映画「教皇選挙」が3月20日に全国で公開される。新たな教皇を決める教皇選挙<コンクラーベ>の舞台裏で巻き起こるスキャンダルと陰謀を描き、今年のアカデミー賞では脚色賞を受賞。政治的分断と差別に世界が覆われようとしている今、聖職者たちの熾烈なパワーゲームに満ちた同作は間違いなく必見の1作だ。
オスカーにもふさわしい風格を持った本作だが、惜しくも作品賞の受賞は逃した。本特集ではアカデミー賞の動向を追う“オスカーウォッチャー”のオスカーノユクエにインタビュー。今年のアカデミー賞の結果を紐解きながら、今の現実や混戦の賞レースとタイムリーに重なる「教皇選挙」の魅力に迫った。
取材・文 / 奥富敏晴
映画「教皇選挙」予告編公開中
物語はカトリック協会の最高指導者であるローマ教皇の死から始まる。悲しみに暮れる暇もなく、首席枢機卿のローレンスは新たな教皇を決める教皇選挙<コンクラーベ>を取り仕切ることに。世界各国から100人を超える枢機卿が集まり、閉ざされたシスティーナ礼拝堂の扉の向こうで極秘の投票が始まった。票が割れる中、水面下でうごめく陰謀と差別、そしてスキャンダルの数々。信仰に疑念を抱えていたローレンスの苦悩はさらに深まっていく。
プロフィール
オスカーノユクエ
映画界でもっとも権威ある祭典、アカデミー賞の行方を追う“オスカーウォッチャー”として知られる。日頃よりXやnoteで情報発信を行い、授賞式の日は毎年、全部門の受賞結果を速報。「世界一早く結果を知らせる」ことを目指し、原稿や画像も用意して速報を準備しているのだとか。予想が難しいとされた今年は、23部門中14部門を的中させた。
「教皇選挙」VS「ANORA アノーラ」
──今年のアカデミー賞は「ANORA アノーラ」が作品賞など5冠で最多。同じく作品賞で有力視されていた「教皇選挙」の受賞はなりませんでした。
身もふたもない言い方をすると、今年は投票権のあるアカデミー会員が「ANORA アノーラ」と「教皇選挙」のどっちを作品賞に選ぶんだ?って突き付けられたと思うんです。2作品の対比が間違いなくありました。そして会員は「これぞ映画だ!」という本格派で風格のある「教皇選挙」より、インディペンデントで野心的な「ANORA アノーラ」を選んだ。
──もう少し詳しく教えてください。
アカデミーも「#OscarsSoWhite(白すぎるオスカー)」の批判から10年近くが経って、会員の多様化が進んでます。50歳以上の白人男性が多数を占めていたところから、よりグローバルに新しい会員が招待されて、女性やマイノリティの比率が増加し、国際色も強くなった。その流れが結実したのが韓国映画の「パラサイト 半地下の家族」やアジア系を描いた「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」の受賞でした。
──「ANORA アノーラ」の受賞もその流れの一端だ、と。
そうですね。会員が白人のおじいちゃんだけだったら作品賞は獲ってないはず。多様性が高まったうえで、今年は会員にインディペンデントな作品を応援する心理が働いた。一時期、インディペンデント系のアート志向の強い映画が受賞する流れがあって。オスカーがその方向に行きすぎると、大衆受けを外れて、どんどんミニマル化していく心配もありました。
──なるほど。
でも「ANORA アノーラ」はインディペンデントですが、決して難しい映画ではないですよね。ラストの余韻をどう考えるか?という点は横に置くとして、例えばデヴィッド・リンチ作品のような難解さはない。そういう意味で、アカデミー賞がさらに開かれてきたという印象はあります。
アカデミー会員の比率は俳優が一番高いんです。「教皇選挙」のようにたくさんの俳優が出ていて、いい演技をしてるものは、俳優からしたら出たい映画でもある。だからこそ評価したい、投票したいという流れはあったかもしれないですし、全米映画俳優組合賞(SAG)では最高賞のキャスト賞を獲っていました。
──なおさら「教皇選挙」は惜しかった、という気がします。
かつてのアカデミー賞ではすごく好まれたタイプの作品で、会員構成が変わる前だったら作品賞を獲ってたんじゃないかと思います。でも、それは見た目のイメージの話で、「教皇選挙」はまったく古い映画じゃない。
「古い」どころか、むしろ前衛
──劇中で描かれる教皇選挙<コンクラーベ>の中身は、政治的な分断が進む現代社会の写し鏡となっていました。
「古い」どころか、むしろ前衛ですよね。今の世相が大きく反映されていますし、まさに今作られるべき映画でした。「えっ?」という“あの結末”を描くのは、勇気のいることだと思います。男社会であるカトリック教会に相当、踏み込んでいますし、こういう映画がちゃんと作られて、受け入れられる社会は新しい。
──アカデミー会員と状況は似ていると言うべきか、男性だけではありますが新教皇を選ぶ枢機卿たちも多様な人種で構成されていました。
一癖も二癖もあって、面白いおじさん、おじいさんがいっぱいいましたね(笑)。例えば、それぞれのキャラクターで言うと、イタリア人のテデスコ枢機卿とか、ジョン・リスゴーが演じたトランブレ枢機卿は、今までのアカデミー会員で多数を占めていた白人の高齢男性と重なるイメージなんですよ。
──いわゆる保守派のキャラクターたちでした。
逆にアメリカ人のベリーニ枢機卿はリベラルで、アカデミーに新しく入ってきた会員たちと重なるイメージ。さらには、アフリカ系で初めて教皇になりそうなアデイエミ枢機卿もいて。昔は枢機卿も白人がほとんどだったはずなので、アカデミーと同じように多様性が少しずつ膨らんでいったんだと思います。ただ発言権が強いのは、やっぱり白人のおじいさん。
──その中でも、レイフ・ファインズ演じるローレンス首席枢機卿は、コンクラーベを取り仕切る立場です。この役で実に28年ぶりにアカデミー賞主演男優賞へのノミネートも果たしました。
さまざまな人種の枢機卿がいましたけど、「多様性と分断の中でいかにバランスを取るか」という主人公の立場が面白かったです。自分のことを「管理人」「マネージャー」と言っていて、多様な人たちをまとめる、分断する双方を調整しなきゃいけない役。真ん中に立つのって大変で、その人の苦悩を描くのも、まさに今の時代らしいところだと思います。
今年のアカデミー賞と重なる「教皇選挙」
──有力候補である枢機卿たちの「問題」が続々と出てくるところは、世相どころか、それこそ今年のオスカーキャンペーンを連想させる部分もありました。ノミネートで最多だった「エミリア・ペレス」が主演俳優の過去の差別発言で半ばキャンセルされたり、「ブルータリスト」のAI使用が物議を醸したり、と。
そもそも今年は「エミリア・ペレス」が最多12部門13ノミネートされたのが、サプライズだったんですよね。ハリウッドでこれだけ高評価されていたことに、まず一番驚きました。オスカー前哨戦の結果やノミネートを独自のシートにまとめてポイントを合算してるんですが、そのスコアも決して一番高いわけではなくて。
──表まで作られているとは!
