新所長・小林勝也、新副所長・高橋正徳、主事・植田真介が思い描く 文学座附属演劇研究所のこれから

まもなく開講する、2025年度の文学座附属演劇研究所。その新所長に俳優・演出家の小林勝也、副所長に演出家の高橋正徳が就任する。1961年の創設以来、数多の舞台人を生み出してきた文学座附属演劇研究所は、64年に及ぶ歴史を継承しつつ、時代の変化を敏感に感じ取りながら、さまざまな挑戦を続けてきた。2025年、その流れはさらに大きなうねりとなる。

自称“天邪鬼”の小林、小林が後押しする高橋、そして2018年から研究所に新風を巻き起こしている俳優で研究所主事・植田真介が、これからの文学座附属演劇研究所について大いに語る。

取材・文 / 熊井玲撮影 / 藤記美帆

研究所の所長は必要か?から改めて議論

──2025年度、文学座附属演劇研究所は新体制でスタートします。2018年から研究所の主事を務めていらっしゃる植田さんは、新体制をどんな風に感じていますか?

植田真介 2020年から所長を務めていた鵜澤秀行さんから「所長を退任したい」という申し出があり、それを受けて研究所委員会で話し合いが始まりました。「所長は必要か否か」という点から議論を始めて、必要だということはすぐ決まったんですけれど、「では所長はどういう存在であったら良いか、所長にはどういうことが求められるべきか」ということを、「こんなに時間をかけて話すことはなかった!」というくらい、何回も何回も会議を重ねて検討して。その結果、ほかの委員からの推薦もあり、勝也さんにお願いすることになりました。勝也さんは、研究所の中身やカリキュラムをこれからどうしていくかという話をするとき、その議論を最も活性化させる人。研究所の委員会で話すと、どうしてもこれまでやってきたことをどう大事にしていくかとか、どうブラッシュアップしていくかという話が多いんですけど、勝也さんは「それはもういいんじゃないか」「それはもうつまらないだろう」とはっきりおっしゃる。ある意味、“断捨離できる方”なんです。でも断捨離する勇気ってやっぱり歴史が長い劇団だと難しいことなので、今からやらなければいけない改革に、勝也さんのように断捨離できる方が必要だと僕は思います。

植田真介

植田真介

小林勝也 私自身は5期で、随分長い間研究所の講師をやっています。これまで、いつもフリーな立場から好きなことを言い、好きなことをやってきたのですが、2代前の所長だった坂口芳貞さんが病気になったとき、「勝也、研究所のことは頼んだぞ」と、遺言じゃないですけど、私におっしゃったんですね。まあ私だけではなくいろいろな方に頼んでいらっしゃったとは思うのですが、その言葉がこびり付いてはいました。また、時代が変遷していく中で劇団が長く活動を続けていくには、やっぱり若い人たちの力が重要で、若い人たちが具体的な活動を起こしたり、演劇の支えとなる仕事をやることで劇団が活性化していくと私は思っています。逆にそうでない集団はどんどん老成化して、跡継ぎがいなくなったり、不活発になっていきますから。そのためにも、まずは研究所そのものが活発でないとすべてが先細りになっていくと思い、じゃあまあ、その一角を担おう、というようなことですね。

植田 その所長をめぐる話し合いの過程で、「所長という職務を1人で負うのは難しいんじゃないか、副所長もいたほうがいいのではないか」という意見も挙がりました。それで勝也さんに「副所長は誰がいいと思いますか?」と聞いてみたら、高橋正徳さんだと。実はほかの委員、誰も想像してなかったことだったので、どうしてそういう体制を組むことにしたのかは、今日改めて聞いてみたいところです(笑)。

小林 私も言ってみれば後期高齢者を超えていますから、自分としてはまず2年間やってみようと思っているんです。元気だったらまだやるけれど、でも後々のことを考えればやはり若い人も関わってほしくて、それで高橋くんに副所長をやってもらうことを強く希望しました。高橋くんは適当に真面目で、適当にいい加減(笑)。私とよく合うと思います。

小林勝也

小林勝也

一同 あははは!

高橋正徳 「所長は必要か否か」という議論の中で、かつては戌井(市郎)さんのように(文学座の)代表が研究所所長を兼任していた時期もあったので「兼任でもいいのではないか」という意見もありました。またそもそも所長というポストはなくてもいいんじゃないかという意見もあったのですが、文学座のアトリエ憲章(編集注:1958年に創立者の1人である岩田豊雄が作成した、劇場兼稽古場である文学座アトリエの理念などを示したもの)では、本公演、アトリエの会、研究所のことが書かれていて、人材育成が文学座の三本柱の1つだとあるんですね。そこでやっぱり、研究所は研究所としての独立性を担保したほうが良い、所長はいてもらったほうが良いということになったんです。では誰が所長になるのが良いかと考えたとき、研究所の変化を長い間見てきた勝也さんが適任だろうなと思いました。また「副所長も必要かもしれない」と僕も思ったのですが、まさか自分に声がかかるとは(笑)。本当に前もって何も聞かされていなかったので、会議のときに「じゃあ、高橋くん」と言われて、「えっ!」と。

一同 あははは!

