突如始まったLA生活、川で出会った未知の人類
──リーダーズの皆さんから見て、88risingはどんなレーベルだと思いますか?
SUZUKA 面白いと思った作品に対しての熱量の上がり方がすごいなと思いました! まだ公開していない動画を「これ作ったんだー!」ってショーンに見せたら感動してくれて、「今すぐこの作品をYouTubeに出そう! 今! すぐ! だ!」って。その姿を見たときに「その勢いめっちゃ大事ー」って思いました。そのタイミングでは出せなかったので笑って誤魔化してましたけど。
KANON 秘密の映像はショーンに見せられないね。
SUZUKA そうそう、ものすごいフォロワーがいるInstagramのアカウントに私たちの写真を急に載せてくれるんですが、「んぬ? この写真いつのじゃ?」とか「スクショだから画質悪いねーっ」みたいなこともあって。
RIN そのスピード感があるからこそ、新しいものをどんどん生み出して発信していけるんだろうなって思います。
SUZUKA ワシらも、面白い作品をポンポン出していく感覚を学んで取り入れていきます!
MIZYU 88risingに入ってから「何事も挑戦しなきゃもったいないな」って思うようになりました。
RIN 88risingのおかげだよね。向こうのスピード感に付いてくんじゃなくて、追い抜かして「こっちにあるよ!」っていうくらいの勢いが大事だってことに気付けてよかった。
──世界デビューについて、国内のファンの反応はどうだったんですか?
MIZYU 最初は「もう日本からいなくなっちゃうんだ」っていう受け止められ方をした部分もあるかも。コロナでお客さんと会える機会がない頃に発表したので、距離ができちゃってるようなところもあったんです。
SUZUKA うん。でも、私たちが週4とか地方でライブしても、それに全部来てくれる人がおったからこそ、より向上心が芽生えたし、そこはホンマに絶対大切にしたいって思ってた。だから世界デビュー発表後のワンマンで「私たち世界行くけど“いってらっしゃい”じゃないから。みんなで行くねんで! 日本でやってきたワシらの作品を持っていくんやから、みんなで行くってことやからね! “いってらっしゃい”じゃないで!」って伝えたんですよ。その気持ちをしっかり受け止めてくれてたらうれしいですね。
──「NAINAINAI」で世界デビューし、2021年3月にウォーレン・ヒューとコラボした「FREAKS」をリリースしたあと、5月末までアメリカのロサンゼルスで生活していたんですよね。このLA生活はどういう経緯で始まったんですか?
MIZYU 88risingからのデビューに向けた動きが2020年の2月にスタートして、4月に1回挨拶に行こうって話はあったんです。それはコロナの影響もあってなくなったんですけど「行くかも?」って話はずっとあって。それが急に実行されました。でも、ショーンに会う以外は特に何をするかは決まってなかったんです。1カ月弱の予定だったのに、思わぬ出会いがあって、2カ月半に……!
──何も決まってなかったんですね。LAに到着した当初は何をしていましたか?
MIZYU 隔離期間の2週間は家から出れなかったので、日本で作っていたストック曲を進化させたりしていましたね。
KANON 全部世に出てないけどね。
──「NAINAINAI」「FREAKS」以外にも世界デビュー後に作った曲があったんですね。
SUZUKA LAに行く前、「NAINAINAI」を作ってくれたyonkeyさんとリーダーズのチームで、88risingから届いたデモを私たちなりに落とし込んでおくっていう感じで、めちゃくちゃ曲を作ってたんです。
MIZYU 週に2、3曲ずつ完成させる感じで。yonkeyさんもたくさん提案してくれて、歌詞のことを話したり、一緒に書いてみたり、スタジオで一緒に笑ったりするうちに、いっぱい曲ができてたんだよね。
SUZUKA それを日本語バージョンと英語バージョンで88risingに送って。
MIZYU どれも世に出てないけど、すごくいいんですよ。
KANON LAから帰ってくる直前くらいにみんなで聴いて、「うわ、めっちゃいい! 出したい! すっごく面白いじゃん!」って、めちゃめちゃテンション上がりました。
RIN いつか出せたらいいよね。でも、あの時期に曲制作をがんばれたのはよかったなって思います。これまでそんなふうにみんなで作ったことはなかったし、曲にもっと向き合おうって気持ちにもなれたきっかけかもしれない。
SUZUKA LAに着いてから2週間はそのストックを録り直したり、振り付けを考えたりしていたんですけど、いろいろ動き始めて、マニー・マークに出会って。そして、会うたびに「もう止められないわ……」ってくらいに私たちのマークに対する気持ちが燃え上がっていったんです。
──88risingとの契約に続いて、マニー・マークとのコラボも驚きでした。マニー・マークをプロデューサーに迎えた「SNACKTIME」リリースのタイミングで、Beastie Boys「Intergalactic」を日本語でカバーした映像も公開されていましたが、これはマニー・マークとの出会いがきっかけで制作されたんですか?
