WOWOW「生中継!第96回アカデミー賞授賞式」ジョン・カビラ×宇野維正|作品賞最有力の「オッペンハイマー」と冷遇された「バービー」 オスカー直前、“映画の守護神”が主役となる夜を語る

第96回アカデミー賞の授賞式が日本時間の3月11日に開催。WOWOWでは毎年恒例の独占生中継が行われる。映画ナタリーでは授賞式の魅力に迫る連載特集をお届け。第1弾では生中継の顔として通算18回目の案内人を務めるジョン・カビラと、昨年「ハリウッド映画の終焉」を上梓した映画ジャーナリストの宇野維正が登場。華やかな祝祭としての魅力を放ちながら、その時々の社会や世相が反映される授賞式の歴史と今年の動向を、たっぷり1万字の対談で語ってもらった。

取材・文 / 奥富敏晴

戦争、ストライキ、アメリカ映画界の今

──ジョン・カビラさんは生中継番組にスタッフの誰よりも長く関わっているそうですね。改めて案内役という仕事を振り返って、どんな意義、やりがいを感じていますか?

ジョン・カビラ 2007年からなので、気付けばこんなにも長くお仕事をいただけている。宝物でしかないですね。歌曲賞のパフォーマンスも堪能できるし、さまざまな思いが織り込まれたスピーチを聴く瞬間を、皆さんと一緒に共有できる醍醐味。これを仕事と呼んでいいんでしょうか?というぐらい楽しく刺激的な瞬間です。

──2007年は、長年アカデミー賞を穫れていなかったマーティン・スコセッシが「ディパーテッド」でついに作品賞と監督賞を受賞した年でした。

カビラ 監督賞は6回目のノミネートでやっと獲ったんですよね。そのときのプレゼンターはフランシス・フォード・コッポラ、ジョージ・ルーカス、スティーヴン・スピルバーグ。当然、賞の行方は誰もわからないですが、そういう奇跡の瞬間に立ち会って紹介できる。そしてゲストの皆さんとその意味合いを語れるところに幸せを感じています。

第79回アカデミー賞の授賞式より、左からフランシス・フォード・コッポラ、マーティン・スコセッシ、スティーヴン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス。(写真提供:AMPAS / Photofest / ゼータ イメージ)

第79回アカデミー賞の授賞式より、左からフランシス・フォード・コッポラ、マーティン・スコセッシ、スティーヴン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス。(写真提供:AMPAS / Photofest / ゼータ イメージ)

宇野維正 自分は当時あの3人がプレゼンターとして登場した時点で、スコセッシが獲る前提なんじゃないかってうがった見方をしてしまって(笑)。プレゼンターのラインナップは事前に発表がありますが、カビラさんたちも誰がどの賞を発表するかは直前までわからないんですよね?

カビラ そうです、皆さんと同じ状況ですよ。プレゼンターが発表されてから、アメリカのメディアも予想をしますよね。この人がプレゼンターにいるなら誰々の受賞の可能性が高い、ということになりますし。例年、演技賞はそのまま前年の受賞者がプレゼンターを務めてます。

宇野 よかれと思ってクリス・ロックをプレゼンターにすると、ああいった事件も起こるので、運営側も誰をプレゼンターにするのかは考えどころですよね。

──2022年の授賞式で長編ドキュメンタリー賞のプレゼンターを務めたクリス・ロックが、壇上でジェイダ・ピンケット・スミスの容姿をからかい、夫のウィル・スミスからビンタされた騒動は記憶に新しい人も多そうです。

カビラ あれはアカデミーの歴史に残る汚点ですね。でも今回は司会者が2年連続のジミー・キンメル。それをもネタにして楽しませてくれるんじゃないでしょうか。今年のグラミー賞はトレバー・ノアが司会でしたが、政治の世界にはほぼ立ち入らずでした。ただ、ハービー・メイソン・Jr.はイスラエルの音楽フェスで非道な殺戮があったことを非難しつつ、音楽は人々を融和させるものというようなメッセージを打ち出した。またアニー・レノックスは「Artists for cease-fire! Peace... in the world」という即時停戦を求める言葉でパフォーマンスを締めくくりました。

