ヒトリエのニューアルバム「Friend Chord」が1月22日にリリースされた。
2024年にメジャーデビュー10周年を迎え、東京・日比谷公園大音楽堂(日比谷野音)でのワンマンライブと全国ツアーやアジアツアーの開催、リーダー・wowakaボーカルによる未発表曲「NOTOK」のリリースなど、多彩な活動を繰り広げてきたヒトリエ。アニバーサリーイヤーを経たバンドの「10年間で鍛え上げたものをそのままパッケージできないか」という着想から制作されたという今回のアルバムは、3人が今鳴らしたい音、届けたい思いをよりストレートに表現した、節目の年にふさわしい1枚となっている。
音楽ナタリーではアルバムを完成させたシノダ(Vo, G)、イガラシ(B)、ゆーまお(Dr)にインタビュー。10周年の活動を振り返っての心境やアルバムの制作過程、それぞれの楽曲に関するエピソードを語ってもらった。
取材・文 / 森朋之
節目という感じがなかった日比谷野音
──「ジャガーノート」「オン・ザ・フロントライン / センスレス・ワンダー[ReREC]」「NOTOK」と既存のシングルが素晴らしかったので、ニューアルバムに対する期待が上がっていたのですが、本当にすごい作品だと思います。
シノダ(Vo, G) よかったです。個人的にもアルバムに対するリスナーのハードルが上がっている気がしてたんですよ。「NOTOK」を出して、野音(昨年9月に東京・日比谷公園大音楽堂(日比谷野音)で開催したデビュー10周年記念ワンマンライブ「HITORI-ESCAPE 2024 10-NEN-SAI~日比谷超絶野音~」)もやって(参照:「ヒトリエは野音に立てるバンドだ」満員の観客が証明、メジャーデビュー10周年で彼らが見た景色)。10周年ということでヒトリエに向けられたボルテージが上がっていたと思うし、自然にアルバムの期待値も上がっていたのかなと。
──確かに。“10周年”を掲げた2024年の活動はどうでしたか?
シノダ 大変でした。コロナの時期を抜けて、この3人の体制になってから一番多くライブをやった年だったので。
──シノダさんの弾き語りツアー(47都道府県ソロ弾き語りツアー「シノ鉄」)もあって。
シノダ それも含めて、人生で一番歌った1年でした。自分で言うのもアレですけど、歌がうまくなったと思うんですよ。純粋にスキルアップができたというか。
──イガラシさんはいかがでしたか?
イガラシ(B) 2024年は濃かったですね。濃すぎて思い出せないです。
シノダ (笑)。霧みたいになってるのかも。
イガラシ とにかくライブが多くて、制作と地続きになってたんですよ。以前はライブはライブ、レコーディングはレコーディングでそれぞれのモードみたいなものがあったんだけど、それが完全になくなりました。全部フラットになって、「今日は録る日か」「今日はライブか」という感じだったので。アルバムの制作もそうだったんですけど、レコーディング自体はすごくスムーズになりましたね。気負わずやれたし、音作りの試行錯誤はあっても、演奏を始めたらすぐ終わるという感じでした。
──ライブ自体もよくなっている感覚がある?
イガラシ それはありますね。自分ができてないことも見えてきたし、そういう意味ではよかったんじゃないかなと。
ゆーまお(Dr) うん。本当にイガラシが言った通りで、全部がフラットな状態になってました。野音は10周年ツアーのファイナルだったんですけど、節目という感じがまったくなくて。
シノダ ハハハ。
ゆーまお ライブに来てくれた人たちは節目を感じてくれてたと思うけど、当の本人たちはまったくカッコが閉じられてないという。野音の直後に中国で3本ライブをやって、そのあともずっとライブが続いてましたからね。
シノダ 軽いランニングをずっとやってる感じ?