MIZYU これは「Beastie Boysみたいなエナジーがリーダーズにはある」って話から制作されたもので、マークと出会う前から存在していたんです。LAに行く前にレコーディングもしていたし、フルバージョンも作っていて。まさか“Beastie Boys第4のメンバー”とも言われるマニー・マークと出会うだなんて、そのときは想像もしていなかったです。
──マニー・マークとはどうやって出会ったんですか?
MIZYU 「川の近くでバッタリ会って意気投合して……」と言いたいところだけれど、バッタリではなくて、アメリカのマネージャー経由で約束して会いました。
KANON でも、最初はマークだと気付かなかったよね。
RIN そうそう。一緒に会う予定だったマネージャーより先に私たちが到着していたんです。そしたら、近くにいたおじさまが「Hi!」って急に話しかけてきて、「大丈夫かな……」と思っていたら「I'm Money Mark」って。
MIZYU それで話を聞いたら「まず川を見てくれ」って。
SUZUKA 真剣に見たよな。
MIZYU この川に何があるんだろうって考えたけど、動物とかいるわけでもないし、結局何がある川でもなかった。
SUZUKA 水深浅いしな。
KANON 今考えたらそういうところもマークらしいなって思うんですけどね。そのときはああいう人類を知らなかった。
マニー・マークを振り向かせるまで
──出会ってすぐ作品の制作に入ったわけじゃないんですよね。
RIN 初めて会ったときは、私たちのことをいろいろ伝えて、マークも「こういうのが面白いんだよ」っていろいろ教えてくれました。
KANON そのときに「あれ、あんまり響いてないぞ……」って感覚があって。
SUZUKA なんかずっと空見ててな。でも聴かせてくれる音楽がヤバいから「この人とやったらワシらヤバいで……」と思って。
RIN それでマークにアタックしなくちゃいけないと思って、マークの曲に私たちが振りを付けた映像作品を送ったんです。
SUZUKA マークが聴かせてくれた中で「ヤバーイ」って思った曲な! 自画自賛ですが、ヤバーイ作品になりました。その映像は言葉のわからない幼児に感情を教える教材とか、そういう領域に到達している。それをマークが観て「I love this! HAHAHA!」 とか言ってくれてな。
KANON それでやっと響いたよね。何回も再生してた。
RIN マークが「いいね!」って言ってくれたところがようやくスタートで。私たちが「アピールしなきゃ……」と思って映像作品を送らなかったら、「SNACKTIME」は絶対生まれてないです。
──その映像は世に出てないんですね。
KANON 出てないんです!
SUZUKA でも、まあまあまあ! 待っててくださいよっ!
──いつかその映像が公開されるのを楽しみにしておきます。マークに気に入ってもらえてからすぐに制作がスタートしたんですか?
MIZYU 翌日でしたね。
SUZUKA 最初は「セッションって何?」みたいな感じで、マークの背中を見ることしかできなかったんですけど、徐々に打ち解けていって。私たちが住んでいた家の半地下の古びた部屋をレコーディングブースに改造して、みんなでやろうということになり、そこからはドドドドド!ですね。一緒に過ごしていくうちにお互いの心が自然に開いていって、私らがテンション上がって踊ったら、マークも踊って。
MIZYU マークは伝え方というか空間作りもすごく上手です。外に落ちている石やフライパンなどで音を鳴らして遊んだり、YouTubeで一緒に面白い映像を観たり音楽を聴いたりしているうちに、いつの間にか制作に入る流れになっていたり。すぐにスタジオに入る感じではなくて、自然な流れを作ってくれる。
──その作り方がリーダーズにも合っていた?
KANON 合っていたと思います。不慣れなこともあったけど、マークのおかげで楽しく私たちなりにがんばれました。新しい壁が出てきては、それを乗り越える毎日で、とにかく濃ゆかったです。
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骨が折れる音とSUZUKAの悲鳴