宇野 大きな戦争が2つ同時に起こっているわけですけど、大統領選挙の年ということでアメリカ国内の関心はどちらかと言うと内政に向いてるような気もします。あと2023年は脚本家と俳優の組合のストライキが本当に大きくて。一応、暫定合意を得て終わりましたが、正直アカデミー賞に来ている俳優は成功者なわけだから、彼らは彼らなりの責任があると思うんですよ。ある種の安堵感とストを振り返っての本音の部分とか、その立場にいるから言えることには注目してます。ジミー・キンメルのネタにはされるだろうけど、あまりネタにしすぎると火種もある気が(笑)。

動画ストリーミングの追加報酬やAI使用に対する肖像権の保護などをめぐって行われた全米映画俳優組合(SAG-AFTRA)のストライキ。2023年7月から11月まで118日間にわたって続き、組合史上最長のストとなった。(写真提供:Michael Nigro / Sipa USA / Newscom / ゼータ イメージ)

動画ストリーミングの追加報酬やAI使用に対する肖像権の保護などをめぐって行われた全米映画俳優組合(SAG-AFTRA)のストライキ。2023年7月から11月まで118日間にわたって続き、組合史上最長のストとなった。(写真提供:Michael Nigro / Sipa USA / Newscom / ゼータ イメージ)

カビラ 僕はジミー・キンメルがトランプに対して何を言ってくれるのか、軽やかにタブーを超えてくれるMCに期待しています。なかなか日本のアワードでは、そういうところに立ち入らない。僕はまったく同意しませんが、芸術と政治は分離されるべきという声も大きい。以前レオナルド・ディカプリオが気候変動について厳しい指摘をしたこともありましたけど、今年はおそらく中東やウクライナのことをスピーチに盛り込む方はいらっしゃる。どちらに立つかよりは、とにかく即時停戦、平和を求めることはあると思います。

宇野 リアルタイムで見たわけではないですが、自分がもっとも感動したスピーチは、1973年、マーロン・ブランドが主演男優賞の受賞を拒否してサチーン・リトルフェザーを壇上に送り、映画業界におけるネイティブアメリカンの扱いについて抗議したときのもの。そういう意味では今回、「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」のリリー・グラッドストーンが主演女優賞か作品賞で壇上に立てば、51年越しのアンサーとなるかもしれません。受賞したとしても何をしゃべるかは彼女の自由なので、そういう政治的な負荷をかけるのはよくないとは思いますが。

Apple Original Films「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」より。ネイティブアメリカンの女性として史上初めてアカデミー賞の主演女優賞にノミネートされたリリー・グラッドストーン(左)。(画像提供:Apple)

Apple Original Films「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」より。ネイティブアメリカンの女性として史上初めてアカデミー賞の主演女優賞にノミネートされたリリー・グラッドストーン(左)。(画像提供:Apple)

「オッペンハイマー」の作品賞は“相当固い”

──今年のアカデミー賞の主役はおそらく最多13部門にノミネートされている「オッペンハイマー」、そして監督のクリストファー・ノーランになってくると思うんですが、ノーランとアカデミー賞の関わりも語っていただきたいです。

宇野 アカデミー賞はコメディに冷たいけど、もう1つエンタテインメント作品にも冷たかったわけですよね。ノーランも「ダンケルク」を除くと、サイエンスフィクションやDCフランチャイズとか、かなりエンタテインメント。初めて大きな賞をもらったのが「ダークナイト」のヒース・レジャーによる助演男優賞で、あれも15年前ですから。

──その後も「インセプション」「インターステラー」「ダンケルク」「TENET テネット」は技術賞の分野で受賞してますが、ノーラン自身の受賞はまだ一度もないですね。

