東京芸術劇場の芸術監督・野田秀樹が立ち上げた東京演劇道場が、活動開始から4年半を迎えた。通常は国内外のアーティストによって行われる多様なワークショップに参加し、研鑽を積んでいる道場メンバーだが、2020年には第1回公演として野田作・演出による「赤鬼」(参照:野田秀樹×東京演劇道場「赤鬼」座談会&稽古場レポ)、2023年に第2回公演として柴幸男演出「わが町」(参照:柴幸男と東京演劇道場が立ち上げる「わが町」 稽古場レポート&柴幸男と道場生が語るクリエーションへの思い)を披露した。第3弾となる今回は、道場のメンバーたちが主となり、ワーク・イン・プログレス(創作過程)を行う。
公演実施に向けて、道場のメンバーはまず運営の実行委員を立候補で決め、企画を募集。その後、各企画者がプレゼンを行って実施する企画を決定し、出演メンバーを募った。今回上演されるのは、手代木花野企画 開場前パフォーマンス「додзьо」、サヘル・ローズ / 石村みか / 小幡貴史企画「 」、高畑裕太 / 大野明香音企画「忘郷少女」、上村聡企画「御社のチャラ男」、黒瀧保士企画「石の夢 -Rêves d'objets-」、李そじん企画「再生」、藤井千帆 / 鈴木麻美企画「淋しいおさかな」、扇田拓也企画「ジブリッシュ『恋人たち』『職人たち』」の8企画。この特集では、野田秀樹が「ワーク・イン・プログレス/Dojo WIP」の稽古場を視察した日を取材。さらに特集の後半では各プロジェクトに懸ける企画者の思いを紹介する。
取材・文 / 熊井玲撮影 / おにまるさきほ
新演出に期待が増す李そじん企画「再生」
取材に訪れたのは11月上旬。「Dojo WIP」の稽古は、東京芸術劇場内の複数の部屋で同時進行で行われており、この日は野田秀樹が各企画の進行状況を順番に聞くことになっていた。
最初に野田が訪れたのは、李そじんが演出する「再生」の稽古場。「再生」は東京デスロックの多田淳之介が2006年に初演した作品で、30分のシーンを3回“再生する”というルールのもと、出演者やスタイル、演出家を変えながらたびたび上演を重ねてきた。今回、東京デスロックのメンバーである李が演出することは、「再生」という作品にとってもある意味、エポックメイキングなことだと言える。「再生」は、ある目的のもとに集まった複数の男女が、酒宴の中、狂乱する様を描いた作品。ワーク・イン・プログレス公演となる今回は、10分のシーンを3回繰り返す。
野田が稽古場に姿を見せると、準備を進めていた李が手を止めて、野田に現状を報告した。「私と(藤井)颯太郎くんで演出をしていまして、今日は(益山)寛司くんがお休みなので颯太郎くんが代役で入ります。まだ途中のところもありますが……」と話すと、野田は「大丈夫だよ、やりましょう」と稽古場にいる面々に笑顔で声をかけた。通し稽古では、アップテンポの音楽がかかる中、出演者たちが踊り、叫び、文字通りの大熱演。8人で一緒に動くシーンもあれば、2・3人で踊ったりやり取りするシーンもある。配られた台本に目を通すと、各登場人物にはプロフィールが書かれており、それは今回の上演に向けて李が考えたものだった。2回、3回と同じシーンが繰り返されると俳優たちの息は上がり、顔が紅潮し、見た目にも疲労感が現れた。そんな出演者たちの動きを野田はじっと見つめながら、絶えずノートに何かを書き込んでいた。
全てのシーンを終え、湧き出る汗を抑えながら「再生」チームが野田を囲んだ。野田は「これをやるのは大変なことだと思う」と第一声を発し、「まずは体力をつけることが大切だね。2回目、3回目のときに見えてくる疲労が、意図的に見せている疲労なのか、本当の疲労なのかを意識的にコントロールできると良いと思う。ただ、“疲労してはいるんだけどそれを感じさせない”ことが面白いんじゃないかな……大変だと思うけど(笑)」と話すと、出演者たちは苦笑いしつつも大きくうなずく。続けて野田が「これはやっぱり3回繰り返さないといけないのかな? 回数を増減させる可能性はあるのだろうか」と言うと、李は「多田さんからは『再生』というタイトルのもと自由にやっても良いと言われました」、藤井は「限られた稽古時間の中で、もっといろいろやってみてもいいのかもしれない」と返答した。
別役実の朗読劇を身体で見せる藤井千帆 / 鈴木麻美企画
