異例の発売2日前の告知に、世間が大きくざわついた。「三毒史」以来、約5年ぶりとなる椎名林檎のオリジナルアルバム「放生会(ほうじょうや)」が5月29日に突如リリースされた。
「三毒史」は椎名と同じ午年生まれの男性ボーカリストを招いた、デュエットアルバムだった。そんな前作を経て作られたアルバム「放生会」には、7人の“歌姫”に当て書きした楽曲が収録されている。そのうち1曲は、2019年11月に発表された盟友・宇多田ヒカルとのデュエット曲「浪漫と算盤 TYO album ver.」。椎名のオールタイムベストアルバム「ニュートンの林檎 ~初めてのベスト盤~」の制作時期に合わせて作られた楽曲だ。そして今回、アルバム制作にあたって新たに中嶋イッキュウ(tricot、ジェニーハイ)、AI、のっち(Perfume)、新しい学校のリーダーズ、Daoko、もも(チャラン・ポ・ランタン)という新たな歌姫たちが招かれた。
このアルバムを聴いて、椎名が引き出した歌姫たちの新たな一面に、驚かされる人も多いだろう。音楽ナタリーでは、人選に始まり、何から何まで気になることが多い今作について、椎名本人に質問をぶつけてみた。
取材・文 / 永堀アツオ
お芝居をしないでいい相性
──前作「三毒史」は宮本浩次さん、櫻井敦司さん、向井秀徳さん、トータス松本さん、ヒイズミマサユ機さん、浮雲さんといった男性ボーカリストをゲストに招いた作品でした。あれから5年を経て完成した新作「放生会」には、7人の歌姫が参加していますね。
男声への当て書きというのは、やはり一度は経験しておきたいことでした。彼らのそれまでのキャリアを思えば恐ろしいことでしたけれども、「勇気を出してよかった」「本音の部分で描けた」と、ある種納得したので、次はいよいよ女声をお招きしようと。
──女性アーティストとのコラボレーションと言いますと、椎名さんはデビュー2年目の1999年には、すでにともさかりえさんに楽曲提供をして、プロデュースをされていますよね。
「カプチーノ」に関しては、実は自分のデビューシングル発売前から作業していたんですよ。当時から、自分が演者をやらず、演出に専念するときだけに生じる集中力や描写力に気付いていました。全体プロデュースのほうが合っていました。
──その後も広末涼子さん、栗山千明さん、柴咲コウさん、高畑充希さん、深津絵里さん、真木よう子さんなどに楽曲提供しています。
皆さんそれぞれに素晴らしく、毎度感激しきりでした。ただ、彼女たちは役者さんなので、演じ切ってもらう内容でしたし、デュエットもしていないんですよね。今回ご参加くださった皆さんはミュージシャンで、共闘していただいています。
──共闘どころではないですよね。アルバムの始まりも終わりもゲストボーカルの声ですし。
まあ、前作(「三毒史」)もお経で始まっていますし、いつぞやも坂間大介氏にまずご登場いただいていますし。私はあまり自分の声を最初に出さないで、遅れて行きます。「行けたら行く」みたいな。
──(笑)。先ほど、プロデュースが「自分には合ってる」とおっしゃっていましたが、椎名さんは昔から、作詞作曲、編曲、プロデュースする側に回りたいというニュアンスの発言をされていますよね。だから、少し心配なんですよ。交互に歌うデュエット曲の多い本作を経て、椎名林檎が歌う割合がどんどん減っていったらどうしようと。
なるほど。ただ、日頃一緒に作業している職人でそんなことを言う人は誰もいませんよ。むしろ企画・制作の代役のほうが、もっと見当たらないですから。限られた時間の中、よりよいものを、より多く遺そうと考えるとき、シビアに判断せねばなりません。もちろん、なるべく長くパフォーマーとしても及第点を出してゆけるよう努めたいとは思っております。
──歌姫とのデュエットがスタートしたのは、2019年に椎名林檎と宇多田ヒカル名義で配信リリースされた「浪漫と算盤」ですよね。
そうですね。ヒカルちゃんさえよろしければ、年を経るごとにときどきは集まって、面白いことをご一緒できたらいいなと。そういう関係だと思っています。さほど、理由付けはあまりしていなかったです。
──20周年だから、同期だから、元レーベルメイトだからというわけではなく?
