SPAC「アンティゴネ」ニューヨーク公演レポート&宮城聰インタビュー|場所と共鳴した生と死の物語──1万人の観客が見届けた濃密な10日間

能と文楽をギリシャ悲劇に落とし込む

ここで改めて、原作「アンティゴネ」のアウトラインを述べておきたい。ソポクレスによって書かれた本作は、古代ギリシャ・テーバイの王女・アンティゴネを題材にしたギリシャ悲劇だ。敵味方を区別することなく死者を葬ることを望むアンティゴネと、彼女の意見を退けたことにより悲劇的な結末をたどってしまう王・クレオン。この物語で語られているのは、それぞれの衝突し合う正義を通じて見えてくる、神の法(ピュシス)と人間の法(ノモス)の対立だと言える。「生きている人と一緒にいる時間よりも、死んだ人と過ごす時間のほうがはるかに長い」というアンティゴネのセリフに感銘を受けた宮城は、彼女の思想に仏教の死生観との類似点を見出し、SPAC版に仏教的な演出を取り入れた。

SPAC「アンティゴネ」ニューヨーク公演の様子。(Photo by Stephanie Berger)

開演時間を迎え、辺りが暗くなると、数人の俳優が手持ちの楽器を鳴らしながら登場。すると、開幕を待ちわびていた観客から大きな歓声が沸き起こり、指笛の音が広大な空間に響き渡った。舞台前方に立ち並んだ俳優たちは、観衆の声に応えながら、日本の象徴として知られる富士山の近くにSPACの拠点があることを紹介しつつ、数分にまとめた「アンティゴネ」の短いあらすじを、ポップな身振りを交えながら英語で説明。SPACの面々の「観客を楽しませたい」という思いが伝わったようで、客席の至るところから楽しげな笑い声が聴こえてきた。

にぎやかなあらすじ紹介のパートが終わると、僧侶を乗せた1艘の小舟が静かにプールへと漕ぎ入れる。これは、日本の伝統芸能である能の様式を取り入れたもので、僧侶は物語の進行役であるワキを、アンティゴネら劇中の登場人物は、神や精霊、亡霊、鬼など、この世の者でない存在を指すシテの役割を担っているのだ。

ムーバー(演じ手)とスピーカー(語り手)によって1人の人物を演じ分ける手法は、宮城作品を象徴するスタイルの一つであるが、「アンティゴネ」のメインとなるエペイソディオン(会話部分)には文楽の要素が取り入れられており、スピーカーとムーバー、バックで演奏するコロスが、それぞれ太夫・人形・三味線の役割を果たしている。中でも、ムーバーとしてアンティゴネ役を演じる美加理は、アンティゴネの魂をその肉体に降ろし、彼女に起こった悲劇の顛末を全身で表現した。

重々しく荘厳な雰囲気が漂うエペイソディオンの合間に、スタシモン(コロスによる演奏・歌唱部分)として挟み込まれるのが、コロスによる盆踊りだ。コロスたちが白い衣装の裾をはためかせながら歌い踊るこの盆踊りは、軽快で楽しげなパフォーマンスでありながら、死者を供養するための儀式という意味合いを持っている。

アンティゴネやクレオンをはじめとする登場人物たちが悲劇的な結末を迎えたエクソドス(終章)には、再び僧侶が登場。冒頭で迎えた死者の魂を送り出すように、僧侶が灯籠を水に浮かべると、彼の周りを取り囲んだコロスたちが静かに盆踊りを踊る。照明が落ち、辺りが次第に暗くなっていく中、舞台上で円を描くコロスの葬列を、観客たちは息を飲んで見つめていた。客席の明かりが点くと、まるで魔法が解けたかのように、会場に流れる時間が古代ギリシャから現代アメリカへと戻る。1時間45分の“旅”を終えた観客たちは、スタンディングオベーションでカンパニーを迎え、案内人を務めたSPACの面々に「ブラボー!」と歓声を送っていた。

終演後、数人の観客にマイクを向けると、彼らは快くインタビューを受けてくれた。やはりニューヨーク・タイムズの劇評を読んで駆けつけた観客が多いようで、「日本の演劇が好きで、今年の夏も日本に渡って能を観ました。『アンティゴネ』は、まさに宇宙のような作品。とても美しかったです」という観客や、「幻想的で、まるで夢を見ているかのよう。今までこんなに長い間拍手をしたことはありません。演出家の方は天才ね」と興奮冷めやらぬ様子で語る観客も。さらに、「このようなテイストの作品を観たことがなかったのでとても感動しました。トランプ大統領も観てくれたらいいのに!」というアイロニカルな意見を持ったオーディエンスもいて、観客たちはそれぞれ帰路に向かいながら、同行者と活発に意見を交わし合っていた。

