マイノリティの経験や歴史を描いた作品群
ISO 今年から作品賞にノミネートされるための条件として多様性の項目も追加されて、わりと変化が大きいのかな?と思っていたんですが、そこまでラインナップには影響がなかったですね。選考対象321本のうち多様性の基準を満たしたのが265本。結果的に昨年の301本、一昨年の276本より少し減りはしましたが、有力候補とされる作品はどれも基準を満たしていたようなので、選考のうえではあまり関係がない。ここ数年で徐々に変わりつつあったので今回急に変わった印象はない気がします。
ダニエル 自分の観測範囲でもあまり話題になってないですね。ISOさんが言うように、そもそも前から変わってきていたと思います。条件を作らないと永遠に白人ばかりがノミネートされてしまうと思っていた人は多いですし。
ISO この条件は配給や製作を手がけるスタジオ内部の話でもあるので、観客からはわからない、バックで働く人に機会が与えられるようになっているんじゃないかなと思います。
ダニエル それで言うと「パスト ライブス」も「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」も「アメリカン・フィクション」も、アメリカにおけるマイノリティの経験や歴史を描いた作品。ストーリーとしても面白いし、社会批判的な目線も含まれていて。一方で日本から国際長編映画賞に入った「PERFECT DAYS」は、すでにいろいろ議論されていますが、今の日本の社会事情を知っているからこそ批判している人もいますよね。
ISO 自分は「PERFECT DAYS」をとても気に入ったのですが、一方で清貧を美化した描き方や作品の背景への批判には納得する部分も多く、議論があって然るべしだと思います。
ダニエル 特にアメリカにいて観ると、あれには日本をすごく美化したオリエンタリズムの視線を感じます。「欧米から見た日本らしさ」みたいなものがよくも悪くも評価されていて。日本人がいろんな心情でもって批判しているのに対して、日本の格差事情を知らないアメリカではまっさらなものとして観られているわけです。作品賞との差別化が難しくなっている中で、国際長編映画賞から抜け出すには、もう一歩踏み出した何かが必要なのかも。
短編実写映画賞に光が当たってほしい
──このほか気になっている部門はありますか?
ISO 個人的にもっと光が当たってほしいのは短編実写映画賞です。どうしても監督やキャストが無名ということもあって注目度は低いですが、今はどの監督も短編からキャリアをスタートさせています。新たな才能を知る機会にもなりますし、最近は配信のおかげでアクセスしやすい。しかも今年はウェス・アンダーソンがNetflixで撮った「ヘンリー・シュガーのワンダフルな物語」が入ってますし。
ダニエル それこそウェス・アンダーソンは「アステロイド・シティ」もありましたけど、わりと毎回スルーされがちですよね。個性的なセットデザインは唯一無二ですし、1つひとつのショットに対する美意識を持った監督は減っているのに、あまり評価されない。せめて美術賞に入ってもよかったのではと思いました。あと私はビリー・アイリッシュの「What Was I Made For?」はグラミーを授賞したこともあり、歌曲賞の受賞は期待してます。「007」の「No Time to Die」でオスカーを獲ってから、わりとすぐですし、ファンの間でも話題になってます。
ISO 授賞式自体の製作総指揮とショーランナーを務めるのが、南アジア系のラジ・カプールという方なんですよね。今回が初めてらしいので、期待しているところではあります。ちなみにジミー・キンメルの司会について、アメリカだとどういう反応ですか?