もはやそういうものは、なくなってしまっているかもしれないですね。彼女がどうかはわからないですけれど。
──では椎名さんにとって、宇多田さんはどういう存在ですか?
いろいろ申し上げられますものの、まずは癒しの存在です。客観的にはセールスのある人ですけれど、私個人にとっては、競争社会の忙しなさを忘れさせてくれる稀有な存在なのがまた不思議です。
──どうしてですかね。それこそ、宇多田さんはアルバムのミリオンセールスが何枚もある人なのに。
なぜでしょう。お会いするときは音楽と関係のない話しかしてないです。今は子供のことでしょうし、昔は食べ物の話とか。議題が無邪気で普遍的だからかもしれないですね。
──先日の「with MUSIC」でのテレビ初共演も話題になっていました。
私がデレデレしていて不謹慎だったという話ですよね。それは申し訳なかったです。ヒカルちゃんだけ映してほしいって何回も局の方へ頼んだのですよ。
──いや、「ぜいたくで歴史的な瞬間だった」「かわいらしい」という声が多かったですよ。番組内で宇多田さんは、椎名さんについて「トータルで見え方を考えて作り込んでる人のように見えるけど、素直なんじゃないかな。計算じゃなく、自然と変化していってると思う」と語っていました。
私がヒカルちゃんと一緒にいてラクだと思う理由の1つとして、あまり無理をしない、お芝居しないでいい相性だからというのが挙げられそうです。例えば、もしも私が芝居をしていたら、彼女には、メディアを通じてでもすぐわかるだろうし。私自身はどうして自分が策略家みたいに言われるのかわからないですけど、ヒカルちゃんからするとわかるんでしょうね。人が私をどう見ていて、どういう部分をピックアップしてそう言っているのか。よくわかってるからこそ、そのように言ってくれたのでしょう。
──宇多田さんは「似ているところがいっぱいあると思う」ともおっしゃっていました。番組の衣装は白と黒、「浪漫と算盤」の英語タイトルは「the sun & moon」ということで、対照的に語られることも多いですが、椎名さんも「似ている」と感じることはありますか?
そうですね。2人とも「ブランディングを一所懸命しなきゃ」というところもあまりないし、自分の仕事がどういうものか、はっきり自覚している。別に盛っているわけでもなければ、卑下しているわけでもない。芝居する必要がないという意味で、自分にも他者へも正直なナチュラルさは、よく似ていると思います。
あの方々は特別なんです
──「浪漫と算盤 TYO album ver.」を含めて、アルバム全曲のビートが石若駿(Dr)さんと鳥越啓介(B)さんのコンビによるものです。昨年の全国ツアー「椎名林檎と彼奴等と知る諸行無常」と同じリズム隊ですね。
石若氏とは、去年のライブで初めてご一緒しまして。新しい曲から古い曲まで触ってもらったときに、彼と鳥越氏にもっといろんなビートを鳴らしてほしくなりました。だから毎月毎月、お二人と、ギターやピアノのプレイヤーらとの時間がもらえる日をめがけて、曲を書いていきました。演奏してもらっては「気に入った。しかしそうなるともっとこういうのもお願いしたいな」と、またさらなる欲が湧いてくる。だからまた新たに書いた曲のデモテープを用意して……。その繰り返しでした。「人間として」の大編成を書き始めるときに、ちょうど石若氏がご自分で書いたフルオーケストラの曲を、大晦日、故郷の交響楽団に演奏してもらうと聞いて。まず同じときに同じような作業をしている事実が心強く励まされましたし、実際、後日彼らの演奏を拝聴するとスリリングでカッコよく、また感じ入りました。「なるほど石若氏は全体のアンサンブルを見据えたうえでアプローチするから、ドラムにしても、あれだけ客観的で、的確なんだな」と思い至りました。彼は真の音楽家なんですよね。優れた打楽器奏者、そしてありとあらゆる奏者でありながら、面白いものを書かれる作家。そういう部分を余すことなく生かしてもらわないともったいない!と焦りました。メジャーシーンに対して、石若氏からどんな宝物を贈ってもらおうか?と考え出すとキリがないし、「ちゃんとご本人が、なんらかの点で水を得た魚になってくださらないとつまらない」とも考えました。そういったことをあれこれ悩み、しばし研究しました。鳥越氏は、どんな曲を書いて、どんなオーダーをしても、必ず予想を上回る仕事をしてくださるプレイヤーです。腕利きながら、同時にちゃんと不良なのが最高です。
──刺激的なリズムを手に入れたうえで、歌姫たちはどのような基準で選んだのでしょうか?