続けて、藤井千帆と鈴木麻美企画による「淋しいおさかな」の稽古が披露された。「淋しいおさかな」は、NHKの子供番組の朗読コーナーのために書き下ろされた別役実の児童文学で、今回はそれを演劇作品として立ち上げる。劇中ではユーリック永扇演じるナレーター、鈴木演じる女の子のほか、風、雲、月、おさかななどが登場。特に風や雲は、セリフが与える印象と身体表現とがうまく絡み合って、野田をはじめ、稽古場にいたメンバーから笑いが起きた。1回目の通し稽古が終わると、野田は「風とか、アンサンブルが面白くできているね」と褒めつつ、「ただ、意地悪い観客として言わせてもらえば……(笑)」と身体の使い方や動きのスピード感について、自らも立ち上がり、動きながらアドバイスを加えた。そんな野田の言葉を藤井は「なるほど……」とノートに書き留めつつ、野田からの「ここはどうしてこうしたの?」という質問に対しては「ここはこういう理由でこうしました」「いろいろ試した結果、これに選びました」とクリアに回答し、その返答から稽古場でさまざまな試行錯誤がなされたことが伝わってきた。
シェイクスピア作品をデタラメ語で楽しむ扇田拓也企画
その後野田は、扇田拓也が企画するジブリッシュ「恋人たち」「職人たち」の稽古場へ移動した。ジブリッシュとはデタラメ語のことで、今回はシェイクスピア「夏の夜の夢」に出てくるライサンダー、ハーミア、デミトリアス、ヘレナら恋人たちの1幕と、結婚式の余興で演劇を出し物として披露することになった職人たちの顛末が描かれる。通し稽古が始まる直前、扇田が野田に「どこまで物語が伝わるか……上演時間が20分しかないので……」と漏らすと、野田は「まあ、見てみましょう」と返答した。
まずは「恋人たち」から。「夏の夜の夢」を観たことがある人にはおなじみの、2組の恋人がパックのほれ薬によって翻弄されるシーン。登場人物の名前や場所などは台本通り発せられるが、そのほかはデタラメ語なのでもちろん詳細はよくわからない。しかし、ある程度聞いていると不思議と外国語を聞いているような感覚になり、“わからない”ことはさほど気にならなかった。野田も最初から笑顔が絶えず、シーンはテンポよく進んでいく。また「恋人たち」には扇田自身も一部登場。扇田はイタリア語風の語りに巧みに日本語を織り交ぜながら笑いを巻き起こしていく。また面白いのは仮面の使い方で、演出的な意味はもちろん、観客を煙に巻いていくような効果があった。全てのシーンが終わると野田は「面白いね。仮面の使い方も効果的で良いと思う。ただ物語を知らない人は……どうなんだろうねえ」と一瞬考えを巡らせたのち、「でもわからない人はわからない人で、面白いのかも」とぽつりと呟いた。その後野田は、指差しの仕草を頻出させないほうが良いこと、シーンによってはもっと刈り込んでも良いと思うこと、身体表現はもっと自由にしても良いと思うことなど細かなアドバイスを加えた。特にラストシーンには1つ重要な提案をして、扇田は「なるほど、そうですね」と大きくうなずいた。
続けて「職人たち」を披露。職人たちは全員老人という設定で、各俳優たちはまずは動きの面白さで笑いを取る。ただ、「職人たち」は「恋人たち」より若干ストーリーが複雑なため、状況をデタラメ語だけで伝えることが難しく、状況が伝わらないシーンが続くと単調な印象になってしまい、俳優たちはそのことに苦戦していた。野田も「冒頭の、配役を決めていくシーンはやっぱり単調だから、もう少し短くても良いのでは」と提案する。さらに老人の動きが一緒だとリズムも同じになると言い、さまざまな歩き方をやってみせた。そして「もっと間抜けというか、コミカルな感じのほうが面白いのでは」と野田が提案すると「ああ!」と俳優たちが笑顔を見せた。
野田作品のエッセンスで新作を生み出す高畑裕太 / 大野明香音企画
4つ目は、高畑裕太と大野明香音が企画する、野田の作品や言葉をヒントに執筆した新作。 “長崎本土から橋を渡った先にある島”を舞台に、大野演じる鬼の子・アイと、松永治樹演じる人間の子・ハルキの物語が、炭鉱で働く人たちの影を背景に描かれる。大野はアイが徐々にハルキに心を解放していく様を細やかに表現。松永は子供らしい無邪気さと無頓着さを全身で表そうと稽古場を走り回った。また高畑もトロッコを押す人物として一部出演。短いシーンの中に時間と空間をぎゅっと押し込めたようなシーンが繰り広げられた。
全てのシーンが終わると、まず野田は戯曲上で気になった点を伝える。「このセリフはないほうがより状況が伝わるのではないか」「このセリフとこのセリフの間に飛躍があるので、そこを整理したほうがよいのではないか」と具体的に台本を見返しながら高畑にアドバイスする。さらに各シーンでの大野と松永の立ち位置や、“鬼”をどう表現するかなど、メンバーの思いを聞きながら「こういう見せ方もあると思うよ」とアイデアを伝えた。
