オーイシマサヨシ|音楽と生きる、音楽で生きる 自分の適正はやってみないとわからない 遅咲きエンタテイナーが見つけた突破口

楽曲やライブなどを通じてリスナーの生活に潤いを与えてくれるアーティストやクリエイターは、普段どのようなことを考えながら音楽活動を行っているのだろう。日本音楽著作権協会(JASRAC)との共同企画となる本連載では、さまざまなアーティストに創作の喜びや苦悩、秘訣などを聞きつつ、音楽活動を支える経済面に対する意識についても聞いていく。

第5回はオーイシマサヨシが登場。現在はアニソンシンガーのトップランナーとして押しも押されもせぬ活躍を見せるオーイシだが、ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。バンドSound Scheduleでのデビュー、大石昌良としてのソロデビュー、そしてオーイシマサヨシ名義でのデビュー。紆余曲折のアーティスト人生の中で彼はいかにしてアニメソングというフィールドを見つけたのか。アニソンを取り巻く時代の変化、ヒットするアニソンを作る秘訣、海外マーケットへの意識などとともに語ってもらった。

取材・文 / 張江浩司撮影 / 池村隆司
ヘアメイク / 瓜本美鈴スタイリング / 浅井直樹(Vigroo)

プロフィール

オーイシマサヨシ

オーイシマサヨシ

愛媛県宇和島市出身。バンドSound Scheduleでの活動を経て、2008年にシングル「ほのかてらす」で大石昌良としてソロデビュー。2014年にアニメ・ゲームコンテンツ向けの名義「オーイシマサヨシ」で活動を始め、8月に「君じゃなきゃダメみたい」でデビュー。これまで多数のアニメで主題歌を歌唱したり、楽曲を提供したりしている。2024年2月に2ndアルバム「ユニバース」を発表した。

4年に一度は実家に帰りたくなる

──オーイシさんのこれまでのキャリアは以前音楽ナタリーで詳しく伺いましたが(参照:アーティストの音楽履歴書 オーイシマサヨシのルーツをたどる)、「音楽で生きる」ということについて考える機会がほかのミュージシャンに比べても多かったんじゃないかと思うんです。

そうですね。いろんな挫折を経験して、そのたびに踏ん張って。21歳でデビューしてもう44歳。音楽人生23年になりましたからね。

──そもそもSound Schedule結成のときに、「ラウドな音が主流の神戸のライブハウスでも、大石の声は日本語がきちんと聞き取れるくらいマイク乗りがいい。それがうちのバンドの武器だ」という明確な戦略性があったんですよね。

僕自身はただ音楽が好きでがむしゃらに歌ってたんですけど、ドラムの川原(洋二)くんがそういうことを考えてくれてたんです。バンドを1つの会社に見立てて、当時の音楽シーンでメジャーデビューするにはどうしたらいいのかと。

──そうやって活動することにオーイシさんはすぐ馴染めたんですか?

僕がメンバーに声をかけて始めたバンドなんですけど、誘った言葉を覚えてるんですよね。「一緒にプロになりましょう」って。夢がある言葉ですよね(笑)。根拠のない自信があったので。

──「自分の音楽ならいける!」という確信が当時からあったんですね。

自分が歌を歌うことに対して、生意気ながらすごく自信があったんでしょうね。幼稚園の頃からミュージシャンになるのが夢だったので、大学でバンドを組んだ段階で「もうあとには引けない」と思っちゃって。助走距離がすごく長かったというか。ビッグマウスだったと思いますよ。「俺は日本の中でも100本の指に入るボーカリストだ」とか言ってましたもん。あー、お恥ずかしい(笑)。

オーイシマサヨシ

──その気持ちは今もブレませんか?

うーん、そうですね。でも、ここまで続けてこられた理由って、負けず嫌いだからだと思うんですよ。僕は3、4年に一度天才に打ち負かされる人生を歩んできていて。「こいつには勝てんわ」っていう人と定期的に出会うんです。そのたびに「勝てないけど、じゃあどうすれば肩を並べられるのか。どういう音楽を作って、どういうステージングをするべきなのか」と負けず嫌いの性格を発揮して学んできた。そうしたらいつの間にか20年以上経っていた、という感じかもしれないです。

──常に越えるべき壁があったと。

ドラゴンボール方式ですよね。ライバルが現れては戦って、みたいな。

──例えばどんな方ですか?

