「15時17分、パリ行き」|それは誰の日常にも起こる現実、名匠イーストウッドが贈る勇気の物語

クリント・イーストウッドの監督最新作「15時17分、パリ行き」が3月1日より公開される。数多の映画でヒーローを演じてきたアメリカを代表する名優であり、監督としても多くの傑作を生み出してきた87歳の巨匠が今回題材に選んだのは、2015年にヨーロッパで発生した無差別テロ事件。事件の当事者本人を俳優として起用するという大胆な手法を取り、今やいつどこで誰の身に起こってもおかしくないテロの現実、そして“本物のヒーロー”たちの半生をすくい取ってみせた。

映画ナタリーでは「15時17分、パリ行き」の魅力に迫る特集を展開。第1弾として、映画評論家・町山智浩によるイーストウッドへのインタビューを掲載する。第2弾では、ロックバンドOKAMOTO'Sのボーカル・オカモトショウのインタビューを公開。本作で主演を務めた3人のアメリカ人とほぼ同世代である彼に、映画の見どころを聞いた。

取材・文 / 町山智浩(P1) 文 / 平野彰(P2)

クリント・イーストウッド インタビュー by 町山智浩
「運命のささやきに従った男たち」

年齢を重ねるにつれて、クリント・イーストウッドの監督作は、よりリアルによりシンプルになってきた。2006年の「父親たちの星条旗」以降、今回の「15時17分、パリ行き」まで11作中、実話の映画化は8本になる。

「とにかく徹底的に事実関係を調べるのが好きなんだ」

イーストウッドはいつも言っていた。例えば「J・エドガー」の脚本を書いたダスティン・ランス・ブラックは「事実である証拠がない描写は極力カットしろ」と言われている。

今回の「15時17分、パリ行き」でも、脚本を練る段階で、テロリストを取り押さえたスペンサー・ストーンと2人の親友をテクニカルアドバイザーに雇い、彼らから詳しいディテールについて聞き込みをしていたそうだが……。イーストウッドは、こう語る。

「私は3人とテーブルを挟んで話していて、ふと、言ったんだ。『自分自身を演じてみないか?』……彼らの顔を見ていて、彼らにしかないものがあると思ったんだ」

クリント・イーストウッド

一度決めたら、イーストウッドは中途半端にやらない。3人だけでなく、そのとき、パリ行きの列車に乗っていた乗客にできる限り連絡を取って、出演依頼した。駆け付けた地元の救急隊員や警察官までもだ。

「最終的には現場は、あの事件を体験した本人だらけになったよ。私を除いて(笑)」

さらに、イーストウッドは彼らに演出もある意味任せたという。

「何があったかやってみてくれ、と彼らに言った。彼らは話し合いながら、一生懸命、起こったことを再現しようとした。私たちは、彼らがやったように撮っただけさ」

なんと、テロリストから銃を奪おうとして首を撃たれて生死の境をさまよった本人まで、自分が撃たれる瞬間を演じている。いや、演じているといっていいのか?

「演技というものは、自分以外の人間になって、自分が体験したことのない状況を想像して、そのときの感情を想像しながら、それを演じてみせることで、訓練による技術が必要だ。だが、今回の場合、その技術は必要ない。彼らは彼ら自身として彼ら自身の体験を思い出して繰り返すだけだ」

左からクリント・イーストウッド、スペンサー・ストーン、アンソニー・サドラー。

イーストウッドはもともと、演技指導をほとんどせず、最初のテイクかその次でOKを出し、何度も撮り直しをしない。「J・エドガー」撮影時に、主演のレオナルド・ディカプリオがいくつもテイクを撮って演技を深めたがるので、一度でいいというイーストウッドと対立したのは有名な話だ。

過剰な演技を求めない、という点で、イーストウッドはフランスのロベール・ブレッソン監督と通じるものがある。彼は俳優たちの人工的な演技を嫌い、素人たちに無表情でセリフを棒読みさせて、逆説的なリアリティを出した。

ちなみに、「本人」を使った劇映画には、以下のような例がある。ジッロ・ポンテコルヴォ監督は「アルジェの戦い」(1966年)で、フランスに対するアルジェリアの独立闘争を、実際の革命の闘士たちに再現させた。日本の羽仁進監督は「不良少年」(1961年)で、強盗で逮捕された少年たちの鑑別所生活を、実際の不良少年たちを使って撮った。最近では小林勇貴監督が、富士宮市で自分の友人や弟たちが不良として体験した暴力的な事件を、その事件の当事者である不良たちを集めて、リンチやカーチェイスまで演じさせている。アメリカでも、「神様なんかくそくらえ」(2014年)というインディーズ映画が、ニューヨークでホームレスの麻薬中毒者だった少女アリエル・ホームズの体験を、彼女自身に演じさせた。

