生田斗真が主演を務めた“お風呂エンタメ”映画「湯道」のBlu-ray / DVDが、本日10月11日に発売された。映画「おくりびと」の脚本家であり、くまモンの生みの親として知られる小山薫堂が企画・脚本を担当した「湯道」。今回の特集では、生田のほか濱田岳、橋本環奈、吉田鋼太郎、窪田正孝らが出演した本作の魅力を、映画ライター・SYOのレビューで紐解く。
文 / SYO
映画「湯道」予告編公開中
映画「おくりびと」の脚本家・小山薫堂が2015年より提唱している、入浴の精神と様式を突き詰めることで完成する新たな“道”のこと。湯に向かう心の姿勢=「感謝の念を抱く」「慮(おもんぱか)る心を培う」「自己を磨く」という3つの精神が核となっている。日本の入浴文化を世界に発信するとともに、“湯道具”としてさまざまな工芸品を使用することで、国内の職人たちが持つ技や伝統を保護・継承していくことを目的としている。湯道の所作はこちらから。
時代のスピード感というものがある。高度経済成長期(1950~1970年代)にシャカリキに働く「モーレツ社員」がトレンド化したように、近年「ファスト」や「タイパ(タイムパフォーマンス)」という言葉を盛んに聞くように。同時に、そうしたメインストリームに対するカウンターカルチャーも生まれてくる。現代でいうと「整う」だ。コンテンツが氾濫し、可処分時間を奪い合うようになった時代で一時は高速化が進んだのだが、コロナ禍の巣ごもり期間を経たこともあって、自身の心身を休ませる緩やかで贅沢な時間の使い方が尊ばれるようになった。ソロキャンプやサウナブームがそのひとつだ。
日常の喧騒から離れて、ほんのひととき“OFFる”体験の大切さを再認識しつつあるいま──われわれ日本人は原点ならぬ“源泉”に立ち返ろうとしている。そう、入浴だ。銭湯、温泉、自宅風呂=熱い湯に身体を浸す行為がもたらすリラックス&ヒーリング効果は、半端ではない。そんな日本特有の文化であり、“いま”という時代ともマッチした“湯”の魅力を存分に語ってくれる映画がここにある。その名は「湯道」。10月11日のBlu-ray / DVDリリースを記念し、唯一無二の“お風呂エンタメ”の魅力を3つの“作法”で紹介したい。
お湯を慈しみ、お湯と語らい、お湯と生きる
そもそも「湯道」とは、映画「おくりびと」の脚本家であり、「くまモン」の生みの親でもある小山薫堂が2015年に提唱した「入浴、お風呂について深く顧みる」という教え。いわば“家元”である小山自身が書き下ろした完全オリジナル脚本×「マスカレード」シリーズの制作陣とのコラボレーションで映画化されたのが、本作だ。劇中では「人の道は『湯』に始まり、『湯』に終わる」という言葉に代表されるように、様々なお風呂名言が飛び出す。その一部を挙げると、
「銭湯はたった数百円で(心身を)リセットできる」
「湯は太陽。どれだけ空が曇っていてもその上には太陽がある。そんな存在」
「湯の本質。それは心の洗濯だ」
など。劇中には窪田正孝扮する“湯道”の継承者によるなんとも厳かな湯浴みシーンも登場し、およそほかの映画では観られないであろう独自性と熱量に驚かされることだろう(こだわり抜いたカメラワークや湯の微細な表情を切り取った映像美、湯の滴る音を余すところなく伝える音響設計等々、職人芸の数々も必見 / 必聴)。その儀式めいた行程と絵面──際限なくほとばしる“湯愛”を受け止めた瞬間、ある種のカルチャーショックで最初はちょっと笑ってしまうかもしれない。「なぜこんな大真面目に風呂に入るんだ?」と。しかし同時に、羨ましくも感じるはずだ。冒頭に述べたように、丁寧な暮らしへの欲求が高まっているいま、限られた時間の純度をどう高めていくかは個々人の技量に委ねられている。そんななか、「カラスの行水」などもってのほかの湯の求道者たちの姿は、理想形として眩しく映るのではないか。
入浴行為は、この国で生まれ育った人にとっては日常に根差したものでもある。とすれば、お湯に浸かる気持ちよさは体感として「わかる」はず。それがゆえに、お湯を慈しみ、お湯と語らい、お湯と生きる登場人物たちを見ていると、心も身体もポカポカとした多幸感に包まれる。映画「湯道」には、そうした効能が詰まっている。
