岡田利規とカゲヤマ気象台が語る“場所とクリエーション”どこで作るか?誰と、どう作るか? (2/2)

演劇であり音楽である「リビングルームのメタモルフォーシス」の特殊性

──一方、「リビングルームのメタモルフォーシス」はウィーン芸術週間で世界初演を迎えました。初演の劇場はどんな空間だったのでしょうか?

岡田 初演のウィーンの劇場は、もう少し空間の抜けがある場所でしたね。客席の角度もありました。ただ初演の時点からそれ以外の場所でもやることを想定して作っていて、もちろん初演の劇場では技術監督を中心にすごく綿密にスタッフがベストな上演に向けて検討を重ねてくれたんですけれど、初演の場所に対して特別さは特に感じていないというところもあるんです。一方で、これは僕の作品に限らず感じていることなんですけど、劇場の空間にとって重要なのは、意外と、客席の角度なんじゃないか。「リビングルームのメタモルフォーシス」は昨年6月にオランダのアムステルダムでも上演しているのですが、そのときの会場は劇場ではなくてコンサートホールだったんですね。コンサートホールって劇場に比べると圧倒的に客席の角度がついていない。つまり、音が良いということのほうが重要で、“前の人の頭が邪魔で舞台が観えない”ってことをあまり問題にしていないから、客席の傾斜の有無はあまり問題にならないのだと思います。でも「リビングルームのメタモルフォーシス」に関しては一応演劇でもあるので「舞台が観えにくい」という問題は話題に挙がって、結局傾斜のある仮設の客席を作ってもらいました。

チェルフィッチュ× 藤倉大「リビングルームのメタモルフォーシス」 世界初演(Wiener Festwochen 2023)より。©Nurith Wagner-Strauss

チェルフィッチュ× 藤倉大「リビングルームのメタモルフォーシス」 世界初演(Wiener Festwochen 2023)より。©Nurith Wagner-Strauss

──作品的にも、「リビングルームのメタモルフォーシス」は舞台の前面に演奏者たちのスペースがあり、後ろに俳優たちのアクティングスペースがあるので、傾斜がないと演奏者と俳優が確かに被ってしまいそうですね。

岡田 そうですね。ただどうしてそういう配置にしたかというと、よく見える場所に演劇を出してしまうと音楽が背景化してしまうからです。“演劇 vs 音楽”という形で話をするなら、音楽は感覚的な刺激として直接的に受け止められるのに対して、演劇は言ってることややっていることを人が理解しようとする傾向がある。だから大抵の人は……と言っておきたいのですが、意味が掴めないと「わからない」と思ってしまうんです。それで演劇をよく見える場所に、と考えると思うんですが、「リビングルームのメタモルフォーシス」は“音楽と演劇の拮抗から成る何か”を描いた作品なので、演奏者を前に出しました。碁石の黒の石と白の石の大きさって、色の反射の問題で大きさが違いますよね? ちょっとそれみたいな感じだと思います。

カゲヤマ 僕も「リビングルームのメタモルフォーシス」初演の資料映像を拝見したのですが、演奏者たちが手前にいることで、楽器を弾く身振りも演劇的なムーブメントとして見えてくる感じがあるなと思いました。その身振りを見せたい、という意図も岡田さんの中にあったのかな?と思ったのですが……。

岡田 いや、そこまでは狙ってはいなかったです。狙っていたのは、演奏家たちを前に置けばプレゼンスが強くなるんじゃないかという、その点だけ。でももちろんカゲヤマさんがおっしゃるように、演奏者たちの動きを見せることにもなりますよね。またシーンによっては演奏していない時間もあり、そこは演奏家たちがきっと手持ち無沙汰なはずだから“見もの”だなと思っていました(笑)。

──演奏していないとき、舞台上の演奏家たちが客席に背を向けるように後ろを振り返って、俳優のパフォーマンスを見ている姿が新鮮でした(笑)。

岡田 「見たかったら見てもいいです」と伝えていたんです。

カゲヤマ そうか、普通は舞台の動きや俳優さんの演技を見ながら演奏家たちは演奏することが多いけれど、「リビングルームのメタモルフォーシス」の場合は、俳優さんの動きが演奏者から見えないわけですね。

岡田 そうなんです。特に初演に出演してくれたのはウィーンを拠点にした現代音楽アンサンブル、クラングフォルム・ウィーンで、彼らは誰1人日本語がわからなかったので、セリフをきっかけにすることもできなくて。なのでキュー出しの人がいて、その人の合図で演奏を始めたりやめたりしていました。ただ、そもそもセリフの意味と音楽の意味を絡み合わせようという作品でもないので、演奏者は実は、俳優の動きやセリフの流れをあまり意識しなくても良いのですが。

