日本映画専門チャンネル「特集 岩井秀人」2ヶ月連続企画記念 岩井秀人×古舘寛治対談|“本当の人間”を描く、演じる

「おとこたち」はワールドスタンダード

古舘 今回の「特集 岩井秀人」をご覧になる方にあらかじめ言っておきたいんですけど、「これを観て、観た気にならないでほしい」んです。

岩井 気持ちはわかるけど、言い方が最悪です。僕は観てもらえるだけでうれしいですよ。

古舘 まあ言い方はともかく(笑)、演劇のリアリティって本当に目の前で起こっていることがすべてなんですよ。でもそういう些細なことが面白くなるかどうかは、パフォーマーの演技次第でいくらでも変わるんです。舞台でも、ビデオを再生したみたいに同じパフォーマンスを繰り返すだけの俳優もいますけど、目の前の人間がどれだけ面白いかは、その場にいて体感しないとわからないので、この特集放送を観たらぜひ劇場にも足を運んでほしいなって。

左から岩井秀人、古舘寛治。

──4月は、「て」「夫婦」、コドモ発射プロジェクト「なむはむだはむ」、「おとこたち」と近年の代表作がそろい、さらにオリジナル番組「ハイバイ、十五周年漂流記。」が放送されます。古舘さんがご覧になった作品はありますか?

古舘 テレビ初放送の「ハイバイ、十五周年漂流記。」以外はもちろん観てますよ。岩井作品は欠かさず観てるので。岩井くんはオリジナリティと面白さが突出していて、だからこそ彼の独特な演劇作りがこれまで続いていると思うんですけど、その到達点の1つが「おとこたち」だと思います。完成度がすごいですし、日本の演劇界で本当に面白いものって滅多にないと思いますが、その中で「おとこたち」はワールドスタンダード。世界水準で面白いものを作ったなと言うのが、素直な感想です。その次の「夫婦」は、普段あまりそう思ったことはないんですけど(笑)、「この人は本物だな」と。表現者には“そうにしかなれなかった人”がいて、岩井くんはまさにそう。自分の話をあれだけ晒しながら、でも最終的には普遍に到達している。無意識なのかもしれないですけど、理屈で考えてそうするんじゃなくて、自然にできるっていうところが本物ですよね。それと偽物って言うかディレッタントたちは、結局ステレオタイプにいっちゃうんです。みんながわかるものを追いかけて、「みんながわかるってこういうものだよね?」っていうイメージを引っ張り出してくる。だからステレオタイプなものしか出てこないんだけど、ステレオタイプには普遍なんかない。なぜなら僕たちはみんな、オリジナルな人生を生きているわけなので、普遍は個人の中にしかないんです。その意味で、岩井くんは自分を描くことによって普遍が勝手に描かれているという、日本で稀有な作家さんだと思います。

──表現は違いますが、岩井さんもよく「て」初演のエピソードとして、「自分の話を書いたら『私も!』と言い出す人がいてびっくりした」というお話をされますよね。

岩井 観終わった人がいきなり自分の家族の話を始めたっていう、そういう体験は「て」で初めてしましたね。

伝わるかどうかより、本質的な表現かどうか

──演出についてはいかがでしょう? 古舘さんは平田オリザさん、松井周さん、長塚圭史さんとさまざまな演出家とお仕事されていますが、岩井演出の特徴はどんなところにあると感じていらっしゃいますか?

古舘寛治

古舘 最近岩井くんの演出を受けたのは「ヒッキー・ソトニデテミターノ」の再演(18年)ですが、あのときは岩井くんがかなり新しいことをしようと挑戦していて、稽古の後半までいろんなことを自由に俳優にやらせて、作品を立ち上げようとしていました。そのときに僕は、ものすごいショックを受けたんですよ、何にって、自分の記憶力の悪さに!

岩井 (笑)。

古舘 ある程度動きを試して、もう一度振り返りながら動くときに、どうやったかが全然思い出せなくて、動けなくなって。あのとき、“死んだ”って思いました。

岩井 でももう、古舘さんは覚えてないってことでいいんですよ(笑)。俺、わかりました。さいたまゴールド・シアターの演出をやって(参照:悲喜こもごもを作品に昇華、ゴールド・シアター×岩井秀人「ワレワレのモロモロ」)。

──確かに近年の岩井さんの演出は、「なむはむだはむ」(17年)や「世界は一人」(19年)など、演出の基盤はしっかりありつつも、どんどんラフになっているという印象を受けます。

岩井秀人

岩井 もともとは俳優主義のタチの悪い演出家だったと思うんですよ。声の高さや動きのタイミングなど、俳優がやることを全部決めていくタイプの。でもそれがずっと苦しくもあって、俳優によかれと思って演出をつけるんだけど、つけたらつけたで俳優を縛ってるような気がして苦しいと感じる、みたいに全然幸せじゃなかった。でも「なむはむだはむ」で(森山)未來くんが、俳優主義というより作り手主義だったので、「作り手がこう思うからこうやる、それをお客さんがどう観るかはわからない」くらいのスタンスでいるのを見て、少し考えが変わりました。だから昨年くらいから、昔から言ってきた「自分の母親たちにも伝わるものを」とは言わなくなったと思うんです。それは“表現”に対して、“伝わらない可能性は大いにあって、でもそれが自分にとって本質的な表現ならば、あえてその表現を選択する”という意識になったからだと思います。「夫婦」の再演(18年)ではそれをさらに進めた感じがあって、記憶って時間軸とか脈絡を全部すっ飛ばして、勝手にぎゅーっといろいろなものでつながっているじゃないですか。なので特に時系列的にエピソードを並べるのではなく、頭の中の記憶の並びに近い状態を目指そうとしている部分がありますね。

“本当の人間”の立ち上げ方

──古舘さんは、16年にSPAC「高き彼物」の演出をされました。同作に関するあるインタビューの中で、「舞台上のフィクションの中で本当の人間が生きていることが自分にとってのリアルだ」と古舘さんはおっしゃっています。岩井さんの作品も、フィクションの中に描かれるリアルな人間像が魅力の1つだと思います。そこであえて愚直な聞き方をしますが、“本当の人間”は、どうしたら立ち上げることができるのでしょうか? またそれを演出するときと演じるときでは、ご自身の意識は異なるのでしょうか?