ダニエル どうですかね。日本で言うと大泉洋みたいなイメージかな(笑)。司会の人は特別何かやらかさない限り、そこまで重要じゃないと思っていて。やらかして話題になるよりは、静かにしてくれていたほうがいい。今年は大統領選なので、例年だったらビリー・アイリッシュのような人が「投票に行こう」と呼びかけてもおかしくないですけど、今年はそれを言う人もいなさそうというのが個人的な予想です。出そろった作品がすごくポリティカルだからこそ、あえて授賞式はノンポリな路線でいくのかどうかっていう点は気になってます。
ガザの停戦を求める声は
──作品賞や演技賞のノミネートを眺めると、実話もの、歴史ものが強い傾向が今年も出ています。
ダニエル 「オッペンハイマー」「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」「関心領域」、ある意味「パスト ライブス」も含めると、歴史的な事象に誠意を持って向き合った人たちの作品が評価されていますね。「関心領域」は作品賞になかなか入らないようなアート寄りの映画なので驚きました。
ISO 超実験映画ですよね。
ダニエル 個人的に今はアメリカ人がアメリカの帝国主義や歴史に懐疑的になって、政府や国自体に批判的な人が増えている時代だと思います。特に若い人の間でトランプにもバイデンにも投票したくない人が多くて、そういう人にとって「キラーズ~」も「オッペンハイマー」も「関心領域」もわりと受け入れやすい。保守的な愛国心や右派的な思想があったらバックラッシュが起きると思うんですけど、歴史を反省する作品がこうやって多くの人に観られているのは、大げさですけど、ある意味現在のアメリカの社会状況の反映なのかもと思いますね。
ISO ダニエルさんが挙げた3作品は、直接的ではないにしても、どれもジェノサイドに関わる映画ですよね。ユダヤ人が作ったハリウッドはどうしてもイスラエル寄りの空気ですが、個人的に授賞式のスピーチでガザの停戦を訴える人がいるかは注視しています。パレスチナを支持したメリッサ・バレラが出演を予定していた作品を解雇された件もあり、ちょっと触れづらい状況で。停戦を求める声は上がりつつありますが、この段階で賞レースで訴えかける人はいるのか気になるところです。これで無視したら、僕はだいぶがっかりしますね。
ダニエル 今年のスーパーボウルもそうでしたが、イスラエルはクリスマスなどアメリカがどんちゃん騒ぎしているタイミングを狙ってガザを攻撃しているとも言われています。
──スーパーボウルと同日の2月11日夜から12日未明にかけて、100万人以上が密集するガザ最南端のラファに空爆があったというニュースがありました。
ダニエル 多くの人がテレビを観て楽しんでいる状況の裏ではそういう虐殺が起きている。楽しみなことを楽しませてくれよって思う人もいるけど、例えばストライキが起こる業界構造だったり、人種差別や虐殺だったりについて触れないのは、作品に対するリスペクトの欠如とか欺瞞になりかねない。
ISO 僕自身、ハーフタイムショーのヘッドライナーだったアッシャーが好きなので、普通にスーパーボウルを楽しんでいたんですけど、終わってからSNSを見ていろいろと反省しました。もっと関心を持たないとダメだな、と。
ダニエル そこは複雑ですよね。楽しんじゃいけないわけではないけれど、虐殺が今まさに起きている中で、楽しいって言えるのは特権的な立場でのぜいたく。やっぱり社会に生きている限り、我々がどこにエネルギーを注いで注意を向けるかは有限で。日本はアメリカと比べて、イスラエル自体と政治的なつながりがそこまで強いわけじゃない。メディアのしがらみもないから、本来、日本のほうが自由に発言できる場所だと思うんです。
──過去にはウクライナの情勢に関して、ロシアの侵攻が始まった直後の2022年の授賞式でウクライナへの支援を募るメッセージを出したこともありました。昨年はプーチン政権に敵視され、つい先日亡くなった活動家アレクセイ・ナワリヌイのドキュメンタリーが受賞するなどのメッセージは発信しています。
ダニエル むしろスーパーボウルではイスラエル政府が「人質を取り戻す」といった趣旨のプロパガンダを出しました。やっぱりアカデミー賞も含め、授賞式はその団体がどのような価値観を持っているかの表明なわけです。そもそも、授賞式というのはその作品がいいか悪いかという絶対的な判断ではありません。自分が好きだった、感動した、影響を受けた作品が、ある団体に評価されないからといって、その作品に価値がないわけではない。アカデミー賞もアメリカでの人気がある程度反映されているけど、決して全体の民意の反映ではないってことは、当たり前ですが言っておきたいですね。
ISO 賞の知名度からどうしてもノミネート作に注目が集まりがちですけど、「アイアンクロー」や「AIR/エア」のように候補外でも素晴らしい作品はたくさんありますもんね。決して賞での結果がすべてではない。とはいえアカデミー賞自体が時代を反映しているというのは毎年強く感じるので、本年は一体どのようなものになるのか、引き続き楽しみにしたいと思います。