「運び屋」|人生は1本の映画──町山智浩がクリント・イーストウッド10年ぶりの監督・主演作に迫る

Review	これはイーストウッドの懺悔なのか?町山智浩が読み解く「運び屋」

2011年10月、デトロイトに向かうフリーウェイでDEA(連邦麻薬取締局)のジェフ・ムーアは黒いリンカーンのSUVを検挙した。それはDEAが追い続けていたコカインの運び屋だった。リンカーンに積まれていたコカインは100kg、末端価格3億円にもなる量だ。驚くべきことに、その運び屋レオ・シャープはなんの前科もない87歳の老人だった……。

その実話をもとにした映画「運び屋」は、米寿を迎えたクリント・イーストウッド40本目の監督作。彼がひさびさに自ら主演し、レオ・シャープをモデルにした老人、アール・ストーンを演じている。

レオ・シャープの本職は園芸家。デイリリーというユリの新種を生み出し、品評会で数々の賞に輝く、その道では有名人だった。父ブッシュ大統領の時代にホワイトハウスに招かれて庭に花を植えたこともある。

「運び屋」

だが、2000年代に入って栽培の仕事は赤字になり、メキシコ系の従業員に誘われて、悪名高き麻薬王ホアキン・グスマン、またの名をエル・チャポ率いるシナロア・カルテルに雇われて、コカインの運び屋になった。

メキシコとの国境アリゾナでコカインを詰め込み、デトロイトまで運ぶ。警察はまさか白人の老人がそんなブツを持っているとは夢にも思わない。シャープは2010年2月から毎月、200kgものコカインを運び、1回ごとに10万ドルもの報酬を受け取っていた。代金としてダッフルバッグに詰め込んだ200万ドル以上の札束をデトロイトからアリゾナに運ぶこともあった。シャープはカルテル内で優秀な運び屋として評判になり、スペイン語で「タータ(おじいちゃん)」と呼ばれた。その噂はDEAの耳にも入った。

DEAに逮捕されたシャープは法廷で、刑を免除してくれたら裁判官のためにパパイヤを栽培しようと申し出た。

「甘くておいしいですよ」

シャープの弁護士はシャープは認知症だと主張し、懲役3年に減刑された。収監後、1年半で健康不良のため釈放され、2016年に亡くなった。92歳だった。

イーストウッドはこの実話に自分を重ねている。デイリリーの栽培で巨匠と呼ばれる主人公アール・ストーンは、世界で絶賛される映画作家イーストウッドを連想せずにいられない。

だが、アールは家庭人としては失格。家はほったらかしで、妻をさんざん泣かし、娘の結婚式もすっぽかす。イーストウッド自身も私生活はむちゃくちゃだった。正式な結婚は2回だが、5人の女性との間に「少なくとも」8人の子どもをもうけた。

「運び屋」

「運び屋」でアールの娘を演じるのはイーストウッドの実の娘アリソン。アリソンはイーストウッドと最初の妻マギーとの間に1972年に生まれたが、彼女が3歳のときに父は女優ソンドラ・ロックと14年間の同棲生活に入った。そのアリソンが「運び屋」でイーストウッドに「あんたは最低の父親よ!」と泣き叫ぶ姿は演技に見えない。

「私は許されざる者だ」というアールは今までの人生の罪滅ぼしとして、コカインで稼いだ金を地域に寄付したり、バラバラになった家族の絆を取り戻そうとする。この「運び屋」という映画自体がイーストウッドの懺悔にも見えてくる。

「運び屋」で驚かされるのは、88歳のイーストウッドのセックスシーンだ。セクシーなコールガールを相手に、2人同時に、2回も奮闘する。マグナムは今も現役なのか? これを観て、思わず「ダーティハリー」の名ゼリフを思い出した。

「俺の銃に弾が残ってるかどうか、考えているんだろう? 試してみるか、チンピラ!」

「運び屋」

Column

90歳の老人は逃げ切れるのかアールを追い詰めていく男たち

文 / 平野彰

「運び屋」の主人公アール・ストーンは自分が運んでいるものが大量のドラッグであることに気付いたとき、ひどく動揺する。しかし楽天的な性格の持ち主である彼は、自分が巨大な犯罪の一端を担っていることへの自覚を特に持たぬまま、報酬で買ったトラックに乗って運び屋稼業を続ける。ときに歌を歌い、所定のコースを外れて寄り道をするアール。リラックスした彼の表情は、とてもドラッグを運んでいるようには見えない。まるで、園芸家として成功していた頃に戻ったかのようだ。

「運び屋」より、アールの監視役たち。

本作には、そんなアールを追い詰めていく2組の男たちが登場する。まず、アールの監視役を務めるカルテルのゴロツキたちだ。彼らはマイペースな行動を繰り返すアールを見てイラつき、その場で殺害することすら考える。映画やドラマ、ニュースでメキシコの麻薬カルテルの恐ろしさを知っている人なら、いかにアールが無謀な行動を取っているかは言わずもがなだろう。

