アリ・アスター×小出祐介 / 園子温|世界が注目する鬼才、初来日!その映画哲学とは

今村昌平は僕のヒーロー(アスター)

小出祐介

小出 ただ「パラサイト」や「万引き家族」「家族を想うとき」といった作品には、家族を通して現代社会を批評する側面があると思うんです。それに対してアスター監督の作品では、もっとパーソナルな視点で家族が描かれていて。

アスター そこに気付いてもらえてうれしいです。少なくとも「ヘレディタリー」と「ミッドサマー」では、完全にパーソナルなジャンル映画を作ろうという意識がありました。ジャンル映画におけるツールや型を、物語のパーソナルな側面を打ち出す支柱として使いました。

小出 ちなみに今回「神々の深き欲望」を参考にされたそうですが。

アスター 「神々の深き欲望」はもっとも好きな映画の1つです。今村昌平監督は僕のヒーローで、「ミッドサマー」を作っていたときは「楢山節考」も脳裏にありました。考えていたのは、物語をどのようにして“生きたメタファー”として機能させるか、この映画は何を描いているのか?ということ。映画では文字通り人々が犠牲になる様子が描写されますが、核にあるのは、どんな人間関係においてもあるレベルの犠牲は必要とされるということです。

ジャンル映画の皮を被った重厚な作品(小出)

小出 ジャンル映画というものは、先人たちが作った偉大な作品の刺激的な部分を抽出した結果、発展していったのではないかと思うんです。でも「ミッドサマー」はいくつものレイヤーを持っていて、ジャンル映画の皮を被った重厚な作品になっているのがすごい。

アリ・アスター

アスター ありがとう。僕はシネフィルでジャンル映画も大好きだから、観ているうちにだんだんそのルールがわかってきたんです。ジャンル映画は、脚本を書くときに頼れる枠組みのようなものを与えてくれます。その枠組みによって、アーティストは混乱した自分の感情を雄弁に表現することができる。そしてジャンル映画というのは、とても安心できる食べ物のようなものです。ジャンル映画だということを先に知っているだけで、どんなものを観るかわかるから安心できる。でもだからこそ、観客の期待をいい意味で裏切っていくことの楽しさもあります。じゅうたんをいきなりぎゅっと引っ張って、そこに立っていた人を驚かせるみたいな。

小出 (笑)

アスター 観慣れたものは確かに安心できるけど、観客が怠けちゃう。僕は平手打ちを浴びせたくなるんです。「これが“僕の映画”だ!」ってね(笑)。

小出 まさに「ミッドサマー」は、ジャンル映画になじんでいる我々をそれまで知らなかったところに連れて行ってくれる映画になっていると思います。それから、これは「ヘレディタリー」でも感じたことなんですが、「ミッドサマー」でも、物語の行く先を直接的ではなく暗に示すというか示唆的な出来事がいろいろ起きていきますよね。それも監督の作風における1つの特徴なのかなと感じました。

アスター 自分の人生を自分でコントロールできないことって、怖くないですか?

小出 怖いです。

「ミッドサマー」
「ミッドサマー」

アスター 「ヘレディタリー」と「ミッドサマー」に共通するのは、人生をコントロールすることはできないという怖さを、キャラクターが不可避な運命に向かっていくさまを見せながら語っていくこと。観客に対して「ほらね。この人たち、もうお先真っ暗だから」と目配せしているんです。ちなみに「ヘレディタリー」のときは、作中に登場する悪魔ペイモンが作った映画のように見せたいとスタッフに話しました。

小出 そういう意味でも「ヘレディタリー」と「ミッドサマー」は、兄弟のような関係なんじゃないかと感じます。それぞれ陰と陽という印象ではありますけど、つながっているというか。

アスター 「ミッドサマー」の撮影に入る前から、両作がつながっているのではということは感じていました。でも映画を完成させてから「これほどまで深くつながっていたのか」と自分でも驚きました。もしかするとこれまでの2本は3部作の1本目と2本目で、次に撮る長編がそのラストを飾る映画になるのかもしれません。

小出 それ最高です(笑)。

アスター では、そのことについてもっと考えてみようと思います(笑)。

小出 待ってます!


2020年2月20日更新