「第33回 としま能の会」野村万之丞×健人|人間の思いや愛おしさを描く能楽は、僕たちから遠くない

自分とはまったく違う世界に生きる
キャラクターを演じるには…?

──能舞台には劇場にあるような緞帳もないですし、松が描かれた鏡板と、下手奥に橋掛かりがあって、演劇やミュージカルを観慣れたファンにとっては本当に別世界のような雰囲気です。それにもかかわらず能楽には、歴史を感じさせない人間の普遍性や愛おしさが詰まっていて、失敗を笑い飛ばしてくれる懐の深さがある。万之丞さんのお話を聞いてますます能楽を知りたい!と思ったのですが、能ではよく生死を超えて人物が共存する世界が展開します。自分とはかけ離れたキャラクターに扮するときは、どのように役をつかもうとされるのでしょうか。

万之丞 僕なんかは、まだ教えられたことをしっかり会得しつつという段階なので、役作りまではなかなか。基本から逸脱してしまうので、あまり深く追求したことはありません。狂言師にとって大事な曲に、神様になって舞う「三番叟」がありますが、決まりごとで、前日や少し前から女性と関わりを持たないというのがあります。“別火”といって女性が作ったご飯を食べない、つまり火を別にするため、自分たちで食事を作り、身を清めて臨むという。今の時代とはリンクしない感覚ですが、そういうことで気持ちの持ちようが格段と変わったり、自分の中で役作りに似た意識の切り替えがあったりしますね。あとは、最近だと「悪太郎」という狂言で、大酒飲みで悪態をつく役を演じたんですが、僕はお酒を飲むと気持ち悪くなって寝てしまうんです(笑)。なので、「君は善太郎に見える」と言われ、どうしていいかわからなかった、というのはありましたね。周りにいる人を思い浮かべて、こんな感じかな?と試行錯誤しましたが、また挑戦することがあれば、お酒を飲んでわーっとやってみるのもありなのかなと(笑)。

健人 お酒に関しては、僕もまったく同じです(笑)。酔っぱらったシーンだと、周りの人から役を引っ張ってくるしかない。酔うとどんなことをするのかな?と視覚の情報を頼りにしています。

健人

──健人さんは近年、ゲーム原作やコミック原作などの舞台にも多く出演されています。周りにサンプルがないもの、例えば「舞台『刀剣乱舞』」で演じられた鶴丸国永は刀が具現化された役ですが、そういう自分とはかけ離れたものに寄せていくときは、何をヒントにされるんですか?

健人 そうですね、お米の擬人化とかもありますし(笑)。原作があるものはそこから持ってきたりしますが、鶴丸国永でいうと、刀がどういう気持ちだったのか……というところですね。北条家から織田信長に渡り、最終的には伊達家へ行って、いろいろな場所を回ってきた。そこまで1人の主人に執着もないのかなと想像するところからキャラクターを作っていって。鶴丸がどんな風景を見てきたのか、その時代、起こった出来事に対してどう感じていたのかと、調べたり、逆にあえて知らないままにして余白を持たせたり。アニメやゲームで声優さんが声を当てている役の場合は、抑揚を似せたりしますが、ない場合は自由に、自分が感じた通りに。

万之丞 逆に僕は、自由って難しいなと思います。決められたものがあると、もちろんそれを体現するのは大変なんですけど、そこに向かって努力していけばいい。自分でイチからという経験が僕にはないので、また大変な部分がありそうだなと。

──万之丞さんは現代劇の舞台へのご興味はいかがですか。

万之丞 今すぐやってみたいという思いはないのですが、大きく言えば根っこには、能や狂言を1人でも多くの人に知ってもらって、「あ、面白いじゃん」と思ってもらいたい、というのが人生の目標としてあって、その過程でいろいろな演劇に挑戦し、自分のスキルアップにつなげ、狂言をより多くの人に知ってもらえる機会が増えるなら、それはぜひチャレンジしてみたいなと思います。

チラシの中にこんなに情報が!ディテクティブ万之丞

──そんな万之丞さんの狂言師としての姿を拝見できるのが、今回の「第33回 としま能の会」です。仕舞「玉之段」、狂言「萩大名」、復曲能「大般若」が上演されますが、万之丞さんが出演される「萩大名」では野村萬さん、野村万蔵さんの親子三世代が共演。どんな作品ですか?