高橋 ただ、研究所をずっと支えてきた植田さんと僕は同期で、一緒に文学座で育ってきた仲なので、植田さんと共に小林勝也所長を支えつつ、研究所の改革と存続を考えていけたらいいのかなと思ってお引き受けしました。勝也さんとは研究所の発表会の演出を担当したときや、会議の場で「これからの研究所はどうあるべきか」「授業の内容や発表会の演目をどうすべきか」という話を事あるごとにしていました。植田さんも言っていた通り、いつも一番革新的なことを言うのは勝也さん。案外僕ら若手のほうがもうちょっと保守的で(笑)。たとえば研究所の発表会では毎年「わが町」や「女の一生」を上演します。それが研究所の一つの伝統なんですが……勝也さんは「『わが町』じゃなくてもっと新しい感性の台本をやったほうがいいんじゃないか」というようなことをおっしゃるんです。その辺も含めて、研究所の在り方を改めて考えていくことが今必要なのかなと思っています。

高橋正徳

高橋正徳

外部の仕事で得た経験を、研究所に“輸入”

──皆さんもかつては文学座附属演劇研究所の研究生でした。どんな研究所時代でしたか?

小林 私が入った1960年代は、座が分裂して一番弱っていたころで、今のようなシステムじゃなかったんです。卒業公演で「女の一生」をやったような記憶がありますけど、それどころじゃなかったというか、本科が終わって研修科になったら、人が足りないからすぐ劇団の仕事を手伝わされました(笑)。だから私たち、抗議したんですよ。「せっかく研究所に入ったのに、劇団の仕事ばかりで発表会をやらないじゃないか。発表会をやってくれ」と。時代的にも、60年安保や赤軍派の動き、三島由紀夫事件などがあって若者たちの反抗が一番激しかった。つまり私たちもすごく生意気で(笑)目上の人間を否定していたし、上の人たちも自信がなくなってきているから「おおそうか、お前たちの言うこともその通りだな」と受け入れたりして、私たちが生意気でも怒られなかったんです。そういう意味では、今の人たちは不自由なところがあるかもしれませんね。

植田 勝也さんが研究生の時代は、勝也さん世代がマジョリティだったということが大きいんじゃないかなと思います。今の二十代は世代的にずっとマイノリティで、文学座にも今、二十代から八十代まで幅広い年齢層の劇団員がいますから、主張しにくい部分もあるのかなって。

小林 確かに私たちが二十代で劇団に入ったとき、北村和夫さんも加藤武さんも四十代で、杉村春子さんは五十代でした。当時はすごい大人に見えたけれど自分たちと20歳くらいしか違わなかったんですよね。

植田高橋 おおー!

高橋 北村さんが今の植田さんよりも若いっていう……(笑)。僕らは2000年に入所した40期生ですが、そのときはやっぱりかなり上の世代の座員がいらっしゃいました。

植田 ただ、杉村さんが亡くなって割とすぐで、文学座としては新しいことをやろうという意識が強く、企画性や自主性がかなり促された世代だった気がします。(編集注:築地小劇場を経て文学座を代表する俳優だった杉村春子は1997年に死去した)。

高橋 そうですね。杉村さん亡きあと、
この劇団をどうしていこうか先輩方が模索していた時期で、劇団内でユニットが作られたり、他劇団との交流、新しい作家との出会いを求めたりといったことが加速していった時期でした。

左から植田真介、小林勝也、高橋正徳。

左から植田真介、小林勝也、高橋正徳。

──小林さん、高橋さんは研究所に深く関わりつつ、劇団外での活動も多くされています。ご自分の活動だけに邁進する選択肢もある中、研究所のことや劇団のことにも関わり続けているのはなぜですか?

小林 確かに私は、選んで積極的に外でやっていました。杉村さんが亡くなって以来、アンチ文学座になり外の仕事のほうが面白くなってしまったんです。当時、座歴20年以上になると劇団公演への出演を拒否するシステムがあって、その特権を使って積極的に外へ出るようになりました。

高橋 今は20年というのは無くなっている気がします。

小林 そうなんだ? だから私は一時期、文学座の芝居にはほとんど出なかったんですよ。

植田 勝也さんは、自分が劇団外で経験してきたことをよく研究所に“輸入”してくれますよね。外で出会った作家や演出家の現場でやられていたことを研究所で試すことがよくあって、だから毎年やることが違うっていうか(笑)。野田秀樹さん、桑原裕子さんの作品を研修所の発表会で演出されたこともありますし……(編集注:小林は2007年に上演されたNODA・MAP「キル」、桑原が作・演出を手がけ2017・2019年に上演された、穂の国とよはし芸術劇場PLATプロデュース「荒れ野」に出演している)。

小林 ……古くは寺山修司さんの作品も。私は“天邪鬼”という言葉が好きだったものですから、文学座で敬遠するような作家の芝居を積極的にやってきました。

高橋 勝也さんがサイモン・マクバーニーのワークショップで学んだことを、研究所の授業で身体を使いながらやって見せてくれたこともありました(笑)。そういう授業はやっぱり勝也さんだけだったから、すごく刺激を受けましたね。研究生時代、勝也さんとはたくさんお話をして、たとえば「唐十郎さんや野田秀樹さんの稽古場はどんな感じなんですか?」と僕たちから質問していました。また「デヴィッド・ルヴォーはすごい」とか「鐘下辰男は面白い」と勝也さんに教えていただくこともあって、常に新しい才能と出会っている勝也さんのお話を聞くのは本当に楽しかったです。だから僕も今研究生と接する際は、僕がどう思っているかだけじゃなく、「世界には文学座だけじゃなくて、たくさん演劇がある」ということを伝えたいと思って接しています。