圧倒的に自由なジェンダー観
なんでもOKとはいえ、花とゆめの作品群には、他社の少女マンガには見られないいくつかの特徴的な展開やシチュエーションがある。そのひとつが当時としてはかなり自由な性に関する認識だ。同性愛から異性装まで、その守備範囲は幅広く、またかなり頻繁に登場するモチーフでもある。
例えば魔夜峰央「パタリロ!」は言うに及ばず、河惣益巳「ツーリング・エクスプレス」など、花とゆめは竹宮惠子「風と木の詩」やJUNE(マガジン・マガジン)以降の耽美な世界観を躊躇なく取り入れている。しかしその現場では作家と編集の激しい攻防があったようだ。魔夜峰央が証言する。
魔夜 濡れ場はけっこうがっつり描くので、何度も消されています。夜中に編集長から電話がかかってきて「あそこのシーンは消すぞ!」「いや、そんなことをしてもらっては困る!」と延々やりとりをして、けっきょく「『花ゆめ』が発禁になったらどうするんだ!」と言われるともう引き下がるしかないわけですよ。*2
青年マンガ誌ならば、編集サイドからお色気シーンを要求することだろう。当時の花とゆめではまったく逆の事態が起こっていたのだ。花とゆめという雑誌のカラーは、こうして形作られていったのかもしれない。
那州雪絵「ここはグリーン・ウッド」には「男の娘」も登場。如月瞬はひばりくん(江口寿史「ストップ!! ひばりくん!」)とともにマンガ史に残る「男の娘」キャラとなった。一方、中条比紗也「花ざかりの君たちへ」では男装する少女・芦屋瑞稀が主人公。「Wジュリエット」「ネバギバ!」なども含め、男装女子/女装男子は花とゆめのお家芸と言えよう。
- 参考文献
- *2 ユリイカ2019年3月臨時増刊号「総特集・魔夜峰央」(青土社)
なぜか男子寮ものが多い
前出の「ここはグリーン・ウッド」は男子寮ものの名作だが、「花ざかりの君たちへ」や安斎かりんの新連載「マオの寄宿學校」に至るまで、花とゆめは男子寮を愛してやまない。これはいったいどうしたことか。
ひとつには男性主人公を受け入れやすい花とゆめの土壌がある。主な読者が少女であり、その共感を得ることがヒットするための近道であるならば、やはり少女マンガの主役は少女であるべきなのだろう。しかし花とゆめは少女マンガにおいて少年を主人公とすることにまったく躊躇がないように見える。古くは三原順「はみだしっ子」から、佐々木倫子「動物のお医者さん」、羅川真里茂「赤ちゃんと僕」などなど、枚挙にいとまがない。
そこで男子寮だ。男子寮を描くからには主役は寮に住む男子が望ましい。男子を主人公とすることになんら問題はない。じゃあやってしまえ。こうして女子禁制の「秘密の花園」が、少女マンガで描かれることになった。
集英社や講談社において、ここに対応するのは同居ものだろう。そこには少女本人がいる。花とゆめは必ずしも媒介としての少女を必要としないのである。
この自由さは、おそらくは24年組が切り開いた地平があったからこそだ。男子寮のルーツを辿ればそこにはおそらくギムナジウムがある。花とゆめはそれをさらに一般化、メジャー化してみせた。主人公の性別は関係ない。少女たちが楽しく読めるなら、それで元気になれるのなら、それが少女マンガなのだ。花とゆめの自由なスタンスは、そう語っているように見える。
「ラブ」と「ギャグ」の比率がおかしい
花とゆめを代表する作家、川原泉の作品を評して、かつて詩人の伊藤比呂美はこう書いた。
ぎとぎとした恋愛は少女マンガで読みあきている。恋愛なんて、りりかるな慕情やドラえもんのあくしゅでじゅうぶん、それだけで男というものと今後ともやっていければ、こんなにうれしいことはない。そんなのはただの女の子の夢…とおとなたちはいうけれど、そう、夢だっていいじゃないとわたしも思う。*3
少女マンガの王道といえばやはり恋愛ものである。ところが花とゆめにおいてその意識は希薄だ。川原泉はラブの代わりに圧倒的な知識量とウィットに富んだネームとで誌面を豊かに埋めた。
花とゆめ史上屈指の大ヒット作となった「動物のお医者さん」には、上質な笑いがあったからこそ、女性読者のみならず、多くの男性読者を獲得し得た。そしてやはり恋愛濃度は圧倒的に薄めである。菱沼さんとハムテルがくっつくに違いないという読者の淡い期待は見事なまでに裏切られた。余談だが前出の伊藤比呂美は川原泉、佐々木倫子に明智抄を加えて、“花ゆめの3奇人”と呼んでいた。
そしてなにしろ「パタリロ!」である。過剰なまでにデコラティブな画面から笑いがあふれ出す。これはいったい少女マンガなのだろうか? 少女がそれを読み、そして笑っている。それが少女マンガでなく、一体なんであろうか。
近年では椿いづみが「俺様ティーチャー」で冴えた笑いを披露している。他媒体で描く「月刊少女野崎くん」も人気を博し、そのギャグセンスが全国ランクであることを証明してみせた。師走ゆきの人気ラブコメ「高嶺と花」もお笑いレベルが非常に高い。ガチンコで笑いを取りに来る姿勢はまさに花ゆめスピリットの体現と言えよう。
- 参考文献
- *3 伊藤比呂美「解説 夢だっていいじゃない」(川原泉「空の食欲魔神」(白泉社文庫)所収)
われら少女マンガ界のはみだしっ子
花とゆめらしさとは、つまるところ業界のセオリーに囚われない自由な風土にこそあったのだ。女の子はいつか王子様と出会って素敵なお嫁さんにならないといけない? 主人公は女の子じゃないといけない? 恋愛要素がなければいけない? 「そんなわけはない」と花とゆめはその作品を通じて伝えてきたのではないか。
しかしいつの世も自由には責任が伴う。新しいことをしようとすればリスクがついて回る。そこを乗り越えてこられたのは、ひとえに作家陣と編集陣の熱いマンガ愛があったからこそだ。
白泉社という会社は編集部門の大半がマンガ誌である。週刊誌からファッション誌までが揃う大手の総合出版社の場合、どこに配属させられるかは運にも左右されてしまうが、白泉社ならばかなりの確率でマンガに携われるのである。つまり白泉社に入社したいと願う者は、その時点でほぼ確実にかなりのマンガ愛の持ち主なのだ。そういう筋金入りの人たちが作っているのが花とゆめという雑誌である。
私事だが20年ほど前、就職活動をしていた私の第一志望は白泉社だった。少女マンガが好きだからというのもあったが、白泉社ならばマンガの編集部に配属される可能性が高いからというのも大きな理由だった。残念ながら不採用となってしまったが、今でも変わることなく大好きな出版社である。
ガラパゴス? 上等ではないか。そういえば「はみだしっ子」も花とゆめを代表する歴史的名作だ。はみだしっ子──花とゆめという雑誌に、なんと相応しいタイトルだろうか。われら少女マンガ界のはみだしっ子! 少女マンガの枠組を拡大し、世界を豊かにしてきた名門誌の、45回目の誕生日を精一杯に祝いたい。
- 小田真琴(オダマコト)
- 1977年生まれ。少女マンガとお菓子をこよなく愛する女子マンガ研究家。自宅の6畳間にはIKEAで購入した本棚14棹が所狭しと並び、その8割が少女マンガで埋め尽くされている。
2019年11月20日更新