Yellow Magic Orchestra(YMO)のライブCD&Blu-rayボックス「YMO 1979 TRANS ATLANTIC TOUR LIVE ANTHOLOGY」が4月30日にリリースされた。
本作はYMOが、1979年8月にアメリカ・ロサンゼルスのグリークシアターにて行ったライブと、同年秋に開催した初の海外ツアー「Trans Atlantic Tour」のイギリス・ロンドン、フランス・パリ、アメリカ・ニューヨークでの公演の模様をCD5枚とBlu-ray1枚に収めた6枚組のボックス作品だ。音楽ナタリーは、全5回からなるアルファミュージック創立55周年記念特集の最終回として「YMO 1979 TRANS ATLANTIC TOUR LIVE ANTHOLOGY」を特集。YMOのライブバンドとしての魅力を克明に記録した本作の特筆すべきポイントを、監修を手がけた細野晴臣の証言を交えたロングレビューで掘り下げる。
取材・文 / 國崎晋
記念すべき初海外ツアーの熱狂をパッケージ
細野晴臣(Key, B)、坂本龍一(Key)、高橋幸宏(Dr, Vo)の3人で結成され、1978年にアルファレコードからアルバム「Yellow Magic Orchestra」でデビューしたYellow Magic Orchestra(YMO)。シンセサイザーをメインに据え、「東風」や「中国女」といったオリエンタル風味を前面に出した楽曲をフィーチャーし、当初からワールドワイドなヒットを飛ばすことを目標の1つとしていた。
1979年、そのデビューアルバムをアメリカ音楽界の巨匠アル・シュミットがミキシングし直し、A&M傘下のレーベル・ホライズンが世界リリース。それに合わせる形で、同年8月にアメリカの人気バンドThe Tubesがアメリカ・ロサンゼルスのグリークシアターで行った3日間のライブに前座として出演する。ステージに上がったのはメンバー3人のほか渡辺香津美(G)、矢野顕子(Key, Vo)、松武秀樹(Programming)。シーケンサーによるシンセサイザーの自動演奏と生演奏とが拮抗したライブはとてもスリリングで、前座であるにもかかわらず観客からアンコールを求められるほどであった。
同じ年の秋にはそのメンバーで「Trans Atlantic Tour」と題した海外ツアーを敢行。イギリス・ロンドン、フランス・パリ、アメリカ・ニューヨークほか3か国7公演を行い、各地で熱狂的な反応を巻き起こした。先のグリークシアターとこの「Trans Atlantic Tour」の多くはライブ録音されており、それらのほぼすべてを収録したのが今回のボックスセット「YMO TRANS ATLANTIC TOUR LIVE ANTHOLOGY」である。CD5枚、Blu-ray1枚、そして数多くの写真を収録したブックレットからなり、CDにはグリークシアター(ロサンゼルス)、ヴェニュー(ロンドン)×2、ル・パラス(パリ)、ボトムライン(ニューヨーク)の5公演、Blu-rayにはグリークシアターとハラー(ニューヨーク)の2公演の模様を収録。マドンナらを手がけたことで知られるエンジニアのGOH HOTODA氏が、マルチテープを元に新たなミックスとマスタリングを行っている。もはや半世紀近くも前のライブ音源となるわけだが、サウンドスーパーバイザーを務めた細野晴臣は改めて聴いての感想を次のように語る。
「今回、GOHくんのスタジオで新しいミックスを聴いてびっくりしたんです。生きがいいって言うか、勢いがあって……これはすごくいいバンドだなと」
高橋幸宏のドラムを核とした人間味を感じさせるバンドサウンド
デビュー当時のYMOはシンセサイザーとシーケンサーを使っていたことから“人間味のない機械的な音楽”と評されることも多かったが、細野が「改めて聴くとものすごく人間っぽいよね。生々しいくらい」と振り返るほど、ここに収められているのは紛れもない“ライブバンド”のサウンドである。
Blu-rayの映像を観るとわかるように、ステージ上のメンバーは皆ヘッドフォンをして演奏している。今でこそイヤモニ(インイヤーモニター)をしてライブをすることは当たり前の光景となったが、当時としては非常に珍しいことであった。そして現代なら、あらかじめ録音されたバックトラックをコンピューターで再生し、それを聴きながら演奏するのがほとんどだが、この時期のYMOのライブではバックトラックではなく、松武秀樹がローランドのMC-8というシーケンサーで“タンス”と呼ばれたMOOGの巨大なモジュラーシンセをステージ上で自動演奏させた音が流れていた。それに合わせて演奏するため、高橋幸宏はクリックを聴きながらドラムを叩く。そして、ほかのメンバーもキューボックスと呼ばれる小型ミキサーを手元で操作し、クリックやほかのメンバーが演奏する音をそれぞれが聴きたいバランスにしてヘッドフォンでモニターしていた。その様子を細野は次のように回想する。
「このツアーのときのクリックはドンカマみたいな音が鳴っているだけで、今みたいにバックトラックが鳴っているわけではないから、それに合わせるわけにはいかない。一番肝心だったのは(高橋)幸宏のドラムなので、幸宏のグルーヴに合わせてシンセベースを弾いていたんです」
