新国立劇場 演劇芸術監督・宮田慶子インタビュー|8年間でプロデュース64公演、そのすべてに込めた思い

お客様になんとか親しんでいただけるように

──宮田さんが手がけられたラインナップのもう1つの特徴として、メジャー感と“チャレンジ”の絶妙なバランスが挙げられると思います。作品が実験的なときにはキャスティングで、演出家で冒険するときは作品で、というように、観客が興味を持ちやすいフックを、どの作品にもかならず用意してくださいました。

宮田慶子

ありがとうございます。キャスティングに関してはまず演出家のプランありきですが、ときには制作部や私が知恵を出し合いながら俳優さんをご紹介したりしました。「JAPAN MEETS」シリーズについてはね、もうひとつ大事なこだわりがあって、12本すべて新翻訳だったんですよ! 中には50年前に翻訳されたきりという戯曲もあったんですが、“今”の言葉で上演しないと、やる意味がないと思ったので、新たに翻訳してもらって。実はこの台本作りが本っ当に大変だったんです!(笑) 毎回、企画が始まってすぐにまず台本作りに取り掛かるんですが、徹夜こそしなかったけれど、劇場で何回、深夜まで作業したことか……演出家と翻訳家と制作担当が、何日間も食事に行く間も惜しんで、みんなで頭を突き合わせ、血のにじむような思いをしながら、一行一行、納得がいくまで話し合いながら、台本を作るんです。

──想像を絶します……。

キャスティングについても、新翻訳によって現代によみがえった作品を、お客様により近しく観ていただけるような俳優さんに、と考えていきましたね。普段はミュージカルや映像などで活躍していらっしゃる、新国立劇場には初登場の俳優さんにもご出演いただきました。彼らは、ある側面しか使わないで仕事をしてるかもしれないけれど、一緒に仕事するとそうじゃない部分とか、本気を出すとすごいということがよくわかってきて。

──人気俳優の違う顔を引き出すということは、宮田さんご自身にも相当なご覚悟が必要だったと思います。

そうですね。でも基本的には皆同じ“俳優”ですし、誠実な俳優ほど、誰もが「もっと違うことを」と思っているものです。それにきっと私、俳優・役者が好きなんだと思います(笑)。演出家として役者という生き物がすごく好きで、それに自分の大事なものを託すのは俳優ですから、俳優は私にとって宝物なんですよね。俳優がいい状態にいてくれないともう、演出家でいる意味がないと言うか。だから俳優がいつもとは違う顔をしてピュアな状態でいてくれるのを観るのが、たまらなく好きですね。

演劇は人間が生きている証

──また宮田さんの任期中には、演劇界にもさまざまな出来事がありました。2011年の東日本大震災では、安全性や電力の問題から、公演を中止するか否かについて劇場ごとの対応が問われ、宮田さんも芸術監督としてのメッセージを発表されましたね。

宮田自身も表紙デザインに関わった、各作品のパンフレット。

ちょうど震災の前日に「焼肉ドラゴン」のソウル公演が初日を開け、私はそれを観て帰国して、午後は青年座の舞台稽古に向かいました。その先で揺れて。そのとき新国立劇場の演劇部門ではたまたま上演中の作品はなく、地下2階のリハーサルルームで翌月に開幕する森新太郎さん演出の「ゴドーを待ちながら」(以下「ゴドー」)の稽古が行われていました。当時、新国立劇場の対応としては、バレエ部門やオペラ部門やそのほか役員も含めて、何度も相談が行われました。まずは劇場がどういう状態になっているかのメンテナンスを行って、そのあと原発の問題もあったので、劇場までいらっしゃるお客様や出演者、スタッフの身の安全が確保できるのかといった、本当にいろいろな討議がなされました。それと同時に演劇界でも、これだけ国全体が大騒ぎになっているときに、果たして演劇をやるべきなのかどうかという議論が起きましたよね。でも私はそれに関しては、例え戦争が起こっても舞台は続けるべき、やれる限りはやるべきだと思っているので。“避難所で苦しい目に遭っている方がいるときに演劇なんかやっててもいいのか”ということが随分問われましたけど、演劇は人間が生きている証だからやらなきゃいけないと、基本的には今も思っています。それで新国立劇場では、4月に「ゴドー」を上演したんですが、そうは言っても「こんな状態でお客様はいらっしゃるのかな、それに『ゴドー』のような不条理劇で、お客様を何もお慰めできないんじゃないか」と不安もあったんです。ところが、開けたら毎日満杯のお客様が来てくださって。そのときに「ゴドー」という作品の強さ、テーマの大きさが圧倒的に迫ってきて、「世界の名作ってなんて力を持ってるんだろう! 演劇の力ってこういうことか!」と思い知らされましたね。橋爪功さんと石倉三郎さんが、ただ無益なことをしてゴドーを待っている。その様子が、何もわからずに愚かな日常を続けてきた自分たちのようにも見えたし、その一方で「何かが来る、来る」っていう期待は、希望のようにも見えるけれど、自分たちの勝手な逃げ道だったんじゃないかと思ったり……。演出家も俳優も劇場全体も、震災後のあの状況の中でやっているという思いが作品に全部詰まっていて、あの芝居はあのときしかできない「ゴドー」になっていたと思います。

