鄭義信の代表作の1つ「焼肉ドラゴン」が、4度目の上演を迎える。日韓国交正常化60周年記念公演と銘打たれた今回は、10月7日に新国立劇場 小劇場で幕を開け、その後、韓国、福岡、富山と巡演し、12月には新国立劇場 中劇場で凱旋公演を行う。1970年前後、高度経済成長と大阪万博に沸く関西のとある地方都市では、さまざまな思いを抱えながら焼肉店を営む在日コリアン一家がいて……。
ステージナタリーでは8月下旬、本作のオリジナルキャストである千葉哲也とコ・スヒ、今回初参加となる村川絵梨、智順、イ・ヨンソク、そして鄭の座談会を実施。2025年版上演への思いを聞いた。
取材・文 / 熊井玲撮影 / 祭貴義道
大変だった17年前の初演が、“伝説の初演”に
──本作は2008年に初演され、その後も上演のたびに大きな話題を呼んできました。鄭さんにとって、どのような思い入れのある作品ですか?
鄭義信 初演の時はまだ父も母も生きていたので、韓国公演を観に来てもらいました。そのときに父が「あんまり俺のことを売るなよ」と言っておりまして……(笑)。
一同 あははは!
鄭 実際に父が言ったことが、セリフとしていくつかちりばめられているんです。たとえば龍吉の「わしは、この土地、ちゃんと買うた。醤油屋の佐藤さんから、買うた」っていうセリフは、実際にうちの実家が姫路城の石垣のすぐそばの在日コリアンの集落にあって、そこが国営地だということで立ち退きになったときに、父が「自分はこの土地を買った」と主張していたことがもとになっていて、「じゃあ、権利書はあるのか」と聞いたら「そういうものはない」と(笑)。昔はそうやって、国有地にも関わらず口頭でのやり取り、土地の売買が行われていたのかもしれません。
この作品は、かつて僕が住んでいた姫路の集落の話と、伊丹の飛行場のすぐそばにあった集落の話を合わせて作りました。でも当時は夢中で書いたという感じで、まさかこんな4回も上演するとは思っていなくて。初演から17年経ち、今はもう少し引いて……というわけではないですが、いろいろなことを思いつつ、作品を眺めることができるようになったかなと思っています。
──劇中では普遍的な家族のやり取りと、複雑な事情を抱えつつ同居する人たちの意志や覚悟が描かれます。オリジナルキャストの千葉さんとスヒさんは、初演に対してどのような記憶がありますか?
千葉哲也 初演時は、韓国人チームも日本人チームもお互い、相手がどう出てどういう反応をするのか全然わからず、韓国語と日本語の壁もあったので、あんまり家族としてまとまろうという意識があったとは思えなかったですけど……っていうのは冗談で(笑)、初演の稽古は大変だったことしか記憶がありません。でもある程度稽古が進んでいく中で、コミュニケーションが取れるようになってきたり、状況が変化していったというか。
コ・スヒ 初演はとにかく大変でしたし、難しかったですが、何もかもが新しくて、楽しかったという記憶も残っています。個人的にはお母さん役なので1つの家族にしたいとがんばったのですが、当時はとにかく無我夢中の状態でした。ただ、俳優の皆さんは本当にすごいなと思いました。言葉が通じなくても、お互いに目を見たら今何を感じているか通じ合えたんです。
──今回初めて出演される皆さんは、最初に「焼肉ドラゴン」という作品とどのように出会われましたか?