左から健人、野村万之丞。

万之丞 これは主役が大名なのですが、皆さんが想像する、召使がたくさんいる偉い戦国大名とは違い、召使の少ない地方の大名。召使とお茶屋さんに寄って、きれいな日本庭園を見ながら、萩の花にちなむ和歌を詠むことになるのですが、この大名は威張っているくせに教養があまりないから、事細かに詠む歌を教えてもらうんです。さて、そんな間抜けな大名が教えられた通りに振る舞えるでしょうか、という話。この大名のキャラクターと、間抜けな主人に仕える、僕が演じる太郎冠者の大変さ、何も知らないお茶屋さんの掛け合いが見どころです。最初にフリがあって、それが最後のオチにつながるような感じなので、とてもわかりやすく、初めて狂言を観る方にもおすすめだと思います。

──「玉之段」についても教えていただけますか。

万之丞 これは能「海人」の一部ですね。海女さんが淡海公(藤原不比等)との間にもうけた息子を世継ぎにするために海に潜り、竜宮の宝珠を盗み取ってくるという場面を、仕舞といってお囃子もなく、謡と舞だけで見せる。5分から10分くらいの作品でしょうか。「〜の段」というのは、その能の中でも一番の見どころ、大事な場面に付いていることが多いので、観やすいと思います。

──そうなんですね。ところで、最後の「大般若」が、いわゆる眠くなるようなイメージの能とは異なる作品だと聞いたのですが。

万之丞 復曲能ということで、実は僕も観たことがないんですよ(笑)。もともと二百何十番とある中でも、よくやる演目は60から70くらいだったりするので、復曲能という「大般若」もまれな作品かと思います。ただ、このチラシを見ると天女が2人、龍神が2人、対になっていて、中に大王がいる。見た目にも派手で楽しめるものだろうなと思いますし、最後に神様が出るときはしっとりしたものというより、豪華に、勇猛に、力強く舞っていくはず。囃子も激しめなのかなと想像します。眠くならなさそうな要素が見て取れるので(笑)、初心者の方にこそおすすめかもしれません。復曲能は昔のものを復活させた作品ですが、そこは現代になってから作られているので、現代人でも楽しめる工夫が施されているのではないでしょうか。

健人 ……すごいですね! 観たことがないのに、この画からこれはこうであろうという魅力を引き出せるって。お話を聞きながら素晴らしいなと思っていました(笑)。

万之丞 いえいえ(笑)。能の中にもパターンがあるので、これだと対になって出てくる2人が、相舞といってシンクロして舞う場面もあるんじゃないかなと思うんですけど。面を着けていると視界が遮られてしまうので、相手が見えない状況できれいにピタっと合って舞っている姿を観ると、僕も「おおー!」と思います。ぜひそういうところにも注目していただければ。

健人 なんか心を持っていかれちゃいます(笑)。「観に行きたい!」ってなりますもんね。3作品とも違って、楽しそうです。

古典を守りながらどこまでできるか、
同世代にもっと能楽の魅力を伝えたい

──今年能楽の世界に触れた健人さんは、そこで新たな武器を手にしたかと思いますが、今後はどのような俳優を目指していきたいですか。

健人 いろいろなことに挑戦していきたいと思いますね。こうやって狂言の世界を知ることができて、僕も心を動かされて、少しでも腕をあげたい、近づきたいという気持ちになったので、能楽について勉強していきたいです。恐れないことを大切に進んでいけたら……僕、すぐビビっちゃうので(笑)。1回へこむと立ち直るのに時間がかかるから、なるべくポジティブに。

──へこんだときは、どうやって自分を盛り上げるんですか?

健人 好きなことに打ち込みます。ここ数年はオンラインゲームをやっていて、違う業種の友達が増えました(笑)。自分がまったく知らない世界で生きている人の話を聞くのは、とても楽しくて。だから今日は万之丞さんのお話を聞けて、僕にとっては学びの場でした。

──万之丞さんはYouTubeやSNSの活用など、すでにご自身から発信して、能楽の普及に務められているかと思います。どんな未来を見据えて、活動していきたいですか。

万之丞 祖父や父のような立派な能楽師・狂言師になることは目標としている未来であり、繰り返しになりますが、狂言や能が広くいろいろな人に知れ渡り、楽しんでいただけるような世界になれば一番良いなと思います。その取っかかりとして、「としま能の会」でも2016年には「刀剣乱舞」とコラボレートして「小鍛冶」や、刀に関係した狂言「磁石」をやったり、別の公演でも「長光」という「刀剣乱舞」に出てくるキャラクターの刀にまつわる狂言をしたりしました。流行の助けを借りると、新たにこちらの世界の魅力に気付いてくれたりする人もいて。ということで、今日も健人さんのお力をお借りしたわけですけど、古典を守りながら、どこまでできるかというのは、本当に難しいです。だからこそ、自分の中で譲れるもの、譲れないものの線引きをしたうえで、いろいろなことに挑戦し、同世代に能楽の魅力をたくさん伝えていけたらなと思っています。

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