目まぐるしく変化していく日々、ふと非日常的な時間や空間に浸りたくなったら、“ゆるりと歌舞伎座で会いましょう”。「四月大歌舞伎」昼の部では、大阪出身の片岡愛之助が、蒸し暑い夏の大坂を舞台にした「夏祭浪花鑑」で主人公・団七九郎兵衛と、その相棒・一寸徳兵衛の妻であるお辰の男女2役を勤める。本作を、関西をルーツにした上方歌舞伎の俳優が歌舞伎座で上演するのは、今回が初めてのこと。愛之助が、演目や役に込めた思いを語る。また、さまざまなアーティストやクリエイターに歌舞伎座での観劇体験をレポートしてもらう企画「歌舞伎座へ」には、「野田版 研辰の討たれ」など、歌舞伎座でもさまざまな作品を手がけている舞台美術家・堀尾幸男が登場。独自の視点で「三月大歌舞伎」について語る。
取材・文 / 川添史子撮影 / 藤記美帆
強みは“ネイティブな上方言葉”
──油照りの暑さで焼けるような大坂の夏を背景に、団七九郎兵衛、一寸徳兵衛、釣船の三婦ら侠客の男たちを描く「夏祭浪花鑑」が上演されます。筋書の上演記録(昭和22年以降)によると上方役者の団七が歌舞伎座に登場したデータが見当たらないので、愛之助さんが初となります。
団七を得意としていた祖父(十三代目片岡仁左衛門)も、歌舞伎座ではやっていないんですね。驚きましたし、ありがたい機会をちょうだいしました。
──現代では東京の役者も演じることが多い演目ですが、十三代目仁左衛門さんの著書を読むと、この芝居が持つ味わいについて「大阪の泥絵具で描いたような、脂っこいというか、灰汁が強いというか……」と書かれています。上方独特の色気と情をまとったアウトロー、愛之助さんの団七を、これを機会に多くの方にご覧いただきたいですね。
大阪に生まれて大阪で育ち、今でも大阪に住んでいますから、ネイティブな上方言葉が自然と身についたことは強みかもしれません。僕らが江戸っ子のお芝居……例えば(江戸の火消しを描いた)「加賀鳶」(「盲長屋梅加賀鳶」)なんかに出た際に「江戸の香りが出ていない」と言われてしまうのはすごく怖いものですが、同様に、なかなか言葉では説明できない“上方の匂い”ってあるでしょうから。とはいえ、(団七を得意とした十八代目中村)勘三郎の兄さんなんかは、本当にきちっとした上方言葉でなさっていました。若い頃からよく連れて行っていただいていたバーが大阪にあって、そこに兄さんと同い年のマスターがいるんですね。この方に台本を渡して「このセリフ、大阪弁でしゃべってみて」なんて、よく聞いていらっしゃいました(笑)。
──なるほど、お江戸の役者には、お酒を呑みながら言葉を学ぶという手段が(笑)。2007年大阪松竹座で、初役で団七を勤められたときの思い出を伺えますか。
伯父(片岡我當)に習いましたが、見るのとやるのは大違い、初役のときは本当に苦労した記憶があります。なんでもないような場面で実は山ほど仕事があるんですよ。例えば、(三婦内の場で)腰のたばこ入れを放り投げ、雪駄を脱いで後ろ帯に差し込んで七三まで走り、両褄を持って足を張る見得をして、裾を尻まくりして韋駄天で走り去る場面。まずね、たばこ入れを腰から抜くところから、スッといかないんですよ。その後、雪駄を帯に差し込むのもそう簡単にはいきません。でもあそこで帯をゴソゴソするのは、カッコ悪いですし、落とし穴がてんこ盛りの芝居なんです。泥場も大変でした。
どこを切り取っても錦絵のように美しく