──確かにあの「ゴドー」は、橋爪さんと石倉さんの飄々としたやり取り、荒涼とした荒野に浮かぶ月の舞台美術が震災の記憶と絡み合って、今でもとても印象深いです。

宮田慶子

そうですよね。でもそれが監督就任から半年後のことで、しばらく夜は誰も外を歩いていなかったし、どこの芝居も全然人が入っていなかったから、これでしばらく私たちの公演もお客様が入らなかったらどうしようと思っていました。実は震災の数日後に、それこそ今回ご一緒する蓬莱竜太さんのモダンスイマーズ「デンキ島~松田リカ篇~」を観に行って、芝居は面白いのに客席はどうしても空席があって、これから演劇はどうなるのかな、って茫漠たる不安感を感じた記憶があります。

──震災を機に作風が変わった劇作家も多くいました。

震災があって、「本当に芝居していく」ということに対して全演劇人が腹をくくらされた感じがしましたし、これだけの非常時を経て何を作っていけばいいのか、多くの演劇人がわからなくなっていた時期でもありました。でもそこからちょっとずつ、次の強い世代が生まれてきたという感じがします。

10年ぶりに劇団や地方へ

──次期芸術監督の小川絵梨子さんにはどのようにバトンタッチされようと思ってらっしゃいますか?

宮田慶子

大きな組織ではあるけれど、各部署が成熟期を迎えているから、これをうまくつないでいってもらえたらというくらいで、あとはどうぞお好きに!と思っています。クリエーションに関しては彼女は彼女でしっかりやっていますし。世代も私と20年違うので全然違う感覚を持っていると思いますし、彼女は演劇修行をアメリカでやってますから、世界の演劇がわかるならそれを強みに動いてほしいと思う。性格的には私のほうが諦めが早くて、彼女のほうが粘りに粘ってるときもあるけれど(笑)、彼女は非常に論理的でもあるし、しっかり仕事していってくれると思います。

──芸術監督というお立場を離れたところで、今後新国立劇場やそれ以外の場所でやられたいこと、考えていらっしゃることはありますか?

新国立劇場の研修所には関わっているので、今後も年中、劇場には出入りするんです。なので一切縁が切れてしまう、というわけではなくて。あとは、私には劇団があるので(笑)、8年ぶりに青年座に帰ります!

──青年座スタジオは、今後建て替え予定なんですよね。現在のアトリエの最終公演として宮田さんが3月に演出された「砂塵のニケ」(作:長田育恵)は、パリを舞台に、ラストはエーゲ海に至るなど、あの小さな空間で上演されたとは思えないほどダイナミックで、面白かったです。

ありがとうございます。あのくらいの、150~200席くらいの空間をもう1回ちゃんと作り直したいなと、劇団員としては思っていますね。あとはずっと以前から地方の演劇人との交流を続けていて、年に1回はレジデンスするということをやっていたんですが、この10年はできていませんでした。今も鳥取に通っていたりするんですけど、来年はもっと地方に行きたいと思います。今、“東京一極集中”ってよく言われますけど、地方の演劇ってとても豊かで、熟練の俳優さんでびっくりするくらいの腕を持った人がいたりするんです。ただ地方にはなかなか小さな劇場がなく武者修行ができないので、そういう場作りにも協力していけたらなと。

「消えていくなら朝」で2018年を映し出す

──そして宮田芸術監督最後の大仕事として、蓬莱さんの書き下ろし「消えていくなら朝」の演出を手がけられます。任期最後の作品に蓬莱さんの新作を選ばれたのはなぜですか?

