オムニバス形式の楽しさに気付けたのは「どうにかなる日々」を描いたことが大きい
──本作は、のちに描かれる「青い花」や「放浪息子」につながるようなエピソードも多いと思うのですが、志村さんの中で「どうにかなる日々」はどんな位置づけの作品でしょうか。
オムニバス形式が自分に合ってると気付けたのは「どうにかなる日々」を描いたことが大きいと思います。当時は毎話必死で、全然気付かなかったんですけど、その後に連載した「娘の家出」を描き始めた頃に、1話1話は独立した話だけど同じ世界観で、別のエピソードに出てきたキャラクターがさりげなく関わってくるようなスタイルを楽しいなと思い始めて。そのベースになっているのは「どうにかなる日々」だったと思います。もう少し早く気付けたら、少しは楽しむ余裕があったかもしれない。もったいなかったな(笑)。
──今、連載中の「淡島百景」もそのスタイルですもんね。
そうですね。逆に封じられてしまったのが長編の「こいいじ」(笑)。「毎月引きを作っていただきます」みたいな感じで、ひえーって(笑)。長編には長編なりの面白さもあるんですが、私は基本的に遠投ばっかりなので。「未来の私、頼むよ!」って(笑)。遠く投げた先でなんか面白い感じに熟成されてたらいいなと思って、とりあえず投げ続ける。そしてどんどん遠投になる(笑)。
──(笑)。長編と短編・オムニバスで、それぞれのよいところと苦労するところがあるんでしょうね。
私、長距離走が苦手なんですよね。マラソンを完走できたことがないんですよ。ゴールまでたどり着くことはできるんですけど、途中で絶対に歩くので(笑)。一度マラソン大会で、友達と「一緒に歩こう」って言って、最初から最後まで歩いたことがあるんですけど、ゴールに着いたらマラソン大会自体が終わっていて、閉会式をやってたことがあって(笑)。
──最後まで歩いたんですか。それはそれですごいタフな気がしますが……。
走るのが嫌いというわけではなく、むしろ短距離は好きだったんですよ。なぜってすぐ終わるから(笑)。要はゴールが見えてるからなんですけど、それがそのままマンガにもスライドしてるんです。30ページなら30ページ、40ページなら40ページで、終わりが見えてることの気楽さというか。もちろん限られたページ内に収めないといけない難しさもあるんですけど、ゴールが見えていないことのほうが私にとっては恐怖なんでしょうね。
──それでも長編を描く面白さってなんだと思いますか?
長く付き合っていくキャラクターになりますし、やっぱりキャラクターも成長して考え方も変わっていくから、キャラクターをどんどんそこまで深く掘り下げて、肉付けしてく楽しさはありますね。もうちょっとこういう性格にしてみようとか、こういう家族構成にしていこうみたいに、後からアイデアを膨らませていけるのは、長編ならではかなって思います。
時代が変わっても、思春期の頃の心の機微みたいなものは普遍的
──志村さんの作品は、思春期の少年少女の悩みをリアルに描かれる印象があります。それはご自身や身の周りの人の実体験からくるのでしょうか。
実体験の影響はあると思います。過去の自分の体験や記憶を手繰り寄せて、それぞれのキャラクターにちりばめていく感覚ですね。まあ20代の頃と比べるとどんどん記憶がおぼろげになってきて、老化現象を感じますけど(笑)。もちろん経験をそのまま描いているわけではなくて、そのときに感じた感情とか、傷ついたときの気持ちだったり、怒りだったり、そういう自分の内面みたいなのを、いろんなキャラクターにちょっとずつちりばめてる。逆に憧れというか、自分だったら絶対こんなふうに動けないだろう、みたいなことをキャラクターにさせる楽しさもありますし。時代が変わって、取り巻く状況は私が子供の頃とは違うと思いますが、それでも思春期の頃の心の機微みたいなものは普遍的というか、感情面は変わらないものだと思うので。
──描いた作品の中で、志村さんに一番近いキャラクターっていますか?
自分に近い……。「敷居の住人」の主人公の千暁っていう男の子は、性格とかは全然私とは違うんですけど、当時自分が憤ってた感情だったり、思いの丈を作品にぶつけてたところがあるので……。だからちょっと恥ずかしいんですよね、読み返すのが(笑)。たまに「『敷居の住人』が一番好きです」って言われると、「ありがとうございます」と思う反面、これ以上追求しないでと(笑)。私の中学生日記をそんなに大事にしないでくださいって。
──(笑)。
でも「敷居の住人」で中二病というか反抗期の捻くれた子ばかり描いていたので、じゃあ次は捻くれてないいい子を描こう、あんな生意気な口を聞く子はメインに出さないようにしようと思って描いたのが「放浪息子」だったので。まあ、それはそれでまた大変な作業になっちゃったんですけどね。
──自分とは考え方の違うキャラを描くのは難しかったですか。
それもありますが、どちらかというとメインのキャラを描くのが苦手というか、どう描いていいかわからなくなっちゃうんですよ(笑)。「放浪息子」も「青い花」も、メインキャラより脇キャラのほうが描いてて楽しくなってきちゃって。私っていつもこうだなって落ち込むんです(笑)。特に責任が生じないから気楽に描けるのかな。
──キャラクターはどんなふうに作っていくんですか?