ゆーまお そう。それはつまり「いつ観てもらっても大丈夫」という状態だったと思うんですよね。
イガラシ 野音のときも……もちろん特別なライブだったんですけど、なるべくいつも通りやりたくて。なのでなおさら節目感がなかったんでしょうね。
シノダ 気負いすぎてもよくないしね。
イガラシ 2024年は通り過ぎていきました(笑)。
この10年間で鍛え上げたものをそのままパッケージできないか
──野音ライブが節目に感じられないくらい、すべての活動が充実していたんだと思います。そんな中でアルバム「Friend Chord」の制作に入ったときは、どんなビジョンがありましたか?
シノダ 野音でアルバムのリリースの発表をしたときは、まだ見通しが立ってなかったんですよ。
ゆーまお 録り始めてはいたけど、まだ曲がそろってなくて。
シノダ あのときは「曲を書かなきゃな」と思ってました。
──10周年のタイミングのアルバムだし、これまでの作品とは違う意味合いもあった?
シノダ 10周年の締めくくりですからね。ただ、アルバムの全体像みたいなものは考えていなかったんですよ、正直。「REAMP」(2021年2月リリース)、「PHARMACY」(2022年6月リリース)のときはそういうものがあったけど、今回は流動的に作ってみたくて。曲のストックもあったので、「今やったらハマりそうだな」というものもあったし。あと、曲の作り方自体も今までとは全然違ってたんです。これまではもっとガチガチにDTMで作り込んでいたんだけど、バンドの自然体の演奏というか、ライブで培ってきたもの、この10年間で鍛え上げたものをそのままパッケージできないかなと。リアルタイムで仕上がっていたイガラシとゆーまおの音を聴かせたい気持ちもありました。
──バンドとしての身体性を優先した、と。
シノダ そうですね。「ジャガーノート」あたりからそういうモードになってたんですけど、この3人でヒトリエを継続していくうえで、バンドとしての強さが見える曲をもっと作っていきたいので。
イガラシ レコーディングはすごく開放的でしたね。あと、何も困らなかったです。シノダが書いた曲を演奏するにあたって「よくわからない」とか迷うことがなかったんですよ。スタジオでいきなり予定とは違うことをやらされたりもしたけど、それも「そうですか」みたいな感じで。
シノダ あらかじめ想定していたものだけではなくて、現場の瞬発力で生まれてくるものも絶対にあって。「そこに期待したい」と思っていたし、あえて何も用意してないパートもあったんですよ。それも“流動的”ということだと思うし、2人ともちゃんと対応してくれるだろうという自信もありましたね。たぶんイガラシくんの中で“シノダ対策”みたいなものができあがってたんじゃないかなと。
イガラシ ないない、全然ない。
シノダ ……ないらしいです。
──(笑)。ゆーまおさんはどうでしたか?
ゆーまお レコーディングはスムーズでしたね。最後に「おやすみなさい」という曲を録ったんですけど、今までで一番大きいバスドラを使ったんですよ。そうしたら録り終わったときにシノダが「俺たちが憧れていたオルタナティブロックは、これだったんだ」って言い出して。
シノダ バスドラの口径でしたね、大事なのは。
──「おやすみなさい」のお話はのちほど聞くとして、オルタナティブロックの色合いはさらに濃くなってますよね。
シノダ そうですね。過去2枚のアルバム(2021年発表の「REAMP」、2022年発表の「PHARMACY」)は「そういう音楽は時代的に淘汰されたのかな」みたいな思想のもとに作っていたところがあって。ただ、この数年でびっくりするほどオルタナ方面の間口が広がったし、自分が10代の頃に憧れていたオルタナの感じをガンガン出してもいいんじゃないかと思うようになったんです。
──ちなみに皆さんがイメージするオルタナって、主に1990年代ですか?
シノダ 90年代から2000年代前半とか?
ゆーまお その15年くらいを指しているんだと思います。
シノダ マイブラ(My Bloody Valentine)もライブを再開したしね。
──90年代から00年代のオルタナは、イガラシさんにとってもルーツの1つなんですか?
イガラシ はい。自分にとって当たり前の存在というか、馴染んでるとは思います。少し前まで「オルタナティブというジャンルを振りかざすのはちょっと違う」という時代だったと思うんですけど、今は「あの時期の音楽だよね」という感じがあって。だいぶ言いやすくなりましたね。
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リスナーとの「非常に友好的な関係」