タイミングが合えばまたフェスに
──TAKUROさんにも感想をお聞きしたのですが、GLAY初の夏フェス出演はいかがでしたか?
台風の影響でサマソニに行くことをあきらめた地方の人もいただろうから、手放しでは喜べないですけど、無事に事故もなく出演できてよかったです。
──「SUMMER SONIC 2024」への出演はJIROさんが決めたとTAKUROさんがおっしゃっていたのですが。
あ、僕が決定したというわけではないです(笑)。ただ、GLAY側からサマソニに出演させてくださいとオファーはしました。そうしたらサマソニサイドから快諾いただいたうえに、「どこのステージでもいいですよ」と言ってもらって。
──ステージ選び放題! てっきり私は、一番収容人数の多い屋外のMARINE STAGE(ZOZOマリンスタジアム)に出演されるんだと思ってました。
去年もそうでしたが、酷暑の中での夏フェス開催というのがニュースにもなっていたし、僕らのファンの人たちも大勢来てくれる予想ができていたので、あまり過酷な思いはさせたくないなと思って室内のステージを希望したんです。そうしたら「全然いいですよ」と返事があって。僕らが出演した日の幕張は、台風が過ぎたばかりで外がめっちゃ暑かったので選択として間違ってなかったかなと。
──ライブ自体はものすごく盛り上がりましたし、屋内とは言えTAKUROさんは「序盤から暑かった」とおっしゃってました。
確かに暑かったですねー。あと帰りの車がHISASHIと一緒だったので「普段、あのくらいのステージだとGLAYは花道を作るからちょっと狭かったかもね」とか冷静に振り返ったりはしたんですが、実際のところ僕はステージに上がった瞬間は「デカっ!」とびっくりしてました(笑)。幕張メッセ内にいくつもステージが作られているから、もっとコンパクトなのかなと思ってたら、客席が僕の想像の倍くらいの面積だった。ファンの人たちが僕らに送ってきてくれる視線がすごくポジティブなものばかりだったのも印象に残ってます。
──普段のライブのセットリストはJIROさんが考えているところ、今回はHISASHIさんが担当されたとか。
そうですね。「Blue Jean」と「BLEEZE」はひさしぶりにライブでやりました。僕がセットリストを組んでいたら同じシングルでも「グロリアス」とか誰でも知ってる曲を入れたと思うんですよ。だから面白かったな。あと、僕だったら「SHUTTER SPEEDSのテーマ」をフェスのセットリストにはまず入れない(笑)。
──ワンマンライブならまだしも。
だからGLAYファンはびっくりしたでしょうね。「フェスでこの曲やるの!?」って。
──2年前にJIROさんにインタビューをした際に「タイミングさえ合えばフェスにも出たい」ということを話されていて。それが今年実現した形ですが、GLAYとして夏フェスを経験してみて何か発見などはありましたか?
うーん、特別何かというのはなかったかな。今年の2月に札幌ドームでQueen + Adam Lambertのオープニングアクトをやらせていただいたり(参照:GLAYが有言実行のヒット曲満載ライブでQueenにリスペクト表明 初対面も果たす)、春にはさいたまスーパーアリーナで怒髪天の皆さんと競演する機会があったりしたので(参照:“道産子バンド”GLAY×怒髪天が箭内道彦60歳を対バンでお祝い、まさかのカバーに大盛り上がり)、GLAYのことを知らない人に対しての見せ方というのがわかってた。
──ワンマンライブとフェスとで演奏する際の気持ちは変わるものですか?
