなくて、PFFに応募するのが当たり前みたいな感じでした。

──沖田監督にとってキャリアにつながるきっかけとなったのは、やっぱり水戸短編映像祭ですか?

沖田 そうですね。応募したらグランプリが獲れちゃって。そこに来てくれていた人たちが、いまだに僕がよく仕事をしているプロデューサーだったりします。これは水戸短編映像祭の悪口ってわけじゃないんですけど、当時からPFFにはスカラシップがあったけど、水戸短編映像祭でグランプリ獲ったら「大人の人と企画の話ができる」っていう謎の特典があったんです(笑)。なんか英語で3文字くらいのかっこいい名前が付けられてたんですが、今考えたら「話をさせてやる」ってだけの変な権利だったんですよね。それで企画をいっぱい書いて持って行ったんだけど、1つも形にならなくて、PFFのスカラシップの人たちをうらやましく思ってましたね。

──内山監督はPFFでは「次はスカラシップだ!」みたいな期待はありましたか?

内山 いやもう全然。どこまでさかのぼればいいかわかんないですけど、僕は「自分で映画撮んなきゃいけないんだ」って、映画の現場に行ってから気付いたんです。映画に携わりたいって思ってスタイリストを辞めて、中野量太監督の「湯を沸かすほどの熱い愛」の現場に入ってがんばってはいたのですが、漠然としすぎてたんですよ。

沖田 助監督をやってたの?

内山 はい。でも助監督は向いてないと思いましたし、そのときになって初めて、ファッションのときと同じで、映画で自分を表現したいんだって確信したんです。それからはアルバイトでひたすらお金をためて「ヴァニタス」作って、PFFには応募したものの、ほかの映画祭はほとんど全部落ちて、もう東京にいる意味を見出せなくなっていて地元に戻ろうか、悩んでいました。すべての時間とお金を使って映画を撮ったのに、何が残ったのか、残せたのかわからない。ただ104分ある「ヴァニタス」の映像だけが残って、かなりふさぎ込んでたんです。あんまり人にも会いたくないし、連絡も返さなかったし。危うくPFFの入選にも気付かないまま新潟に帰りかねなかった(笑)。

勝負を懸けるつもりもあって「佐々木」を撮った(内山)

──内山監督はPFFで観客賞を獲って、いろいろ仕事が来るかと思ったらそんなに来なかったとも発言されてますよね。

内山 そうですね。映画祭で香港に行かせてもらったりはしたけど、別に何かが大きく変わったわけではなくて。自主映画をやっている人だって認識はしてもらえるようにはなりましたが、「ヴァニタス」は去年になってようやく上映できたんです。それまではPFF関連以外では上映できてなかった。でもあの年のPFFにいたほかの人たちの作品って、ポレポレ東中野さんやユーロスペースさんで上映されてたんですよ。

沖田 「なんで俺のはやらねえんだ」っていう(笑)。

内山拓也(奥)

内山 もちろん皆さんが動いて勝ち取った賜物だったとは思いますが、限定上映でも声を掛けてもらっていたわけじゃないですか。僕にはそれができなかったというコンプレックスがずっとあって。だからもう1本自ら動いて長編映画を撮らなければ始まらないというか、勝負を懸けるつもりもあって「佐々木」を撮ったんです。

沖田 新宿武蔵野館で公開したんだよね? 自分がバイトしていた劇場で上映したって聞いて、「いいなあ!」って思っちゃった。うれしかったでしょう?

内山 うれしかったです。僕はフリーターになったときからずっと新宿武蔵野館でバイトをしていて、1回休館したときに無印良品で1年間だけバイトして、またリニューアルオープンするときに戻ってきて。結局ずっと武蔵野館でバイトしていました。

沖田 自分が働いてた映画館で自分の映画を上映するって、誰もやったことないんじゃないかな。

内山 僕、映写もやるんで初日は自分で映写もしたんです。

沖田 そうそう! 俺その話にちょっと感動しちゃった(笑)。