──団七が心ならずも舅の義平次を殺すことになる「長町裏の場」、通称「泥場」は、今作の大きな見どころですね。団七は着物をはだけながら真っ赤な下帯姿、身体中に入った刺青を泥と血に染めながら、次から次へと美しく立廻って見得をします。関西の大立者、団七の名人と呼ばれた三代目尾上多見蔵は、戦ごっこをしている子供たちの動きを参考にした……という逸話も残り、片足になったり、身体を捻ったり、面白い見得がいっぱいあります。
あそこは相手との息も合わせないといけませんし、自然に理想的な場所へ移動しながら美しく見得を決めていくためには、経験を積みながら自分の身体で覚えなくてはいけません。1つの見得から次の見得と動きながらも、殺しに行っている意識を忘れてはいけない。ただ「はい決まりました」「はい決まりました」の連続だけでは、まったく面白くないんです。
──確かに愛之助さんの泥場は、戸惑いながらも殺人を犯す人間の、生々しい心理描写と様式美が絶妙なバランスです。
動きと心の動きの糸を切らさずにつなげながら、かつ、どこを切り取っても錦絵のように美しくなければいけない。油まみれになりながら殺す場面で有名な「女殺油地獄」も同様で、リアルに考えると凄惨な場面ですが、刺された瞬間、「あっ」って顔をするお吉の表情が実に美しいじゃないですか。うちの父(片岡秀太郎)は、「女方は刺されたとき、気持ちの良い顔をするんだ」と話していました。リアルにお腹を刺されたら「あー!」って苦しい顔になるところを、思わずお客様が拍手をしたくなってしまう瞬間に仕上げてしまう。ここは歌舞伎の面白いところであり、現代劇と大きく違う特徴でしょうね。
お辰はバランスが大事
──今回は一寸徳兵衛の女房お辰もなさいます。
一本筋が通っていてきっぷのいい女性ですけれど、僕は立役ですから、あんまりキリッとやってしまうと男の要素が勝ってしまう。三婦に「色気がある」と言われる“艶”がないといけませんし、バランスですね。でも、男に負けない意気地を見せて、火鉢にかけてある鉄弓を顔に押し当てる鉄火ぶりは、演じていてもすごく面白い役です。
──「こちの人の好くのはここ(顔)じゃない、ここでござんす」とカラリと胸を叩く侠気の女、カッコいいです。2023年6月の博多座に続き、一寸徳兵衛は尾上菊之助さんがなさいます。
菊之助さんは研究熱心でいらっしゃいますし、柔軟さもありながら、俯瞰する力も持っていらっしゃる。判で押した芝居ではなく、「今日はこういうふうにやってみたい」と変化球も楽しむ方ですから、一緒にやらせていただいて気持ちが良いです。間を空けずこうしてご一緒できるのはうれしいことですね。短い場面にいろいろなエッセンスを出さないといけないので、徳兵衛は難しいんですよ。実は僕、一度だけやらせていただいたことがあるんです。2日のみの特別公演なので(筋書の)上演記録には残っていないのですが(2002年に大阪・浪切ホールで開催された「上方ルネッサンス2002 楽劇の祭典」)。
団七と同じ柄の着物を着ていた博多っ子を発見
──このお芝居は、浴衣や絽(薄物の着物)、さまざまな色の博多帯など、場面ごと登場人物ごとに夏らしい着物を着こなしているのも楽しいです。とりわけ、大柄なギンガムチェック、いわゆる“団七縞”が有名です。
そういえば昨年の博多座公演で、桟敷にいらしたお客様が、団七徳兵衛と同じ格子柄を着て座っていたんですよ!