僕はさほど変わらないですね。ただ、TERUに関してはかなり変えてましたが。特にMCはフェスやイベントでは「GLAYです、どうだ!」じゃなくて、「ちょっとでも楽しんで帰ってください」みたいな。あの感じ、いいと思います。
──「名前だけでも覚えて帰ってください」とTERUさんがMCで言ってたとSNSがざわついてました。
それ、TERUは決してギャグで言ってるんじゃなくて、心から思って口にしてるんですよね。GLAYのことを何も知らない若い人もいたかもしれないので、そういう人たちも意識したんだろうなと。条件とタイミングが合えばまたフェスは出てみたいですね。
──ちなみに、HISASHIさんが以前ライブでGLAY主催フェスの開催を宣言していましたが、その動きなどは?(参照:2024年にフェス開催宣言も!GLAY、ファンクラブ25周年ツアーでレア曲&新曲連発)
それは……どうなんでしょうねえ(笑)。
いびつで力技だった1999年のライブ
──先日、6月にベルーナドームで行われたデビュー30周年のキックオフライブの映像作品がリリースされましたが、改めてあの2日間のライブについて振り返っていかがですか?
25年前はすべてにおいて力技だったなと思いましたね。曲も、パフォーマンスも。セットリストの流れもすごくいびつだし。今はそう感じますが、あのときはあのときで精一杯がんばっていたんだろうなと。
──いびつというのは具体的に?
今だったら緩急を付けてBPM的にも盛り上がる流れを作っていくところ、テンポがまったく違う曲を並べてガーッと押したり、そういう乱暴さはありましたね。再現ライブと言った手前、流れを変えるわけにはいかないけど、「え、まだ速い曲が続くの?」と心の中では思ってました(笑)。
──昔の自分たちに対してなかなか手厳しいですね……。TAKUROさんは「25年前の答え合わせができた」とおっしゃっていたのですが、JIROさんはいかがですか?
うーん、自分としては25年前を思い出して、何かの答え合わせができたとかはないかな。1999年のライブに行きたかったけど行けなかった人や、JAY(ENHYPEN)のようにまだ生まれてなかった人たちが楽しんでいる姿を見られたのはうれしかったですね。それぞれGLAYを好きになって何年目かはわからないけど、その人たちの中に確実にGLAYは存在していて。各々の思い出とともに暮らしているんだろうなとか、そういうことが感じられてありがたかったです。
──2日目のアンコールではJAYさんとのコラボレーションもありました。
いやあ、2日目はJAYとのコラボにたどり着くまで長かった!(笑) JAYにとっては本来はスタジアムクラスのライブは慣れたもんだろうけど、すっかり温まっているGLAYのステージにポンと出るわけだから相当ナーバスになっていたと思うんです。ステージでは堂々としていて、そんな空気は感じなかったけど。僕らが浮かれて演奏をミスったら申し訳ないな、アンコールまで気を抜かないようにしなきゃと考えてました。
「私が好きなあの頃のGLAYだ」と言ってもらえる「Back To The Pops」
──伝説の20万人ライブの再演と、初の夏フェス出演を経て、3年ぶりのアルバムが完成しました。初夏にTERUさんにインタビューした際に「『これこれ! これがGLAYだよね』と思っていただけるような、安心感のあるアルバム」とおっしゃっていたのですが、1990年代初期から令和に至るまでのGLAYの音楽が詰め込まれた作品という印象を受けました。「Back To The Pops」というタイトルが冠されている通り、TAKUROさん発案でポップスをGLAYとして再構築する、再定義するというコンセプトが掲げられていると聞きましたが、このコンセプトを聞いたときJIROさんはどう感じました?
「Back To The Pops」という言葉が出てきたのは、僕がリズムレコーディングに入ったあと、去年の秋くらいだったかな。その前がちょうどオフの期間で、TAKUROから「ベース入れてくれない?」ってアルバム収録曲のデモがロスから日替わりで届いて。連日、何曲あるの?ってくらい送られてきて、「俺遊びに行きたいんだけど……」って言ったら、TAKUROから「OK、わかった。アルバムのイメージ見えたわ」と返事がきて、気が付いたらアルバムのデモができてたという。もらったデモをもとにベースを入れながら、自分でも懐かしい感じがしたし、ファンの人が聴いて「私が好きなあの頃のGLAYだ」と言ってもらえるような曲もあったのできっと喜ばれるだろうなと思ったんですよね。その矢先にTAKUROが「Back To The Pops」というタイトルにしたいと言ってきたので「なるほど」と。
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東京を離れ、曲と向き合い続けたプリプロ期間