10年後、20年後、自分は何をやっていきたいの?
──ここからは山田さんに今までの□字ックの歩みを振り返っていただければと思います。これまで□字ックは劇団として活動してこられましたが、結成10周年を機に、山田さんがオリジナル舞台制作を行う場として、所属俳優を持たずに活動することとなりました。新体制になった今の率直な心境をお聞かせいただけますか?
山田 新体制になるまでは劇団を背負ってるというか、自分だけが得しちゃいけないって気持ちがずっとあって。主宰である以上、劇団員にスポットライトを当てていかなきゃっていう意識がすごく強かったんです。劇団にはみんなで切磋琢磨して成長していく美しさがあると思うんですけど、劇団をやっているからこそ可能性を狭めているところもあるよなって思って。「10年後、20年後、自分は何をやっていきたいの?」と考えたときに、和気あいあいと作品を作っていくことよりも、自分がどんな作品を残していけるかということに対する興味が勝ったんですよね。□字ックは劇団ではあるけど、クオリティファーストで自分のオリジナル作品を創作していく場所にしたいって決めたら、気持ちがフッと軽くなっちゃって。みんなに「これからは1人でやっていく選択肢もあると思うんだけど」って話をしたら、寂しくてたくさん泣いちゃって、別れ話を切り出したほうがめっちゃ泣くみたいな状況になっちゃいましたが(笑)、シビアだけど希望もある、劇団員全員にとってベストな選択ができたかなって思います。
──10年の間に、自分の中の作家性を大切にしたいという思いが強くなっていったんでしょうか?
山田 10年間の前半戦は誰かに見付けてもらわなきゃっていう猛烈な焦りがあって、自分しか見えてなかったんですけど、2014年に「荒川、神キラーチューン」でCoRich舞台芸術まつり!2014春のグランプリを受賞して、そのときに自分の中で切迫してたものが解放されたんです。でも「荒川、神キラーチューン」は小野寺ずるにスポットライトを当てた作品だったから、ほかの劇団員にも賞を獲らせてあげたいっていう使命感が生まれてしまって。その後外部で作品を作る機会が増えてきて、自分自身がクリエイターとして成長することと、主宰として劇団員を育てることのバランスが崩れちゃったんですね。でも1人体制になったことと、コロナによってエンタメ業界全体がストップしたことによって、「自分は作家でいいじゃん」って割り切れて、すごくシンプルな考え方ができるようになったと思います。
──山田さんはこれまでに創作を止めてしまおうかと思った時期はありましたか?
山田 もうしょっちゅうでしたよ!(笑) 演劇を辞めて花屋になりたいなとか、脚本を書きながら喫茶店やりたいなとか……。でも無理だったんですよね。今の時点で創作を止めてしまったら世の中からすぐに忘れられちゃうから。忘れられることは別に悪いことではないんだけども、現状何者でもない私が創作を止めたらやっぱり忘れられてしまうし、見えかけてた景色は二度と見られない。なのでこれからも創作を続けて、10年後、20年後に自分で誇れるような結果を出しておきたいなと思います。でも今は年齢が上がったこともあって、自分がもし親になったらどんな作品を作るんだろう?っていうことにも興味があって、これまでとは少し違った葛藤がありますね。
──クリエイターとしても1人の人間としても、いろいろな変化があった10年だったんですね。
山田 そうですね。演劇を始めたばかりの頃は本当に嫌なやつで……当時を知る人には申し訳ないけど、最初はペンとか投げるタイプの演出家でしたもん!(笑) 自分が演出してて納得できないとき、俳優にどういう言葉をかけたらいいのかわからなくて、感情が先走っちゃってたんですけど、次第に相手に言葉を伝える技術や相手を理解する力がついてきて、それは今すごく現場で生かされてると思います。2011年の「鳥取イヴサンローラン」や2013年の「タイトル、拒絶」の初演あたりは精神的にすごくキツかったけど、友人から「山田の作品からは女性への畏怖を感じる」って言われて、初めてそこで女性性に向き合うことができたんですよね。それでようやく、自分が何を描いていきたいかっていうのが見えてきた気もしていて。今でこそ“(自分は)女性なんだ”と受け止めることができているけど、昔は自分の中の女性性を嫌悪してたんです。