イ・ヨンソク 舞台に関しては観たことがなかったのですが、映画版を2回観ました。本作は、世界に向かって、人間性の回復について語りかけている作品ではないかと思います。韓国でも評判がとても良くて、伝説的な作品です。韓国で舞台業界に携わっている人たちはみんな出たがっている作品に今回出演できることになり、非常にうらやましがられました(笑)。なのでプレッシャーも大きく、今は台本読みながら、“お父さん像”を探していっている状況です。
村川絵梨 私は2016年バージョンの上演を観ています。初演のときはまだ二十歳くらいで演劇をやり始めたばかりで、「焼肉ドラゴン」の評判を聞き、「すごい作品があったんだな」と思っていました。そのあと鄭さんとお仕事をさせてもらう機会がめぐってきたりして、「焼肉ドラゴン」はずっと自分の中で憧れの作品でした。
智順 私はまず初演の映像を拝見しまして、実際に舞台を観たのは私も2016年バージョンでした。拝見して「これ、父親に見せたいな」と思ったんですね。関西出身の在日コリアンというのは自分の境遇にも近いですし、祖父母のことを思い出して、「父親にも絶対に観せたい」と思ったんです。
稽古が進む中見えてきた、それぞれの役の輪郭
──お稽古が進んでいく中で、役についてのイメージもそれぞれ立ち上がってきていると思います。演じられる役の印象を教えていただけますか? 千葉さんは、次女の梨花の婚約者・哲男を演じます。
千葉 前回は14年前で、今とは全然考え方が違いましたね。以前は乱暴さや狂気といった部分が強かったのだけれど、今回はそれはあまりなくて。もちろん、内に抱えている怒りは増えているんですけれど、昔は哲男をもっとシャープな印象で捉えていましたが、今回はもうちょっと情けなさのほうが全面に出ている感じがします。この歳で情けない人間をやるっていうのはとっても面白いし、怒りとか居場所探しという感覚は前よりも増えているんですよね。あとやっぱり強く感じるのは、久しぶりに韓国チームと出会って、格段に芝居が違うということ。すごくストレートに(演技が)くるから、小手先で逃げることはできない。日本チームは心してやらないと大変なことになるぞと思っています。
先程、“伝説的な作品”というお話がありましたが、初演はあまりお客さんが入らないだろうと思っていたところ大評判を呼び、だから伝説になっているんじゃないかと(笑)。でも伝説は崩れ、壊していくものだから、まったく新しい「焼肉ドラゴン」にできればいいなと思っています。
──コ・スヒさんはイ・ヨンソクさん演じる金龍吉の妻・高英順を演じます。スヒさんは初演時、同役で第16回読売演劇大賞優秀女優賞を受賞されました。
スヒ 17年前から何かが変わったとか、新しい発見があったというよりは、慣れ親しんだ空間に久しぶりに帰ってきたという感じがしています。今回、“新しい家族”として、新たなお父さんと娘2人に出会ったのですが、(村川と智順に)こんなに綺麗な娘が2人も生まれるなんて、「最初の奥さんはどれほど綺麗な人だったんだろう」と、稽古をするたびに感じています。
一同 あははは!
スヒ 英順のキャラクターとしては、周囲の空気を読んでいるところがあるのではないかなと。2人の連れ子がいる男性の元に子供1人連れて嫁いだ奥さんですが、龍吉だけでなく、静花と梨花の空気も読んで行動していると思います。ですので、いろいろなことに気を遣いながら、みんなの言動を見逃さずに英順を表現していけたらと思っています。
──ヨンソクさんは太平洋戦争で左腕を失い、現在は焼肉ドラゴンの店主となっている金龍吉を演じます。
ヨンソク 龍吉は父親としての責任や、家族を食べさせていかなければという責任感を持っていると同時に、家族同士が衝突して傷つけ合ったり、傷を克服していく過程をじっと見守っている人物だと思います。そしてその見守る姿勢が、お父さんの性格の1つなのではないでしょうか。
──智順さんが演じるのは長女の静花です。静花は梨花の夫・哲男とかつて恋仲でしたが、ある出来事を機に脚に障害を負い、哲男とも離れてしまいます。その後、パク・スヨンさん演じる、韓国からやってきた尹大樹と婚約します。
智順 私の中に“静花の要素”がないなと思っていて……静花は長女ですが私は三姉妹の三女ですし、稽古が進めば進むほど「静花の要素が全然ないな」と思って悩んでいるんですが……。
千葉 え、そんなの俺だってないよ!
一同 あははは!
智順 そっか、みんなそう感じてるんですね(笑)。ただ実際に演じてみると、今まで観てきた静花とは違うイメージが自分の中に湧いてきています。静花にはこれまであまり明るいイメージを感じなかったんですけど、ハンディキャップがある分、静花は人よりも2・3倍明るく生きている人なんじゃないかなと。なので、今はできるだけ明るく演じようと思っています。ただ、やっぱり静花は難しい役ですね。
千葉 (うなずきながら)すごく難しい役だと思うよ。いろいろな“ひっくり返し”があるから……。
智順 そうですね。静花は哲男との結婚は断って、なぜ尹大樹と婚約したんだろう?とか……彼女の思いを考えながら役と向き合っています。
村川 私自身は三姉妹の長女ですが、梨花は本当に次女らしい性格だなと思います。家族の空気をなんとか変えようと、梨花はあれこれ発言して、そういう彼女の気持ちはよくわかりますし、お姉ちゃんという壁が常に目の前にある中で、寂しさや構ってもらえなさを感じている子なんじゃないかなと。家族の中では一番ストレートに言葉が出てきて、よくケンカもするんですけど、お姉ちゃんという壁が目の前にあって……。胸の奥には寂しさやもどかしさを常に抱えているのだと思います。また鄭さんの作品では、登場人物たちはつらければつらいほど笑ったり明るく振る舞うので、その両極のエネルギーを感じて演じることが、今私には必要だなと思っています。
そして、私は関西人ですがここまで関西弁で芝居することはやったことがなく、実はけっこう難しいなと思っています(笑)。関西弁だと早口でサラサラーっとセリフを言ってしまうところがあるので、鄭さんに「しっかりと言葉を置くように」と言われており、セリフの言い方を今、意識しているところです。
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歪な関係性だからこそ、“家族であろう”とする彼ら