SPACおなじみのアーティストたちが見せる、“最先端”
──そのほか、SPACになじみ深い演出家たちの作品が並びました。ワジディ・ムアワッドはこれまでに静岡で、「約束の血」四部作の第1作「沿岸」を「頼むから静かに死んでくれ」として上演したほか、2016年には「Seuls」を「火傷するほど独り」として上演しています。今回は2018年にフランス・パリで初演された「Tous des oiseaux」を「空を飛べたなら」として上演します。
宮城 ワジディさんはレバノンのベイルート生まれでフランスに亡命し、その後カナダのケベックに移住しています。彼は、文化は混じり合ったときに一層面白くなると考えている人で、“文化の純血主義”を守ろうという今の世界の状況、趨勢に対しては、作品で応答したいと考えている演出家です。「空を飛べたなら」は、彼がコリーヌ国立劇場の芸術監督になってから作った新作ですが、ユダヤ人とアラブ人の恋人を軸に、親世代が巻き込まれていくという設定になっています。ワジディのいいところは、そういった現実の痛々しい問題を取り上げつつもストーリーを放棄しないところ。彼はいつも、誰もが知っている物語の雛形を使いますが、今作は「ロミオとジュリエット」がベースになっていて、作品を通して「人は自分がどこに属しているのか、簡単には言えないし、それこそが人間なのだ」ということを、ハラハラドキドキするような物語の中で描き出します。こんな、誰が見ても面白いと思えるような4時間もの大長編は、めったにないと思います。
──オマール・ポラスは1999年に静岡で行われた「シアター・オリンピックス」に参加して以来、「ドン・ファン」「春のめざめ」「ロミオとジュリエット」などさまざまな作品を静岡で発表しています。
宮城 オマールはコロンビアの出身ですが、決して裕福な家の出ではなく、彼のご両親は字が読めないというような階級に生まれた人物です。その彼が、コロンビアからパリに出て大道芸のようなことをやりながらだんだんと食えるようになっていき、ついにスイスで芸術監督になる……その一代記が、「私のコロンビーヌ」。この作品には、今の僕らには当たり前になっていることを気付かせてくれるようなところがあります。
またオリヴィエ・ピイさんには、彼がこれまで3本書いているグリム童話シリーズの4本目として、「愛が勝つおはなし~マレーヌ姫~」を上演してもらいます。ピィさんの芝居の一番の魅力は、みんながよく知っている言葉に、私たちが捉えられていない別の世界を感じさせてくれるところ。演劇はもともと詩で書かれていたので、詩とは何かということを演劇人としては今一度思い出したいわけです。そのときにピィさんの芝居を観ると「ああ、詩ってこういうものだったな」と得心がいく。ピィさんは、そういうものが書ける数少ない劇作家だと思います。またそういう意味では、唐十郎さんも詩を感じさせる劇作家です。今回僕は、唐さんの「おちょこの傘持つメリー・ポピンズ」を上演しますが、唐さんの戯曲に触れると、日常を相対化するために詩が必要だということ、日常に溺れてしまわないために日常から距離を取ることが大事だと思いますし、そういう俯瞰的な目線が持てるような言葉を書けるのが、ピィさんであり唐さんではないでしょうか。
目標は、大きな野外作品を生み出すこと
──今年の「せかい演劇祭」は演劇性が強い作品が多いように感じますが、対する「ストレンジシード」では、例年以上に身体性を大事にした団体が参加しているのではないでしょうか。
ウォーリー バランス的には例年よりちょっと多いかもしれませんね。
──東京デスロックや柿喰う客、鳥公園、ワワフラミンゴなど東京でも人気の劇団や、宮城の劇団短距離男道ミサイル、大阪の劇団壱劇屋、兵庫のコトリ会議、福岡の太めパフォーマンス、熊本の不思議少年など各地の注目カンパニーが集結します。