宇野 結果「オッペンハイマー」はアカデミーに好かれる伝記ものですが、ノーランにしてもようやくですよね。彼はもう監督として自分が好きなものをなんでも撮ることができる地位にいる。でも、どんなに芸術的な自由があるからと言って、アート作品を撮ってみたりではなく、70mmフィルムのIMAX映画を撮る責任を感じている気がします。たまには気楽に少ない予算の作品も作ってみたいと思っているはずですけど、「オッペンハイマー」のようなでっかい映画は自分が守らないとなくなるかもしれない。だからノーランは偉い(笑)。その責務を負いながら、ようやく「ダークナイト」から15年で中心に来たなって思っています。

「オッペンハイマー」より、“原爆の父”として知られる実在の物理学者J・ロバート・オッペンハイマー。この役でキリアン・マーフィーは主演男優賞にノミネートされている。©Universal Pictures. All Rights Reserved.

「オッペンハイマー」より、“原爆の父”として知られる実在の物理学者J・ロバート・オッペンハイマー。この役でキリアン・マーフィーは主演男優賞にノミネートされている。©Universal Pictures. All Rights Reserved.

カビラ IMAXの可能性って、要するに“ムービー・ビューイング・マジック”。ノーランからは、シアターの中での体験を絶対に色褪せさせてはならない、素晴らしい映像と音響の世界に没入するマジックを体験してほしいという思いのほとばしりを感じますよね。

宇野 トム・クルーズもそうですけど、ノブレス・オブリージュと言いますか、それができる人間の数が少ないんだから自分がやらなくてどうするということですよね。昨年の「ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE」は興行的に失敗してしまいましたけど、トム・クルーズやノーランはでっかい映画をとにかく守ろうとしている。今回のノーランはさすがに準備していると思います、映画の守護神としてのステートメントを。それが一番楽しみ。

カビラ まさに映画の真骨頂、シンボルですよね。そういうムービーマジックを信じて、届けてくれる稀有な人。踏み込んで言うと、もう受賞したあとのスピーチが楽しみですよ。限られた時間で何を表現してくれるか。何かメッセージが込められた言葉を紡いでくれるんじゃないかって期待しています。

「オッペンハイマー」の撮影現場で指揮を執るクリストファー・ノーラン(中央)。©Universal Pictures. All Rights Reserved.

「オッペンハイマー」の撮影現場で指揮を執るクリストファー・ノーラン(中央)。©Universal Pictures. All Rights Reserved.

宇野 僕もカビラさんも「オッペンハイマー」が受賞する前提で話していますけど、まったく違う作品だったら大ごとですね(笑)。

カビラ 予想サイトが全部クラッシュします(笑)。

宇野 でも過去に事前予想とまったく違う結果になることがなかったわけではないですしね。ただ今年は、相当固いですよ。

──ノーランが獲ったとしたら、原爆の開発者を描いた映画で、“バーベンハイマー”の騒動があったことも踏まえると、日本の視聴者からすると何かしら広島や長崎への言及を期待してしまうかもしれないですね。日本公開は3月29日から、全国50館でのIMAX上映も決定しています。

宇野 日本公開は遅れましたが、僕は間隔が空いたことはすごくよかったと思います。あんなネットミームが拡散されていたときよりも、ゴールデングローブ賞の作品賞を獲って、アカデミー賞の結果も出て、ちゃんと映画の真意が伝わりやすい状況が整ってから公開されたほうがいい。

カビラ 同感です。結果的に冷静に観ることができる。そしていろんな評価がなされたうえで鑑賞に臨むことができるのは、本当によかった。唯一の被爆国だからこそ歴史を学ぶことが大事ですけれど、イギリス人が撮った「オッペンハイマー」が、いわば地獄の扉を開けてしまった男をどのように描いているか、観る価値は大いにあると思います。アメリカが作った大量破壊兵器の裏でどのようなドラマがあり、どんな心の葛藤があったのか。

宇野 すごい映画だから、実際に作品を観て「ウッ」と思うところは正直あります。そしてすごい作品だからこそ、やっぱり複雑な気持ちにもなる。でも、そのうえで劇場で体験する価値がある作品であることは間違いない。