──ちなみに「リビングルームのメタモルフォーシス」にはセリフのテキストのほかに、“動きのテキスト”があると聞きました。

岡田 ああ、そうなんです、謎のテキストが(笑)。なんで書こうとしたのか動機は忘れてしまったんですけど、テキストと動きをもっと引き離したいと思ったんですよね。今までの僕の演出では、見た目はテキストと動きが切り離された関係のないものとしてやってきましたが、実はやっている人の中ではつながりがあって、そこにもう一度ドライブをかけたいと思ったんです。それで脚本とは全然関係のない動きのテキストを書き、動きの1つひとつに1番、2番って番号を振っていきました。俳優はその時々、このセリフでは何番の動き、という感じで脚本と動きのテキストを組み合わせていくんですけど特に明かされないので、僕としては今、誰が何番の動きをやってるのかわからないこともあります(笑)。ただそのおかげで、言葉と動きの関係がさらに先にいけるかなと思っています。

──どんなテキストなのか、気になります。

カゲヤマ ちょっと気になりますね。

岡田 実は芸術祭期間中に展示する企画も上がったのですが、やめました。あれは、秘伝なので(笑)。

左から岡田利規、カゲヤマ気象台。

左から岡田利規、カゲヤマ気象台。

“関係を生み出す場”としての劇場 / アトリエ

──場所という点について、“拠点”という視点でも伺いたいです。岡田さんはこれまで国内外各所で作品を創作・発表されてきましたが、2026年度に東京芸術劇場の芸術監督に就任されます。円盤に乗る派さんも、さまざまな活動をいろいろな場で展開する一方、円盤に乗る場では複数のアーティストと共に表現の可能性を追求する試み「NEO表現まつり」を行うなど、アトリエを軸にした活動を展開中です。“拠点”を持つことは、創作者にとってどんな影響があると思いますか?

岡田 今はまだ僕は、池袋の東京芸術劇場という場所を、急な坂スタジオや山吹ファクトリーのように、“通って稽古をする場所”としては、捉えられてはいません。僕が作る場所というより、今はむしろ、“僕が作らないプログラム”をどうするか、考える場所というか。1人の作り手としてはまだよくわからない、そういう意識を持つ場所になるのかどうかもわからないという感じです。

──今のお話を伺うと、現段階では岡田さんご自身のクリエーションの場所というより、ある意味、“ほかの人との関わりを作る場所”として東京芸術劇場を捉えていらっしゃるのでしょうか?

岡田 そうですね。今までは僕が作る作品をどうするか、ということだけを考えてきましたけど、劇場がどういうことをやればいいのかということを軸に、自分がどうするかを考えるというか。そういうことは今までしたことがなかったし、これまで自分が目的だったのが、僕が場所のための手段になるので、その感覚は初めてです。

──円盤に乗る場も、クリエーションの場でありつつ、人と人の関係を作る場として機能していますよね?

カゲヤマ そうですね。共同アトリエと呼んでいるんですが、円盤に乗る場はコミュニティ兼共同アトリエで、“円盤に乗る場”は、あの場所自体も指すし、そこに集まっている人たちのコミュニティのことでもあると考えています。円盤に乗る場を運営しているときの自分の振る舞いは、作り手というよりどちらかというと管理人のような気持ちが強く、どうしたらこのコミュニティがいい感じにいくか、ということを考えているような気がします。でも実はそれは、僕の中ではけっこう大事なことで。そもそも円盤に乗る場を作ろうと思ったのは、普段稽古を重ねていく中で、作品を作るために集まってプロセスを経て作り上がったら終わり、というふうになりがちだったのを、作品を作るのとは全然違うこと、関係ないことをやれる時間や場所が必要だと感じたからなんです。そういう“何になるかはわからないこと”のために人が集まって……例えばある本の読書会をみんなでしてみたり、誰かが興味があることを一緒にやってみたり、ということが大事なんじゃないか、そういう場所があるといいなと思って円盤に乗る場を立ち上げました。実際、円盤に乗る場ができたことで、僕も創作者の1人として「ちょっと試しに集まってこれやってみたいんだけど」という提案がすごくしやすくなりましたし、やろうと思えばやれるような場所とコミュニティがある、ということは自分にとってすごくいいことだと思っています。

左から岡田利規、カゲヤマ気象台。

左から岡田利規、カゲヤマ気象台。

上演を重ねて“強くなった作品”が与えてくれる楽しみ

──最後に、作品とそれにかける時間について伺いたいです。「リビングルームのメタモルフォーシス」は2021年に創作が始まり、インターバルを挟みながら、約2年をかけて作品が立ち上がりました。その後、「宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓」、ドイツ・タリア劇場での新作「No Horizon」、ドイツ・シャウシュピールハウスの新作レパートリー「Homeoffice」、チェルフィッチュ×金氏徹平「消しゴム山」などを経て、今回、約1年ぶりに上演されます。一方、「仮想的な失調」は初演から2年。その間に円盤に乗る派は、主に一般公募のメンバーと挑んだ如月小春作「MORAL」、“最も不気味な他者としての自己”をテーマにした新作「幸福な島の夜」を発表しています。1つの作品の上演を繰り返すことで作品自体が洗練されていくこと、熟成度が高まることは間違いないと思いますが、繰り返し上演される作品に触れることは、観客にとってどのような良い点があると思いますか?