ハリウッド映画では、「地獄の戦線」(1955年)が、「15時17分、パリ行き」と同じく、実話のヒーローを本人が演じた珍しい例だ。第2次大戦時のヨーロッパで敵兵240名を殺傷した戦功で、幾多の勲章を受けたオーディ・マーフィの自伝の映画化で、自分自身を演じたマーフィは、これで映画スターになった。

ただ、こうした例はハリウッド映画には少ない。基本的に、組合に所属するプロの俳優しか使えないことになっているからだ。

俳優だけでなく、イーストウッドの映画は近年、どんどんハリウッド映画の定型から外れてきている。例えば、最近のイーストウッドは照明を使わなくなった。おかげで撮影規模やセッティングの時間が縮小され、カメラのアングルも自由自在に変えられるようになった。「15時17分、パリ行き」が、通常運行中の急行列車の車両を借りてサクサクと撮影されたのも、このシンプルさ故だろう。

ストーリーも普通のハリウッド映画的ではない。映画の中盤は、無邪気にヨーロッパ観光を楽しむスペンサーたち3人が描かれ、突如、テロリストと遭遇する。事実とはいえ、両者にはドラマ的な因果関係がない。そして、スペンサーが、AK47ライフルを構えたテロリストに素手で立ち向かったとき、事実とはいえ、あまりに幸運な出来事が起こる。これは奇跡なのか?

「15時17分、パリ行き」

「それについては、いろんな解釈があるだろうね」

イーストウッドは言う。

「だが、私の解釈は、運命が彼をそこに導いたんだと思う」

「アメリカン・スナイパー」(2014年)の主役、160人の敵を殺した狙撃兵クリス・カイルが、PTSDを患ったアメリカの帰還兵に殺された事実について尋ねたとき、イーストウッドは「彼は運命に捕まったんだ」と答えた。「15時17分、パリ行き」は、イーストウッドにとって「アメリカン・スナイパー」の裏返しなのかもしれない。

「テロリストに突っ込んでいくとき、何を考えた? 私がスペンサーに尋ねると彼は、何も考えなかったと答えた。何も考えずに、高性能ライフルと300発近い銃弾を持った男に突っ込んだんだ。理論的には勝ち目のない賭けだ。でも、スペンサーはきっと自分は神に愛されていると思ったんじゃないか? 幼い頃からキリスト教学校で学んできたから。聖フランシスコの平和の祈りを暗誦するしね」

それはこんな祈りだ。

「主よ、私をあなたの平和の道具にしてください
 憎しみある所に、愛を置かせてください
 侮辱ある所に、赦しを置かせてください
 分裂ある所に、和合を置かせてください」

「だから運命がスペンサーの人生をそこに導いたんだと私は解釈する。自分自身の人生を振り返っても、そう感じる。軍隊で、乗っていた飛行機が海面に落ちたが運よく助かった。母さんはよく、私の肩には守護天使が乗っていると言っていたが……。私は除隊して市立短大で経営を学んだ。将来の展望はなかった。友達に夜の演技クラスに誘われた。断ったのに連れて行かれて演技に興味を持った。人生なんてわからないものだ。人は常に理知的に論理的に生きることもできる。でも、それでは予測の範囲内のことしかできないんだ」

スペンサーがイチかバチかの賭けに出たように、イーストウッドはスペンサーを使うという賭けに出た。彼らは運命のささやきに従ったのだ。

「15時17分、パリ行き」
2018年3月1日(木)公開
「15時17分、パリ行き」
ストーリー

2015年、オランダ・アムステルダムからフランス・パリへ向かって出発した特急列車タリス。乗客554名を運ぶその車内には、自動小銃やピストルで武装したテロリストも同乗していた。異変に気付いた乗客の制止を振り切り、テロリストは発砲。密室の車内が恐怖に包まれる中で立ち上がったのは、旅行のためタリスに乗っていた幼なじみの3人、アンソニー、アレク、スペンサーだった。

スタッフ / キャスト
  • 監督・製作:クリント・イーストウッド
  • 出演:アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーンほか
  • 原作:アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーン、ジェフリー・E・スターン「15時17分、パリ行き」(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)