踊って踊って極めていく、手代木花野企画
その頃、隣の稽古場では手代木花野企画の「додзьо」の稽古が佳境だった。「додзьо」は開場の10分前に劇場前のロワー広場で繰り広げられる企画で、ウクライナの民族舞踊を元にしたダンスを踊る。高速で展開する動きについていくのがやっと、というメンバーもいたが、ペアの動きをベースに輪が大きくなったり小さくなったり、交錯したり離れたりしながら動きが展開。音楽の力も相まって祝祭感が高まる。手代木の合図で、踊るチームを変えながら稽古は進行。息が上がり汗だくになりながらも満面の笑みを見せるメンバーたちの様子から、踊りを通じて生まれる結束感や稽古の充実感が感じられた。
具体的な見せ方の検討が進む、上村聡企画
再び元の稽古場に戻ると、上村聡企画の「御社のチャラ男」チームが部屋に入ってきた。絲山秋子の小説「御社のチャラ男」を朗読劇として立ち上げる本企画では、同書にある16エピソードを編集・再構成し、各回異なる内容を披露する。
この日は進捗状況を野田にプレゼンするということで、まずは企画全体の進行状況や上演のイメージを上村と、一緒に作品を進行する末冨真由が口頭で説明した。上村はこれまでにも自身が出会った1冊の本を上演する企画・かみむら文庫を行っており、そのためか、上演のイメージが非常に具体的だった。当日パンフレットに掲載したい内容、前説の見せ方など具体的な説明を、野田は小さくうなずきながら聞いていく。そして「一人芝居のような体を取りつつ、間にみんなで演じるシーンが入ってきたりします。トータルで130分くらいのものができていて、毎回異なるエピソードをやっていく予定です」と上村がプレゼンし、まずは稽古動画を見てみることに。10分程度の1シーンを見て、野田は「小説を原作にした朗読劇という点で企画自体の難しいところではあるけれど、やっぱり地の文の朗読が長いと全体的に長い印象になるね」と感想を述べた。そして朗読のスピード感、テキストのボリューム調整に関するアドバイスをしたのち、「ほかのチームの上演の間に1エピソードずつ披露してみては」など、作品の見せ方について野田からアイデアが出る。上村と末冨はそれら1つひとつにうなずき、その場で意見を交わしながら検証していった。
チームで進捗状況をプレゼンするサヘル・ローズ / 石村みか / 小幡貴史企画
最後はサヘル・ローズ / 石村みか / 小幡貴史企画による「 」チーム。こちらも動きのプレゼンではなく状況報告という形だったが、この日はローズと石村がお休みで、小幡のほか出演者も皆稽古場に姿を現した。本作ではイラン出身のローズのエピソードをヒントに、“届かない声”をめぐる物語が展開する。広い空間にいた人たちの中に、ある日、内と外を隔てる壁が生まれ……。
稽古動画を見ながら、シーンの説明がなされ、野田から質問が上がると即座にメンバーの誰かが説明を補足した。このチームは企画者以外も、メンバーそれぞれが活発に意見していたことが特徴的で、その熱意に応えるように野田も身振り手振りを加えながら、さまざまなアイデアを繰り出す。結局、予定していた時間をオーバーして話し合いは続いた。さらに野田が去った後も、メンバーは再び机を囲んで、野田のアイデアをどう盛り込んでいくかを熱心に話し合っていた。
稽古が開始してから約7時間。稽古場を出ると、別の稽古場や空きスペースでも、各チームの稽古や話し合いが続いていた。文化祭前のような盛り上がりにも感じられるが、作品に向き合う真摯な姿勢には、それぞれ作り手としての責任と覚悟がにじみ、「ワーク・イン・プログレス」と言いつつも舞台に懸ける思いは変わらないのだった。
プロフィール
野田秀樹(ノダヒデキ)
1955年、長崎県生まれ。劇作家・演出家・役者。東京芸術劇場芸術監督。東京大学在学中に劇団 夢の遊眠社を結成する。1992年、劇団解散後にロンドンへ留学。帰国後の1993年にNODA・MAPを設立する。これまでの作品に「赤鬼」「パンドラの鐘」「THE BEE」「フェイクスピア」「兎、波を走る」など。またオペラの演出、歌舞伎の脚本・演出なども手がける。海外の演劇人とも積極的に創作を行い、これまで日本を含む12カ国18都市で上演。2022年9月にはロンドンで「『Q』:A Night At The Kabuki」を上演。2023年1月にISPA2023で「Distinguished Artist Award」を日本人初受賞。2009年10月、名誉大英勲章OBE受勲。2009年度朝日賞受賞。2011年6月、紫綬褒章受章。