「消えていくなら朝」

前々代の芸術監督だった栗山民也さんも、前代の鵜山仁さんも、蓬莱さんと仕事をしているんですよね(編集注:2008年に栗山演出で「まほろば」が、10年に鈴木裕美演出で「エネミイ」が、ともに鵜山企画として上演されている。なお「まほろば」で蓬莱は第53回岸田國士戯曲賞を受賞した)。なぜ蓬莱竜太という劇作家に惹かれるかというと、彼は拠って立つところが太い気がするんですよ。自分の身の周りだけじゃなくて、そのときの世の中を俯瞰して見てる感じがする。それが、外から得た知識とかじゃなく自分の感覚で得たことを、書くときにまた角度を変えて捉え直している。このスタンスの取り方にすごく信頼が置けます。直感的でありながら一面的じゃないんですよね。以前彼のことを「アンテナアイコン」って言葉で説明したんですけど、その時代の空気をつかんでいるし、それでいて自分がこだわってるものをちゃんと書こうとする。書き下ろしである限りそういう視野の広さと言うか、2018年がどういう時代だったのか、どういう空気だったのかを感じられるようなものが書ける人がいいと思いました。蓬莱さんとはこれまで、「LOVE30~女と男と物語~」(06年)、「Triangle~ルームシェアのススメ~」(09年)、「Triangle Vol.2~探し屋ジョニーヤマダ~」(11年)と、軽めなコメディでしか仕事したことがなかったんですけど(笑)、でも、あんなコメディが書ける腕って、実は相当すごいんです。しかもセリフや笑いのセンスが本当にいいんですよね。今回やっと真面目なもので一緒にやれることになったんですけど(笑)、真面目といってもときどきくすっと笑える作品にはなると思います。家族の話で、自分の姿も投影しつつ創作したのかな、というような作品になっていますね。四十代になった蓬莱さんが、「四十代になった劇作家の意味とは?」を自分で問い詰めているから、まあ内容としてはかなりヘビー級なんですけど。

──最近の蓬莱作品は、皮を1枚ではなく3枚くらい一度に剥がすような強烈さがあります。

今回まさしくそれをやっているので、読むと本当にヒリヒリします。「わあ、ここまで書いちゃったか!」みたいな。でもそういう作品であるからこそ、あまりいろいろな手を持ち込まず、ストレートに役者で観せていく芝居になればいいなって。

──タイトルがまた、素敵です。

一見するときれいなタイトルだけど、「これは希望なの? それとも終末観なの?」と……しかもなんとも言えない虚無感も漂っていますよね。観終わったときには納得していただけるようにはしたいです。

──2017 / 2018シーズンのテーマは「世界を映し出す」でした。テーマと本作との接点を、宮田さんはどうお感じになっていますか?

まさしく2018年の日本を書いた作品になればいいなと思っています。この作品を観たお客様が、鏡を見るように「そうか、もしかしたらこれは今の私たちだよね」と思っていただけるように、“今”が映し出せれば、と思います。

宮田慶子
新国立劇場 2017 / 2018シーズン
開場20周年記念公演「消えていくなら朝」
消えていくなら朝 | 新国立劇場 演劇
2018年7月12日(木)~29日(日)
東京都 新国立劇場 小劇場
  • :蓬莱竜太
  • 演出:宮田慶子
  • 出演:鈴木浩介、山中崇、高野志穂、吉野実紗、梅沢昌代、高橋長英
宮田慶子(ミヤタケイコ)
1980年、劇団青年座 文芸部に入団。83年青年座スタジオ公演「ひといきといき」の作・演出でデビュー。翻訳劇、近代古典、ストレートプレイ、ミュージカル、商業演劇、小劇場と多方面にわたる作品を手がける一方、演劇教育や日本各地での演劇振興・交流に積極的に取り組んでいる。主な受賞歴に、第29回紀伊國屋演劇賞個人賞、第5回読売演劇大賞優秀演出家賞、芸術選奨文部大臣新人賞、第43回毎日芸術賞千田是也賞、第9回読売演劇大賞最優秀演出家賞など。2010年から18年8月まで新国立劇場 演劇部門の芸術監督を務める。16年4月より新国立劇場演劇研修所所長。また公益社団法人日本劇団協議会常務理事、日本演出者協会副理事長も務める。