楽曲やライブなどを通じてリスナーの生活に潤いを与えてくれるアーティストやクリエイターは、普段どのようなことを考えながら音楽活動を行っているのだろう。日本音楽著作権協会(JASRAC)との共同企画となる本連載では、さまざまなアーティストに創作の喜びや苦悩、秘訣などを聞きつつ、音楽活動を支える経済面に対する意識についても聞いていく。
第6回はSUPER BEAVERの渋谷龍太(Vo)と柳沢亮太(G)が登場。今では東京・日本武道館3DAYS公演を成功させるなど、ロックバンドとして確固たる地位を確立しているSUPER BEAVERだが、かつては“メジャー落ち”を経験した苦労人の側面を持つ。それでも音楽を止めなかった要因やメジャー復帰を決めた理由、2月にリリースした最新アルバム「音楽」に込めた思いなどを聞いた。
取材・文 / 張江浩司撮影 / 後藤倫人
プロフィール
SUPER BEAVER(スーパービーバー)
渋谷龍太(Vo)、柳沢亮太(G)、上杉研太(B)、藤原“35才”広明(Dr)の4人によって2005年に東京で結成されたロックバンド。2009年にEPICレコードジャパンよりメジャーデビューするも2011年にメジャーから離れ、インディーズで研鑽を積む。その後着実にファンを増やしていき、結成15周年を迎えた2020年、Sony Music Recordsと契約を結んだことを発表する。2024年2月にアルバム「音楽」を発表。6月より野外ツアー「都会のラクダ 野外TOUR 2024 ~ビルシロコ・モリヤマ~」を行う。
なかなかたくさんの景色を見てきた
──SUPER BEAVERの歩みについては、こちらのインタビューでも伺いました(参照:SUPER BEAVERはどのように形作られたのか?さいたまスーパーアリーナ公演を前に語る、8つのターニングポイント)。改めて振り返ると、ロックバンドが経験しうるであろうすべてのシチュエーションを見てきていると言っても過言ではありませんね。
渋谷龍太(Vo) 全部かどうかはわからないですけど、なかなかたくさんの景色を見させていただいてます。いろんな取材で「こんなバンドも珍しい」と言ってもらうことも多いですね。言葉を選ばずに言うと、“メジャー落ち”自体はよくあるパターンなんですよ。そこから自分たちの音楽を再度見直して、カムバックとも言えるような流れでやってきたというのは、自分たちならではなのかなって。
──最初にメジャーデビューした2009年当時は皆さん20歳前後と若かったですし、契約内容や金銭面について考えるのは難しかったんじゃないですか?
柳沢亮太(G) おっしゃる通り、その意識はなかったです。2007年からメジャーレーベルの人も関わってインディーズで音源を2枚出したんですけど、そこで初めて契約書を結んだんですよ。今思うとちゃんと読めって話なんですけど、「これくらいのパーセンテージでしか印税は入ってこないのか」みたいなことをぼんやり思っただけで。作曲・作詞印税と実演家印税がどう違うかも全然わかってなかったです。気にもしてなかった。当時僕は10代だったから、親の署名も必要だったし。
──未成年だと、何を契約するにも保護者の同意が必要ですもんね。
柳沢 そうですね。どこか他人事というか。曲作りに関しても、自分たちの手を離れていく感覚があったんですよね。例えばタイアップをやらせてもらったりすることで、自分たちだけで笑いながら作っていたときとは少しずつ違ってきて。言うなればシステマティックになっていったんです。その感じがライブにも反映されていたし、1回目のメジャーの後半はそのギャップに悩まされてました。
──そういった違和感を抱える中で、自分たちの権利を意識するようになったのはいつ頃ですか?