──話題に上がった「鳥取イヴサンローラン」「タイトル、拒絶」「荒川、神キラーチューン」の3作は、女性性に着目した作品であり、□字ックのターニングポイントになった作品でもあります。
山田 そうですね。「鳥取イヴサンローラン」も「荒川、神キラーチューン」すごく大事な作品なんですけど、この2作は自分の中で“演劇であるべき作品”だと思っていて。一方で「タイトル、拒絶」は大きな劇場で再演したいっていう気持ちと、映画化したいっていう気持ちが両方ありました。そういえば「タイトル、拒絶」初演のとき、今でも自分の創作の芯になっている印象的な出来事があって。「タイトル、拒絶」を上演した劇場の小屋主さんの知り合いでセックスワーカーの方がいたんですけど、見ず知らずの彼女が初観劇にもかかわらず毎ステージ観に来てくれるようになって、理由を聞いたら「この作品に自分の気持ちを代弁してもらってる気がする」と言ってたんです。後日、その女性が「タイトル、拒絶」をきっかけに仕事を辞めたって話を聞いて、自分が書いた作品に誰かが共感してくれて、その人の人生を少しでも変えることができたんだって思ったらうれしくて……。私も若い頃、演劇や音楽に救われてきたから、自分の創作物が誰かの助けになるんだったら、少しでも長く創作を続けていかないといけないなって思ったし、いまだにその力を信じてるから続けていられると思うんですよね。
──「タイトル、拒絶」初演のインタビューで「今回の作品はお客さんへのラブレター」とおっしゃっていたのが印象的でした。
山田 そう考えると自分の試みは成功してたのかもしれませんね。□字ックの作品を振り返ると、人間賛歌じゃないですけど、「どんなにしんどくても生きていきましょうよ」っていうメッセージが込められた作品が多い気がしていて。私はものすごく現実主義なので、人のことを美しく描かないんですよ。人生なんて生易しいものじゃないし、優しくない世界を平坦に生きてるのが我々だし。綺麗事にするのは簡単だけど、綺麗じゃない世界で何を綺麗だと評価してあげられるんだろう?っていう気持ちはたぶん10年経っても変わってないですね。
自分にしかできない、新しいものを作っていく10年に
──□字ックでの活動に加え、Netflixオリジナルシリーズ「全裸監督」に脚本家として参加されたり、映画「タイトル、拒絶」で長編監督デビューを果たすなど、さまざまなジャンルで活躍中の山田さんですが、今年はついに処女小説「されど家族、あらがえど家族、だから家族は」を発表されました(参照:□字ックの山田佳奈が処女小説を発表、現代の“家族”に切り込む)。
山田 執筆が大変すぎて、本当にハゲるかと思いましたよ!(笑) よくインタビューで演劇と映画の演出の違いについて聞かれるんですけど、仕上げの段階が違うだけで実はそんなに変わらないんです。でも小説は人物の描写から状況の描写まで、全部自分で伝えなきゃいけない。これまで俳優部、技術部に担ってもらっていた部分を、たった1人で立ち上げていく作業を経験して、今までどれだけ人に助けられてきたんだろうって思いました。「演出家って孤独だね」って言われるけど、小説家のほうがよっぽど孤独です。
──24歳で□字ックを旗揚げしてから10年間走り続けて、果敢にチャレンジを続ける山田さんが、これからの10年でどのような作品を作っていくのか非常に楽しみです。
山田 そうですね。楽しみであると同時に、「演劇と映画、どっちをやっていくの?」って言われることに対しても向き合っていかなきゃいけないなと思ってて。以前、パントマイム出身の方が「自分はダンサーチームにも入れてもらえないし、俳優チームにも入れてもらえない」っておっしゃってたんですけど、私もまさに同じ気持ちなんです。演劇チームでもなければ映画チームでもない。でもオリジナルにはなれると思ってるから、自分が作家であるっていう芯の部分だけは揺らがないように、自分にしかできない新しいものを作っていく10年にしたいですね。