梅田芸術劇場 特集|男役スターからプロデューサーへ、宝塚OGの3人が語る「何でもやる会社・梅芸」

同室だった同期と偶然の再会

──上野さん、篠原さん、髙橋さんはそれぞれ宝塚歌劇団で男役として活躍されてきました。その活動を経てプロデューサーという道を選ばれましたが、俳優を経験したからこそ現在に生かせていることは何だと思いますか。

篠原 そうですね……お芝居の楽しさだったり舞台に立つ前の緊張感だったり、俳優さんの気持ちを理解してあげられることでしょうか。

上野 役者さんって本当に大変だと思うんですよ。特にミュージカルは歌も踊りもあって、それが何でもないことのように見えているけれど、実は本当に難しいことで。

髙橋麻衣

髙橋 幕が開いたとき、矢面に立つのはやっぱり俳優なんですよね。その責任感の重さをわかってあげられることで、サポートの仕方が変わってくるというのはあると思います。あとは、どんつき(緞帳が床に付く瞬間)とかホリゾント(背景の幕または壁)とか舞台用語が頭に入った状態で入社できたのはラッキーでしたね(笑)。そういった場面でも前職が助けになっていますし、宝塚での経験があったからこそこの仕事を志したんだと思います。

──一方で演じる側から舞台を制作する側に回って苦労したことはありますか?

上野 最初は電話も取れませんでしたからね(笑)。

一同 (笑)。

髙橋 あの緊張感たるや!(笑)

上野 それもね、二十歳そこそことかじゃないんですよ。ある一定の年齢を超えてから社会人の基礎を勉強しているわけだから、そこに関しては苦労したかもしれません。

篠原 でも宝塚ってそれぞれ入学する年齢が違うので、年下の先輩から教えてもらうことに抵抗がないんですよね。

上野 確かに、知らないことがあったら自分からどんどん質問していけるっていうのは宝塚にいたからこそだと思います。

髙橋 私は本当に機械に弱かったので、働くことが決まったときにまずパソコン教室に通いました(笑)。

上野 今じゃ髙橋が一番詳しいもんね(笑)。

──上野さんはこれまでに、3人のキャストのみで演じるストレートプレイ版「ローマの休日」や、宝塚出身者の方の魅力が光るOG公演を多く手がけられ、篠原さんは、ジョン・カンダーとフレッド・エッブがタッグを組んだ人気作「蜘蛛女のキス」や、コンサートを経てミュージカル版を上演した「CHESS」などを担当されてきました。また髙橋さんは海外でも公演を行った「エリザベート TAKARAZUKA20周年 スペシャル・ガラ・コンサート」や、元トップスターの北翔海莉さんが主演を務めたミュージカル・コメディ「パジャマゲーム」といった作品をプロデュースされていますが、お互いの人柄や担当作品についてどのような印象を持っていますか?

篠原 上野とは宝塚音楽学校の予科(入学して1年目)のときにすみれ寮で同室だったんですよ。組は違ったけれど、それからもずっと仲よくしていて。退団した時期も違うし、そのあと違う道を歩んでいたけど、また梅田芸術劇場で一緒に働けていることは本当にミラクルだなって思います。

上野 篠原は当時からすごくしっかりしてました。彼女は寮の委員をやっていたので、みんながどんくさいことをすると代表して謝りに行かないといけなくて……(笑)。

篠原 というか予科のときが人生で最高潮にしっかりしてたかも(笑)。私は基本的に大雑把なんですけど、上野は昔からきっちりやっていくタイプでした。彼女の存在は本当に心強いです。

上野 私からすると逆なんですけどね(笑)。篠原に限らず髙橋もそうですが、担当する作品の色も違うし、それぞれ自分のやり方というものがあると思うんです。仕事をするうえで、もちろんぶつかることもある。最終的に自分で決断しなければいけないとしても、アドバイスを仰ぐ存在として彼女たちがいてくれるというのはすごく助けになっています。