ウォーリー 柿喰う客は前も出てもらっていて、中屋敷(法仁)くんは今時珍しく、言葉と身体を詩に落とし込もうとする演出家だと思います。野外でどんなことができるかという話をしながら、中屋敷くんにはこれまでもいろいろなことを試してもらいました。僕は「ストレンジシード」の目標の1つとして、日本、あるいはアジアの演出家が野外で大きな作品を作ることを考えていて、それが(劇場で上演される作品に対して)どのようなカウンターになるかってことを一緒に考えられる演出家と仕事したいなと思っています。またジャグリングの頭と口・渡邉(尚)さんは、昨年の「ストレンジシード」で上演してもらった作品が泣きそうなほど良くて(笑)。彼はずっとヨーロッパで活動してきたのですが、だからこそ日本のパフォーミングアーツ界の閉塞感を痛感していて、そんな状況を、自分のパフォーマンスだけじゃなく生き様自体から変えようとしています。なお今回彼には、愛知の日用品を使ったバンド・kajiiとコラボレートしていただきます。東京デスロックの多田(淳之介)さんは、観客として「ストレンジシード」を観に来てくれていて、ずっと気になっていました。今回は、今まで「ストレンジシード」でやっていなかったエリアで、街中にいろいろなものを仕掛けていくような作品をやっていただきます。
──「ストレンジシード」は、2018年に比べ、昨年はグッと動員数が増えました。
ウォーリー そうですね。でも動員数ということよりも、静岡の人がこのフェスを楽しみにしてくれていることが大事というか。それって(静岡の人と)話せばすぐわかりますし、皆さんがワクワク待ってくれている、高まりみたいなことで盛り上がりを測っていけたらいいなと思います。もともと「ストレンジシード」は、エジンバラ演劇祭やアビニョン演劇祭のような街の雰囲気を静岡で作れないかということから始まっていて、それには「せかい演劇祭」というインターナショナルフェスがあることが大前提です。その上で、「ストレンジシード」ではもっとインディペンデントな、まだ誰も見つけていないような新しくてすごいこととか、逆に街の人もパッと参加できる演劇や単純にお祭りとして面白いと思えるようなものが作れたらと思っていて。その点、今回は街中を回遊するパフォーマンスや、家族で参加できるパレードがあったりしますので、お客さんとの接点がもっと増えていくと思います。
──宮城さんが「ストレンジシード」をご覧になることもありますか?
ウォーリー いつも来てくれますよ。「え、そこに参加してるんだ?」って驚くこともあります(笑)。
宮城 あははは。
駿府城では、「アンティゴネ」も同時上演
──5月2日から5日には駿府城公園にて、東京2020 NIPPON フェスティバル共催プログラムとして宮城さん演出の「アンティゴネ」が上演されます。
宮城 「アンティゴネ」は2017年にアビニョン演劇祭のオープニングのために作り、昨年はニューヨークでも公演しました(参照:SPAC「アンティゴネ」ニューヨーク公演レポート&宮城聰インタビュー)。アビニョン公演に先駆けて、静岡でも上演したのですが、何しろ「アンティゴネ」は間口40mの法王庁中庭のサイズに合わせた作品なので、静岡で上演したのは、本番の4分の1程度のパイロット版でした。今回、「アンティゴネ」が東京2020 NIPPON フェスティバル共催プログラムに選ばれたこともあり、静岡で、ようやく本来のサイズ感で観ていただけることになったんです。
──ニューヨーク公演は屋内での上演でしたが、今回は屋外となります。
宮城 屋外で一番の悩みは風ですね。(「アンティゴネ」の見どころの1つである)影を見せるには壁が必要で、アビニョンのときは堅牢な建物だったから倒れてくる心配がなかったけれど、駿府城公園には風で倒れないようなものを立てないといけなくて。
ウォーリー 前回の静岡では立ててなかったですよね? 前回は影が公園の木に映って、それはそれでよかったですけど。
宮城 あのときは影を見せるか、(「アンティゴネ」のもう1つの特徴である)水を張った舞台を優先するか考えて、水を優先しました。今回はなんとか影も見せたいと思います。
静岡の寛容さで、静岡を演劇ユートピアに
──観客としては、「せかい演劇祭」と「ストレンジシード」が重なるゴールデンウィーク期間は、まさに朝から晩まで演劇漬けという感じで、どちらも不可分なフェスティバルになってきました。お二人はそれぞれのフェスティバルが、どのように作用し合っていると感じていますか?
