「孤高の人」、「イノサン」シリーズ、「#DRCL midnight children」などで知られる坂本眞一。そんな坂本の画業35周年を記念した原画展「坂本眞一クロニクル:Past」が6月から大阪、福岡で開催され、11月1日には東京での巡回展がスタートする。
コミックナタリーは東京会場の開催に合わせ、坂本にインタビューを実施。「孤高の人」連載以前は“いつ消えてもおかしくなかったマンガ家”だったと振り返る坂本に35年の歩みや変化を語ってもらうとともに、事前にファンから募った質問にも回答してもらった。
取材・文 / 小林聖撮影 / 武田真和
新田次郎の小説を題材にした登山マンガ「孤高の人」や、フランス革命時代に生きた処刑人一族・サンソン家の運命を描く「イノサン」などで広く知られるマンガ家・坂本眞一。そんな坂本の画業35周年を記念して大阪、福岡で行われてきた原画展「坂本眞一クロニクル:Past」の東京巡回展が、いよいよ11月1日より有楽町マルイで開催される。
東京会場
- 日時
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2025年11月1日(土)~16日(日)11:00~19:00
※最終入場は閉場の30分前まで
- 会場
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東京都 有楽町マルイ8Fイベントスペース
- 入場料
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税込1800円
“いつ消えてもおかしくなかったマンガ家”の35年の歩み
──改めて画業35周年おめでとうございます。原画の展示はこれまでもいろんな機会があったと思いますが、これだけ大規模なものは初でしょうか。
大阪、福岡、最後に東京と各地を巡回するスタイルも含め、こんなに大規模にやっていただいたのは初めてで、すごくうれしいです。
──先に開催された大阪や福岡の展示をご覧になっていかがでしたか?
原画をすごく美しく展示してくれているだけでなく、壁にも作中のセリフなどをプリントしてくれていたり、作品世界への没入感がある展示になっていました。それと、サイン会などで読者の方々にもお会いできたんですが、「イノサン」をはじめとした自分の作品に出てきてもおかしくないようなおしゃれをしてきてくださった方も多くて。自作のドールを抱きかかえてきてくださった方とか、レースの付いた美しいドレスやゴシック調のドレスを来てくださった方がいたり、サイン会とは思えないくらい華やかでした。自分が思っている以上に僕が描く世界観を皆さんが大切にしてくださっているんだというのを改めて感じましたね。
──展示する原画の選定はもちろん、「坂本眞一クロニクル:Past」というタイトルも先生が提案したり、かなりいろいろと関わられているそうですね。
今回は、タイトルにも込めてあるように、自分自身が新人時代から今に至るまでどう変化してきたかというところに重点を置いています。マンガ家さんの原画展って今多くなっていて、僕もちょくちょく足を運んでいるんですが、それを見ていると皆さん割とアマチュア時代やデビュー直後から世界観が完成されていて、一貫した世界観を持ってらっしゃるんですよね。だけど、僕は違うんです。ハッキリ言って「孤高の人」以前の僕は、いつ消えてもおかしくないマンガ家でした。そういう人間が、どう変わっていって今こうしてマンガ家として生きていられるようになったのか、その変化を見ていただけたらと思ったんです。
──展示している原画には坂本先生自身が書いたキャプションも付いていますよね。
今回の原画展に合わせてコミックナタリーさんでもレビューを掲載していただいて大変うれしかったんですが(参照:世界を魅了する坂本眞一の原画展「坂本眞一クロニクル:Past」開幕、その魅力を4つのポイントから紐解く)、日本では映画などと比べるとまだまだマンガの評論や解説って目にする機会が少ないと感じています。だから、原稿に込めた意味や意図を伝えられる機会があるといいなと思っていたんです。とはいえ、SNSで発信するとどうしても手前味噌感が出てしまう。今回のような原画展で、キャプションという形ならスマートに見ている人に制作意図を伝えることができるんじゃないかと思ったんです。
──でも100点以上のキャプションを書くのは大変だったでしょう。
大変は大変でしたが、1枚1枚の原稿に込めた意図やそこにまつわるエピソードはどれも鮮明に覚えているので、書きたいことはたくさんありました。書ききれないくらいだったので、特に印象的なことに絞って書いています。
──キービジュアルも描き下ろしですよね。
はい。これも自分がたどってきた軌跡みたいなものが感じ取ってもらえるイラストを、と考えて描きました。ミュシャの「四季」をベースのイメージにしているんですが、1つひとつの絵にそれぞれのキャラクターが持っているドラマや背景をちりばめています。それと、ちょうど配色がフランス国旗のトリコロールになったんで、それもモチーフとして入れていました。
──キービジュアルを使ったファイングラフをはじめ、グッズもたくさん作られていますよね。先生のお気に入りはありますか?