こちらの“湯欲”を存分に刺激してくる出演陣の表情
我々が登場人物に自身を投影するのには、いくつかの要因が必要だ。共感できる人物像、そして心に浸透する演技である。その点、映画「湯道」には十人十色のお風呂ラヴァーが登場。豪華な出演陣×湯の芝居に心奪われ、各々が織りなす笑いと涙の群像劇に魅せられる。
人生に行き詰まった建築家・史朗(生田斗真)と実家の銭湯を継いだ弟の悟朗(濱田岳)。そして、銭湯の従業員・いづみ(橋本環奈)。湯道に魅せられた定年間近の郵便局員・横山(小日向文世)。銭湯の常連客で、歌好きな女性(天童よしみ)、銭湯近くで定食屋を営む夫婦(戸田恵子、寺島進)、湯を通して日本文化を学び、フィアンセの父親と仲を深めようとする外国人(厚切りジェイソン)、湯の素晴らしさを伝え続けるラジオDJ(ウエンツ瑛士)、湯に生涯を捧げる謎の老人(柄本明)等々、湯にかかわる人物が続々と登場。各々の湯ライフ、その変遷と揺れ動く人間模様が適温で描かれてゆく。
例えば、退職金で自宅にヒノキ風呂を作るのが夢だったり、風呂上がりのコーヒー牛乳やビールが楽しみだったり、仕事で疲弊していたときに風呂に浸かって救われたり、43℃とちょっと熱めのお風呂が好きだったり、一番風呂に通うことを日課にしていたり……。それぞれの個性が反映されたお風呂のたしなみ方は、どれも頷けるものばかり。しかも、出演陣が風呂に浸かるときの表情が、どれも実感がこもっていて見事。観ているこちらの“湯欲”を存分に刺激してくる。
最初こそ実家の銭湯を畳んでマンションに建て替えようとしていた史朗が、次第に湯に魅せられていく展開も上手く、彼の変化に呼応して我々の熱も高まっていく。湯を通して和解したり結束したり、新たな絆が生まれたり思い出に耽ったりと泣かせるドラマも内包。それぞれの湯との距離感や付き合い方を保ったまま、スッと観られてしっとり感動できる。
裏テーマは「文化を守る」想い
「お風呂エンタメ」である本作は、ただ笑えて泣ける娯楽作に終わらない。銭湯という文化の重要性についても、しっかりと言及してくれる。古来より、銭湯は民衆のコミュニケーションの場として機能していた。歴史を遡ると、平安時代末期には銭湯の先駆けである湯屋が存在していたという。
銭湯というのは、我々にとって貴重な居場所のひとつ。リラクゼーション施設としての役割はもとより、映画の上映会やコンサート、ワークショップが行われたりと、イベント施設としても機能している。映画「湯道」の劇中で描かれるように、友人や恋人、家族の仲が深まる場所でもある。「いつ上がる? 何分後に集合ね」というやり取りをするだけでも、会話が生まれる。そして湯上がりの上気した状態で再会し、また話しながら日常へと帰っていく──。見ず知らずの人同士も含めて、貴重なフィジカル / リアルの交流の機会を与えてくれるのだ。
本作の劇中には、「源泉かけ流し至上主義」をうたう温泉評論家(吉田鋼太郎)が登場する。彼は自身の美学から排他的になり、「銭湯がまだ残っていることがミステリー」と毒づき、「過去の遺物」と吐き捨てる。また、別角度からは史朗&悟朗、そして父を通して、銭湯を運営する大変さも描かれる。ただ、その場所でしか生まれない絆があり、その場所を必要とする人々が確かにいるのもまた事実。「湯道」の裏テーマともいえる「文化を守る」想いは、銭湯を越えてミニシアターや書店等々、いまの日本で失われゆく文化の発信地をどう遺していくかという問いにもなっている。入浴はどうしたってバーチャル / デジタルな行為にはなりえず、どこまでも肉体と結びついているもの。足を運び、体感することの大切さを訴え、観る者の欲求を温める──。「湯道」には、明日の私たちを外に連れ出すような、深い余韻が立ち上っている。
プロフィール
SYO(ショウ)
映画、ドラマ、アニメ、マンガ、音楽などのジャンルで執筆するライター。トークイベントへの登壇実績も多数。装苑、sweet、BRUTUS、GQ JAPANといった雑誌のほか、多くのWeb媒体にも寄稿している。