細野晴臣「HOCHONO HOUSE」 PR

細野晴臣|50周年イヤーに生まれ変わる「HOSONO HOUSE」

活動50周年イヤーの細野晴臣が、ニューアルバム「HOCHONO HOUSE」をリリースした。

2017年11月に発表された2枚組アルバム「Vu Jà Dé」に続く新作は、1973年の細野のソロ1stアルバム「HOSONO HOUSE」をセルフリメイクした作品に。日本のロックとポップスに多大な影響を与え、今なお若い世代をも魅了して止まない名作を、細野はたった1人で打ち込みを中心に作り直していった。ここでは細野本人に、「HOSONO HOUSE」を作り直した経緯や理由、そして完成後の手応えなどを聞いた。

取材・文 / 加藤一陽
インタビュー撮影 / 佐藤早苗(ライトサム)

すごく高揚していました

──実は音楽ナタリーでは、取材のたびに細野さんに「『HOSONO HOUSE』を作り直したら面白そう」と話していたんです。それがこのような形で結実して、とてもうれしく思っています(参照:細野晴臣 ソロ活動40周年インタビュー)。

やっぱりそうだったか。いろんなところで言われているから……安部くん(勇磨 / never young beach)だけじゃなかったんだね(笑)。

──前回の取材には安部さんにもインタビュアーとして参加していただいて(参照:細野晴臣「Vu Jà Dé」特集)。

ああ、そうか。安部くんに言われたのはそのときだったか(笑)。

──さて、「HOSONO HOUSE」を作り直してみて、率直にいかがでしたか?

いやあ、難しかったです。今までいろいろやってきましたけど、一番難しかった。人の曲をカバーするのであればまだしも、やっぱりセルフカバー自体、難しいんですよね。特に今回はもともとが70年代の音楽ですから。それを今の気分でどうやって自分の中で消化していくのかが難しかった。でも今回はね、作っているときはすごく高揚していました。で、1曲1曲「これならいける」という方向に気持ちを持っていって、その気持ちに従って作っていきました。それでできあがってマスタリングまでやって、こうやってサンプル盤ができてくると……落ち込むんですよ。

──細野さん、いつも完成後に落ち込んでいますよね(笑)。

そうそう、いつもなの。いつも同じことを繰り返している。実は不安なんですよね。「何これ!」って思われないか……常にネガティブで(笑)。誰だってそうだと思いますよ。ジョージ・ルーカスが「スター・ウォーズ」の公開のときにハワイに逃げて布団を被って寝ていたって話が好きなんです(笑)。あの人でさえそうなんだから、みんなそうなんだろう。

──「HOSONO HOUSE」を知らずに「HOCHONO HOUSE」を聴くなんて人もいるんでしょうね。

そういう世代もいるだろうね。「HOSONO HOUSE」を知っている人なんてひと握りですから。

──“ひと握り”は言い過ぎな気がしますが。

いやいや、本当に。音楽が好きな人です、それは。

細野晴臣

小山田くん、安部くんを驚かせたい

──聴かせていただいて、いろいろな驚きがありました。

そうでしょうね。曲順が逆だったりしていますし。

──はい。タイトル自体も驚きましたし、「終わりの季節」がインストだったり、歌詞がガラッと変わった曲もあったりして。この取材のタイミングではまだリリースされる前ですけど、細野さんがこの作品に込めた“悪巧み”の数々ファンの方々に届くことを考えるとワクワクします。

悪巧みか、ははは(笑)。そうそう、そもそも「HOCHONO HOUSE」のアイデアって、実はナタリーの取材の場にいた安部くんの発言の印象が強くて。だから本人にも、「作り直しのきっかけは安部くんだよ!」とか言ったりしている(笑)。そういうこともあって、常に安部くんが驚く顔を想像しながら作っていったところもあるかもしれない。

──作り直しのきっかけを作った安部さんを驚かせようと。

そうそう。あとは、小山田(圭吾)くんに「『HOSONO HOUSE』をやり直すんだよ」って話したときに、「どうやるんですか?」と聞かれて。そのときに「打ち込みでやろうと思うんだよね」と言っちゃったんだ。その手前、テクノでやることになってしまった(笑)。小山田くんと話したときは「恋は桃色」を作っていた時期だったんです。作りながら小山田くんの顔を思い出したりしていたな。今回はそういうことが多かったですね。今までは、そんなことを考えて作っていなかった。聴く人がどう思うかなんて。それが今回は「HOSONO HOUSE」を聴いてくれていた人に向けて作っていたところはあったし、身近な例では小山田くんとか安部くんを驚かせたいな、と。

──打ち込みと言えば、今回は全編、細野さんがお一人で作られていて。細野さんが打ち込み中心でアルバムをお作りになるのはひさびさですよね。

そうですね。最初はそこから悩んだんです。打ち込みでやるとなればもう、SKETCH SHOW(2002年に始動した細野晴臣と高橋幸宏によるユニット)以来ですから。MIDIで打ち込んだのなんてもうね、20年ぶりくらい。

──それだけでもトピックです。

どうだろう、それはわかんないけど。とにかく、そうなると悩みの種は機材が古いこと。最近はバンドで録音していたから、機材も放置していて埃を被っていました。

──たった1人で、昔のご自分や作品と向き合う作業になったんですね。

そう、嫌だった……前作「Vu Jà Dé」のとき、2枚組の2枚目にオリジナル曲を入れたんですけど、オリジナルって自分を鏡で見るみたいで作っていると「歳を取ったな」とか思うわけですよね。だからなるべく人のカバーだけでいきたかったんだけど、そうはいかなくてオリジナルを入れたんです。その次に「HOCHONO HOUSE」を作り始めたから、ずっと自分の音楽と鏡のように向き合うことになってしまった。しかも「HOCHONO HOUSE」に取りかかると、だんだんと25歳くらいの若造の自分が何を考えていたのかわからなくって。「なんで『相合傘』は4小節くらいでやめてしまったのか」「これはちゃんとまっとうしないとな」とか。

──オリジナル盤の「相合傘」はアルバムの最後に収録されていて、途中で終わってしまいます。それが「HOCHONO HOUSE」では“Broken Radio Version”として、アルバムの冒頭を飾っています。

そんなふうに考えながら作っていく中で、「ろっかばいまいべいびい」は1曲目に持っていきたくない、最後に置いておきたいって直感的に思ったの。それが原因で、曲順を逆にしたんだ。そうしたら「相合傘」が尻切れトンボで終わっていたのを、しっかり聴かせるように作るのがいいって思った。それが今回の逆転の発想だったわけです。