篠原 髙橋は最初、とても繊細だなって印象があって。精神的にも体力的にも大丈夫かなって思ったときもあったんですけど。

上野篠原 (顔を見合わせて)大丈夫だったねー(笑)。

篠原 今ではいろんなことをバリバリこなしてくれるようになって、やっぱり宝塚で育った“強さ”を持ってるなと思いました。

左から上野糸子、篠原江美、髙橋麻衣。

上野 宝塚出身の人って、とにかく必死にやっていくところがあると思うんです。髙橋もすごく一生懸命やる子で、どこかで力を抜いたらいいんじゃない?と心配になることもあるけれど、すごくひたむき。だからこそ短い時間の中でいろいろなことを任せてもらえるようになったんだと思います。私が過去に2度担当した「エリザベート スペシャル・ガラ・コンサート」を、3回目から髙橋に引き継いで、小姑のように見守らせてもらっていたんですが(笑)、これからは髙橋のやり方でやってもらうのがいいなと思っていて。1996年の初演以来、「エリザベート」が宝塚で大切な作品として上演され続けてきているように、可能な限り「ガラ・コンサート」も続けていきたいし、私たちのような宝塚出身の制作者の系譜が続いていったらうれしいですよね。

篠原 宝塚を退団した方が女優として再出発するのは大変なことだというのが自分たちでもよくわかっているので、がんばっている方に活躍の場を提供したいという思いでOG公演を企画しているんです。だから出演してくださるOGさんたちにも「梅芸は宝塚を理解してくれている」「認めてくれている」という安心感を持っていただけていたらいいなと。

上野 そこから「DANCIN'CRAZY」や「ブロードウェイミュージカル『シカゴ』宝塚歌劇OGバージョン」が生まれて、髙橋が担当した「シカゴ」はニューヨークでも公演を行いました。

──髙橋さんは、実際に海外公演を経験してみていかがでしたか?

髙橋 準備が本当に大変で……。ニューヨーク公演では「シカゴ」だけでなく、宝塚のショーをOGたちが演じる「タカラヅカ・アンコール」を併演したんです。宝塚の名前に傷を付けてはいけないという点に気を配りながら、ニューヨークに持って行ったんですが、最終的にお客様から大きな歓声をいただいたとき「ああ、やってよかったな」と心から思って。海外公演を通して、改めて宝塚を誇りに思えたというのは非常に得難い体験だったと思います。

何でもやるのが梅芸

──OG公演のほかにも、2016・17年上演の「スカーレット・ピンパーネル」では、パーシー役の石丸幹二さん、宝塚版「スカーレット・ピンパーネル」の歴史を築いた安蘭けいさんに加え、若手俳優の方々を多く起用するなど、新たな才能の発掘に積極的に取り組まれていらっしゃいますね(参照:石丸幹二率いるピンパーネル団の知恵と絆、安蘭けい「やっぱり全然違う」/「スカーレット・ピンパーネル」石丸幹二が再演に手応え「魂の宿り方が違う」)。

上野 宝塚版「スカピン」では、若手の男役さんがピンパーネル団を演じることが多いですが、梅芸版を上演するにあたって、新しい俳優さんたちと出会いたいという思いがあったんです。われわれ制作チームがさまざまな作品を観る中で、一緒に作品作りにチャレンジしてくださる可能性を感じたり、1つの作品が契機となってその後も梅芸の作品に出演してもらいたいと思った方々にお声がけをさせていただきました。何かのきっかけでミュージカルに挑戦したいという気持ちを持ってる方もいらっしゃると思うので、微力ながらチャンスを作ることができればいいなと考えています。

篠原 宝塚で発表した作品に男性キャストを入れて上演するのって、いろいろ事情を知っているだけにすごくプレッシャーのかかることなんです。宝塚ならではのよさももちろんわかっているから、それを壊してはいけない。男性キャストが加わったことによって、違った色を出していけるように工夫しながら制作を進めています。

──また梅田芸術劇場では、ミュージカルに携わる人材の育成と同時に、新たな客層の獲得にも力を入れていらっしゃるように感じます。

篠原 日本では演劇業界自体がまだマイナーな分野なので、少しでも裾野を広げていくというのはわれわれの根本的な使命ですし、劇場に縁のないまま過ごされる方も多いと思うので、そういった方々をいかにして劇場に呼ぶかというのは常に意識しています。