柳沢 やっぱりメジャーを辞めてからですかね。2012年に自主レーベル「I×L×P× RECORDS」を立ち上げる際に僕個人で流通会社と契約したので、そこで向こうの担当者といろんな会話をして。自分らでやるとわかってきます。「原盤権を手放しちゃいけない」とか(笑)。当時作った音源の原盤権を今も持っているんですけど、それがあとから効いてきますからね。これは若いアーティストにも伝えたい(笑)。
──そういったことは、自分たちが主体的に活動を続けないと見えてこない部分ですね。
柳沢 インディーであろうがメジャーであろうが、レーベルというものにお世話になると、曲を作ってライブする以外のことは基本的に自動で進んでいくので。でも、長くやればわかるというよりも、揉めれば意識するんじゃないかなって。
──なるほど(笑)。
柳沢 今の時代に限らず、「なんかもらえる金額少なくない?」と思ったアーティストの方もいたと思うんですよ。そういうときに初めて意識するものなんじゃないですかね。ほかにもいろいろ「なんだこれ?」と疑問に思うことはあるだろうし。僕らはメジャーじゃなくなったタイミングで考えざるを得なくなったということだと思います。
──揉める前に気付くために、例えばJASRACはアーティストにどのように周知していけばいいと思いますか?
渋谷 うーん、難しいですよね。そういった権利とかは、音楽よりも先に立つことはないと思うんです。音楽をやる頭でお金のことは考えられないし、逆もそうだし。
柳沢 とりあえず、契約書の文言をわかりやすい言葉にしてほしいです。甲とか乙とか、毎回わからなくなる(笑)。あとは、中学や高校の授業で教えるとか。
渋谷 世代的なこともあるのかもしれないけど、僕はなるべくお金が絡むことと音楽を同じ箱に入れて考えたくないんです。すごく生々しくなっちゃうんで。最低限のことを知っておくくらいのもんです。もちろん、柳沢と同じく自分たちでやっていくことになったときに考えたりはしましたけど、彼ほどお金について真剣になったことはないんですよね。
──言い換えると、渋谷さんはボーカリストに専念し続けることができたということですよね。
渋谷 それは、人に恵まれたということが一番大きいと思います。自分たちでは大人だと思っていたけど、今考えれば何も知らない子供がメジャーという社会に飛び込んで、本懐とは違うこともやって「楽しくないな」と思ってしまう状況になった。自分たちの芯も弱かったと思います。それで続けられなくなってメジャー落ちしたときに、初めて自分たちで舵を切って音楽をやるという経験をしたんです。その楽しさは格別だったし、何かを成し遂げたときに一緒に喜んでくれる人がどんどん増えていって。そのおかげで音楽に打ち込むことができたし、まだ楽しいと思いながら続けられているんだと思います。
──メジャーという後ろ盾と引き換えに、そういった実感を得ることができたと。
渋谷 それまではツアーに出たら宿もごはんも用意されてましたけど、ブッキングから運転まで全部自分たちでやりましたからね。「うわ、運転ってすげえ大変だ」って(笑)。1度目のメジャーのときは「時間の無駄だから打ち上げに出るな」と言われていたし、ライブハウスの方にもマネージャーを通してしかコミュニケーションを取ってなかったんですよ。改めて挨拶に行ったら「メジャーのときのお前らは好きじゃなかった」って言われました(笑)。でも、自分たちだけでやる姿勢を見せたら皆さんかわいがってくれましたね。人と人が結び付いた瞬間だった気がします。
すべてはバンド活動をするため
──この連載でオーイシマサヨシさんは、「求めてくれる人がいない」「経済的に難しい」という、この2つの状況によって人は音楽を辞めてしまうとおっしゃってました(参照:オーイシマサヨシ インタビュー「自分の適性はやってみないとわからない」彼が“音楽と生きる、音楽で生きる”突破口)。SUPER BEAVERにバンド存続の危機はありましたか?
柳沢 そういう意味で言うと、メンバーが全員東京出身なのは大きいアドバンテージだったかもしれないです。実家が近くにあったのは恵まれてるなと。それが「ぬるいと思われるんじゃないか」みたいな、不思議な劣等感だったときもあったんですけどね。あと、メジャーでの苦い経験があったので、それよりもつらいことはないと思ってたんですよ。勝ち負けの前にリングにも上げさせてもらえないような時期に比べれば、なんでもできるなって。個人的にはですけど、バイトをするにしてもそれはバンド活動をするためだという、その順序が崩れたことは一度もなかったので。少しずついろんなライブハウスとかイベントとかに声をかけてもらうようになって、バンドが右肩上がりだと思わせてもらえましたし。
──そういう心持ちがメンバー間でズレちゃうこともあると思うんですが、話し合ってすり合わせたりしたんでしょうか?