「運び屋」より、ブラッドリー・クーパー演じるコリン・ベイツ(左)とマイケル・ペーニャ演じるトレビノ(右)。

そして2組目は、正体不明の運び屋を追う麻薬取締局の男たち。ブラッドリー・クーパー演じる捜査官コリン・ベイツは、自分たちが追っている相手がまさか90歳の老人であるとは露知らず、血眼になって手がかりを探す。

映画には、運び屋を追うベイツとアールが接触するシーンが用意されている。事情を知らなければ、この場面は2人の男の心温まる邂逅にしか見えないだろう。追う者と追われる者という、2人の本当の関係性を知っている観客にとっては、たまらなくスリリングなシーンだ。

俳優としてカメラの前に立ち数々の監督のテクニックを吸収してきたイーストウッドは、初めてメガホンを取った「恐怖のメロディ」からサスペンス演出に長けていた。その手腕は、90歳を目前にした今でもまったく鈍っていない。特報映像に収録された、アールが警官に積み荷の中身を問われるシーンには、一級エンタテインメントとしての本作の魅力が凝縮されている。

「運び屋」より、ブラッドリー・クーパー演じるコリン・ベイツ(左)とクリント・イーストウッド演じるアール・ストーン(右)。

イーストウッド監督史上6本目の1億ドル突破作 集大成へ、その軌跡をたどる

文 / 平野彰

1992「許されざる者」

「許されざる者」

イーストウッドの監督作で初めてアメリカ国内興行収入が1億ドルを超えたのは、1992年の「許されざる者」だ。それまで“監督もやるスター俳優”だったイーストウッドは同作で批評家と観客から高い支持を受け、アカデミー賞にて作品賞や監督賞など4部門を受賞する。

2004「ミリオンダラー・ベイビー」

「ミリオンダラー・ベイビー」

2004年の「ミリオンダラー・ベイビー」でもアカデミー賞作品賞、監督賞など4部門を獲得。不遇の人生を送ってきた女性がボクシングに生きがいを見つけていくこの作品は、悲痛で重厚なストーリーと衝撃的なラストシーンによって話題を呼び、やはり1億ドルを超えるヒット作となった。

2008「グラン・トリノ」

2008年の「グラン・トリノ」では、人種差別主義者の偏屈な老人ウォルト・コワルスキー役で主演。このウォルトは、孤独な退役軍人という点で「運び屋」の主人公アールと共通する。そして、それまでで最高となる約1億4800万ドルの国内興行収入を記録した「グラン・トリノ」以降、イーストウッドは自身がメガホンを取る映画ではカメラの前に立たなくなる。

2014「アメリカン・スナイパー」

「アメリカン・スナイパー」メイキング写真

2014年、イーストウッドは実在したアメリカの狙撃兵クリス・カイルの半生を描いた「アメリカン・スナイパー」を監督。「運び屋」でも麻薬取締局の捜査官を演じたブラッドリー・クーパーを主演に迎え、約3億5000万ドルという自己最高の国内興行収入をたたき出した。

2016「ハドソン川の奇跡」

「ハドソン川の奇跡」メイキング写真

勢いは止まらず、続いて2016年に製作した「ハドソン川の奇跡」でも1億ドルを突破。USエアウェイズ1549便不時着水事故を題材とした同作には、トム・ハンクスやアーロン・エッカートが出演した。

2018「運び屋」

2018年12月にアメリカで公開された「運び屋」は、イーストウッドが監督した過去の傑作群と並んで、史上6作品目となる1億ドルを超えた必見の実話サスペンスだ。「グラン・トリノ」以来10年ぶりの監督・主演作となる本作は全米で称賛され、日本でも映画監督・山田洋次をはじめ各界の著名人が絶賛の声を寄せている。

「運び屋」
2019年3月8日(金)全国公開
ストーリー

仕事一筋で家庭をないがしろにしたあげく、事業の失敗で家財の一切を失ってしまった孤独な老人、アール・ストーン。彼はある日、偶然知り合った男から「車の運転さえすれば金を稼げる」という話を持ちかけられる。なんなく仕事をこなすアールだったが、彼が車に乗せて運んでいたものは、メキシコの犯罪組織が仕切るドラッグだった。それでも優秀な運び屋として仕事を続けるアール。だが、気ままな彼の行動を警戒する組織の監視役たち、そして麻薬取締局の捜査官の手がアールに迫る……!

スタッフ / キャスト

監督・製作:クリント・イーストウッド

出演:クリント・イーストウッド、ブラッドリー・クーパー、ローレンス・フィッシュバーン、マイケル・ペーニャ、ダイアン・ウィースト、アンディ・ガルシアほか