──おお、気合いが入っていますね(笑)。
さすがお祭り好きの博多っ子、「すごい盛り上がりやなー」とうれしくなって、舞台裏で菊之助さんとも「見ましたか?」なんておしゃべりしました(笑)。
──それは舞台も盛り上がりますね……! ちなみに愛之助さんは、ふだん上演されない序幕の「お鯛茶屋」や四段目「内本町道具屋の段」なども入った通し上演も経験されています(2013年大阪松竹座)。ここがあると、恩人の息子である玉島磯之丞のために動く団七の苦労や背景がよくわかります。いつかまた上演いただきたいです。
通し上演は、叔父の(片岡)仁左衛門に指導してもらいました。上演時間は長くなりますが、通しはそれぞれのキャラクターのバックボーンがくっきりと見えてきますから、お客様には親切なんですよね。タイミングが合えば、またいつか……と思っています。
──上演を繰り返し、愛之助さんがさらに練り上げられていく「夏祭」、楽しみです。
何よりも、わかりやすいお芝居ですからね。歌舞伎を初めてご覧になられる方にも存分に楽しんでいただける作品だと思います。
プロフィール
片岡愛之助(カタオカアイノスケ)
1972年、大阪府生まれ。松嶋屋。1981年、十三代目片岡仁左衛門の部屋子となり、片岡千代丸を名乗り初舞台。1992年、二代目片岡秀太郎の養子となり、六代目として片岡愛之助を襲名。
このコーナーでは、歌舞伎座を訪れたアーティストやクリエイターが、その観劇体験をレポート。今回は、現代劇からオペラ、歌舞伎まで多様な作品に携わる舞台美術家の堀尾幸男が登場。美術家の目線から「三月大歌舞伎」の劇世界、そして歌舞伎座の空間を語る。
私は舞台美術家なので、毎回美術勉強の為と言っては歌舞伎を観る。本舞台と花道の空間に役者が紡ぎ出すストーリー。ほとんどがこれ(伝統的空間)を使い、常套手段となり、ストーリーも表現も似てしまう。
しかも、全て役者が織りなすので、空間が相変わらず役者の演技で表現することになる。
亡霊はスッポンから出て、スッポンに消える。
異界からの出現に、上から降りてくる表現をすることはまずない。
伝統芸能となれば、役者の「セリフ」と役者の「踊り」か「歌舞音曲」である。美術はなし。
そして、「型」から入る伝統芸能。歌舞伎が連綿つづくのは、「型」があるからだ。
どうやら「古典芸能」は「型」を納めたあとに精神をつぎ込むらしい。
さて、すると舞台美術プランは、考えついても、歌舞伎空間から飛躍も出来ず、場面を描くことのみとなる。桜や松の形を探し、遠くの山々をぼかし、海のおだやかさ(例えば青海波)を描くのみとなる。心地よい。がしかし、心地よくて良いのか。舞台美術が歌舞伎のストーリーに参加しているのかと。もっと“嵐”の青海波にすべきではないか。北斎の絵の様に、海が動いて荒れ狂っても良いのではないかと。
新劇人の舞台美術家は思う。とならば、客の目は、大道具の嵐で役者への注意が行き届かない。役者によるストーリーが紡がれてゆかないのである。
もうひとつ物申す。
はみ出したものは歌舞伎座に入れない。亡霊の出現。天国の国からはスッポン出でよい。そして、派手に上から降臨すると、スーパー歌舞伎になってしまうのだろう。
プロフィール
堀尾幸男(ホリオユキオ)
1946年、広島県生まれ。舞台美術家。歌舞伎座では「野田版 研辰の討たれ」「野田版 鼠小僧」「野田版 愛陀姫」「野田版 桜の森の満開の下」「三谷かぶき『月光露針路日本』風雲児たち」を手がけた。近年の主な作品に、三谷幸喜「笑の大学」、野田秀樹「逆鱗」「贋作 桜の森の満開の下」「フェイクスピア」「『Q』:A Night At The Kabuki」、森新太郎「エドワードII世」「ミュージカル『バンズ・ヴィジット 迷子の警察音楽隊』」、劇団☆新感線「髑髏城の七人」シリーズ、行定勲「リボルバー~誰が【ゴッホ】を撃ち抜いたんだ?~」、「スーパー歌舞伎II『ワンピース』」、「志の輔らくご」ほか。第24回読売演劇大賞グランプリ・最優秀スタッフ賞など受賞多数。
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