カゲヤマ 今回、東京芸術祭から「仮想的な失調」を再演してほしいという依頼があり、新演出としてやるのか、そのままでやるのかということは団体の中でも話をしました。でも僕は、変えずにそのままやりたい、と言いました。もちろん初演から2年の間にそれぞれ変化があり、観客にも2年分の変化があり、社会情勢の変化もありました。それでも演出を変えようと思わなかったのは、労力的な意味で新しい演出を今から考えるのが大変だ、と思ったのも正直少しありますが(笑)、同じ演出で再演することで、この作品の本質みたいなものにより接近できるんじゃないかと思ったからです。というのも、演劇はそもそも俳優の状態や観客が日々違うわけだから、毎日絶対に“同じこと”ができるわけではありません。それでも僕たちは“同じ作品だ”と考えて、初日から千秋楽まで上演し続けるわけです。では“何をもってその作品であるか?”……それを追求することは、「仮想的な失調」の根本にある“何が本質であるか、何をもって本質とするか”というテーマに通じるのではないかと思っています。

岡田 僕は1回上演することで作品が1歳年を取る、とよく言うんです。なので初演は0歳、再演すると1歳になって、再々演すると2歳、そしていつか作品が作家や演出家から自立する……というイメージで捉えていて、僕はこの捉え方がけっこうしっくりきています。ただ、時間をかけるといっても、お客さんの前でやらないと“年”は重ねられないし、例えば100日間毎公演切れ目なしにやるということとも違う。何回かやって寝かせたりとか“やらない”期間があるということが大きくて、その間に公演関係者や観客がいろいろな経験をしたり、あるいは世界の状況が変わっていたり、作品と世界の関係が、最初に上演したときよりも開いていくことが重要だと思います。中には上演の時々によって作品を変えるという演出家もいるかもしれませんが、僕は“変えなくてもいい、むしろそういう変化を経験することが作品を成長させ、作品の大きな財産になる”と思っています。さらに作品って、作られた当初はその頃に起きた出来事や作り手の問題意識と近い状態に作品のテーマがあると感じられるけれども、時間が開くことで作品とテーマとの距離感や関係性が変わり、作品が当初のテーマを超えたものになっていく。そしてそういった“強くなった作品”に触れることで、今度は観客自身が、作り手たちの思いを超えて作品と新たに向き合えるのではないかと思います。

左からカゲヤマ気象台、岡田利規。

左からカゲヤマ気象台、岡田利規。

プロフィール

岡田利規(オカダトシキ)

1973年神奈川県出身、演劇作家、小説家。1997年にチェルフィッチュを立ち上げ、2005年に「三月の5日間」で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。同年に「クーラー」で、TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD 2005-次代を担う振付家の発掘-の最終選考会に出場。2013年に演劇論集「遡行 変形していくための演劇論」を刊行。2016年からはドイツの公立劇場レパートリー作品の作・演出も継続的に務める。2020年「掃除機」(ミュンヘン・カンマーシュピーレ)および、2022年「ドーナ(ッ)ツ」(ハンブルク、タリア劇場)でベルリン演劇祭(ドイツ語圏演劇の年間における“注目すべき10作”)に選出された。タイの現代小説をタイの俳優たちと舞台化した「プラータナー:憑依のポートレート」で第27回読売演劇大賞・選考委員特別賞、「未練の幽霊と怪物 挫波/敦賀」で第72回読売文学賞・戯曲・シナリオ賞及び第25回鶴屋南北戯曲賞を受賞。2021年に全国共同制作オペラ「夕鶴」で歌劇の演出を手がけた。小説家としては、2007年に「わたしたちに許された特別な時間の終わり」を刊行し第2回大江健三郎賞受賞。2022年に「ブロッコリー・レボリューション」で第35回三島由紀夫賞および第64回熊日文学賞を受賞した。2026年度より東京芸術劇場芸術監督(舞台芸術部門)に就任予定。

カゲヤマ気象台(カゲヤマキショウダイ)

1988年、静岡県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。2008年に演劇プロジェクト・sons wo:を設立。劇作・演出・音響デザインを手がける。2018年より、円盤に乗る派に改名、代表を務める。2013年、「野良猫の首輪」でフェスティバル / トーキョー13公募プログラムに参加。2017年に「シティⅢ」で第17回AAF戯曲賞大賞を受賞。2021年に円盤に乗る派を中心とするアトリエ・円盤に乗る場を開設。