どの賞でノミネートされてるから何ポイントみたいに部門・作品ごとに計算していて、賞の重要度によってポイントも違います。「教皇選挙」は最初から下馬評が高かったですね。エドワード・ベルガーの新作で題材が「コンクラーベ」。前評判通り映画もよくて、ずっとオスカーで期待されていた“超優等生”でした。作品賞では最終的にスコアが高いのは「ANORA アノーラ」「ブルータリスト」「教皇選挙」という順番になってます。
──これをもとに受賞を予想されるんですね。
受賞もそうですが、僕にとってはアカデミー賞はノミネート発表の瞬間がピークなんですよ。作品賞にノミネートされる10作品、そのほかの全部門×5を予想するのが楽しい(笑)。海外のオスカーウォッチャーは当たり前にしていて、YouTubeにはノミネート発表へのリアクション動画とかもあります。例年、最多ノミネートがどの作品になるか、予想を外すことはあまりないんですが、「エミリア・ペレス」にはそのあとの展開も含め、驚きました。
──「エミリア・ペレス」「ブルータリスト」がノミネート発表後に物議を醸す中で、受賞のムードが「教皇選挙」や「ANORA アノーラ」に移っていく空気もありました。
細かい話をすると、アカデミー会員には、SNSなどで投票や結果に影響を与えるような発信をしてはいけないルールがあるんです。でも、おそらくその網の目をかいくぐって、会員同士で「やっぱ今年はこれだよね」という何かしらの意思形成が行われているはず。我々のあずかり知らぬところで、「いつの間にこの作品が受賞する流れになってたの?」ということがあるので。
「教皇選挙」の中でも、最初はベリーニ枢機卿が、マスコミから新教皇の最有力候補と言われていたじゃないですか。でも、投票1回目のふたを開けてみたら全然票が集まらなかった(笑)。これってアカデミー賞でもよくある話なんです。批評家には褒められて、前哨戦を勝ちまくって、本命視されてる俳優。でも同業者が選ぶ全米映画俳優組合賞(SAG)では外されちゃった、みたいな人ですよね。
──最初はベリーニも「教皇になりたい人間なんているのか?」のように言っていたのに、いざ票が集まらないと……。
すぐムキになってましたね、最初はやる気ない雰囲気だったのに(笑)。仲間内のローレンスが「選挙は戦争じゃない」と諭しても、「いや戦争だ」と。このあたりも面白かったです。
絵画を観ていると思ったら…いつの間にかジェットコースター
──最後は、アカデミー賞とは関係なく「教皇選挙」をご覧になったときの率直な感想も伺いたいです。
教皇が亡くなって、たくさんの枢機卿が集まっていたあの部屋。全体的に赤い部屋だったと思うんですが、ワンポイントで緑の小物を置いたりしていて、それがアスピリンの箱だったりする。部屋を封鎖するテープの垂れ方もキマっていて。全編にわたって画面も音も緻密に計算し尽くされているのがとても好みでした。かっこいい映画なんですよね。
──亡くなった教皇の指輪を外す瞬間がありましたが、そのためだけの道具も準備されていたり。そういう細かい描写もリサーチや考証をしているようです。
映画をうっとり眺めていたら、だんだんと大変なことになってきますよね。重めの堅苦しい話かと思ったら、退屈する瞬間が一度もない。心がぐちゃぐちゃに掻き乱されて、最後はすごく驚いて終わる。この映画を観に行って、ああなるとは想像していなかった。美しい宗教画を観ていると思ったら、いつの間にかジェットコースターに乗せられていた気分です(笑)。
実は、ちょうど小説の「白い巨塔」を読み直してるんですが、これもそっくりなんです。「白い巨塔」は医師たちの教授を選ぶ選挙戦。「病院であんな選挙戦が行われているなんて」みたいな話で、普段は尊敬されるお医者さんが泥臭いことをしている。「教皇選挙」も枢機卿という聖職者たちの泥臭い部分が見えてくる。現実には見たくないけど、映画で観る分には面白いんですよね。
──今、本物のローマ教皇は肺炎で入院中だそうです。容体は改善しつつあるという報道もありますし、あくまで教皇の回復を最優先にした対応がなされていることが重要ですが、バチカンの中では本当に「次のコンクラーベはどうなるのか」のような話が起きつつあったのかもしれません。