今回は自分に近いミュージシャン気質の方ばかりにお越し願いました。しかも容易く尻尾を振らない、猫気質の、ひょうきんな方だけ。去年の夏ぐらいには大方当て書きし終えて、順次リズム録りに入っていきました。新しい学校のリーダーズに参加してもらいたいと思い、デモをプレゼンしたのが最後でした。
──新しい学校のリーダーズは、少し意外な組み合わせのように感じました。
ああ、そうですか。周りのミュージシャンはSUZUKAちゃんのことを「若いときの椎名林檎みたい」と言ってくれるんですよ。わっち(伊澤一葉)とか、私の当時を知ってる人は。それがどんなところなのかはわからないけど、「もっと言ってください」と、つい調子に乗ってしまいます。うれしいです。
──(笑)。新しい学校のリーダーズと出会ったのはいつですか?
テレビで「オトナブルー」を歌っていらっしゃるのを観て。つい最近です。
──デビュー当時は、元東京事変のヒイズミマサユ機さんがプロデュースしていましたよね。
ええ。それな案件です。テレビで彼女たちを観て「すごく素敵だ」と思って、ググってたら、ヒイちゃんがいっぱい曲を書いていることを知ったんです。すぐにヒイちゃんを詰問しました。「なんで教えてくれなかったの?(怒)」って。
──ヒイズミさんから彼女たちのことは聞いていなかったんですね。
そうなんです。阿久悠先生の詞で、ヒイちゃんが作曲した、色っぽい曲もあって(2018年8月リリースのシングル収録曲「雨夜の接吻」)。その曲はMIZYUちゃんが歌っていらっしゃるんですが、見事にみんな、歌声がいいんですよね。全員、お声もいいし、お顔もいいから困ります。それで「そもそも、ヒイちゃんもだけど、椎名だってけっこう曲のタッチが合うのでは?」という妬み嫉みが。「なぜ少しくらい仕事を分けてくれないのか?」というやっかみも今回、やや解消され、めでたしめでたしです。
──(笑)。新しい学校のリーダーズのどのようなところに惹かれましたか?
今、彼女たちはいろんな分野で高く評価されているようですけれど、私は歌って、パフォーマンスしていらっしゃる本業のところしか見ていないので、とにかくブルーズのある、昔ながらの真心ある歌い手であり、踊り手なんだなというふうに感じています。「シンガーとして、プレイヤーとして、こんなにパワフルでソウルのある人がいるんだ。しかも、こんなにお若い」とまっすぐに受け取りました。だから、彼女たちに似合う曲を書きたい、ブルーズ際立つ曲を書きたいと思っていました。普段、ヒイズミ氏以外の作家先生からはコマーシャルなフックを持つ華やかな楽曲をもらうことが多いかもしれないから、うちからは、派手さに欠けたとしても、セッションとして重みのある渋いバンドものを差し上げたいなと考えました。
──そして「ドラ1独走」という曲ができあがりました。ボーカルはSUZUKAさんが務めて、ミュージックビデオに4人全員が出演されています。今回ご一緒してどうでしたか?