あまり最初から設定をしっかり作ることはしなくて、描きながらちょっとずつ育てていく感じですね。「青い花」のときは、割と最初から決めて描き始めたんですけど、結局全然進まなくて(笑)。でも、ふみとあきらの性格を入れ替えたらサクサク進んでいったので、まあがんばって最初に決めても結局こうなるよね、みたいな(笑)。ただ読者さんにはあんまりバレないようにしたいので、最初からそうであったような顔をして描いてます(笑)。
──言われないとわからないです(笑)。最初から考えてそうに見えるのもまたテクニックですよね。
(笑)。打ち合わせでストーリーもキャラクターも何も決まってないまま、「決まってないけど描いてみよう!」と思ってネームを出したら、担当さんに「志村さんすごいです! まるで最初から考えていたかのようです!」って言われたことがありますよ(笑)。
──(笑)。
私も「正解を見つけました!」みたいな感じで(笑)。描きながらのほうが、ストーリーもキャラクターも肉付けしやすいのかな。そこからどう膨らませられるかのほうが重要かもしれないですね。
往年の読者の方がどれどれと足を運んでくれたら
──「どうにかなる日々」もそうですし、「放浪息子」や「青い花」もそうですが、いわゆるマイノリティと言われる人たちの恋愛を描くことについては、何か意識されているのでしょうか。
あんまり意識してはいないんですが、子供の頃に読んでいたマンガとか、いろんなものが自然と刷り込まれていってるのかなと感じます。特に、青池保子先生の「イブの息子たち」に小学生の頃に出会ったのが大きかったですね。本当になんでもありの世界だったので、それがベースにはなっているんじゃないかな。もちろん自分自身が揺らいでいる時期もありましたし、身近にそういう恋愛をしてる人がいたりといった経験も影響していると思うんですけど。
──あえて困難な恋愛を描こうとしているっていうわけではないんですよね?
それはないと思います。あえてこの問題に切り込もう、みたいな意識はないです。結局好きな要素なんだろうなと。私、子供の頃からマンガ家になりたいって思っていたんですが、思っていた割には「こういうものを描きたい」っていう明確なものがあったわけじゃなくて、ただマンガが好きで漠然とお話を考えたりしていただけなんですよ。どちらかというと、実際に描きながら描きたいものを見つけていく感覚で。それが少しずつ固まっていったというか。だからまだまだ、描いたことがないキャラクターやテーマで描いてみたいなって思ってます。
──いろんな性癖を持ったキャラクターが登場しますけれど、これは自分の性癖だなって感じるものはありますか?
性癖ってあんまり自分では自覚がなくて、人に言われて気付くことのほうが多いんですよね。以前「志村さんは本当に○○のシーンが好きですよね」って言われたことがあって、言われてみたら確かによく描いてるなって気付かされたりします。
──逆に苦手なものはないんでしょうか。人によっては、近親相姦とか不倫とか、フィクションとわかっていても嫌って方がいると思うんですけど、苦手意識はないのかなと。
いや、あるにはあるとは思うんですけど(笑)。でもそこは視点が俯瞰になってるというか、そういう人たちの一瞬一瞬を切り取ってるだけというか。こう言っちゃうと突き放してるみたいになっちゃいますけど、俯瞰の目線で描いてるっていうのが一番しっくり来るかな。すべての性癖もすべての人たちもフラットに見てるというか……フラット。うん、フラットです。
──すべてをフラットに見るってなかなかできないですよね。
え、なんか私すごい人みたい(笑)。
──すごいと思います。では最後に、志村さんのファンの方やアニメを楽しみにしてる読者の方にメッセージをお願いします。
はい。これが一番難しい(笑)。私もまだ完成品を観てないので、どうなるかわからないんですが、単純に楽しみにしているので、読者の皆さんも楽しみにしてくれたらうれしいですし、本当に丁寧に関わってくださっているので、そこは安心してほしいです。往年の読者の方にどれどれと足を運んでもらって楽しんでもらえたら、それ以上の喜びはありませんと。それに尽きます。
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志村貴子の画業を振り返り
2020年10月21日更新