細野晴臣|50周年イヤーに生まれ変わる「HOSONO HOUSE」

今の音楽の作り方はデザインに近い

──先ほど「機材が古かった」とおっしゃっていましたけれど、細野さんがお書きになったアルバムの解説文によると、今回の制作のために制作環境を一新されたそうですね。最初は古い機材で制作を始められたとのことですが。

そうそう、そうなんだ。そうしたら、音がなんかね、しっくりこなかったんだよ。最近の音楽を聴き慣れていたものだから、それに比べると「音がちょっと出てこないな」とかね。もう、最近音楽が激しく変わっているんですよ。音像処理というか……そういったものがこの10年くらいで劇的に変わってしまって。ヘッドフォンなんかで聴くと、より一層音像の違いが明確になってきてる。最近の音楽を聴いて「今の自分ではこれはまだ出せない」なんて思いながら制作を始めたんですけど、やはり途中でそっちに近付けたくなって。それでいろいろ、アプリケーションから音源から、新しいのをそろえていって。

──「Vu Jà Dé」の制作のあとくらいだったか、スタジオのスピーカーも替えたそうですね。

そうです。ただ制作の途中で機材を替えると大変なことになっちゃう。1つ替えるだけで、設定を全部替えなきゃならないからね。それですべて替えるのはあきらめて、全部を新しくするまでの途中の段階で作り上げたのがこの作品です。だから中間っていうか、プロセスが出てしまいました。大体、最近の音楽の劇的な変化について、詳しく知っている人がいないんですよ。僕は何か秘密兵器みたいな機材やアプリがあると思っていて、みんなに聞いてみたんです。でも答えが出ない。「幻想だ」と言われたりして(笑)。でもそんなことはない。実際、現実的にそうなんで。今はどんどんわかってきて、新しい機材をそろえることができました。だからこれから作る音像はもう少し変わっていくかと思います。

細野晴臣

──細野さんは以前、「一番のプラグインエフェクトは気合いだ」とおっしゃっていました(笑)。

あははは(笑)。今回はそうはいかなかった。なんかね、いろんな意味で世の中が変わってきましたよね。いろいろなものがバージョンアップしている。でもそんな中で、最初に感じたのは音の変化ですね。音楽がバージョンアップしている。その理由は、まあ作り方もありますよね。最近はMIDIなんか使わないことも多いし。波形を貼り付けてループさせたり。

──打ち込まずにオーディオをそのまま編集して作ることも多いですよね。

音楽の作り方が、今は“デザインする”感じに近いというか。そうすると、メロディとかコードが関係なくなってきますよね。でも「HOSONO HOUSE」は和音やメロディ、リズムでできていますから。今回はそれは壊したくなかったけれど、一方でフォークやカントリーみたいなものをやりたくはなかったんです。だからサウンド的に飛躍したいけれど、飛躍できない。その部分を我慢しながらやっていたというか、ギリギリのところをやっていったというか。

──現代的なサウンドに近付けることと、オリジナル曲の持つ和音やメロディの魅力をどちらも生かすためのバランスを考えていったんですね。確かに「HOSONO HOUSE」の持つメロディの魅力や、細野さんの歌声が際立つアレンジになっているような気がします。

そうですね。「HOSONO HOUSE」を作った頃は若過ぎて、制作もバタバタと落ち着いていなくて。しかも大体の曲がその場でバンドでヘッドアレンジをしていったような状態で。でも実は、何曲かはもともとデモを作っていたんですよ。例えば「住所不定無職低収入」とか、まだタイトルも歌詞もない段階で、ギター1本でカセットでデモを作っていたんです。今回そのデモを聴き直したら、これがすごくいい。だから「住所不定無職低収入」はそのデモをもとに作り直したんです。

オリジナルのままではとても歌えない

──昨年の海外公演から映画音楽の制作、今年の50周年イヤーの準備など、「HOCHONO HOUSE」はお忙しい中で作っていったのだと思うのですが。

夏に制作期間を空けてあったんです。で、ロンドン公演から帰ってきて、7月は暑くて何もやらなかった。そして8月も暑くて何もやらなかったんです(笑)。ずっと考えていたんですよね、どうやろうかって。それで9月くらいから作り始めましたね。

──それぞれ、すんなりと方向性は決まっていったのですか?

いや、すんなりってことはなかった。頭の中でまとまらないまま、とりあえずやってみようって始めて。最初は「恋は桃色」をシーケンスっぽくやりたいと思って始めたら「いいじゃん」って。まずスケッチを作って、それでいいか悪いかはすぐにわかっちゃう。「恋は桃色」は最初の時点でこれは面白いと。その当時は、まだ機材は古いままだったんですけどね。

──今回、歌もすべて録り直しているんですよね。

ええ、そうです。なぜかと言うと、あの頃の自分の環境……狭山で作った歌詞の中に、「これじゃあ今、自分で歌えないな」って思うところがいっぱいあったんです。心情的に今と違うというか、時代も場所も変わりましたからね。あの頃はやはり狭山って場所に溶け込んで、どっぷり浸って作っていた。でも今はなんて言うかな、居場所がない生活をしていますから(笑)。でも、録り直しのときは今の自分が歌っているって気持ちがありましたし、“やり直し”という気分ではありませんでしたけどね。

──東京、居心地が悪いですか?

なんだろう、今の時代の東京って、よくわからないわけですよ。ふわふわして、オリンピックを前に街はまだまだ変貌していくし……うん、別にどうでもいいなとも思うんですけど……まあテレビさえ観なければいいのかな。ニュースで事件とかを観ちゃうと、「どうしちゃったんだろう」と思うことも多い。そういう意味ではやはり居心地はよくなくて、歌や歌詞にはそれが出てきてしまう。

細野晴臣のメガネ。

──曲によっては歌詞もガラリと変えています。

まるっきり変えちゃった。「僕は一寸」とか、オリジナルのままではとても歌えなくて。無理ですね。無理だと歌えないもんです。そもそも作詞家がきっちりと作った歌じゃなくて、若い自分が、若いまま生理的に作った言葉ですから。そしたら今もそうやって作って歌えばいいんじゃないかなって。

──その結果「僕は一寸」は「僕は一寸・夏編」とタイトルも変えて収めていますね。そういえば細野さんは以前のインタビューで、若い頃は歌うのが嫌いだったけれど、だんだんと好きになってきたとおっしゃっていました。現在はどうですか?

そうですね、歌うのは嫌じゃないですよ。ただし「HOSONO HOUSE」を歌い直すのはちょっと苦痛だったかな。例えば「薔薇と野獣」はメロディがちゃんとあるから歌えるは歌えるんですけど、歌詞がね、「何を気取ってんの?」って思っちゃうの。ちょっと恥ずかしいところがあるんだよね……「天使が降りて来て肩をたたく」とか。そんなこと、今、歌えないんで。

──人のカバーだったら大丈夫でも、自分の歌詞となると……。

そうそうそう(笑)。だから人のカバーだと思って歌っていましたよ。まあ、あの曲はほかの曲に比べて少し“作品”っぽいんで歌えたところもあるかな。

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