クリックによる正確なテンポをキープしながらも、その上で高橋幸宏のドラムが生み出すグルーヴを核とすることで、人間味を感じさせるバンド演奏が実現していたのだ。
5枚のCDを通して聴くと、会場ごとに曲順は異なり、またそれぞれのプレイ……特にアドリブソロが当然のように違う。シーケンサーを使った同期ライブというと決まり切った演奏になってしまいがちだが、奔放とさえ言いたくなるほど自由な演奏を聴くことができるのだ。特に渡辺香津美によるギターソロはすさまじく、彼のバックグラウンドであるジャズ / フュージョンテイストが遺憾なく発揮されている。細野も渡辺の貢献ぶりを次のように語る。
「アメリカで受けた大きな要素でしたね。すごくうまいから脚光を浴びていました」
とは言え、細野自身はYMOをフュージョンバンドとは捉えていなかった。
「テクノって言葉はまだない時代ですけど、ジャズやロックとは違う新しい音楽をやっている意識でした」
渡辺香津美のソロに対抗するように、坂本龍一が弾くシンセサイザーソロもキレがある。坂本のシンセサイザーといえば晩年まで愛用したSEQUENTIAL Prophet-5が有名だが、このツアーではほとんど使われておらず、ARP Odysseyというエッジの立った音色が特徴のシンセサイザーでアグレッシブなソロを展開している。坂本のこうしたプレイはこの時期ならではのものだ。
「亡くなった2人にもいい作品になったと自信を持って言えます」
会場ごとの反応を聴き比べるのも面白く、特にイギリスでの2公演は非常に充実した演奏で、観客もかなり盛り上がっている。それはイギリスに対して特別な思いを持っていたからだと細野は語る。
「当時は3人ともイギリスにばかり目がいってアメリカはまったく意識していなかった。ロンドンのお客さんには受けているなっていう実感がありました。あまりに受けたんでロンドンは追加公演をやることになったんです。僕らはニューウェイブとかのムーブメントを一番早く取り入れ、それに対しての返答という意味で作っていたので、仲間みたいなものとして受け入れてくれた」
このツアーでの成功が日本に伝えられるや、YMOは海外で成功したバンドとして、逆輸入的な形で日本でもブレイクする。グリークシアターでのライブがテレビで繰り返し放映され、ボトムラインでのライブがFM局でオンエアされることで幅広い層にその音楽が届いていく。1980年にはこのツアーの模様を収めたライブ盤「パブリック・プレッシャー」が発売され、オリコンチャートの1位を獲得するなど、一種の社会現象にまでなった。ただ、この「パブリック・プレッシャー」は契約上の問題で渡辺香津美のギターを収録することができず、代わりに坂本龍一がシンセサイザーをオーバーダビングしたため、純粋なライブ音源とは言い難いものとなっていた。その後、1991年に渡辺のギターをカットせず収録したライブ盤「フェイカー・ホリック」がリリースされ、ようやく当時の演奏そのままの形を耳にできるようになった。今回のボックスセットでのミックスの大きな特徴は、渡辺のギターが入っているのはもちろん、坂本が「パブリック・プレッシャー」時にオーバーダブしたシンセも随所で使われている点である。
「GOHくんがそういうミックスを提案してきたんです。もともと香津美くんのギターがあった上でのライブアレンジだったんで、あれがなくなるっていうのはすごい欠損でした。それで『パブリック・プレッシャー』のときは教授(坂本龍一)がシンセを足したわけなんだけど、今回は香津美くんのギターが復活し、教授が足したシンセもあって重層的なことになっている。そういう意味で今回のものが完成形。単に当時の記録だけじゃない、時代を超えて現代に通じる作品になっているんです」
2023年に高橋と坂本が相次いで鬼籍に入り、ただ1人となってしまった細野。「メンバーが自分だけになってしまったので、責任を負うことになっちゃった」と肩をすぼめつつも、今回こうした形で作品化されたのをとても喜んでいる。
「長い間やってるとこういうことがあるんだなって。亡くなった2人にもいい作品になったと自信を持って言えます」
プロフィール
Yellow Magic Orchestra(イエローマジックオーケストラ)
1978年、細野晴臣(Key, B)、坂本龍一(Key)、高橋幸宏(Dr, Vo)の3人で結成。同年アルバム「YELLOW MAGIC ORCHESTRA」でアルファレコード(現:アルファミュージック)よりデビュー。翌79年には音源をリミックスして海外発売を果たし、アメリカ・ロサンゼルスのグリークシアターにて初の海外公演を行う。さらにイギリス、フランス、アメリカを巡るツアー「TRANS ATLANTIC TOUR」を敢行。このツアーの成功を受けて、日本でも社会現象的なテクノポップブームを巻き起こす。1980年に7カ国15公演にわたる海外ツアーを行う。1983年に“散開”。1993年に“再生”して東京ドームでライブを行ったのち活動休止。その後も折に触れて再集結していたが、2023年に高橋幸宏と坂本龍一が長逝。25年に新設された国際音楽賞「MUSIC AWARDS JAPAN」の「SYMBOL OF MUSIC AWARDS JAPAN 2025」に決定したことが2025年3月に発表された。
『YMO 1979 TRANS ATLANTIC TOUR LIVE ANTHOLOGY』特設サイト