感無量でしたよ……。クレバーで、セクシーで。あの方々は特別なんですよね。4人ともものすごく勘が鋭く、誰かお一人がリードしてる人がいるわけではない。頼もしいやら、眩しいやら。「青春日本代表」とおっしゃっている通り、いつも歌や踊りにより「いまこのとき」を謳歌していらして、その模様を垣間見させてもらうだけでも、もう目頭が熱くなりますよね。本当は1曲通して全部表現してほしいのですが……。
──いや、椎名さんが歌わないのは困りますよ。
ええ、まあ彼女たちにすべてお願いしたいという思いはありつつ、今回は私が一緒にパフォーマンスすることにしたわけで、であればどういう意味のものがいいんだろうということを念頭に、作詞しました。
──どのような思いで書きましたか?
20歳くらいの頃「今しかできない」と思っていたような猛ダッシュの生き方って、20年経ってもやめられないものなんですよね。若い頃は「この生き方は今しか保たないかもしれないぞ」と思ってるんだけど、1回そのペースで走り始めちゃった人は結局そのまま行くしかない。しかも意外とずっと走れてしまう。私はそう実感している世代だから、若い頃と同じ姿勢のままここまで来ているというのを、まだ20歳そこそこの皆さんになんとなく覚えていてもらって、いつか何かあったとき、安心していただきたいなと。「存外なかなか終わらないぞ」と。
──この曲では、「若さが恨めしい」というフレーズをSUZUKAさんに歌わせていますね。
SUZUKAちゃんには、私が20歳だった頃を、勝手ながら重ねて見てしまう部分が多くあります。当時の自分みたいな生意気さは感じませんし、SUZUKAちゃんのがよっぽど巧みで頼もしいのは確かなものの……。「早く熟して、説得力を持ちたい」という、当時の私の心境を思い出して書いている節もありました。「今しか使えないものを使わなきゃ」とか、当時の自分には焦りもあった気がします。「賢くなりたい、深みを持ちたい」といった気持ちですとか。この曲では40歳過ぎた今の私も、結局持ち続けてしまっている性急さを描こうと努めました。
私が悪役を引き受けよう
──「初KO勝ち」でデュエットしている、のっち(Perfume)さんとはどういった間柄ですか?
20年近く前に寿司屋さんでPerfumeの御三方と食事したときに「(中田)ヤスタカ先生以外の方が曲を書くことはないんですか?」という質問をしました。「いつ、どのようなきっかけで解禁されるのですか?」と。もしそういうことがあるなら、かなりドラマチックな場面だと思いますし、当事者でおられる彼らがそういうことを、どうお考えなのか気になって。
──その際は私に書かせてほしい、と。
お恥ずかしながらアピールさせていただいたと思います。そこからずっと、まだか、まだかと待って。でも、大成功を収めていらっしゃるチームへ、まったく異なるアプローチを提案する者なんて、絶対に悪役になるじゃないですか。
──いやいや。ファンの皆さんもPerfume以外での、のっちさんのボーカルを聴いてみたいと思ってるはずですよ。
本当は誰かが先にやってくださってから、すぐあとに続きたいところなんです。最初にやると、もれなく批難を浴びるから。でもいつまで経っても誰もやろうとしないので、そうであれば、また例の如く、はばかりながら私が悪役を引き受けようと。
──Perfumeの中でも、今回のっちさんにお願いしたのはなぜ?
のっちは、うちの作品を聴いてくださってると伺ったことがあったから。いったいどの部分をご愛顧くださっているのか想像しました。お似合いになりそうなサウンドやスケールを考えたうえ、今回は小編成バンドのボーカリストとして自然に、且つ力強く存在していただくことにしました。あと、あえて踊らないものにしたいとも考えました。ストップ&ゴーのギクシャクしたビートにしてるのは、そういう理由です。
──エフェクトがかからない、生声のレコーディングを経験したのっちさんはどうでしたか?
緊張しておられるとか、ギクシャクなさることもなくて、終始楽しんでいらっしゃるようにお見受けしました。堂々とパフォーマンスなさって、ご自身のテイクをお聴きになって、面白がってくださって。ああ、私はこういうことがしたいんだなと思いました。のっちはじめボーカリストはもとより、プレイヤーが、自分の準備した作戦に乗っかって共犯関係になってくださること。それがまず幸せですし、さらにご自身のお仕事込みで「いい」とご賛同くださったら、それが一番私はうれしいです。
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「うーんわっしょーい」「ほよ」の真意