映画ナタリー Power Push - 「ふきげんな過去」"
2人のミューズと鬼才監督、日本映画界への挑戦
沖田修一と学生の頃に撮った映画は「地底人の謎」
──前田さんが脚本に参加された「横道世之介」の監督・沖田修一さんとは、中高の同級生だそうですね。「スキヤキ」にもカメオ出演されていましたが、今作のエンドロールでも沖田さんの名前を発見しました。……どこに出演されていたんでしょうか?
けっこう出てるんですよ。3日間くらいノーギャラで拘束したんです(笑)。あと深田晃司監督も出てますよ。
──お二人とも、食堂のお客さん役ですか……?
そうそう(笑)。深ちゃんも友達なので、「空いてたら来て」って言ったら来てくれて。彼はふみちゃんとも一緒に映画を撮ってますし。
──確か前田さんは、深田さんの「ほとりの朔子」で二階堂さんに注目されたんですよね。前田さんはご自身で「映画が大好きな人間ではなかった」とおっしゃっていますが、沖田さんや深田さんの作品は意識的にご覧になるんですか?
沖田の作品はあんまり観ないようにしてますね。気になるけど……面白かったら嫌だし(笑)。もちろんトークショーに呼んでもらったときは観ますけど。深ちゃんのもできれば観たくないですね(笑)。
──面白かったら悔しくなるからですか?
はい。どうせ面白いので(笑)。
──沖田さんとは、学生時代から一緒に映画を撮っていたと伺ったのですが。
そうです。最初は中3か高1くらいの頃、スキーにホームビデオカメラを持って行ったんです。で、「スキーするの面倒くさいね」ってなって、部屋にいて(笑)。僕が監督・脚本で、沖田が主演で映画を撮りました。
──沖田さんは主演だったんですね!
そう、最初は撮る側じゃなかったんですよ。沖田はそのときが楽しくて自分で撮り始めたんだと思います。で、先に監督になっちゃった。
──それはどんな映像だったんですか?
「地底人の謎」っていうタイトルで(笑)。沖田が探偵役で、少年から「父が地底人にさらわれたので助けてほしい」っていう依頼が来るんです。それで沖田が調査するんですけど、結局呪いで死んじゃうっていう(笑)。
──バッドエンドなんですね(笑)。それ、どこかで観れるんでしょうか。
沖田がVHSを持ってるって言ってたけどなあ……。まだ持ってるのかなあ?
──今やすごい価値になってますよ! そのときは、将来お互いがこんな仕事をしてると想像できましたか?
沖田がこうなるとは思ってなかったなあ。僕はその頃から芝居がやりたいと思って、そのあとそういう学校に入ったんですけど、プロになるとは思ってなかったです。沖田も映画学科に行ったけど、行ったからといって映画監督になれる人なんてほんのひと握りじゃないですか。まあどっちかが何かになればいいなくらいに思ってたんですけど。だから「横道世之介」のときは、ちょっと感慨深いものがありましたね。
映画が箸だったら、小説はスプーンで、芝居はナイフとフォーク
──前田さんの中で舞台と小説と映画、それぞれの違いや、意識の切り替えはありますか?
根本は全部一緒です。でも、例えばカレーを箸で食うことってあんまりないですよね。僕の中では、映画が箸だったら、小説はスプーンで、芝居はナイフとフォークみたいな。こういう画が見たいって最初に浮かんだら映画がいいんじゃないかとか、これを映画でやるとしたら予算がかかりすぎちゃうから、もうちょっと想像力に任せられる舞台のほうがいいかな、とか。で、少し人間の内面をロジカルに描きたいとなると小説のほうがいいかなとか、適した道具を選んでる感じです。
──なるほど。具体的に映画だからできることや、舞台だからできることはなんでしょうか?
舞台ではお客さんがカメラなんです。普段は引きで観てるんですけど、誰かが大事なセリフを言うときには、その人が少し動いてほかの俳優が動きを止めれば、お客さんがそっちにカメラを向けてくれる。舞台ではそういうふうに、俳優と演出家がお客さんのカメラを誘導する部分があるんです。映像の場合はそのカメラをこっちで強制的に動かすことができる。例えば手のひらのシワを観てもらいたいとき、舞台ではすごく難しいんです。小さいし、お客さんはどうしても人物の表情を追ってしまうので。
──映像ならカメラが寄ればいいですもんね。
そうなんです。あとは舞台のほうが抽象度が高いですよね。例えば「ふきげんな過去」の食堂も、舞台なら椅子と机があってお客さんがいればそれが食堂だとわかってもらえる。でも映像では、どういうテーブルで、どういうコップで、窓の外はどんな景色かとか、全部具体的に作らないといけない。それが縛りにもなるし、必要な情報にもなります。だから小説のほうが映像に近いのかなって思いますね。編集ができて、クローズアップも引くこともできるので。
──今回は見せたい画が浮かんだから映画を選んだのですか?