宮城 「静岡にまで行かないと観られないもの」と考えたときに、SPACの公演自体は1年中やっていますし、「せかい演劇祭」には優れた作品を海外から呼んできてはいますが、それだけでは「静岡まで来ないと絶対に観られない」と言うには弱いと思っていて。本当に静岡でしか観られないってどういうことだろうと考え、また静岡の街をもっとお客様に楽しんでもらいたいと思ったときに、静岡という場所を楽しんでもらえるような体験を提供しないといけないだろうと思い、「ストレンジシード」を考えました。アビニョン演劇祭がなんで面白いかというと、フェスティバル期間中、街全体が非日常的な場所になっていることと同時に、若い表現者にとっての登山口になっているというか、「このようにいけば世界の頂点に立てる」ということが見える場所だからだと思うんですね。今、日本では、舞台芸術の表現者が「こうすれば世界に出られる」とイメージできる場所があまりない。面白い作品が時々あるだけで、頂点を目指すのにどういうルートがあるのかよくわからないと思うんです。そう考えたとき、東京はあまりにデカくて、面白いものが“点”としてある状態だけれど、静岡なら「このエリアには面白いものが集まっている」という“面”を作ることができるんじゃないか、そういうエネルギーが渦巻く場所になれば、お客さんも街もそのエネルギーに巻き込まれていくのではないかと思います。
ウォーリー “登山口”、本当にないんですよ。だから自分1人で海外に行く人もいますけれど、1人では体力が続かないんですよね。その道筋が静岡から作れるのはいいなと思うし、劇場であれストリートであれ、世界のトップランナーたちが自分がやりたいと思う作品をどんどんやってほしいなと思います。
──お二人はディレクターとしてだけでなく、アーティストとしてもトップランナーです。創作環境としての静岡にはどんな印象をお持ちでしょうか。
ウォーリー 僕、「ストレンジシード」ではまだ作品を作っていなくて、静岡では昔、大道芸ワールドカップで作品を作っただけなんです。そのとき、警察に怒られたりはしましたけど(笑)、めちゃくちゃ楽しかったですね。大阪や東京などでいろいろなフェスに携わってきましたが、野外で何かするとなったときに、行政や商店街との関係など、やっぱり日本は難しいなと思うことが多かったんです。という中で静岡に来たら、「ここはユートピアだな!」と(笑)。
一同 あははは!
ウォーリー もちろん静岡でもいろいろな問題がないわけではないですが、僕と同じく、「ストレンジシード」に来てくれたアーティストが口々に「ユートピアだ」って言う。そこにはきっと何か魔力があると思うんですよね。長い間、「まちは劇場」というプロジェクトをやってきた結果かもしれないし、県民性もあるのかもしれないけど、もしかしたら静岡は、日本で唯一の演劇解放区みたいになるポテンシャルがある場所なのかもしれないなって。僕にとっては最後の地だと思ってますよ!(笑)
一同 あははは。
ウォーリー あと宮城さんがいてくださるということは大きいです。例えが適切でないかもしれませんが、天皇のようにシンボリックに、宮城さんというディレクターが中心にいることで、その周りで自由になれる部分はあると思います。
宮城 僕はもう静岡を相対化することが難しくなってきていて……。
ウォーリー 静岡に移住して何年ですか?
宮城 13年ですね。だから最初はコンビニに入っても店員の動きがあまりにゆっくりで驚いたけど、今やこれがすっかり当たり前になってしまった(笑)。ただ、今ウォーリーさんが言ったように、静岡は東海道でずっと人の流れがある場所だったので、ある種の寛容さみたいなものがDNA的に備わった県民性なのかもしれません。世界には今、自分と違う人を排除する、不寛容な空気が広まっています。せめて静岡が寛容な場所になればいいなと思いますし、そのためにも「せかい演劇祭」や「ストレンジシード」が演劇を盛んにすることに役立つのではないかと思っています。
2020年4月3日更新