「バービー」の冷遇

宇野 散々、騒がれていますが、「バービー」が歌曲賞に押し込められてしまったというか、受賞濃厚なのはそこだけですよね。本当にそれでいいの?という気はします。

カビラ そうですね。グレタ・ガーウィグが監督賞、マーゴット・ロビーが主演女優賞にノミネートされなかった。ライアン・ゴズリングが「失望しているという言葉でも控えめな表現」といった抗議に近い声明を出してましたけど、アカデミー許さないぞと思っている人は相当多いんじゃないでしょうか。

「バービー」よりマーゴット・ロビー演じる主人公のバービー。ロビーはプロデューサーも務め、自ら監督と脚本をグレタ・ガーウィグに依頼した。©2023 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

「バービー」よりマーゴット・ロビー演じる主人公のバービー。ロビーはプロデューサーも務め、自ら監督と脚本をグレタ・ガーウィグに依頼した。©2023 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

宇野 アカデミー賞はいわゆる興行的に成功した作品と批評的に評価された作品の乖離みたいなことをずっと言われていて、その乖離によって視聴者数が低下傾向にあった。その流れで興行的に成功した作品もノミネートされるように、作品賞の上限本数を増やしたじゃないですか。実際「バービー」は素晴らしい映画だったし、作品賞にノミネートこそされましたが、今回の扱いには、いろんな意味で思うところはありますね。

カビラ アカデミーがコメディに冷たい傾向に「またか」と思う方は多いでしょう。女性も男性もジェンダーの檻の中に閉じ込められている現実を軽やかにパロディ化していく素晴らしい作品なんですけれど。「コメディだしミュージカルだし、ちょっと違うよね」という頭の固い人もいるのか?というのが露呈しちゃいましたね。

宇野 今回の冷遇のムードは、原作があるわけでもないのに、バービーというIP(知的財産)が元になっているだけで、脚色賞の対象というところからすでに始まっていました。「バービー」の人たちは脚本賞の対象にさせるためのキャンペーンも張っていたのに、脚色賞に押し込まれ……。

カビラ 本当にご指摘の通り。バービーは単にイメージで、そのブランド力をリスペクトしながら作っている。作品は完全にオリジナルですよ。

宇野 一方で歴史上の人物を演じた役者に甘いのは、いつも通りの傾向で(笑)。「バービー」は興行的にも批評的にも2023年を代表する作品だったので、その違いが出ちゃいましたね。

──これでライアン・ゴズリングが助演男優賞を獲ったり、彼が歌った「I'm Just Ken」が歌曲賞を受賞したら、皮肉めいた結果というか、素直に喜びづらいかもしれないですね。

カビラ 歌曲賞に関してはビリー・アイリッシュの下馬評が高いので、「I'm Just Ken」が受賞する可能性は低いかもしれないです。

宇野 パフォーマンスは観たいですけどね。

「バービー」よりライアン・ゴズリング演じるケン(中央)。「I'm Just Ken」はケンが自身の存在意義について切なく苦悶するさまを歌った楽曲。©2023 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

「バービー」よりライアン・ゴズリング演じるケン(中央)。「I'm Just Ken」はケンが自身の存在意義について切なく苦悶するさまを歌った楽曲。©2023 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

カビラ ゴズリングはディズニーチャンネル出身で、当然歌って踊れる。それは「ラ・ラ・ランド」でも証明しているので、個人的にもパフォーマンスは楽しみです。

宇野 今回一切ノミネートされなかったエメラルド・フェネルの「Saltburn」は、年を明けてからブームになっています。この映画も「バービー」と同じくマーゴット・ロビーのプロデュース。映画自体もいいんだけど、プロモーションとか広がり方も女性のプロデューサーだからこそできることをやっている気がするんです。彼女は本当に今すごいことをしているので、そこはちゃんと評価してほしい。


2024年3月7日更新