はい。一番最初にあったのは、時間軸の違う同じ人間3人が、同じ場所にいるっていうこと。普段は横に並んでいて出会うことができない過去・現在・未来の自分が、縦に並んで出会うっていう画を作りたかったんです。それには雰囲気がこってり出てたほうがいいから、映像が適しているような気がしたんです。もっと僕が小説を書くのがうまくなれば、小説でもできたかもしれないんですけど。
主人公じゃない人が本当は主人公なんじゃないか
──先ほど、「スキヤキ」を作り終えたときは「もう映画はいい」と思ったとお話しいただきましたが、今作を撮り終えた感触はいかがですか?
やっぱり、もういいやってなってるんですけど(笑)。何年か経ってみないとわからないんですよね。「スキヤキ」も撮った直後は面白いのか面白くないのかわかんないし、これで大丈夫なのか?って感じだったんですよ。でも公開が終わってしばらくしてから見返してみたら、自分は監督として全然駄目だったけど、これはこれで面白いなって思えて。今回ももうちょっと経ってみないと冷静に判断できないですね。
──じゃあ監督第3作があるかどうかはまだわからないですかね。
自分がやりたくてもやらせてもらえるかはわからないですし(笑)。
──頭の中に、まだ映像でやりたいテーマはあるんですか?
テーマは結局どのジャンルでも同じようなものなんですが、見てみたい画はありますね。もうちょっと時間が経って、やらせてもらえるとなったらやりたいですけど。
──どんな画が見たいんでしょうか?
主人公じゃない人が本当は主人公なんじゃないかと思うんですよ。ゾンビ映画でも、ゾンビを倒す側じゃなくて、即ゾンビになっちゃう側の人。刑事ものでも、聞き込みをしてる刑事じゃなくて聞き込みされる人。そういう人の人生のほうが面白いんじゃないかな、共感が持てるんじゃないかなと思って。どうしてもピストルを撃ってる人じゃなくて、それを遠くから見てる人に興味があるんです。そういう人たちが主役の話ができないかなって。
──今のお話だけでも、すごく興味が湧きました! それを表現するとしたら映画ですかね?
そうですね……。映画か小説ですけど、小説はほかにもやりたいことがあるので。
──ありがとうございます。では最後に、「ふきげんな過去」を観る方へメッセージをお願いします。
たくさん人物が出てくるんですけど、僕は2人が1対1でしゃべってるシーンが好きなんです。小泉さんとふみちゃんとか、小泉さんと梅沢(昌代)さんとか、ふみちゃんと望叶ちゃんとか。だからそこが見どころと言えると思いますね。あとは、ストーリーもあまりないしひな形を崩そうとしているところがあるので、普段わかりやすくストーリーがある映画を観てる人に、ぜひこれを観てもらいたいかな。そうするとちょっと目先が変わって面白いと感じてもらえるかもしれない。これが面白くないと思っても、そのことでこれまで観ていたストーリーのある映画がより面白く感じるかもしれないですしね。
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- 映画「ふきげんな過去」2016年6月25日全国公開
東京・北品川の食堂で暮らし、毎日を死ぬほどつまらないと感じている18歳の女の子、果子。同級生とはささやかなトラブルを抱えており、喫茶店で黒い帽子を被った謎の男を観察することが唯一の退屈しのぎだった。夏休みのある午後、果子たち家族の前に、18年前に死んだはずの伯母・未来子が突然「あたし生きてたの」と戻ってくる。かつて爆破事件を起こして前科持ちの未来子は何者かに追われているらしく、果子の部屋にこっそり居候することに。図々しい彼女に苛立ちを隠せない果子だったが、そんな未来子から自分が本当の母親であると告げられ……。
スタッフ
監督・脚本:前田司郎
音楽:岡田徹
主題歌:佐藤奈々子「花の夜」
キャスト
未来子:小泉今日子
果子:二階堂ふみ
康則:高良健吾
タイチ:板尾創路
カナ:山田望叶
その他出演者:兵藤公美、山田裕貴、児玉貴志、アフマド・アリ、大竹まこと、きたろう、斉木しげる、黒川芽以、梅沢昌代ほか
©2016「ふきげんな過去」製作委員会
前田司郎(マエダシロウ)
1977年、東京都生まれ。1997年に劇団・五反田団を立ち上げ、作家、劇作家、演出家、俳優として活動する。2008年に「生きてるものはいないのか」で岸田國士戯曲賞を受賞。小説家としては2007年に「グレート生活アドベンチャー」で芥川賞候補となり、2009年に「夏の水の半魚人」で三島由紀夫賞を獲得。2012年に沖田修一の監督作「横道世之介」の共同脚本に名を連ねたほか、2015年に脚本を手がけたドラマ「徒歩7分」が向田邦子賞に輝く。2013年に原作・脚本・監督を担当した長編映画第1作「ジ、エクストリーム、スキヤキ」が公開された。