──海外のミュージカル作品や宝塚で上演された作品の再演にとどまらず、16年には原作の20周年を記念して「バイオハザード」のミュージカル化に挑戦し、話題を呼びました。今後も映画やゲームなど、さまざまなジャンルの作品を舞台化していく構想はあるのでしょうか。

篠原 大阪の会社らしく、何でもやるのが梅芸なんです(笑)。そういった意味では本当に貪欲で、海外の翻訳ミュージカルもあれば、オリジナル制作のもの、ストレートプレイ、「ミュージカル 『バイオハザード ~ヴォイス・オブ・ガイア~』」のような原作ものまで、魅力的なコンテンツにはどんどんチャレンジしていきたいですね。

上野 キャスティングもそうですが、決め付けがないかもしれないですね。「PHOTOGRAPH51」をはじめ、小さなキャパシティで上演するストレートプレイから、海外作品の招聘公演、ときには所属タレントの周年コンサートも手がけますし、ジャンルにこだわりがないのが特徴です。

篠原 そのぶん、みんないろいろなことができないといけないから大変なんですけどね(笑)。

──これまでUMEGEI PRESENTS作品を中心にお話を伺ってまいりましたが、これらの演目が上演される2つの劇場、メインホール、ドラマシティについてはどのような劇場だと捉えていらっしゃいますか?

上野 メインホールはかつて梅田コマ劇場という名称でご愛顧いただいていましたが、その後飛天に改称するなど変遷を繰り返して、いろいろなコンテンツを発信しながら大きく育ってきた劇場です。大阪の演劇界を担ってきた劇場が閉館したり移転したり、さまざまな動きがある中で、名前は変われども、みんなで一丸となって走り続けてきました。それを経て今に至っているので、スタッフもいろいろなことに対応可能なんですね。私たちのように途中から入ってきた人間もこれからの人たちに襷をつなぎながら、これからもずっと文化を発信し続けられたらと思っています。

左から篠原江美、髙橋麻衣、上野糸子。
株式会社梅田芸術劇場
株式会社梅田芸術劇場

宝塚歌劇団の運営元である阪急阪神ホールディングスグループに属する株式会社梅田芸術劇場では、2005年4月に開場した大阪市北区茶屋町にあるメインホールおよびシアター・ドラマシティの運営管理や、演劇公演の企画・制作・興行、梅田芸術劇場の貸館、アーティスト・プロダクション事業を展開。3層に分かれた客席を有する大規模ホール、メインホールと、舞台と客席との一体感を重視した中規模ホール、シアター・ドラマシティの2つを所有しており、アーティスト・プロダクション事業部には麻実れい、湖月わたる、朝海ひかる、樹里咲穂、野々すみ花、則松亜海らが所属している。

上野糸子(ウエノイトコ)
1983年に宝塚歌劇団に入団し、天地ひかりとして活動。95年に同劇団を退団。主なプロデュース担当公演は「ローマの休日」、ミュージカル「ファントム」再々演、「夜への長い旅路」「OTHER DESERT CITIES」「エリザベート・ガラコンサート」、ミュージカル「Romale(ロマーレ)~ロマを生き抜いた女 カルメン~」など。
篠原江美(シノハラエミ)
1983年に宝塚歌劇団に入団し、黒川深雪として活動。91年に同劇団を退団。主なプロデュース担当公演は「蜘蛛女のキス」「MUSICAL『MITSUKO~愛は国境を越えて』」、ブロードウェイ・ミュージカル「ワンダフルタウン」「CHESS」、ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」「オーシャンズ11」、ミュージカル「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」など。
髙橋麻衣(タカハシマイ)
1995年に宝塚歌劇団に入団し、一色瑠加として活動。2012年に同劇団を退団。主なプロデュース担当公演は「エリザベート TAKARAZUKA20周年 スペシャル・ガラ・コンサート」、ミュージカル・コメディ「パジャマゲーム」。