古舘 僕は一緒ですね。

岩井秀人

岩井 “本当の人間”が立ち上がるかどうかは、観ている人の中に像が結ばれるか否かなので、演出の僕がそう感じるかどうかによりますね。自分が俳優として立つときは……わからないです。僕自身は現実に生きている人の像を結んでくれればと思うけど、演出家が「どこかの芝居で観たあの型を演じてください」って言う場合もあるし、アニメのキャラクターのように人間じゃないものを望んでいる場合もありますから。ただ僕は、現実の人の仕草を再確認して、「人間ってこんなに細かいところで、こんな感情の動きがあるんだよな」とか「こういう時間の積み重ねで人はできてるんだな」とかって思うし、そういうことに興味のある俳優たちが集まって、しっかり組み込まれた台本をやるのってすごい贅沢だなと思うんです。という意味で、古舘さんが演出した「高き彼物」は、きっと演出家によってすごく変わっちゃう作品だと思うけど、本当に徹底した演出で、僕にはできないトライだと思いました。僕ならきっと、もうちょっと演出の手を打ちたくなる。だけど古舘さんは、俳優1人ひとりとやり取りを重ねて、現実の人間の仕草の積み重ねだけで、あれだけ豊かなものを作り出した。全然(演出の)手が見えなかったと言うか、「こういう演出をしたんだろうな」ってことではなく、「俳優とどういうやり取りをしたら、ここまでの空気ができるのかな」って思いました。だからこれからどんどん演出をやるのかなって思ったら全然やらないから、古舘さん何してるんだろうなあって(笑)。

古舘 話が来ないんですよねー(笑)。僕は、リアリティという話で言えば、演じてない人間が観たいんですよ。演じるのが俳優なので、演じるのは大前提なんですけど、そのうえで「この人、今演技してるのかな?」と思ってしまうような、表現していない人間、油断している人間を観せられたとき、その技術に感動する。例えば駅のコンコースにいる人って、大抵メールしたり電話したり、何か飲んだり食べたりしてるわけですけど、それをそのまま舞台上でやれたらむちゃくちゃ面白いし、感動するなって思うんです。1人だからと油断して、自分を客観視できてないときの人間は、観ているととても面白い。15分は観られますね。

岩井 観られるかなあ?(笑) ただ、それを面白いと思う人が、あの「高き彼物」の演出をしたって考えると納得がいくし、信じたくなりますね。僕に比べると古舘さんのほうが、俳優や演技ってことに対してものすごく夢を持ってる気がする。

古舘寛治

古舘 人間はフィクションを通して自身を客観視するもので、だから僕は映画も演劇も価値があると思うんです。でも今、社会を客観視するということが、どれだけ難しくなっているか。日本は誰もがものすごく忙しく働いていて、自分自身がやっていること、この国がやっていることを「本当にこれでいいのか?」と客観視する時間すら持てずにいるんじゃないかと思います。そんな、自分を客観視できない、悲しくも愛おしい愚かな人間の姿を見られるのがフィクションだと思うので、そこに自分自身さえ客観視できていない演技をする俳優が入るのは、ちょっと気持ちが悪いなと思うんです。

──近年、古舘さんは映像でのご活躍が続いています。今後また、舞台でもお姿を拝見できますか?

古舘 今は演出をやりたいんですよね……やっぱり最近ますます思うのは、僕は演出脳なんだなって。

岩井 そう? そうでもないでしょ(笑)。

古舘 もちろん演じたいとも思うんですけど。

岩井 でも古舘さん、いっつもこんなことばっかりのらりくらり言ってますからね(笑)。じゃあ僕が演出を頼めばいいんですかね?

古舘 ……えっ?

左から岩井秀人、古舘寛治。
岩井秀人(イワイヒデト)
1974年東京生まれ。劇作家、演出家、俳優。2003年にハイバイを結成。07年より青年団演出部に所属。東京であり東京でない小金井の持つ“大衆の流行やムーブメントを憧れつつ引いて眺める目線”を武器に、家族、引きこもり、集団と個人、個人の自意識の渦、等々についての描写を続けている。12年にNHK BSプレミアムドラマ「生むと生まれるそれからのこと」で第30回向田邦子賞、13年「ある女」で第57回岸田國士戯曲賞を受賞。18年「ワレワレのモロモロ ジュヌビリエ編」(構成・演出)でフェスティバル・ドートンヌ・パリに参加した。作・演出を手がけた音楽劇「世界は一人」が4月14日までツアー中。
古舘寛治(フルタチカンジ)
1968年大阪生まれ。ニューヨークで演技を学び、2001年に青年団に入団。松井周率いるサンプルに、旗揚げから17年の劇団解体まで所属。主な出演作に「自慢の息子」(作・演出:松井周)、映画「淵に立つ」(深田晃司監督)など。16年にはSPAC「高き彼物」の演出を手がけた。現在、NHK大河ドラマ「いだてん~オリムピック噺(ばなし)~」にレギュラー出演中。19年秋に映画「宮本から君へ」(監督:真利子哲也)が公開される。