静岡の人たちが“自分ごと”と思ってくれる
フェスティバルに(ウォーリー)
──ここからはストリートシアターフェス「ストレンジシード静岡2021」ディレクターのウォーリー木下さんにも参加していただき、お話しいただきます。「ストレンジシード」も昨年は中止となり、秋に「ストレンジシード2020静岡 the Park」として実施されました。今年の実施に向けて、ウォーリーさんはどんな思いを持っていらっしゃいますか?
ウォーリー木下 昨年9月に、オンラインとリアルで開催したことが大きかったです。特に「the Park」では屋外のフェスにおける感染症対策とか、万が一クラスターが起きたときの追跡方法とかを勉強させてもらいました。その実績があるので、今度のゴールデンウィークは実施できるなと。どうなるかは本当に直前までわかりませんが、「ストレンジシード」は観覧無料、つまり前売りチケットを販売しないので、そのときの感染状況に合わせ、臨機応変に対応しやすいなと思っています。
アーティストに関しては、昨年の秋に実施した際、やはり移動がネックになったので、前回に続き今回も静岡のアーティストを多めに入れたり、各団体の参加人数を減らしたりしているんですね。また今回はワークショップを増やしていて……というのも、ガッツリ新作をやろうとすると稽古期間も含めてコロナのリスクが大きくなりますが、芝生の上でゲームをするように4日間ワークショップをやり、それが1個の作品に見えてくるような、新しい作品形態が「ストレンジシード」で生まれてきたら良いなと。
また以前から静岡県の人たちに「ストレンジシード」を自分たちのフェスティバルだと感じてもらえたら、と思っていましたが、コロナによってそれが加速した気がするんです。静岡の劇団の方たちが“自分ごと”として「ストレンジシード」を捉えてくれるようになって、それはすごく良い方向に向かってるんじゃないかなと思います。
宮城 先ほどお話しした通り、今年は「せかい演劇祭」も野外で実施されます。人間の歴史の中では、もともと野外で芝居を観るのは当たり前のことで、そもそも芝居っていう単語は“芝の上に座る”って意味ですから、外で芝居を観るのが普通だったということですよね。でも約100年前くらい前に屋内の、劇場という閉ざされた空間で観るのが普通になって、それによって野外ではできなかったような繊細な表現ができるようになった。でも演劇はそんなデリケートなものばかりではなくて、もっと図太いものもあるんだってことを、野外で芝居を観ることによって、お客さんもスタッフも演じる側も思い出せる、良い契機になるんじゃないかなと思います。
そして、今はオンラインミーティングが一般的になってきましたが、オンラインミーティングって自分が発したいと思っていることを相手に伝える場だと思うんですね。でも実際に対面すると、その人が発したいと思っていること以外に、人間って膨大な情報を発している。そう思うと、舞台で俳優を覗き込むとき、観客はその俳優が表現しようとしている以上のことを観ていることになるわけです。そうやって“人間が人間を覗き込む”という大きな目的の前では、野外劇の大変さ……天候のこととか、照明機材が風で揺れる、というようなことはなんでもないことだなって思います。
ウォーリー 昨年「the Park」を秋にやったときには、「青空の下で楽しめる“ピクニックのような”ストリートシアターフェス」というコピーを掲げていて、風や気温を感じたり、太陽の日差しや星空を眺めながら芝居を観てもらえたら良いなって思ったんですね。そうしたら想像以上、例年以上に親子連れや家族連れが多かった。シルバーウィークで、ちょっと外に出ても良いという雰囲気でもあったし、かといって友達とワイワイとはいかない感じだったので、自然と家族で来る人が多くて。でも実は僕たち、あまり血のつながった人と演劇って観ないですよね?
宮城 確かにそうですね!(笑)
ウォーリー (笑)。でも彼らは芝居を観たあと、同じ家に帰って行き、同じご飯を食べるんだって想像すると、僕はワクワクした。そうやってお昼ご飯のような感じで、演劇やダンスを栄養みたいに摂ってもらえるなら、こういうものが生活の中にあっても良いんじゃないかと思いました。
フェスティバルでモノカルチャー化を抑制
──今発表されている「ストレンジシード」参加団体には、これまでにも出場経験がある団体もいますし、SPACのメンバーも名を連ねています。
ウォーリー 実は昨年の「the Park」まで、僕はSPACの方たちとそんなにお話ししたことがなかったんです。でもあのときは「せかい演劇祭」と時期がずれていたこともあって、SPACの方たちが裏方も含めてたくさん参加してくれました。今回も、ちょっとでもスケジュールが合えば参加してもらいたいと思ってお声がけしました。
宮城 確かにこれまで、SPACのメンバーと「ストレンジシード」のコアに関わっている方たちは、お互いの作品をなかなか観られなかったんですよね。でも「the Park」をきっかけに、相手のことをよく知るチャンスを得たと思います。
──コロナにより、演劇に限らずさまざまなフェスティバルが中止になりました。この状況下でフェスティバルを実施することについて、お二人はどんな思いをお持ちですか?
宮城 人間は危機に直面すると、防御本能から異物を排除したい、同質な人たちだけで固まりたいと思いがちです。でも、例えば作物を作るときに畑一面収穫量が多い品種だけにすると、一時的に収穫量は増えても気候の変化や病気で一気に滅んでしまうということがある。それと同じく、人間社会も少しずつ違う人が一緒に暮らしているほうが、暴風が吹いたときにある部分はなぎ倒されそうになっても、ある部分は持ち堪えて社会として持続できることがある。実際、モノカルチャー化した社会が滅んでしまった例は、歴史上にもありますよね。つまり、自分たちの生きている社会がモノカルチャー化しないようにしていくことが社会を守る、日本を守ることになるのではないかと。そこで今のような時期こそ、フェスティバルが必要なのではないかと思います。フェスティバルを通じて、自分たちとは違う価値観を楽しむことは、人間の1つの知恵だと思うんですよね。
ウォーリー 同じことを違う言い方で言う感じになりますが、旅に出かけると、今自分がいる場所ってなんて限定的で暫定的な場所かってことに気付く、ということがよくあります。パフォーミングアーツがやろうとしていることはおそらく、旅に出て自分の立ち位置を確認するってことだと思うんです。それが集合体としてのフェスティバルとなれば、さらに世界中を旅できる効果がある。その点でフェスティバルには、同調圧力が非常に強い昨今の状況を押しとどめようとする力、イージーな方向にいかないようにさせる力があるんじゃないかと思っていて。またガイドブックを持たずに旅に出て、怖いものや楽しいものなど、さまざまなハプニングに遭遇することがその人の人生を大きく変えていくこともあります。「ストレンジシード」は、そんな偶然な出会いも大事にしたフェスティバルを目指したいですし、そんなフェスティバルなら、今やる意味があるんじゃないかと思っています。