生徒たちの心に強く訴えかけた作品

パーク・アベニュー・アーモリーの外に飾られた「アンティゴネ」のポスター。

パーク・アベニュー・アーモリーは情操教育に力を注いでおり、ニューヨークの公立学校の生徒が無償で芸術に触れることができる制度を設けている。10月2日には教育公演が行われ、現地のミドルスクール、ハイスクールの学生約1000人が会場に集まった。“人種のサラダボウル”と形容されるアメリカを象徴するように、ヨーロッパ系、アフリカ系、ラテン系、イスラム系、中国系……と多種多様なバックグラウンドを持つ学生たちは、演劇の話題かはたまた別の話題か、友人同士でにぎやかに談笑しながらロビーで開場を待っていた。

もし、学生たちの集中力が途中で切れてしまったら──。しかし、そんな心配は杞憂に終わった。なんとカーテンコールでは、一般公演を超える熱量を帯びた歓声がカンパニーへ送られたのである。公演を観終えた彼らに話を聞いてみると、「日本文化と言えば、これまではアニメや進んだ技術、食べ物のことばかりを考えていたけれど、見方が大きく変わりました。実は日本文化って、深く象徴的な意味を持った幅の広い文化なんだってことに気が付きました」という声や、「音楽が美しくて強烈でした。あんな音楽はこれまで聴いたことがなかったです。登場人物の感情を強調するために音楽が使われていたけど、たまに音楽が急に止まって一つの瞬間に集中するような場面がありました。それがものすごく重要な瞬間だと感じられたのがカッコよかった」という意見が次々と聞こえてきた。

教育公演を担当するモニカ・ワイゲル・マッカーシー教育部長も手応えを感じているようで、「『アンティゴネ』は、2019学年度最初の教育公演に大変ふさわしい作品でした。アーモリーを訪れ、この古典物語を幾千年も前の書物としてではなく、生きた芸術として鑑賞することで、生徒たちは古代ギリシャから日本、そしてニューヨークというように、時代と場所を超えた普遍的な考え方や問い、問題のありかを見付けることができました」と語り、「宮城聰氏とSPACの素晴らしい解釈のおかげで、物語のテーマを鮮明にするビジュアル、音楽、動作など、生徒たちはこの戯曲の世界に入り込むための多様な入口を見付けることができました。また、力強い文化的伝統を感じる機会にもなったことでしょう。今回の公演は、生徒たちの心に強く訴えかけると共に、心躍るような新しい芸術的な可能性に対して彼らの心を開かせたと信じています」と述べた。

“ここにいない人”の魂を呼び出す

トークイベント中の宮城聰。(Photo by Da Ping Luo)

公演も終盤に差し掛かった10月4日。ニューヨーク大学のキャロル・マーティン教授と宮城によるアーティストトークが開催され、60人ほどのオーディエンスが集まった。その中で宮城は、日本の伝統芸能である能がどのような文化であるかについて、ニューヨークの聴衆に丁寧に説明しつつ、「能、ひいては演劇の最も重要な機能は、“ここにいない人”の魂を舞台上に呼び出して、その人が体験した最もつらい出来事を演じること。『アンティゴネ』という戯曲は、この本質を見事に捉えた作品なんです」と解説。また「アンティゴネ」で語られている思想が現代社会にも通底するとし、「人間という生き物は、例えば善と悪、白と黒というように、物事を2種類に分類することによって世界を認識してきました。しかし、このことによって永遠に終わることのない戦争が生まれてしまった。アンティゴネはこのような考え方をやめようと提案しているのではないでしょうか」と鋭く切り込んだ。

別日、宮城に、取材に応じてくれた観客たちの声を伝えると、「ニューヨークの面白いところは、国というフィルターを通さずに、個人個人が直接世界と向き合っているところですよね。ニューヨークの観客が『アンティゴネ』をどう受け取るのか、探りながらの上演ではありましたが、お客様から大きな反響をいただいて、自分たちの作品の普遍性が証明されたように思います」という答えが返ってきた。今回の「アンティゴネ」ニューヨーク公演が、宮城やSPACの面々をはじめとする公演関係者にとって、そしてニューヨークの観客にとって、新たな価値観に出会うきっかけになったことを、宮城の充実した表情が物語っていた。

SPAC「アンティゴネ」ニューヨーク公演の様子。(Photo by Stephanie Berger)