毎年ゴールデンウィークに静岡で開催されている、「ふじのくに⇄せかい演劇祭」と「ストレンジシード静岡」。2020年は、新型コロナウイルスの影響により、両フェスティバルとも中止・延期となった。あれから1年。今年は共に野外で実施される。
開催に先がけ、ステージナタリーでは「ふじのくに⇄せかい演劇祭」のディレクター・宮城聰にこの1年を振り返ってもらった。また特集の後半では、宮城と「ストレンジシード静岡」のディレクター・ウォーリー木下も参加し、今年のフェスティバル開催に向けた思いを語る。
取材・文 / 熊井玲
演劇がエッセンシャルだ、という人のために
──昨年の2月26日、静岡にて「ふじのくに⇄せかい演劇祭2020」のプレス発表会(参照:宮城聰「演劇祭から、世界には本当にいろいろな状況の人がいることを感じて」)が行われました。この段階では、例年通りの規模で「せかい演劇祭」が実施される予定で、コロナに関する質問もほとんどなかったと記憶しています。
宮城聰 あの頃はまだ、新型コロナウイルスが海外であそこまで感染拡大するとは想像できていませんでしたし、当時は日本の感染拡大のほうが問題で、だから日本国内の状況が落ち着けば、海外のアーティストも来日できるだろう、「せかい演劇祭」も実施できるだろうと思っていました。
──その後、3月19日に海外作品の前売りチケットが販売中止となりました。
宮城 3月の段階では、日本ではどちらかというと未知のウイルスに対するパニック的な反応がありましたよね。でもそれはいずれ落ち着くんじゃないかと、僕は想像していました。それが、徐々にヨーロッパのほうが致死率や感染規模がはるかにシリアスだということがわかってきて、そうなると今度は、海外のアーティストが来日できる状況ではないのではないか、という意識に変わりました。そこで海外作品を諦め、SPAC作品の上演だけはなんとかやろうと思ったんです。
──それで、「せかい演劇祭」のプログラムの1つである「おちょこの傘持つメリー・ポピンズ」の稽古を続けていたんですね。
宮城 そうです。当時、不要不急の代名詞として劇場やライブハウスが挙げられていました。確かに数の上では、“演劇を観なくてもちっとも困らない”という人が多いのはわかるのだけれど、劇場をやっている僕らとしては、劇場が閉まって演劇が観られなくなると精神が枯れてしまう人、心の栄養として演劇がどうしても必要不可欠で、自分の生存にとって演劇や劇場がエッセンシャルだという人がある程度いることを、よく知っています。そしてその人たちの顔が、ありありと思い浮かんで。彼らのためにも、僕らの作品だけは最後の砦としてなんとか上演したいと思っていました。
「ふじのくに」から「くものうえ」へ
──しかし4月3日に「せかい演劇祭」の中止が発表されました。
宮城 中止を決めたのは、発表の数日前、3月末だったと思います。感染が収まらず、自分たちも稽古場に集まって稽古することが難しい状況になってきました。それは「せかい演劇祭」そのものが中止になるということだなと。そこで、「演劇祭がやれないなら私たちは何ができるのか」ということをSPACのメンバー全員で話しました。初のZoom会議だったんですけど(笑)、メンバーのほぼ全員が参加して。最初は「本当に演劇は必要不可欠なのか」という問いかけから始まりましたね。先ほど「演劇がなかったら枯れちゃうだろうな、というお客様の顔が思い浮かんだ」と言いましたが、公演中止を決めたとき、誰よりも枯れそうになっていたのは俳優たちでした。公演がなくなり、ただ自分の部屋にいなくてはならない状況になって、精神を平常に保つことが大変なメンバーもいたんです。つまり、誰よりも自分たちにとって演劇がエッセンシャルなものだった、ということを痛感したわけです。それで、自分たちが生き延びるにはどうすればいいかを考え始め、「カニがないときはカニカマを食べて数カ月を生き延びよう」という思いで「くものうえ⇅せかい演劇祭」を実施することになりました。
──「くものうえ⇅せかい演劇祭」では、「ふじのくに⇄せかい演劇祭2020」に参加予定だった海外のアーティストと宮城さんによるトークなどを中心とするコア企画、SPACの俳優・スタッフによるブロッサム企画がWeb上で展開されました。
宮城 「自分たちの作品が上演できなくなった中で、何がしたいか、何がやれるか」という問いかけに対し、俳優もスタッフもいろいろな提案を挙げてきました。プリントにすると、A4で40ページくらい(笑)。つまりそれほどみんな、生き延びるのに必死だったわけですが、それらの企画を、対象とする人が誰かという目線で、ホワイトボードに十字線を引いて振り分けていき、プログラムを組み立てました。
──コア企画には、海外のアーティストたちも非常に協力的でしたね。
宮城 4月頭くらいの段階で、ヨーロッパ・南米をはじめ、ほぼ全世界の劇場が閉まっている状況でしたよね。地球上のすべての劇場が閉まっているというのは、人類史上初めてだったんじゃないかと思います。そんな悲惨な状況の中、同じシチュエーションに置かれた地球上の演劇人同士として、一種の連帯感みたいなものが生まれました。だから「くものうえ⇅せかい演劇祭」で海外のアーティストに対談を呼びかけたときも、「肯定的な返事が戻ってこないんじゃないか」という心配はなかったです。
──「くものうえ⇅せかい演劇祭」は、「ふじのくに⇄せかい演劇祭2020」を開催予定だった4月25日から5月6日まで連日実施されました。
宮城 先ほどお話しした通り、当時世間で流布されていた「演劇は不要不急」という目線にいかに抗うか、私たちの活動が必要不可欠だということをどう伝えるか、という命題について考えていました。それは、自分たちの人生の芯にあることを見つめるということなので、そういった目線でプログラムを組んでいくと苦労はなかったですね。
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コロナによって、新たな俳優の顔が見えた