本当にすごくいいグッズをたくさん作っていただいて、どれもこれも大好きなんですけど、特に楽しんでるのはアクリルスタンドですね。今アクリルスタンドを外出先に持っていって、写真を撮られる方が多いじゃないですか。僕はアクリルスタンドって買ったことがなかったんですけど、実際に手に取ってみるとそうやって撮影する楽しさがわかりました。昨日も埼玉県にある巾着田という曼珠沙華の群生地へ行ってきたんですが、真っ赤な花の中で(「イノサン」シリーズに登場する)マリーのアクリルスタンドを持って撮影しました(笑)。作品の世界観を壊さないようにしながら、いろんなところに連れていきたいですね。
マンガに対する固定観念を取り払ってくれた重みのある1枚
──今回の原画展ではデビュー当初から現在までのたくさんの原画が集まっていますが、あえて特に思い入れのある1枚を選ぶとしたらどれでしょう?
キャプションにも書かせていただいたんですけど、やはり「孤高の人」第1話のカラー見開きですね。実は、最初この見開きで主人公の加藤文太郎を赤いウェアで描いていたんです。それを見た当時のヤングジャンプの編集長がすぐさま「赤は違うんじゃないか」と連絡してきて。「孤高の人」という作品の主人公が持っている、孤独な少年のキャラクターは赤とは違うんじゃないか、と。これは僕にとって大きな分岐点でした。つまり、その当時の僕は「マンガはこう描かなくてはいけない」という先入観にとらわれていて、「主人公=赤」という勝手な思い込みで描いていたと気づかされたんです。それで、急遽カラーページの描き直しをしました。
──カラーページを描き直すとなると、かなり大変ですよね。
当時はアナログでしたからね。スケジュール的にも大変でしたが、そこは譲れない修正だったのでがんばりました。指摘を受けた見開きのウェアを青にして、最初のページの氷壁を登る文太郎も力んだ表情からクールな表情に変えて。
──まさに今僕らがイメージする文太郎ですね。
でも、文太郎の色はどんどん変わってもいます。青春期から社会人になって、所帯を持って成長していく。その中で関わる人間が多くなればなるほど、文太郎の色もカラフルになっていきました。色やキャラクターに着せる服というのはそのときのキャラクターの精神性みたいなものが深く関与していますから。そういう考察をきちんとせずにキャラクターに適当な色を着けることは許されないと考えるきっかけになりました。あのとき赤いウェアのままで進んでいたら、たぶん「孤高の人」はこれほど多くの人の共感を得られる作品にならなかったんじゃないかと思います。
──編集長のひと言からそこまで大きく作品への関わりが変わったんですね。
はい。色についてはもちろんですが、先入観や固定観念を疑うという自分のマンガのスタイルができあがっていくきっかけになりました。自分にとってとても重みのある1枚です。
──「孤高の人」は本当に大きな転機になった作品なんですね。
マンガを描いていて初めて読者とつながった感覚を味わった作品でもありますね。上京して10年くらい、描いても何の反応もないという状態が続いていたんです。「北斗の拳」や「キン肉マン」でマンガを読み始めた人間なので、やっぱり最初はバトルマンガを描きたいという気持ちがあって。でも、いわゆる少年マンガを何度描いても反応が何もなかった。今から思えば、自分が好きなものと自分が表現すべきものは違うということなんですよね。同時に、型にはまってもいた。読者が望んでいるものはこういうものというイメージにとらわれていて、自分自身を描いていなかったんです。絵にしても、週刊少年ジャンプで描いていた頃は流行りの絵を必死で真似て描いていました。当時は「BASTARD!!」とかアニメっぽい絵が流行っている時期で、自分もそういうものを描かなきゃいけないと思っていたんですね。でも、真似て描いてはうまくいかないというのを繰り返していて。「孤高の人」にしても最初はまだとらわれていましたね。
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マンガ家をやめようと思って初めて自分を描けた