最初のライバルはcuneのボーカルだった小林亮三くんですね。当時Sound Scheduleもcuneも、関西では「心斎橋系」とくくられて、僕も周りからはやし立てられていたんですよ。でも、小林くんの天才的なソングライティング能力とステージでの華をまざまざと見せつけられて、これは勝てないなと。どうやったら彼に勝てるんだろうとかなり考えた記憶があります。バンドが解散してソロ活動をしていた時期に出会った人で言うと、UNISTという3人組のユニット。もう解散しちゃったんですけど、卓越したステージパフォーマンスに打ちのめされちゃって。全然年下だし、お客さんもたくさんいて、1人でこの人たちに対抗するにはどうすればいいのか考えさせられました。最近はもう、ライバルというのもおこがましいような才能ある若い人たちばかりで、令和の音楽シーンになんとか食らいつかなきゃと思ってやってますね。

──若手はどんどん出てきますもんね。

「アシスタントや弟子は取らないんですか?」とたまに聞かれるんですけど、全部お断りしてるんですよ。自分がキャリアを積んだからといって若い才能に勝てるかというとむしろ逆で、センスの敏感さとか流行に対するアンテナの張り方とか、どうしても凝り固まってくるんですよね。なのに若い人をアシスタントにするなんておこがましいし、アシスタントを取ったら上に立った気分になって競い合うことを忘れちゃうと思うんです。

──いろいろなインタビューでも「若手に嫉妬する」とおっしゃってます。それが言えるのは、精神的にものすごくタフだなと。

嫉妬をやめたら終わっちゃうと思ってて。特に僕はあぐらをかいちゃうはずなんですよ。「オーイシさんすごいですね! これだけアニソン業界でがんばったんだから、もう余裕ですね!」とか言ってくる人たちの言葉は全部罠だと思ってますから。いつでも走ることをやめられるし、こういう言葉に甘えることもできるんだけど、10年後に痛い目を見るのは自分だろうなって。生涯現役でいたいので、「だまされないぞ!」と思いながら進んでます。

──天才に出会ったり、若い才能が出てきたり、心が折れそうなタイミングが定期的にやってくるわけですね。

ポキポキ折れてますね。

──ほかのミュージシャンだったらもう音楽をやめててもおかしくないという。

4年に1回は実家に帰ろうと思ってます(笑)。

──オリンピックと同じ周期で(笑)。

いまだにありますからね。「もういいかな」みたいな。でも続けられているのは、結局求めてくれる人がいるからなんでしょうね。どんな状況になっても、ライブハウスにお客さんが誰もいないということはなかったですし。常に1人以上はすごい熱量で応援してくれたので。今となっては、「お前がアニソンを背負う男性シンガーにならなくちゃ」とプレッシャーかけられるような状況になっているのも、誰かが求める声に応えていた結果です。あと、JASRACさんの話にもつながってくると思うんですけど、やっぱり音楽で生活できるかどうかはめちゃくちゃ大事で。経済的に難しい状況に陥ることが、音楽をやめるきっかけになると思うんですよ。きれいごとじゃなく、運よくそういうことを回避できたから続けられていると思います。

オーイシマサヨシ

──でも、ソロ活動を始めてから数年はしんどいことも多かったそうですね。

音楽だけじゃごはんが食べられなくて、ピザ屋さんで配達のアルバイトしていたんですよ。そしたら偶然、以前お世話になったマネージャーさんにピザを届けたことがあって。恥ずかしいし、悔しかったですね。そのときに入ってたシフト限りでバイトを辞めて、楽曲制作とか裏方的な音楽仕事を始めたんです。

──働きながら音楽をやる人もいる一方で、オーイシさんの中では「音楽だけで生活する」ことの意味が大きいように感じます。

生き方は千差万別ですけど、僕は愛媛から神戸を経て上京していることもあって、東京は“戦うべき場所”なんですよね。RPGでいったらラストダンジョンだから、「そこでピザの配達してる場合じゃねえ!」という。背水の陣でできることは全部やって、それでもダメだったら実家に帰ろうと思ってました。

──今まで才能があっても食べていけないミュージシャンもたくさん見てきたと思うんです。クリエイターとして生活するために大事なポイントはなんだと思いますか?