柳沢 「俺たちバンドが一番だよね?」みたいな話はしたことないなあ。
渋谷 なかった。バイト先にもいい人はもちろんたくさんいたんですけど、バイトが楽しいと思ったことは一度もなかったですね。音楽をやるために金を稼ぐ手段というか。今、しゃべりながら思ったんですけど、それができたのは年齢も大きいかもしれない。大学生が社会人になるくらいのタイミングで僕らは挫折して、バイトしながらバンドをやるという環境になったんですけど、これがあと3、4年遅かったらどうなってたか正直わからないですね。やっぱり気力も体力もあったので、純粋に燃えていられる時期だったんじゃないかと思います。
──若いうちに挫折を経験できたのは、不幸中の幸いだったというか。
柳沢 確かにラッキーでしたね。
渋谷 だらだらメジャーにしがみつくこともしなかったですし。
──スタッフの言うことだけを聞いて20代をなんとかやり過ごして、30代になったら急に契約を切られた、みたいなケースだとしんどさの質が違ってきそうです。
柳沢 うん、厳しいと思いますよ。
渋谷 何も経験がなかったからこそ、自分たちだけでやる苦労すらも新鮮なものとしてインディーに飛び込むことができたというはありますね。
2度目のメジャーはマンガみたいな展開
──そしてインディーでの大躍進の末、2021年に2度目のメジャーデビューを果たします。嫌な思いもしたメジャーと再度契約した理由を改めて教えてください。
柳沢 端的に言ったらこれも人ですね。今のソニーで僕らを担当してくれている五十嵐さんは、最初のメジャーで最後の音源になったミニアルバム「SUPER BEAVER」のディレクターだったんです。そのあともずっと気にかけて、「またやろう」と言ってくれていた。2018年に日本武道館公演をやったあたりから、今だったら知識もあるし、自分たちのスタンスを崩さずメジャーにいっても面白いことができるかもとメンバーで話し始めて。マネージャーのYUMAとか、一緒にやってきた同世代のチームでこのままやっていくのももちろん楽しいけど、またメジャーデビューしたらストーリーができるじゃないですか。公立高校の弱小野球部が甲子園に出場する、みたいな(笑)。
渋谷 一度は僕らを振ったメジャーから「戻ってきてくれ」とお願いされて行くっていうのは、面白い展開だと思うんですよ。メジャー落ちしてからインディーズでそれを上回る活動をするってだけでも、なかなかできることじゃないし、またメジャーに行ってさらに元気になるバンドはそうそういない。SUPER BEAVERの物語としてワクワクするなって。マンガみたいじゃないですか(笑)。
柳沢 途中で読者がいなくなるようなスローな展開もあったけどね(笑)。
渋谷 前例のないことをやるのは気持ちがいいですよ。ちょっと前に「ほかのバンドが言い訳できなくなるような活動してるね」と言われたんです。「メジャーから離れたから音楽活動を続けられない」なんてことはない、と証明しちゃったんで。
──逆に「メジャーはクソ」とももう言えないという。
渋谷 そうですね(笑)。自分がリスナーだったら、今のSUPER BEAVERには時間や気持ちを賭けてみたくなると思うんです。
柳沢 その分、責任と覚悟を持ってやらせてもらってるし。アーティストとレーベルがお互いにプレッシャーをかけながら高め合ってる状態というか。「この曲最高だから、こういうプランを持ってきました!」に対して「うわ、うれしいです!」と答えられる。どちらかがおんぶに抱っこになっちゃったら、不都合を相手側のせいにできちゃうので。レーベルが何をしようとも、アイデアの根本はアーティストじゃないといけないとも思うし。理想的な関係だと思います。
──バンドが活動の責任をちゃんと取れる状態というのは、すごく健全だと思います。
柳沢 4人で責任を取らざるを得ない状況を続けてきたからだと思いますね。
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歌っても歌わなくても同じなら、歌うしかない
2024年12月11日更新