自分にタグを付けるというか、自分の価値を自分で見い出すことだと思いますね。「自分はこれくらいの価値があるので、この値段ではできません」とか、そういった勇気ある発言が必要な場面があるんです。自分のブランディングは自分にしかできない時代ですから。「あいつ才能ないのになんで食えてるんだろう?」っていう人は、やっぱり自己プロデュースがうまいんですよ。才能をマネタイズしないといけないと気付いてから、僕も食っていけるようになりました。

「おまえ、ダート向きだったんか!」

──そんな中、2014年からアニソンに携わることになるんですね。

正直、救われましたね。今まで自分が触れたことのないドアを開けてもらったというか。「ダイヤのA」というアニメの主題歌ボーカリストオーディションに、当時のマネージャーが勝手に応募したんです。そしたら審査に通って、仮歌のつもりでレコーディングしたテイクがそのままオンエアされ、アニソンシンガーとしての人生が始まっていくわけなんですけども。今振り返ると、神様が「お前は音楽をやめなくていいよ」と言ってくれたような気がします。ちょっと美しすぎる解釈ですけど(笑)。

──でも、例えば20代前半だったら、マネージャーが勝手に応募したオーディションでは素直に歌えなかったかもしれないですよね。

確かに、合格しても蹴ってたでしょうね。「僕の仕事じゃないです」とか言って。やっぱり、タイミングってあるんだなと思いますよ。そのときも、ファンの方からいろいろご意見はいただいたんですね。今ほどアニソンというものに市民権がない時代だったので。もちろん素晴らしいアーティストや「NHK紅白歌合戦」に出場するような方もいましたけど、それまでの僕の音楽が好きで応援してくれていた人たちからすると、急な方向転換に驚いたと思うんです。

──ある種のセルアウトというか。

ファンの方々は僕が音楽で食えてるかどうかなんて知らないですからね。アルバイトしてることを公言してるわけでもないし。その中で、自分的には突破口を見つけたつもりではあったんですけど、不安もあったし、正直「自分がやってもいいのか」という後ろめたさもありました。でも、もちろんアニメ自体も大好きだから、名義をカタカナの「オーイシマサヨシ」に変えるなど試行錯誤しながらこの道に入ってきたという感じです。

オーイシマサヨシ

──アニソンは当然ながら楽曲の前にアニメありきなので、音楽との向き合い方そのものが変わると思うんですが、いかがでしたか?

例えばシンガーソングライターとして曲を書くときは、自分の中からふつふつと浮かんでくるメッセージのようなものをまとめて「これを音楽にしてみようか」というところがスタートなんですけど、アニソンに関してはすでに原作の世界観やテーマがあるので、最初の工程をスキップすることになるんです。これがフィットするかどうかは人によると思うんですけど、僕は思いのほか書きやすくて。お題目をいただいて曲を作るということが得意なんだと、アニソンを書き始めて気付いたんです。バンドの頃から器用貧乏だって言われてたんですね。曲も書けてアレンジもできて歌も歌えるのに、なんか頭ひとつ抜けないというか。でもアニソンに出会って、その器用さが武器になったんです。歯車がうまく回り始めた感覚がありました。

──ずっと短距離走をやっていたけど、実は長距離のほうが得意だったというか。

そうそう、競馬と一緒ですよ。「おまえ、ダート向きだったんか!」みたいな(笑)。

──自分の適性って、実際にやってみないとわからないですよね。

わからないですよ。若い頃は真剣に向き合ってこなかったということもありますし。「俺の歌を聴け!」みたいな感じだったんですよね。それはそれでいい歌を歌ってきたとは思うんですけど。今は誰かが求める歌を作って歌うことにすごく喜びを感じています。


2024年3月28日更新